7, 疑惑


 「驚いたわねぇ。

  まさか、あのコトリバコを運ぶことになるなんて」


 瑞奉寺を出て京都市街へと戻ってきたとき、車内の時計は午後1時半をとうに過ぎていた。

 JR花園駅を過ぎ去り、丸太町通りを走行するスタリオン。

 サンルーフから差し込む日の光が、朝よりずうっと柔らかい。


 「それに、前金で300万、任務完了で700万。

  合計一千万の大仕事。

  2週間ぶりの依頼とはいえ、ここ最近でも一番の額よ!」


 前金の入ったグローブボックスを、上からポンポンと上機嫌にたたく澪とは逆に、碧は無言でハンドルを握っている。

 往路のように、澪の言葉に何か返すことも、全くしていない。

 心ここにあらず、というわけではないようだが、ずっと前を見据えて、声も出さない。

 万念に、亡くなった檀家の事を聞いてから、この調子だ。


 そんな時もあるさ程度で澪は気にしておらず、鼻歌混じりに、来たとき同様流れる車窓に目をやっていた。 すると。


 「ねえ、澪」

 「ん?」


 今まで黙っていた碧が、唐突に相棒の名前を呼んだ。

 車がずうっと東へ、丸太町通りを走り続けていることにも、澪はようやく気が付いた。

 考え事をしているとき、なにか引っかかることを相談するとき。

 頭の中を整理したいときに、碧はわざと事務所への帰路を遠回りで走るのだ。

 いったいどうしたものか。 目をぱちくりさせる彼女に――


 「舞い上がってるところ申し訳ないけど、あの万念って坊主、嘘ついてるよ」

 「……は?」


 突然そんなことを言われても、脳が追い付かない。

 きょとんと、漫画のように目をぱちくり、5秒後には混乱という遅効性の毒が体じゅうを駆け巡る。


 「え、ちょ、まっ……ええ……どういうこと?」

 「おそらくコトリバコを運んでほしいっていうのは、真っ赤な嘘。

  あのお寺には、そもそもコトリバコは置いてない」


 碧はハンドルを片手で軽く握りながら、自信たっぷりに答えてみせた。


 「どうして、そんなことが分かるの?

  コトリバコは呪物だから、碧が見せろって言っても、万念さんは拒んだのに」

 「正直なところ、澪。 君はコトリバコについて、どこまで知ってる?」

 「えーっと……人を呪い殺す、とても危険な箱ってことぐらい……」

 

 それを聞くと、なるほどね、と碧はつぶやき続ける。


 「もし、本当にコトリバコを運んでほしいっていう依頼で、彼も呪物について調べているのだとすれば、私たちを呼ぶようなことは絶対にしない」

 「どういうことよ。 もったいぶらずに教えてっ!」


 焦らされ顔を膨らます澪を、横目で可愛いと微笑み、碧は優しく説明を始めた。


 「澪、コトリバコが呪い殺す対象はね、若い女性と子供だけなんだ」


 そう言いながらハザードを焚き、スタリオンを路肩に寄せながら徐々に減速していく。

 車は丁度、緑豊かな京都御苑の門前に停車した。

 脇を他の車が、ゆったりと走り去っていく。


 「ネットを中心に囁かれてる噂によれば、コトリバコは長らく差別に苦しんでいた集落が、自分たちを迫害する集落を破滅させるために生み出したもので、組木の箱にメスの家畜の血と、子供の死体の一部を入れ、恨み憎しみをふんだんに込めて作られる。

  それを呪いたい相手の家に置くと、若い女性や子供を呪い殺す、つまり一族の血を根絶やしにできるって仕組みなの」

 「じゃあ、コトリバコって、“子を取る箱”だからコトリバコ」

 「そういうこと。

  あの万念って坊さんが、そのことを知っていたのなら、若い女性二人組の私たちに依頼を申し込むなんてこと、絶対にしないはずだよ。

  仮に知っていなかったとしても、澪の声で気づくはずだもん」


 しかし、澪はここで、あることに気づいた。


 「ちょっと待って! 若い女性と子供にしか呪いは発動しないのよね?

  じゃあ、交通事故で死んだっていう檀家さんって……」


 矛盾する言葉。 それこそが、碧が依頼に疑問を抱いている根拠のひとつ。


 「そもそも、そんな人いないんだと思うよ。

  寺の関係者や、参拝客が苦しんだっていうのも多分創作。

  私が檀家の事を聞いたのは、そのためだよ。

  この質問だけ万念は答えるのを渋ったし、男性って答えた途端、私はこの依頼には何か別の目的があるって確信したけどね」

 「碧は、今回の依頼が、最初から変だって気づいていたのね」


 そう納得する彼女に、碧は追加でひとこと。


 「いや、最初におかしいと思ったのは、あのフェラーリを見てから」

 「結局、あれって檀家さんのだったんでしょ?

  万念さんが、そう言ってたじゃない?」


 確かに、万念はフェラーリは檀家のものだと言っていた。


 「にしては妙だよ。

  気づかなかった? あのお寺からは、まったく人の気配がしなかった。

  それに、車に手を近づけたら、エンジンは完全に冷え切ってたんだ。

  V型8気筒の高出力エンジンが、短時間で冷え切るなんてあり得ないよ。

  最も、お墓参りに3時間以上かけてるのなら、話は別だけど」

 「とすると、あの車は万念さんのかしら?

  住職さんに知られたくなくて、嘘ついたのかもしれないし、坊主丸儲けって言われるのが不愉快ってお坊さん、たくさんいるじゃない?」


 そう考えるのが自然ではある。 が、しかし、碧はそんなこと一切考えていなかった。


 「F8 トリブートは、軽く3千万以上はする超高級車。

  税金やら維持費まで入れたら、それ以上だ。

  そんな車を、まだ寺の見習いっていう立場の僧侶が持つか?

  それも、管理する寺がボロボロで、車をしっかり置いておくガレージすらないっていうのに?

  あんなスーパーカーを、雪や雨の多い山の中で、監視カメラも無く野ざらしにしておくとは考えにくい」


 そう、車を愛し、車でおまんまの糧を稼ぐ碧に、生半可なフェイクは通用しない。

 トラックからスーパーカーまで、彼女の脳内にある自動車情報は膨大だ。


 「じゃあ碧は、フェラーリが停まってる時点で――」

 「おかしいと思ってたさ。 この依頼には何かあるってね」

 「いずれにしても、嘘をつくのは契約違反だわ。

  今から彼に電話して―― っ……碧!?」

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