問題編③

 一同は、大広間に戻ってきた。先程のパーティとは打って変わって、場の雰囲気は沈み切っている。虎井戸零十が口火を切った。

「とりあえず、状況を整理しましょう。まずは、ご遺体の状態から……」

 零十は横須賀琉聖に目配せした。

 医者曰く、死因はナイフで刺されたことによる失血死。左鼠径部、右脇腹、右鎖骨の下、左乳房の下、計四か所の刺し傷があり、いずれも正面から刺されている。致命傷となったのは、おそらく左鼠径部のものであり、もっとも傷が深く出血も多い。

 凶器は、玲華が自室で保管していたタクティカルナイフであった。遺体が発見された時、ナイフは四か所のうち、右鎖骨の下、肋骨の間に突き刺さっていた。ナイフは一点物であり、柄の装飾も独特な形状で、世に二つとして存在しない代物である。

 衣服の乱れはなく、性的暴行を加えられた形跡もなかった。死後一時間も経過していないとみられる。

 一時期、法医学の道も志していた横須賀医師の見解は、以上であった。

「他に変わった点はありませんでしたか。例えば……」

「妊娠していたとか」

 美琴が口を挟む。横須賀は声を荒げた。

「何を言ってるんですか。玲華が? ありえないですよ」

「わかるものなんですか」

「まあ、医者ですから」

 美琴は片手で肘を抱え、もう片方の手で髪の毛の先をいじっている。彼女が思考モードに入っている際の癖である。

「部屋に唯一ある南側の窓は、内側からフック状の鍵が掛かっていました。まあ、この雨なら当然ですが。第一発見者は垣根さんでしたよね」

「はい……そうです」

「入り口の扉は開いていましたか?」

「扉は閉まっていましたが、鍵は開いていました。外からお声掛けしてもお返事がありませんでしたので……中へ入りましたら、お嬢様が……」

 垣根芳子はすすり泣きながら、口元をハンカチで抑える。

 美琴が黙ってしまったので、零十が後を続けた。

「じゃあ……ここらで、皆さんのアリバイを、整理しましょうかね」

「私から話そう」

 大槻耕三郎の渋い低音が大広間に響き渡る。

 以下、玲華が自室に戻ってから、現在に至るまでの行動についての、全員の証言である。

「解散後は、食堂で虎井戸さんとずっと話をしていたよ。途中、トイレに行くのに中座したが、十五分もかかってない。玲華の部屋まで往復するだけで精一杯で、ナイフで刺し殺すなんて、もってのほかだ」

 名前が出た虎井戸零十も続けて証言する。

「確かに、僕は大槻先生とずっと食堂にいました。昔の事件の話に華が咲きましてね。それに、あれだけナイフで刺せば犯人は返り血を浴びたはずだ。着替えるのも一苦労だ。先生に犯行は不可能ですよ」

 その間に零十が食堂から動いていないことも、垣根芳子の証言によって立証された。垣根芳子はだいぶ落ち着きを取り戻していた。

「パーティの後、わたくしはこの広間の片付けをしておりました。奈穂さんも手伝ってくださって、八時半には終わりました。奈穂さんもお風呂に行かれて、それ以降は、ずっと台所で洗い物を。そこで、日比谷さんがつまみ食いを……」

「つ、つまみ食いとは失敬な。私も片付けを手伝ってたんです。食べ物が残ったらもったいないですから。ちなみに、初対面の私が、玲華さんを正面から刺すなんて、無理があります。そもそも部屋にも入れてもらえないでしょうし」

 そのほかにも、複数人によって、邸内の各所をウロウロしていたとする旨の証言があり、美琴のアリバイも立証されてしまった。

 香坂奈穂は、俯きながら控えめに喋りだした。

「芳子さんの言った通り、ここで片付けを手伝ってました。そのあとは、停電するまでずっとお風呂に入っていて、急に暗くなったから、怖くなって、急いで服を着て出たんです。そしたら玲華が……」

 美琴は眼鏡の位置を直す。

「そういえば、パーティが始まった直後に、玲華さんが戻ったとき、香坂さんも一緒について行ってましたよね。生きている玲華さんを見たのは、それが最後ですか」

「私が玲華の姿を見たのは、それが最後です」

「その後に、玲華さんを見た方はおられますか」

 横須賀琉聖が、すっと手を挙げた。

「それなら、パーティが終わったすぐ後に、自分は玲華さんの様子を見に行きました。顔色も悪かったし、入り口で少しだけ話して、そのまま戻りました。室内にも入ってません」

「その時に殺してたりして」

「しかも、停電の時まで、君はずっといなかっただろ。停電のどさくさに紛れてやったんじゃないのか」

 茶々を入れた森光に、園部が加勢した。

「泊まる部屋にずっといましたから、アリバイはないですが……ただ、誓って、自分は玲華さんを殺してはいない!」

 森光竜介は、畳の上にあぐらをかいている。

「俺も、自分の部屋の中にいたけど、あの『例の音』がしたから外に出た。それからは、そこの教授先生とか眼鏡ちゃんとかと一緒だったよ。停電してから俺は、玲華ちゃんの部屋に行くための、そこの通路にずっといたんだ」彼は大広間の北側の廊下を指差す。「足を柱にぶつけたからよく覚えてるよ。復旧するまで誰も通らなかった。断言する」

「だったら、社長さんにも犯行は可能だな。以前、玲華さんに何度もアプローチして、こっぴどく振られたそうじゃないか」

 園部が翻って、今度は横槍を入れた。

「俺は、過去は振り返らないんだ。そういうおっさんはどうなんだよ」

「私もしばらく客室に籠っていたが、あの地鳴りがして部屋を出たんだ。停電した時には、ブレーカーの場所を探していたがね」

 園部辰巳は、軽く咳払いをする。

「最初の揺れがあった時、玲華さんは部屋にいなかったんだろ。つまり、その時まだ彼女は生きてたってことじゃないか?」

「生きてたって、どこに隠れてたんだよ」

「トイレにでも行ってたんだろ」

「誰にも見られずにか?」

「ベッドと姿見の隙間に隠れてたんですよ」横須賀が、得意げに会話に割り込んできた。「ヘッドボードと鏡の間には、一人分くらいのスペースはあるはずです。ベッドの下にも入れないし、他に隠れる場所なんてありませんよ」

「なんで隠れる必要が?」

「そりゃあ、お医者さんごっこでもしてたんじゃねえの」

「何をふざけたことを。玲華さんは、結婚をするまで男とは寝ないと、固く純潔を守っていたんですよ」

「君たちのどちらかが、玲華さんを停電の時に襲ったんだ」

「俺はやってねえぞ。おっさんこそ玲華ちゃんを狙ってたんだろ」

 いまにも口論へ発展しそうな男性陣を、慌てて零十がなだめる。

「まあまあ、一旦落ち着きましょう。これで、全員のアリバイについては大方把握でき……」

「玲華は」

 よく通る声である。大槻耕三郎は固く拳を握りしめ、膝を叩いた。

「玲華は……自分は母親のようにはならない。そう言っていました。私の妻、早苗と娘の玲華は血が繋がっていない。早苗も、若い頃はかなり遊んでいたようです。そんな義母ははおやを見て育った玲華が、簡単に男を離れに入れるとは、思えない。思いたくない」

 耕三郎は籐の椅子から、杖を支えにゆっくりと立ち上がる。

「このまま、朝までここにいても埒が明かない。玲華の部屋はこのまま鍵を閉めておきましょう。鍵は……虎井戸先生、あなたに預けます。皆さんも、よろしいですね」

「ですが、旦那様……」

「極端な話。申し訳ないが私は、この屋敷で、これから殺し合いが始まっても、一向にかまわない。……いずれにしても、もう玲華は帰ってこないのだから」

 耕三郎氏の言葉を合図に、男性陣はそそくさと自室に戻っていった。

 悲嘆に暮れる毒龍邸の主人の背中は、その失望の大きさを物語っていた。

 広間に戻ってくる際に閉ざされた玲華嬢の自室は、虎井戸零十によって、入り口に鍵が掛かっていることが、間違いなく確認された。

 相部屋の二人のもとに、最後に残った香坂奈穂が駆け寄る。

「零十教授、やっぱり、あの三人のうちの誰かが犯人なんでしょうか」

「まだそうと決まったわけじゃない」

「玲華は毒龍にさらわれて……襲われて……私、不安で」

「大丈夫だ、心配ないよ。必ず、真相を明らかにしてみせる」

 零十は美琴に視線を送る。

 こっちを見るなと、美琴は視線を送り返した。

 二人部屋にしては狭い和室で、早速、考察タイムが始まる。

 スペアがないから絶対に無くすな、と垣根芳子から散々釘を刺された鍵を弄びながら、虎井戸零十は布団に寝転がっていた。

「本当に外部犯の可能性はないのか。君は言い切っていたけど」

「玲華さんの部屋の窓の外は、雨で土がぬかるんでいました。いくら豪雨で足跡が流れたとしても、外からの侵入があったとしたら、もっと地面は荒れていたはずです。窓の内側の縁にも、水滴は一つもありませんでした。この屋敷には勝手口がありません。正面玄関も閉まっていて、周囲のガラス戸は雨戸で塞がれている。仮に運良く屋敷内に侵入できても、誰にも見つからずにあの複雑な廊下を通って、玲華さんの部屋まで行くのは不可能だと思います」

「こんな大嵐の日に、強盗なんてしないか……」

「虎井戸さんは、犯人についてどう思いますか?」

「真っ先に疑うべきなのは、第一発見者の垣根さんだろ。一回目の『龍の唸り声』の後、あの時、部屋を見たのは垣根さんだけだった。彼女を殺害したのち、玲華さんが消えた、と偽って報告する。停電の後、タイミングを見計らって悲鳴を上げる」

「部屋を見に行こう、って言い出す人がいる可能性もありますよね。わざわざ報告するメリットなんてないですよ。それでいうと、奈穂さんは、警戒心を持たれずに部屋の中に入れますね」

「どうやって部屋から抜け出したんだ? しかも、死体発見時に香坂君は、部屋の前にいた全員の後ろから現れたんだぞ。そんな忍者みたいな軽業ができるとは到底思えない。彼女に犯行は不可能だ」

「男性陣については?」

「うーん、確かにあの男たちは怪しいが、三人が結託して玲華さんを殺害した、って可能性もあるだろ。お互いがいがみ合っている風を装って、実は口裏を合わせてたんだよ」

「私は、単独犯だと考えています」

「どうして?」

「偶然の要素が多すぎる気がするんです。いや……もしかしたら、それすらも犯人によるものなのかもしれません」

「地鳴りを起こしたり、雷を落として停電させたりすることが? 本格的に、龍神様犯行説が濃厚になってきたな」

 あっそうだ、と美琴は自身の特大キャリーケースの中から、荷物を放り出し始めた。海外に何週間も滞在するのかと思うほど、巨大なケースである。土砂降りの中を、零十が雨合羽一つで、車の中からわざわざ持ってきたものだ。

「何の荷物なんだ、それ」

「レディはいろいろと準備が必要なんです」

「へえ……本当に山奥まで誰か埋めに行くのかと思ったよ」

「虎井戸さん、『これ』を持っていてください。いざという時のために」

 零十は訝しげに顔をしかめながら、その黒い包みを受け取った。

「日比谷君、もしかして何かわかったのか」

「なにもわからん」


          *


 翌朝、毒龍邸は濃霧に包まれていた。

 早朝に、あの『龍の唸り声』が鳴り、零十と美琴はその音に起こされなければならなかった。

 零十たちが食堂へ向かうと、このような事態にも関わらず、垣根芳子が朝食を準備してくれていた。大槻耕三郎と園部辰巳以外のメンバーが揃っていた。

「他のお二人は、まだお部屋ですか?」

「おっさんは、ドアをノックしたら声がしたよ。部屋から出たくないってさ」

 森光竜介は機嫌が悪そうである。

「旦那様は、朝食はお召し上がりにならないと仰せです」

「誰か毒でも入れてんじゃねえだろうな」

「いえ、そんなことは……」

「嫌なら食べなきゃいいでしょう」

 横須賀琉聖は涼しい顔で、パンを口に運んでいる。

 香坂奈穂は、無言で食べているが、あまり食は進んでいないようだ。

 朝食をぺろりと平らげた日比谷美琴は、使用人に聞いた。

「このお屋敷って、秘密の地下室とか、隠し通路とかありませんか」

「秘密かどうかはわかりませんが……ございますよ」

「ええ、あるの!? 早く言ってよ」

 食事が済んだ後、零十と美琴は垣根芳子にその場所を案内してもらった。屋敷の東側、風呂場の脱衣所から、地下へと下る階段があり、機械類が並ぶボイラー室に繋がっていた。この地下空間は、ちょうど風呂場と玲華の自室の間、その真下に位置する場所である。

 ボイラー室の突き当りに、畳一畳分ほどの壁が、数十センチ奥側に凹んでいる箇所があった。壁全体に擦れたような跡があるが、叩いてもコンクリートの冷たい感触が伝わってくるだけである。

「何度叩いても一緒だ。ただの壁だよ」

「この先は玲華さんの部屋の真下ですよね、ここで行き止まりですか」

「そうだと思いますが……」

「例えば、仮に秘密の隠し部屋かなんかがあったとして、二メートルを超えるくらいの日本刀で、こう下から」

「ベッドの上に仰向けで倒れてたんですよ。どうやって刺すんですか」

「玲華様のお部屋は、耕三郎様が新たに増築された場所で、鉄筋コンクリート造だったかと……」

「わかったわかった、冗談だよ」

「地下はこれだけですか」

「以前、お屋敷を所有されていた、蔦藪冨久雄様の時代に、地下洞窟があった、という記録が残っているのですが……どこを探しても見当たらないんです」

 美琴は思考モードに入っていた。黒髪の毛先を弄んでいる。

「虎井戸さん、もう一度、玲華さんの部屋を見せてください」



 玲華の部屋の扉に手をかけた零十が、おや、と声を出した。

「おかしい。扉が開いている」

「寝ぼけて開けちゃったのでは」

「まさか」

 扉を開けた二人の前に現れたのは、信じられない光景だった。

 玲華の遺体がない。忽然と、遺体だけが姿を消していた。

 ベッドのシーツはまっさらで、血痕はおろか、汚れも一切残っていない。

 ヘッドボードの裏にも何もなかった。

「どういうことだ。昨日見たのは、すべて我々の幻想だったのか」

「そんなはずありません。もっとよく調べましょう」

 クローゼットの洋服、本棚に並んでいる書籍、隅の観葉植物、どれも昨日見たのと同じ状態であった。

 本棚に置かれた弥生土器を見た零十が、何かに気付いた。

「昨日見たのと、どこか違うような……もしかして」

 その時、再び『龍の唸り声』が轟いた。今度は音がかなり大きい。

 美琴はまたしても腕時計を見ている。

「悠長に時間なんて気にしてる場合か! おい、扉も開かないぞ。何が起こってるんだ」

 姿見を調べていた美琴が、南側の窓の外を見た。

 ようやく、轟音が止んだ。

「虎井戸さん、私たち、閉じ込められたみたいですよ」

「どうやらそのようだな」

「あと、玲華さんを殺した犯人がわかりました」

「なんだって、本当か」

「……毒龍は、三匹いるんですよ」

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