おてがみをおとうたんへわたちまちた

 わたしのお父さんは二人いる。優しいお父さんと、[お父さんと呼ばれている人]。家族は他にはチビがいて、その四人で暮らしている。

 このお手紙は優しいお父さんにあげる。先生が、優しいお父さんへのお手紙を書きましょうって言ったから。

 玄関の前に来ると「わん!」という声が聞こえてきた。足音でわたしに気付いたのだろう。家に入り、リビングへ行って、わたしは持っていたところがへにゃりと歪んだ画用紙の輪ゴムをほどく。本当は父の日に渡した方がいいんだろうけど、わたしには明後日まで隠しておくことなんて出来なかったし、早く見てほしかった。

「みてみて、これね、おてがみかいたの」

 まずチビに見せると、チビは嬉しそうに画用紙を見ていた。

「そう、良いね」

 そのまま側にいたお父さんに見せると、お父さんも嬉しそうに目を細めていた。

 喜んでくれた。嬉しいな。

 お父さんは思った通りわたしのことを抱きしめてくれた。あまりにもぎゅっとしてくれるから、わたしは転びそうになりがらお父さんを抱きしめる。

 暖かいな。ずっとこうしていたいな。暖かくて心が満たされていくみたいで、胸が熱い。だからわたしは暖かさをくれるお父さんにお礼を言うために、更にぎゅっと抱きしめた。

 お父さんは大事な物をコレクションしている場所に、わたしの手紙も仲間入りさせてくれる。そのことも嬉しくて、「ありがとう!」とお父さんにまた抱きついた。

 その後はお父さんが背中に乗せて遊んでくれた。お父さんはわたしが帰ってくるといつもこうやって背中に乗せて、お馬さんごっこをしてくれるのだ。背中に乗っている間はぎゅっと引っ付けるから、わたしもこうやって遊ぶのが好きだった。

 お馬さんごっこに飽きたら、今度はボール遊びをした。家の中だから投げ合いっこは出来ない。だからボールの転がし合いっこをする。あんまり上手くないからわたしの転がすボールはちゃんとお父さんの方には行かなくて、コロコロと変なところにいくのを慌ててお父さんは取りに行く。

 お父さんの転がすボールが今度はわたしのところにやってこなくて、慌ててボールを追いかける。すると転がした先にはチビがいてボールを取ってくれた。

 そろそろご飯の時間かなぁと思ったそのとき、ガチャリと鍵の開く音がした。

 あれ、おかしいな。いつもはもっと遅いのに。

 ドスドスと体重全てを廊下に押し付けるような足音をさせてリビングへやって来たのはスーツを着た[お父さんと呼ばれている人]だった。瞬間、部屋の空気がヒリつく。空気の中に針が混ざっているみたいで、肌の表面まで痛むみたいで、嫌な感じだ。

「おかえり」

「おかえりなさい」

 [お父さんと呼ばれている人]は返事もせずにソファへドスンと座り「お茶」と言う。ローテーブルに用意されたお茶を、やはり無言のまま一気飲みする。チビが[お父さんと呼ばれている人]の相手をしているけれど、威圧感に体を小さく縮ませていた。

 ダメだ。今日は、機嫌が悪い。

 こういう日はあまりうるさくしたらダメなんだ。だから私はお父さんと一緒に寝そべって絵本を開く。




 野球を見始めた[お父さんと呼ばれている人]は機嫌を直したらしい。夜ご飯は、ご飯とホワイトシチューとバターコーンだった。バターコーンはわたしの好物で、スプーンで一粒ずつ掬いながら食べる。

「とうもころし、おいちーね」

「うるさいなぁ聞こえないから黙れよ」

 リモコンの音量ボタンを連打していくにつれてテレビから流れる歓声が大きくなっていく。[お父さんと呼ばれている人]はお酒を飲んでいて、いつもに増して荒くダンと力任せにリモコンを置いた。

「三振ってなんだよ今のは打てただろ!? 下手か? 俺なら絶対打てるのによー」

 ビール瓶を持った[お父さんと呼ばれている人]が立ち上がり、テレビの前で素振りを始める。足取りはフラフラでビール瓶が今にも手から抜けそうで、怖くてわたしはいつでも避けられるように肩をすくめながらじっと見ていた。

 一度、二度、三度。ビール瓶をバット代わりに適当に振り回すと思った通りフラついて、[お父さんと呼ばれている人]は置かれていた紙を踏んで転んだ。その紙はお父さんへの手紙で、ぐしゃりとひしゃげている。

「あ、それ……」

「こんなとこにゴミを置いてんなよ」

 [お父さんと呼ばれている人]はお父さんへの手紙を丸める。それを軽く投げて、ビール瓶を構えた。

「ゴミも丸めりゃボールになるってな! カキーン! 来ましたホームラン! ホームベースへ向かいます!! イェーイ!! ゴミのいい有効活用だ。これぞSDGs」

 わたしの書いたお父さんへの手紙は部屋の角へ飛んでいって、あろうことかその真下にあったゴミ箱へストンと落ちる。わたしが一生懸命書いたお父さんへの手紙が、ただの、ゴミに。せっかく、書いたのに……。

 鼻の奥がツンと痛くなって、涙の予感がした。泣いちゃダメだ、泣いちゃダメだと言い聞かせても、わたしの体は言うことを聞かなくて、ボロボロと目から水が溢れてくる。堪えようとして、喉が詰まってひっくひっくと鳴っている。チビが心配して側にやってきた。

「なんだよこっちは気分がいいのに何馬鹿みたいに泣いてんだよ。おいチビ、どけ。これはお父さんから娘への躾だ」

 頭の上に強めに手を置かれ、首が縮まりそうになりながらそのまま手を回す。ぐるぐると頭を回されて気持ち悪くて止めてほしい。けどそんなこと言ったらもっと酷くなるからわたしは何も言えない。

 止めてほしい。触らないでほしい。気持ち悪い。酒臭い。[お父さんと呼ばれている人]なんか、いなくなればいいのに。

「ほらほらー撫でてやっただろ? 泣き止めって言ってるだろ分かんないのか? わからない? お前もあの馬鹿が移ったか? だからガキはいらないって言ったのにさー。めんどくさいなぁ! おら、黙れよ!!」

 頬に衝撃を感じてぐわんと頭が揺れ、気付けば床に転がっていた。踏ん張ることもしないまま椅子から落ちたせいで、叩かれたところも床にぶつかったところも心臓が鳴るのに合わせてガンガンと痛んだ。

 わたしは痛みに堪えられなくて更に溢れてくる涙を見せまいと蹲るけれど、声が押さえられない。静かに出来ないわたしなんか、いなくなればいいのに。

「うるさいなぁ。早く泣き止めって。外に聞こえるだろ!?」

 再び振り上げられる拳に反射的に目を瞑ると、チビがわたしの前に立ちはだかった。お父さんも立ち上がり、[お父さんと呼ばれている人]を止めようと、必死に腕を引っ張った。[お父さんと呼ばれている人]はそんなお父さんの姿を見て手を止める。[お父さんと呼ばれている人]はお父さんに手を出せないのだ。

 チッ、と大きく舌打ちをして、お父さんは足を広げてドカッとソファに座り直した。

 袖で涙を拭くと腕もじんわりと濡れていく。涙がどうしても止まらなくて、どんどん濡れているところが広がっている。頬も頭も痛かったし、手紙がゴミになってしまったのが悲しくて胸も痛かった。

 チビはタオルを持ってきてくれて、お父さんはわたしの腕を引いた。[お父さんと呼ばれている人]が苛立ちのままに足で床を踏む姿は見ているだけで気分が悪かったし、わたしが視界に入るだけで機嫌を悪くするだろう。お父さんに引かれるまま寝室へ行く。寝室なら[お父さんと呼ばれている人]は寝るときまで来ないし、リビングとは離れているから音もほとんど聞こえてこなかった。

 わたしは薄暗い部屋の隅でお父さんの大きな背中を抱きしめる。暖かくて大きくて安心できる大好きな背中だ。

 [お父さんと呼ばれている人]はあんなによくしゃべるのに考えていることが何も分からない。お父さんはしゃべるのが得意じゃないけど、こうして全身で触れているだけでよく分かる。お父さんは、わたしたちを守ってくれようとしている。

 ありがとうお父さん。お父さんと一緒なら、わたしは何も恐くないよ。

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