くうはく

PROJECT:DATE 公式

空は苦

澄んだ秋空が目に眩しい。

気づけば10月も終わろうとしている。

目の前には見たことしかなくて

入ったことのない大きな会場。

その前には、無数にいるんじゃないかと

思うほど数多の生徒の陰。


「シノジョの人こっちだよー」


「先輩についていってー」


横浜東雲女学院を略した

シノジョという言葉が

耳に届いてはっとする。

巨大な会場を前に

唖然としていたせいで、

どうやら少し外れてしまったみたい。

慌ててみんなの元に戻る。


結華「危ないよ。人多いからはぐれないように。」


悠里「ごめん。」


結華の声が、先がやや丸くなった

棘のように刺さる。

会場の空気と相まって

緊張していることが伺えた。


私が記憶を無くしてから

早3ヶ月弱経った。

その間に傷は治り、

晴れて学校に復帰した。

部活動にも、形としては復帰できた。

そこまではよかった。


どうやら過去の私は

トランペットパートで

実力のある方に位置していたらしい。

だから、今年のこの大会にも

出場予定だったと。

トランペットのソロパートを、

先輩を差し置いて奪えるほど

上手だったらしい。

が、記憶を無くして、

トランペットの吹き方すら忘れた。

当然大会に出場できるはずもない。

パートではソロを吹く人を

再度選んだはいいものの、

先生の要求の度合いが高かったり、

過去の私と比較されたりで

メンタル的にもたなくなったと聞いた。

またオーディションを行って

最終的には相良先輩に決まったらしいが、

追加パートになる分負担が重い、と。

結局過去の私はある意味

呪縛となって姿を消したらしい。


反して、結華はオーボエパートを

一部担うことになった。

まだ入部して3ヶ月だというのに、

筋がいいとのことで

大会に出場することになったのだ。

オーボエパートは元々人が

少なかったこともあって、

出場が決まっていた誰かが

押し出されることなく

結華も参加することになった。

私としても嬉しい出来事だし

手を叩いて喜んだのだけれど、

結華はその限りじゃなかった。

変に緊迫したような顔をしていたのを

色濃く覚えている。

確かに始めて3ヶ月だし

緊張するよね。

3年生の先輩にとっては

事実上の引退試合となるわけで。


会場に入って、開会式や何校かの

演奏が行われたのち、

ついにシノジョの出番が

近くなっていった。

それと同時に、演奏するみんなは

席を立って準備を始める。

今からステージ裏に行って

音出しをしたり

楽器のメンテナンスをしたりと、

最終準備の段階に入る。


準備をしている間に

多くの人が動き回っていた。

隣に座っていた結華も

ひと言も言わずに席を立って

会場裏に行く準備を始める。

みんなのことを送り出す気持ちで

見渡していると、

不意に後ろから

両肩を叩かれた。

同時に、声をかけられる。


相良「悠里ちゃん、悠里ちゃん。」


悠里「はい!」


相良「あはは、びっくりしすぎ。」


ぎょっとして肩を振るわせ振り返れば、

そこにはにこにことした

相良先輩がいた。


相良「演奏、見ててね。」


悠里「はい、もちろんです!先輩は緊張しないんですか…?」


相良「あー…してるよ、めちゃくちゃね。」


悠里「え、そうなんですか?全然そうは見えなくって。」


相良「緊張してるけど、それ以上に燃えてるって感じ。」


悠里「燃えてる?」


相良「そう。アガるんだよね、こういうの。」


悠里「かっこいいです!」


相良「あっはは、ありがとう。」


そういうと、今度は私の方に手を伸ばし、

優しく頭を撫でてくれた。

過去の私がよくしていたらしい

ポニーテールの、髪の流れに沿って

先輩の手が滑る。


相良「……変なことを言うようだけど、あの事故は決して悠里ちゃんのせいじゃないよ。」


悠里「…?」


相良「この舞台で一緒に吹いてみたかったな。」


小さく、とても小さくそう呟いた。

会場の賑やかさのせいで

聞き間違いかと思うほどに。


相良先輩は今年3年生で、

もう一緒に吹く機会はない。

特に大会でともなれば、

今回が最後のチャンスだった。


相良「行ってくるね。」


悠里「先輩!」


相良「ん?」


悠里「頑張ってください、めちゃくちゃ応援してますから!」


相良「うん、ありがとう。」


もし先輩が進学や就職をしても

一緒に吹きませんか、とは言えなかった。

言わなかった。

だって。


だって、先輩が一緒に吹きたかったのは

過去の私だから。


先輩は笑ってパートの子を

引き連れて舞台の裏へと向かう。

その中で、結華がこちらを見た。

ガッツポーズをして

「頑張れ」と伝えてみる。

すると、結華は強張ったままながらも

少しだけ口角を上げて眉を下げた。

…緊張が全て

解けたわけじゃないだろうけれど、

少しだけでも笑ってくれてよかった。


悠里「……よし。」


シノジョの順番はまだもうちょっと先。

それまでそわそわするけれど、

1番緊張しているのは

演奏する人たちだから。

深呼吸をして、他校の演奏が

始まる瞬間を見届けていた。


いくつかの学校が演奏を終えた後、

横浜東雲女学院の名前が呼ばれた。

見知った部員たちが

粒のように小さくなって登場している。

全て等身大の彼女たちだとは思えず、

半信半疑になりながら舞台を見守る。


合奏練習をする時と

全く同じ隊形だ。

だとすると、相良先輩は金管だし後ろで、

結華は木管楽器だし前の方で…。


目視だと表情から足先までの

全ての情報は入ってこない。

ただ、人と人との隙間に

2人の姿を見つけた。


無音に包まれる中、

どくんと心臓の音だけが響く。

紛れもなく私の音だった。

音合わせをし、指揮者が手を上げる。

一斉に皆が楽器を構える。

そして、指揮棒は振り下ろされた。





***





賑やかな雰囲気の中、

みんなでお昼を食べる。

演奏は無事終わり、

ひとつ緊張の糸が解けたようだった。


シノジョの演奏は、心臓にまで

音が響いてくるようでもの凄かった。

低音も含めて心地よく

揃った音の響く中、

突如相良先輩のトランペットが

1人で駆け出してゆく。

荒野を走る1匹の虎を見ているようで、

心が揺さぶられて仕方がなかった。

結華のオーボエも、

ソロはなかったものの

柔らかなながらに力強くもある

木管の音が空間を満たしていた。

何ヶ月も練習して揃えた音は

私にとってどの音よりも

美しくて綺麗だった。


結華「悠里?」


悠里「ん?」


結華「なんかぼうっとしてない?」


悠里「みんなの演奏が凄くって圧倒されちゃった。」


結華「あーね。」


悠里「すごいね。緊張しててもあんなに音が出せるなんて。練習以上だったし、どの高校よりもよかった。」


結華「午後に強豪がいるから、それ次第では入賞できると思う。」


悠里「結華もすごいよ。あんな短期間で初めてだったのにこんなに吹けるようになって!」


結華「毎日練習したしね。」


悠里「確かに。毎日家でも吹いてたよね。」


結華「悠里のことを見てたから、それの真似事だよ。楽器には前々から興味があったの。」


そう言って、お母さんが用意してくれた

お弁当を開いていた。

隣で同じお弁当を開く。

「前々から興味があった」、

その言葉から察するに

今の私はそこまで関与してない。

過去の私を見て言っている。

詳細を言われずとも

そう言われている気がした。

いつまでも、誰もが過去の私を

見ているように感じてしまって、

いつものお弁当の味は

急に消え失せていったかのように思えた。

みんな、今の私でいいとは言ってくれる。

それが表の言葉なのか

深くまで芯のある言葉なのかまでは

私は受け取ることができなかった。


午後からは他校の演奏がある。

基本は演奏を聴くようにと

顧問から指示があった。

とは言え、聞いた方がいいと思うよ

程度の促しでしかなかった。

部員によっては、会場の周辺を

歩き回ろうと考えているらしい。


お昼ご飯を食べ終わり、

お弁当袋の紐を縛る結華は

会場の中へと戻る気で溢れていた。


悠里「結華は戻るの?」


結華「うん。他の演奏を聴きたいしね。」


悠里「そっか。」


結華「悠里は?」


悠里「…じゃあ私も」


結華「別に、全部が全部一緒にしなくていいんだから。」


悠里「え?」


結華「迷ってるんでしょ。」


悠里「…うん。先生もほら、暗に他校のを聞けって言ってるようなもんだったし…。」


結華「明確にそう言ったわけじゃないから、この辺りを見てもいいと思う。お店とか展示会とか色々やってるみたいだから、きっと楽しいよ。」


「ほら」と言ってそっぽを向く。

彼女の視線の先には、

早速クレープを食べに行こうと燥ぎ

会場を後にする2年生の先輩の姿が見えた。


悠里「…わかった。」


結華「大会が終わりそうになったら連絡する。あんまり遠くには行かないようにね。戻ってこれなくなると困るから。」


結華はそう言い残して、

私のお弁当袋を持った。

そして流れるように

会場の方へと戻っていった。

早く外に行ってくれと

言われているような気もして、

なんだか気持ちは晴れぬまま。


悠里「…。」


別に行きたいところもないし

誰かも回ろうとなんて

考えもしなくて、

そのまま足を踏み出した。

空っ風が頬を叩いたその時だった。


相良「悠里ちゃん!」


悠里「え?」


何度も耳にした先輩の声が

私の耳に届いた。

振り返れば、こっちに向かって

走ってきている。


相良「どっか行くの?」


悠里「はい、適当に歩こうかと思ってます。」


相良「そっか。じゃあついていこうかな。」


悠里「え、でも…いいんですか?最後の大会だし、演奏を聴きたいんじゃ…。」


相良「いいのいいの、私らの演奏は絶対金賞だから。」


彼女はそう言うと、

肩にかかった鞄をかけ直した。

遠くからは「美保ー」と、

相良先輩の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。


相良「ごめーん、先約。」


「わかった。東高の聞かなくていいの?」


相良「いーのいーの。」


「悠里ちゃんとどっか行くんだ。」


相良「そ、お散歩ね。」


「気をつけてね。」


相良「はーい。」


先輩は同級生をあしらうように

軽くそう言うと、

「じゃあいこっか」とこちらを向いた。

今日のために結ったであろう

髪の毛が微かに揺れた。


行き先は全て

私に任せるとのことだった。

むしろ、1人で散歩してると

思ってほしいとすら伝えられ、

相良先輩のことはある程度

わかった気でいたけれど、

実際全く理解できていないことに気がつく。

2人で行動していると特に

何を考えているのかわからない人だと

つくづく感じた。


気の向くままに周辺を散歩し、

向かった先は美術館だった。

幸いなことに持ち合わせがあり、

2人で館内へと向かう。

相良先輩は美術館にお金を払うなんて

考えはあまりなかったようで、

納得していない様子だった。

けれど、「悠里が見たいのであれば」と

全てを私に委ねるようにして

入場してくれた。


展示されていたのは、

現代アートでの新進気鋭と称される

若きアーティストたちの作品だった。

よくわからないが

引き込まれるような絵が

いくつも並んでいる。

顔のように見えるものもあれば、

ロールシャッハテストのような

ただのインクのしみのようなものもある。

図形だけで表されたものばかり並ぶ

抽象的な空間が、

脳の隙間にぴったりと当てはまる。


相良「全然わかんないや。」


悠里「ですね。」


相良「何かわかってるのかと思ってた。」


悠里「全然。けど、なんて言うんだろう…ちょうどいい感じがします。」


相良「ちょうどいい?」


悠里「はい。例えるなら…音合わせでみんなの音が揃った時…みたいな。」


相良「あー…ちょうどいいっていうか、ぴったりくるみたいな?」


悠里「そんな感じです。」


相良「そうなんだ。」


またもや納得いかないのだろう。

興味なさそうに、はたまた不思議がるように

口を尖らせてそう言った。


ひとつのとある真っ白な

カンバスの前に立つ。

『消えた神社』という題名が

付けられていた。


悠里「先輩はどうしてついてきてくれたんですか?」


相良「えー?気分だよ。」


悠里「それに、普段から一段と気にかけてくれますし…。」


相良「可愛い後輩だからかな。」


悠里「本当にそれだけですか?」


相良先輩は私を見ることもなく、

にこりともしないまま

私が見ていたものと

同じ作品を眺めていた。


相良「悠里ちゃんのことお気に入りだからねー。」


悠里「先輩。」


相良「なあに?」


悠里「私、先輩が何を思っているのかわかりません。」


相良「あはは、正直に言うね。」


悠里「…。」


相良「私もだよ。」


悠里「…。」


相良「私も、悠里ちゃんが何を考えているのかわからない。」


五月雨のような暗く

じめじめとした言葉が降る。

どうしようもなくって

片足の重心を逆へ移した。


悠里「昔の私じゃないからですよね。」


相良「…。」


悠里「みんな今のままでいいって言ってくれるんですけど、過去の私を見てるんです。過去の私の性格は悪くって、所謂……いじめ、みたいなことしてたとか媚を売ってたとか聞くんですけど…。」


相良「トランペットの実力も愛も本物だったよ。」


悠里「そうだったんですか…。」


相良「うん。だから、ただいち吹奏楽部員として言うのであれば、悠里ちゃんはいい子だったよ。」


悠里「聞かせてください。」


相良「んー?」


悠里「どうして記憶を失った私のことを気にかけてくれるんですか。」


相良「さっきも言ったじゃん。大切な後輩だから」


悠里「言ってください。」


相良「…。」


相良先輩は困ったと言わんばかりに

髪の結い目を掻いた。

仕方ないな、と言うように

ため息をひとつ吐く。

美術館内に静かに響く

彼女の息はどこか軽かった。


相良「私、自分で言うのもなんだけど部内で上手い方だったんだ。」


悠里「はい。素人の私が聞いても芯が通っていてお上手だなって思います。」


相良「トランペットパートのリーダーを任されることだってわかってた。今年のソロも私だろうなって思うくらい。」


悠里「…。」


相良「でもね、ライバルが出てきたんだ。今なくてもわかるよね。」


悠里「過去の私…ですか。」


相良「そう。絶対負けたくないライバルだったんだけど、同時にアドバイスをし合うような…戦友って言えばいいかな。そういう仲になったの。」


悠里「私とは中学からの知り合いだったんですか?」


相良「ううん、高校から。だからだった3ヶ月の話だよ。」


悠里「…。」


相良「ソロパートを取られちゃって本当に悔しかった。でも同時にもの凄く嬉しかった。」


悠里「じゃあ、私の代わりに吹くのは元から相良先輩で決まっていたようなものなのに、どうして1度目のオーディションには参加しなかったんですか。」


相良「そんなのできるはずないじゃん。」


悠里「え…?」


相良「私は悠里ちゃんの吹くあのソロパートしか知らない。それ以外じゃあの楽曲は完成しなかった。」


悠里「…。」


相良「だから私が吹くのは違うと思ったんだ。」


悠里「先輩のソロとても綺麗でした。こう、空まで一本の線で繋がってるみたいに真っ直ぐで…」


相良「ほんと?ありがと。でもね。」


彼女はくるりと

真っ白なカンバスに背を向けた。

まるで空白であることを恐れるように。


相良「私にとってあの音は濁ってたよ。」


悠里「…。」


相良「最近ね、思うんだ。」


悠里「…?」


相良「結華ちゃんいるでしょ?あの子とは全く馬が合わないんだけど、時々悠里ちゃんの影を見るの。」


悠里「私の?」


相良「そう。音楽に本気で向き合おうとするあの目が、前の悠里ちゃんにそっくり。今の悠里ちゃんももちろん熱はあるよ。でもそれ以上って感じがする。」


悠里「結華は…家でもずっとオーボエを吹いてます。1番遅れてるからって頑張ってて。」


相良「あの子、悠里ちゃんを模してるよ。」


悠里「…。」


相良「そんな気がする。そうすることで、過去の悠里ちゃんを生かそうとしてる気がするの。」


先輩の言葉が妙に

的を射ているように思えて、

背筋がぞっとする。

結華が私を模していること自体が

恐ろしいわけじゃない。

結華が結華を消そうとしているように

見えてしまって震える。


彼女に直接聞くべきなのか、

それともそっとしておくべきなのか。

ただ、このまましておいたほうが

吹奏楽部にとっていいことはわかる。

そのまま楽器の道で

彼女は進んでいくかもしれない。


きっと、私が選ぶことではない。

身内であるにしろ、

外部の人が口を出すことではないのだろう。


でも、納得できないのかな。

きゅ、と口を結ぶ。


秋空の下、私たちは

空白の前で佇んでいた。

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