#2 レンタルネカマ

 裕福な人間や実家暮らしの人間にはわからないだろう。一人暮らしを余儀なくされている貧乏人にとって、牛丼屋ほど重宝する店は中々ない。

 牛肉というわかりやすいタンパク質、ボリュームたっぷりの米。これを安価で、素早く提供してくれるのだから、ありがたい話だ。サラダとみそ汁をセットにしても、さほど高くならないし。

 俺は、誰になんと言われようとも牛丼屋に通い続ける。大人になっても通い続けるだろう。そう豪語できるほど、牛丼が好きなのだが……。


(味がしねぇ……)

「どしたん? 箸、止まってるよ」


 俺から味覚を奪った元凶、異能力者が箸で俺を指してくる。箸のマナーなど微塵も興味ないが、指し箸がマナー違反なことぐらいわかる。実際、良い気分はしない。


「女性と向き合って食事って、初めてですから。ははっ」


 誓って嘘はついていない。母親を女性にカウントするなら、大噓つきだろうが。

 だが、問題はそこじゃない。食欲が出ない一番の理由は、そこじゃない。


(なんでこいつと牛丼食わなきゃいけねえんだよ!)


 働いたことはないが、嫌いな上司との昼食ってこんな感じだろうな。社会人になりたくないわ。

 そんな俺の心労など露知らず、露出ギャルこと夢咲風夏ゆめさきふうかさんは、幸せに満ちているご様子。


「男ってずるいよね。一人でこんな美味しい物を食べに来られて」


 今時、牛丼屋のチェーン店で抱く感想か? こいつは護衛を振り切った、お転婆お嬢様なのか?

 ギャルのくせに、周りの目を気にするタイプなのか? だったら、谷間丸見えの薄着をやめろ。年下派の俺でも見てしまうから。


「貧乏学生や、くたびれたリーマンが仕方なくって感じですけどね。ははっ」


 一生食べ続けると豪語した手前アレだが、別に好き好んで食べに来ているわけではない。時間と金を持て余していたら、こんなところ絶対に来ない自信がある。


「でも高級レストランより気楽っしょ?」


 それは間違いない。高級レストランなど、行った経験も予定もないが。


(気楽だけど、お前が目の前にいる時点で、胃が食物を受け入れないんだよ!)


 多少痛い目に遭ってでも組み伏す覚悟と、突然の奴隷宣言。こんな豪胆で不可解な相手と楽しい食事なんて出来るはずがない。ましてや、筋金入りのコミュ障だぞ。


「それで、その、なぜ、牛丼屋なんですか?」

「この前、言ったっしょ。奴隷にするって」


 質問の答えになっていないが、きっと結論から先に述べたのだろう。下手に突っ込まず、大人しく続きを待っていたら、俺の方へ箸を伸ばしてきた。


「チーズなんてホントに合うの?」


 体験主義なのだろうか。俺の返答など求めていないとばかりに、俺のチーズ牛丼を摘まみ取り、口に入れる。


「結構いけるじゃん」


 なんだこいつは。特殊な育ち方をしたのか?


「えっと、平気なんですか?」

「え? 別にアレルギーとかないけど」


 そんなことは分かっている。乳製品アレルギーあるやつが、チーズ牛丼を盗み食いするはずがないのだから。


「いや、俺の食いさしですよ?」

「なにそれ。進次郎君、潔癖なの?」


 俺の衛生観念がおかしいのだろうか。居酒屋の一品料理ならまだしも、牛丼のシェアは嫌じゃないか? ましてや、俺みたいなキモオタが相手だぞ。


「いや、俺は平気ですけど、女性的には嫌なんじゃ? 俺の食いさしなんか」

「あんまり、食いさし食いさし言わないで。気持ち悪くなってくるから」


 初めて思ったよ、恋人がいなくて良かったと。女性差別だと非難されるかもしれないが、きっと女性というのは面倒な生き物なのだ。今のところサンプルが五人しかいないので、何とも言えないところだが。


「そりゃ、キモいヤツだったらアタシだって嫌だよ? でも進次郎君、見た目に関してはキモくないじゃん」


 誉め言葉として受け取るべきだろうか。内面のキモさを見せた覚えはないのだが。


「それに清潔感あるしね。歯磨きセットも頻繁に使ってる形跡あったし」


 聞き間違いだろうか。シンプルにキモい発言が飛び出したような気がする。


「とりあえず、さっきアタシが食べた分、食べなよ」


 聞き間違いか否か確認する暇も与えず、ノーマル牛丼を差し出してくる。明らかに下位互換なのだが、これは俗に言うシャークトレードでは?

 別に欲しくもないので、誤魔化すために、流された質問をする。


「結構です。それより、なんで俺と牛丼屋に?」

「奴隷だからって言ったっしょ? それより食べなよ」


 これには、さしもの俺も驚いた。チーズ牛丼に目が眩んで話が流れたわけではなく、単純にあの回答で完結していたらしい。


「奴隷だからとは?」

「ソクラテスかアンタは。いいから食べなって」


 頭悪そうな見た目に反して、予想外の人名をツッコミに用いてきた。意外と教養があるのだろうか? 食べ物のシェアを強要してはいけない、交換レートは合わせなければならない、そういった教養は無いらしいが。


「なんでそこまで食べさせたがるんですか。田舎の……」


 失言する寸前で何とか言葉を飲み込む。もう手遅れな気がするが、どうか誤魔化されてくれ。


「『田舎のおばあちゃん』って言おうとしたっしょ? 絶対にあかねの前で言っちゃダメだかんね」


 誤魔化すことはできなかったが、怒りは買わずにすんだらしい。それにしても、今のでよくわかったな。


「茜さんって、どの人でしたっけ?」

「はぁ? 女の子の顔と名前ぐらい覚えなよ。だからネカマなんだよ」


 ネカマを非モテの代名詞にしないでいただきたい。間違いではないだろうが。


「おっとりした子いたっしょ? 途中ベッドで寝落ちした子。京茜かなどめあかねだよ。覚えときなよ」


 ああ、私刑に参加しなかった優しい子か。なんでこんなヤツらと友達なんだろう。


「茜は、おばあちゃんみたいな安心感あるから、皆から『おばあちゃん』って呼ばれてんの」


 それはイジメ一歩手前では? なんなら一歩踏み込んだイジメでは?

 まあ、正直な話、わかるんだけどな。俺もあの子を見てて、どこか懐かしさを感じたもの。守ってあげたい気持ちと、守られたい気持ち。相反する感情が同時に押し寄せてきたんだよね。


「親しくない俺が呼ぶと、さすがに傷つくってことですか?」


 どっしりと構えてるように見えて、実は繊細なタイプだろうしな。さすがに命を絶つまではいかないだろうが、本気で傷つくことは想像に難くない。

 俺としても、ああいう子を傷つけると、十年くらいは罪悪感を引きずりそうだし、気を付けねば。


「進次郎君が傷つくよ。いいから食べなって」


 そうだよな……傷つくよな……。ん……?

 待て、どういうことだ。サラッと怖い発言しなかったか? 説明責任を果たしてくれよ。牛丼食べろbotになってないでよ。


「俺が傷つくって、どういう……」

「これで最後だよ。食べな」


 特段、直感力に富んでいるわけではないが、逆らうのが危険だということぐらいわかる。虎の尾を好き好んで踏むほど酔狂でもないので、差し出された牛丼をノータイムで口にする。


「危機察知能力って言うの? 中々じゃん」


 お前の危険発信力が中々なんだよ。何をされるかまでは分からないが、最悪な目に遭わされることぐらいわかる。


「なぜ、そこまでして食べさせたかったんです?」

「食べてくれないと、アタシのことを汚物扱いしてるみたいじゃん」


 それは話が飛躍しすぎというか、被害妄想ではないだろうか。そりゃまあ、実際に抵抗があったことは否定しないが、死んでも嫌ってほどではなかった。


「フツー、進次郎君みたいな男って喜びながら食べるもんじゃん? 美少女の食べかけなんてさ」


 こいつの中の男性像に歪みが見える。というか、その歳で少女を名乗るのはいかがなものか。


「そりゃ男同士より美女の方がいいですけど、とっくに思春期過ぎてますよ」

「変なヤツ」


 どこがだろう。恋人でもない男に牛丼シェアリングを強要する方が変人では? しかも、こっちが一方的に損してるし。


「初めて会った時はキョドってたし、男子中学生ばりに、尻とか脇を見てたのに……からかいがいが無くなったなぁ」


 あの状況で見ないヤツがいるのだろうか。ついでに補足しておくと、別に女性に対する耐性がついたわけではない。何をされるか分からないという恐怖が、スケベ心に勝っているだけだ。


「で、結局なんで牛丼屋に? 俺なんかと二人っきりで」


 何度目かわからない質問を、めげずに投げかける。しかし、それを華麗にスルーして話し始める。さすがにめげそう。


「ママが言ってたんだけど、女の子に対して、すぐに『可愛い』とか『好き』とか言う男は最低なんだって」


 それについては全面的に同意するが、質問を無視する人間も最低なのでは。


「機嫌とってんのか知らんけど、すぐ『美女』とか言うのやめな?」


 許されるのであれば反論してやりたい。一回目は皮肉だし、二回目は『美少女』発言に合わせてやっただけだ。最低だから使っているわけじゃないぞ。


「特に美羽みうは自信ないからね。馬鹿にされたって思ってるかもよ」


 美羽というのは、きっと地味子のことだろう。たしかに褒められたことに対して、怒っていたような気がする。

 甘ったるいラブコメなら即堕ちなんだろうけども、現実はいつだって夢がない。だからこそラブコメが流行るんだろうけど。


「わかりましたよ。金輪際、褒めませんよ」


 そもそもの話、今のご時世、下手に女性を褒めるとセクハラで糾弾されるしな。イケメンなら許されるかもしれないが、生憎、俺はイケメンではない。


「は? 新しい服とかは、ちゃんと褒めろし」


 なんだろう、自分ルール押し付けるのやめてもらっていいだろうか。

 どうせ褒めたら褒めたでセクハラ扱いするだろ?


「美羽さんには言わない方がいいですよね?」


 そういえば美羽さんの苗字なんだっけ? 地味な苗字だったような気がする。


「むしろ言えって。一度言った以上は言い続けねーとさ、それこそ馬鹿にしてるってことじゃん」


 あまりにもルールが細かすぎる。審判によって裁定が変わるタイプの最低なカードゲームじゃん。無理ゲーじゃん。


「でも、あんま言いすぎちゃダメだかんね。あの子、男子とよく喧嘩してたから、すぐに蹴り飛んでくるよ」


 中学生あたりで卒業してくれよ、そんな悪癖。事前に知ることができたのは嬉しいけど、いかんせん煩わしい。


「反撃は勿論、下手に避けたり受け止めたりしちゃダメだよ。怪我しちゃうから」


 随分とお優しい方だ。俺の怪我を一切考慮していないことを除けば。

 結局、質問には答えてもらえないまま、店を出ることになる。

 とりあえず三つほど分かったことがある。一つ目は、こっちが切り出した話に関してはまともな返答が期待できないこと。二つ目は、そこまで悪いヤツではないということ。そして三つ目、友達のことをよく見ているということ。


「初めて入ったけど、中々いいところだったよ」

「それはそれは」

「ボリュームあったし、コスパ最強じゃん」

「まあ、外食の中では……」


 全国展開してる牛丼のチェーン店で、ここまで満足してくれる女性が他にいるだろうか? 他の女性を知らないから、何とも言えないところではあるが。いや、そもそも、満足させる義理も義務もないんだけどな。

 とにもかくにも、これで解放だろう。明日は平日だし、さっさと帰りたい。気疲れしちまったよ。


「金曜日の夜は、そこの大衆居酒屋ね」


 彼女が指差す先にあるのは、一品三百三十円の激安居酒屋。近所の大学生と、寂れた工業団地のオッサンが集まる魔窟だ。舌が安い俺でも、あそこの料理は口にしたくない。宅飲みした方が賢い。


「ふぇ?」


 これはただの宣言だろうか。あの四人と一緒に飲みに行くっていう、謎の宣言だろうか。そうであってくれ。


「さすがに大衆居酒屋行くくらいの金はあんでしょ?」


 そうであってくれないらしい。


「え? 俺も行くんですか?」

「割り勘だから安心しなさい」


 いや、全額出してくれるとしても行きたくない。ただでさえ不味い料理と不味い酒しか出てこないのに、こんな傍若無人が服を着た女と行った日にゃあ……。

 というか金曜日、暇なんて一言も言ってないんだが? なんだったら、今日もそうだよ。暇を持て余してるなんて言った覚えがない。


「喜びなさい。未智みちも来るから」


 未智……あの不思議っ子で間違いない。未知な感じとマッチしてる名前だからよく覚えてるよ。羽衣はごろもって苗字も珍しいし。

 だが全然、喜べる要素がない。ただ単に俺の負担が二倍になるだけではないか。正直言わせてもらうと、あの子が一番怖いんだよ。脅しの演出とはいえ、急に指噛んできたし。


「お二人で行けばよろしいじゃないですか」

「女の子だけじゃ入りにくいのよ、バカ」


 お前らと行きたくないんだよ、バカ!

 第一、飲食店に行くのを躊躇うような乙女がする服装じゃねえだろ。牛丼屋にいる女性なんか、別に誰も見ない。だが、そのスケベな服装は皆が見てくる。同性でも見る人は見る。


「え? っていうことは、今日の牛丼屋も」

「そういうこと。土曜は焼肉とラーメン屋だから」


 たったそれだけのため? 女性だけで入りづらい店に入るためだけに、これからも俺を呼び続ける気なのか? 経験してないはずのバブルを引きずってないか?

 冗談じゃない。俺に安息の日は訪れないのか? そもそも、そんな頻繁に外食する余裕なんてあるわけがない。今ここでガツンと言ってやらねば、ブラック企業も真っ青のカレンダーになるぞ。


夢咲ゆめさきさん……」

「じゃあ金曜と土曜あけといてね。特に金曜はあけとかないと未智が怖いよ」


 俺に拒否する間も与えずに去っていく。もっとも、与えられたところで拒否などできないのだろうが……。

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