君にだけ刺さるナイフ

たまごかけマシンガン

君にだけ刺さるナイフ

 幼稚園児の頃、遠足に備えて皆で「てるてる坊主」を作った。明日の空を晴らすため、一晩中吊るされた挙句、用が済めば捨てられてしまう。幼心ながら可哀想だと同情したのを思い出す。


「優しいんだね。羨ましいな」


 そう言った彼女は、今、目の前で宙ぶらりんになっている。


 ◇


「君も受かったんだ」


 三年ぶりに出会った華怜かれんはすっかり大人になっていた。最後に見たのは小学生の頃だったので無理もない。でも、笑う時に三日月みたいな薄目になるのは当時のままで安心した。


「俺も勉強頑張ったからな。やっと、追いついたぞ」

「背中がやっと見えただけだろ? 私は学年でもトップクラスなんだ。編入組の非才な君が勘違いするなよ」

「……相変わらず容赦のない」

「愛情深いだろ?」


 『大人になった』という評価はどうやら誤りだったようだ。見た目がクールになっただけで、中身は当時のまんまである。俺のロッカーにカマキリの卵を隠したり、俺の鉛筆の両端を勝手に削ったりしていた頃と変わらない。また、彼女の愛情表現いやがらせに腹を痛める日々が続くのか。


「そんな怪訝そうな顔するなよ。久しぶりに一緒に帰ろうじゃないか」


 腹を痛めつつ、その三日月に易々と誘われる俺も相変わらずの阿呆である。


 ◇


 河川敷を歩きながら、離れ離れになっていた三年間について話し合った。いや、話し合ったというのは語弊がある。彼女はあまり自分のことを語ろうとしないので、ほとんど自分ばかり喋っていた。


 ふと、彼女は立ち止まる。


「覚えているか? この公園」


 指先にあったのはベンチと砂場だけの余りにやる気のない公園だった。俺たちがいつも遊んでいたのは、もっと色々な遊具があった筈だ。


「……さあ」

「……君はとんでもない阿保だな。このバカめ!」


 柄でもなく直球な暴言を吐くと、機嫌悪そうに歩みを進める。


「じゃあ、こっちはどうだ? この階段」

「…………」


 忘れるはずがない。だが、それを自分で口に出すのが悔しくて、忘れたフリをする。そんな考えすら見透かしたようで、彼女は意地の悪い笑顔を見せた。


「ここは『陽咲ひさき階段』。君が私にフラれた場所だ」

「勝手に俺の名前をつけるな」

「土地に自分の名前がつくなんて光栄なことじゃないか。コンスタンティノープルみたいなもんさ」


 そう。俺は気が狂って、この碌でもない女に惚れてしまったのだ。我が人生における最大の失態である。挙句、ここで告白し、フラれ文句は「君は頭が悪いからどうせ別の中学に行くだろう」だ。彼女の予言通り、見事中学受験に落ちたのが、この話の悲惨な所である。


「でも、結局高校は同じところに入れたぞ」

「そうだな。じゃあ、付き合ってもいいぞ」

「……………………え?」


 聞き間違いかと思う程、彼女はサラリと言ってみせる。俺の耳が正しいことは、「光栄だろ?」と言わんばかりの彼女の顔で確認できた。


「……本当に?」

「代わりに退屈させるなよ」


 その瞳は恋する乙女というよりかは、新しい玩具を見つけた子供のようだった。


「手始めに明日デートするから計画を立ててこい」

「…………ああ。うん」


 呆然としたまま返事する。人生最大の失態を更新してしまった。


 ◇


 翌日、肝心の彼女の姿は見当たらなかった。おそらく、他のクラスのどこかにいるのだろうが、こんな入学したてのよく分からない男が聡明な美女を探すという構図は、周りから奇異に映るだろう。そこで、校門で待とうと思ったのだが、そこにはもう既に流麗な人影があった。


「遅いじゃないか。わざわざ待ったことを後悔させるなよ」


 ◇


 彼女を友人として楽しませるならともかく、恋人として楽しませる自信はなかった。だから、デート先には映画館を選んだ。ここなら俺が面白くなくても、代わりに映画が彼女を楽しませるだろう。


 少しビビり過ぎたかもな、という後悔もなくはない。わざわざ俺で退屈を凌ごうとしてくれたなら、多少不器用でも俺自身の力で楽しませようという姿勢が必要だったかもしれない。そんな思考からも逃げるため、スクリーンの映画に集中する。


 ◇


「君はあの映画で泣けるんだな」


 開口一番の感想はそれだった。


「……面白くなかった?」

「面白かったよ。君の癖に良いセンスだ。ただ、最後のオチだけ気に食わない」

「綺麗なまとめ方だったと思うけどな」

「だからこそだよ」


 「分かってないな君は」と言わんばかりの呆れ顔である。


「私はハッピーエンドがあまり好きじゃない」

「何で?」

「置いていかれた気分になるのさ。今まで散々同調していた登場人物が自分達だけ勝手に救われちゃうんだ。映画を見ていただけの私の問題は何も解決してないのにね」

「…………」


 彼女は周りをキョロキョロ見回すと、静かに俺を抱きしめた。


「————」


 プルプルと小刻みに震えているのが分かる。つむじだけの彼女は、ひどくか弱い存在に見えた。


「君は置いていくなよ」


 ほんの一拍、時が止まる。


「華怜が何か困ってたら俺が救ってやるよ」

「…………ふん! 何を主人公みたいなことを言っているんだ。君に助けられる位なら死んだ方がマシだね」

「………………」


 やっぱり、か弱くなんてないのかもしれない。


 ◇


 華怜は別れ際に「来週は私が計画してやる」と言っていた。やはり、俺の計画に幻滅したのかもしれない。だが、次のデートを設けるあたり、俺自身には幻滅していないと信じている。


 とは言え、彼女の計画というのも、ある意味で不安なので、是非とも話し合いたい。だが、入学初日の時以来、学校で彼女の姿は見当たらなかった。


「お前、華怜と付き合ってるの?」


 狂人を見る目で問う友人。


「まあ、一応。……どこで知ったんだ?」

「あいつと一緒に歩いてて話題にならない訳ないだろう。お前は知らないかもしれないけど、この学校じゃ結構な有名人なんだぞ」

「……学年トップで美人だから?」

「それなのに不登校だからだよ、馬鹿。次、惚気たらぶん殴るぞ」

「……不登校?」

「ああ。入学式には来てたけどな」

「………………」


 通りで見当たらない訳だ。


 彼女程の頭脳があれば、確かに高校なんて通わなくても何とかなるかもしれない。それでも、昨日の彼女の言動といい、引っかかるものがある。やはり、何らかの事情があるんじゃないか。


「『救おう』だなんて思うなよ」


 まさに、俺が考えていたことを諌められた。心臓を後ろから掴まれた気分だ。


「アレと関わっても、お前の幸せにはならない」

「……分かってるよ」


 勿論、これは嘘である。


 ◇


 約束の日。今度は早めに校門に行ったのだが、彼女の姿は見当たらなかった。前回待たせた腹いせに敢えて遅くきているのかもしれない。


 連絡を取ろうにも、結局彼女の連絡先は聞けなかった。「持っていない」と本人は言っていたが、現代の女子高生にそんなことあるのだろうか。


「もしかして嫌われたのかな……」


 彼女の姿は見当たらないまま、完全下校のベルが鳴る。余りに侘しくなったので、流石に帰ることにした。


 ◇


 この一件で俺の心に大きな穴が空いたのは言うまでもない。だが、翌日の放課後。彼女の姿を一週間ぶりに見た。


 雑踏の中を揺蕩うように歩いている。


 制服を着た彼女は俺にしか見えない天使のようだった。


 ◇


 彼女の背中を追う。辿り着いたのは廃ビルだった。


「他人とのデートをバックれといて、こんな所で何すんだよ」

「……付いてきてたのか」


 沈みかけの陽も手伝って、今にも消えてしまいそう。


「昨日のことはすまなかった。こちらにも色々事情があったんだ」

「……じゃあ、それはもう許すよ。それより、何の大義名分があって不法侵入するつもりなんだ」

「秘密だ。一人でやるべき用事がある」


 そそくさと入ろうとする彼女の手を握る。非常に面倒くさそうな顔をされた。


「怪しすぎるだろ。そんな目の前で非行を見逃せるか」

「なるべく早めにやりたい仕事があるんだ。離せよ」

「せめて、何をやるかくらい教えろ。さもないと、大人を呼ぶぞ」


 頭を押さえて、溜め息を吐く。


「じゃあ、入ってもいいが、何もするなよ」


 あたかも自分の家のように、何も悪びれず入っていく。


「…………」


 結局、俺も非行に加担した。


 ◇


 彼女は少しも振り返らず、悠々と先に進んでいく。埃まみれの階段を登り切ると、開けた空間に出た。汚れ切った床とは不釣り合いな新品の風邪薬と缶ビールが置いてある。


「……何だこれ?」

「これを見てもまだ分からないのか?」


 呆れた顔をした彼女は徐に歩き出すと、錠剤を口いっぱいに含み始める。


「何やってんだ!? やめろよ!」


 アルコールで流し込む。その手を必死に押さえつけたが、それでも何錠か飲み込んだようなので、「ごめん」と呟き腹を殴った。喉の中のものを吐き出して床に倒れる。制服がビールでビチャビチャになっていた。


「……意外と暴力的なんだな。君じゃなけりゃ殺してたぞ」

「何やってんだよ! 死ぬつもりか!?」

「ああ。何か問題が?」

「当たり前だ! お前が死んだら、みんな悲しむだろ!」

「…………みんな、か」


 制服をはたきながら立ち上がる。ビールが空になったことを確かめると、恨めしそうな顔をした。


「……『何もするな』と言ったのに」

「何もしなけりゃ死んでただろ!」

「それでよかったんだ。君は『死なれたら自分が悲しい』というエゴだけで私の『死ぬ権利』を奪った。この罪は重いぞ」

「それは…………!」


 言葉が詰まる。


 彼女の主張は一理あるかもしれない。彼女が何をもってこんなことをしているのか、俺はちっとも知らないのだ。そんな俺に死への逃亡を禁じる権限があるというのか。


 動悸が落ち着いていく。浅くなった呼吸を整えながら、彼女と暫く見つめ合った。冷静な頭になってもう一度考えてみるが、やはり彼女の死は看過できない。せめて、彼女の正気を確かめるべきだ。あんないつも毅然とした彼女が自ら命を絶ちたがるなんて、きっとマトモじゃない筈だ。


「……どうしてだ。理由だけでも教えて欲しい。俺にできることがあれば、何でもやる」

「『死にたい理由』か。理由はないな。原因なら、生きる理由がないことだ。全ての物事に原因はあるが、理由や意味はない」

「……理由もなく生きるのは駄目なのか?」

「逆に問おう。世の中の多くは理由もなく生きているのに、何故、死ぬことには理由がいるんだ? 本来、生と死は等価値のはずだ」

「だって……」


 だって、理由がなけりゃ救いようがないじゃないか。


「……そんな泣きそうな顔するなよ。……うん。少し嘘をついたかもな。そういや、一つ理由らしきものがあった」


 珍しく口元だけで笑っていた。


「自殺は最終兵器なんだ」

「……それって、どういう……?」

「まあ、そのうち分かるさ。君は優しいからね」


 散らかした錠剤も回収せずに階段を降りていく。


「まさか、私を『救おう』だなんて考えてないよな?」

「…………」


 友の忠告が頭を過ぎる。


 だが、見捨てようという気は微塵も湧かなかった。


「だったら、私の家に着いてくるといい。その思いも叩き壊してあげるよ」


 その言葉の意味は分からないまま、俺は黙って付いていった。


 ◇


 彼女の家には何度か遊びに行ったことがある。あそこの両親は俺にも優しくしてくれた。だが、彼女の様子を見るに、あの頃のまんまの風景を見るのは叶わないのだろう。


「今日は誰もいないから、遠慮せず入ってくれ」

「ああ」


 普通のカップルならきっとトキメク台詞だったろうに。こんな泥のような気分で消費するとは思っていなかった。


 ◇


 薄暗い廊下を通り抜け、居間に出る。ソファに座る頭が見えた。


「あっ! 失礼します!」


 誰もいないなんて嘘じゃないか。なんて、恨みながらお辞儀する。彼女は無表情のまま、あらぬ方を見つめていた。


「私は嘘はつかないよ」

「…………は?」


 ソファの人影は突然の来訪者にも反応せず、延々とテレビの画面を眺めている。おそらく、華怜の母親なのだが、耳が遠くなったのか、俺の声は聞こえていない。


「あのー、失礼しま——」


 一瞬、奇抜な服でも着ているのかとでも思った。でも、ほんの数刻眺めたらそんな訳ないと気づく。


 首から溢れた黒い赤が膝下まで染めている。傍に汚れたナイフを置いたまま、燃料が切れたように一点を眺めていた。


「華怜が……?」

「そうだよ」

「何で……? 何で、あんなに優しかったのに……?」


 一瞬、彼女は眉間に皺をよせる。一度、深く呼吸をすると、いつもの優雅な顔に戻った。


「娘の死なんて味わわせたくないだろう? だから、私が自殺する前に殺してあげたんだ」

「…………っ」


 いつもの悪戯かのように、まるで悪びれる様子もない。幼い思い出がドス黒い血で汚れていく。あんなに憧れていたのに、あんなに恋焦がれていたのに、今では顔を見るだけで吐きそうだ。


 そこで彼女の言った意味が分かった。


「人殺しでも『救おう』と思うのかい? そもそも、君の言う『救い』ってなんなんだ?」


 吐き気を堪えるのに精一杯で何も答えられない。


「その内、これがバレて私は捕まるだろう。君の言う『救い』っていうのは殺人犯として生きていくことなのか? 私はそんなことよりも彼女のように安らかに眠ることの方がずっと救いだと思うけどね」

「………………」


 俺が知っていたのは華怜じゃなかった。


「……俺には華怜が分からない」

「——————」


 そう言い捨てて、家を出た。


 こうして、一人、残された少女は初めて泣けるようになる。


「……私は馬鹿だ」


 ◇


 いつの間にやら陽も落ちている。脳の一部が抉り取られたみたいだ。半ば無心で歩き回る。全て忘れたい。もう何も関わりたくない。自分の知らない場所で全て終わっていて欲しい。


「…………」


 あんなことを言っておいて、こんなことを考えている自分は何と無責任なのだろう。自分が好きだったのは、自分が救いたいと思ったのは、自分が見てきた、自分が知っていた『華怜』に過ぎなかったのだ。決して、本物の彼女じゃなかった。


 こう考えると、恋とか愛とか、全部ウソのように思えてくる。自分の心の内に飼っている他人しか愛せないんじゃないか。本当の相手なんて、分からないんだから愛しようがないんじゃないか。自分達は幻想しか愛せないし、逆に本当の自分を愛してくれる人も居ないんだ。


 最低な思考しかできなくて、意味もなく歩き回った。辿り着いたのは『陽咲階段』。俺の恋が散った場所であり、実った場所でもある。果たして、どっちがより不幸だったのだろう。


 階段を下り、川沿いに進むと、砂場とベンチだけのやる気のない公園があった。大木の下に置かれたベンチには、大量の枯葉が落ちている。きっと、誰も座りたがらないだろう。でも、今の自分にはそれが逆に惹かれた。


 一人で座っていると、自然と頬が濡れてくる。みっともない。情けない。そう自分を罵倒する。


 だが、よくよく考えると、悲しいことがあって『情けない』とは不思議な感情だ。


 弱さや不幸を同情されたいと思うと同時に、弱さや不幸を見せるのが恥ずかしいのだ。我ながら面倒くさい心理である。


「………………あ」


 思い出した。


 ここに来たのは初めてじゃない。


 その時も、こういう面倒くさい奴がこのベンチに座っていた。


 ◆


 公園というには余りにやる気のない公園。当然、わざわざこんな所で遊ぶ人も少なかったのだが、珍しく幼い少女がベンチに座っていた。


 きっと、今月から同じ幼稚園に入った女の子だ。体育座りで膝に顔を埋めている。周りに親もいないし、眠っていて親に置いていかれたんじゃないかと思った。


「大丈夫?」


 そう言って、肩を揺すると顔が見えた。目を真っ赤にして腫らしている。彼女は眠っていたんじゃなくて、泣き顔を隠していたんだ。


 何で泣いているのか分からなかったし、人を励ましたことなんてなかったので、正直、やってしまったなと思った。


 何か口にしようとするが、上手く言葉が出せない。気まずい沈黙を先に破ったのは彼女の方だった。


「泣いてないから」


 トンデモない大嘘である。絵に描いたようなプライドの塊。だが、当時はそんな語彙も持ち合わせていなかったので、「すごい女の子だなあ」程度にしか思えなかった。


 言ってる側から涙が溢れているのだが、聞いてもないのに「目にゴミが入った」なんて言っている。


「……泣いてないの?」

「当たり前じゃん」


 要は彼女は自身の弱さなんて微塵も見せたくなかったのだろう。それでも、「置いていって欲しい」なんて思っていないことは子供でも分かった。


「じゃあ、遊ぼうよ」


 こんな砂場しかない所で、初対面の二人が何をして遊ぼうというのか。でも、当時はそんなことも考えずに見切り発車で遊びに誘えたのだ。幼馴染とのデートの計画に一晩中頭を悩ましている今とは大違いである。


「……いいよ」


 そして、彼女の方も今よりずっと分かりやすかった。


 三日月みたいな薄目になるのは当時からだったが。


 ◆


 こんな場所を忘れていたなんて、確かに馬鹿と罵られても仕方がない。


「…………」


 何だか、当時の自分の方が優れていた気がして、再び情けなくなってきた。彼女は見た目では助けなんかいらないと言いながら、その実、誰よりも助けを待ち望んでいるんじゃないか。いつしか、自分はそれを見抜く目を失ってしまったようだ。


「…………」


 再び、彼女の家に向かう。


 ◇


 インターホンを鳴らす。反応はない。恐る恐るドアノブを捻ると、鍵はかかっていなかった。


「…………」


 『不法侵入』の言葉が頭を過ぎるが、今更か。


 ◇


「華怜! いるのか?」


 返事はない。だが、靴は置いてあるので、居るはずだ。きっと、意固地になって出てこないんだろう。


 廊下の軋む音がやたら大きく聞こえる。唾を飲み込み、扉を開けた。


「————」


 ◇


 幼稚園児の頃、遠足に備えて皆で「てるてる坊主」を作った。明日の空を晴らすため、一晩中吊るされた挙句、用が済めば捨てられてしまう。幼心ながら可哀想だと同情したのを思い出す。


「優しいんだね。羨ましいな」


 そう言った彼女は、今、目の前で宙ぶらりんになっている。


 やっと気付いた。俺の致命的な間違いを。


 彼女はハッピーエンドみたいな救済は要らなかったんだ。


 ただ、同情して欲しかった。


 ただ、分かって欲しかっただけなんだ。


 あの時のてるてる坊主が羨ましかったんだろう。


 『俺には華怜が分からない』


 なんて酷い言葉だろう。


 ◇


 『例の事件の第一発見者の俺はしばらくの間、色んな大人達と話をするハメになる。けれど、華怜の母の死亡時刻、ナイフの指紋、華怜の死体に他殺の跡がないことから、ただの「恋人を亡くした哀れな男」として生きることを許された。


 その中で分かったのは、彼女の父親は中学の頃に亡くなっていたこと。その後、母親から虐待と言える束縛をうけており、周りとの関係を断たれていたこと。それから、彼女が母を殺したのは、デートをすっぽかした日だったということ。自惚れかもしれないが、彼女の動機について嫌な仮説を立ててしまった。彼女が真相を明かさなかった理由の一つは、罪を感じて欲しくなかったからなのかもしれない。


 もう一つは、俺と似たような話だろう。


 何も気付けなかった自分が嫌になる。自分の放った言葉の数々が、どれだけ彼女を傷付けていたことか。あの時の俺のままなら、何か違ったのかもしれない。


 否。むしろ、こうしてあの日の自分に憧れ続けていたのが間違いだったのだろう。人を『救う』ことに快感を覚えて、救世主になりたいがあまり相手を理解できなかった。相手がどうこう何かより、自己陶酔に浸ることが重要だったのだ。あの公園は忘れていたのに、あの快感は卑しくも身に染み付いていたのが何よりの証である。


 今ではそうした自称救世主が如何に気色悪いか分かる。そして、つい数年前まで自分もそんな人間だったのだと思うと吐き気がした。


 少し、話が逸れてしまったな。本当に記したいことは以下にある。


 いつか、彼女は自殺を最終兵器と呼んでいた。その意味が今ならよく分かる。


 人に弱さを見せたくない。でも、分かって欲しい。そして、分からなかった奴に後悔して欲しい。自分というナイフで深い傷をつけてやりたい。


 そんな醜い欲求を全て叶えるのがこれなんだ。


 そんなものに頼らずに、もっと自分のことを教えてくれていたら、と恨めしくも思うが、こう思う時点で俺は彼女と付き合う資格がなかったんだろう。


 こうした悔いを背負って、この数年を生きながらえてきた。普通の高校生として生きていれば、時間が苦悩を癒してくれると思った。けれど、実際は真逆だった。


 俺の苦悩を知らない皆。

 皆に苦悩を知られたくない俺。

 皆に苦悩を知って欲しい俺。


 何となく、華怜の気持ちが分かった気がした。


 真逆の欲求に自己を分裂させながら送る日々。それは彼女の存在をより色濃く思い出させるだけだった。


 醜い願いが溢れ出る。

 生の無意味さを思い知る。

 ハッピーエンドが嫌いになる。

 彼女のことが好きになる。



 だから、俺もこの手記を遺して、最終兵器を利用したんだ。』

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