第1章 望まなければ

第2話 超能力

「クッソ……見失った……!」


 前方を走っていた青年が、足を止めて歯噛みする。


夏波かなみは向こうを頼む!」

「分かった!」


 焦りを含んだ声が指示を飛ばした。間髪入れずに返事をし、夏波奏かなみかなでは真昼の住宅街を疾駆する。

 通路の突き当りで角を曲がった。そのまま真っ直ぐ駆け抜けようと足に力を入れ、ふと思い留まる。

 

「こっちじゃ無い……?」

 

 小さく確認するように呟き、夏波は踵を返して元の位置へと走り戻った。曲がったばかりの角から飛び出すと、左右をキョロキョロと見渡す。


――いた!


 目当ての人間は今まさに住宅街のアパート脇から姿を現し、そして駆け出した所だった。一度隠れてやり過ごし、道を逆走して自分達を撒こうとしていたのだ。

 後ろ姿を発見するとほぼ同時に、夏波の足は強くコンクリートを蹴っていた。距離はそれほど離れていない。男は振り返るなりぎょっとしてスピードを上げようとしたが、あっさり追い付いた夏波の手が男の腕を捕らえた。掴まれたことで上手くスピードが出せなくなったのか、男は目一杯腕を振り回す。慌ててもう片方の手でそれを抑え、くるりと手首を返しながら体を密着させて地面に叩きつけた。


三科みしなー!こっちー!」


 なおも暴れまわろうとする男に全体重をかけ、何とかいなしながら叫ぶ。そうして腰から手錠を取り出し、男の片手首にかけやる。


「くそっ!ゴミがよ!離せやボケ!おい!」

「暴れなかったら離しますって。てか、これ以上暴れるとと公務執行妨害までついちゃいますよ!」


 語気を強くしてもう片方の腕にも手錠をすると、男はようやく観念したのか、怨嗟の言葉を吐きながらも力を抜いた。

 念の為相方が来るまでは力を込めながら拘束し、左手首につけていた時計を見やる。


「10時丁度。万引き及び暴行傷害の現行犯ですね」


 時計の長針はちょうど文字盤の真上に位置している。確認を取る夏波の声に、抑え込まれた男性の身体がもう一度持ち上がったが、直様軽く手首を捻った。


「あいってててて!おい!傷害罪だろこれ!」

「怪我はさせてませんよ」

「るせぇ!見ろやこれ! 手ェ怪我してんだろうが!」

「それ、さっき店の前で僕があなたの手を掴んだ時にはもうついてましたよね。……なんなら切り傷で治りかけだし」


 男性は構わず罵詈雑言を並べ立てる。が、いい加減職務中に受ける暴言は右から左へ受け流すのが板に付いてきた。この程度、最早何の効果ももたらさない。


「署まで来てもらいますからね。ほら、立って」


 せめてもの抵抗なのか、男は往生際悪く地べたに座り込み、立ち上がる気配を見せない。

 勤務開始からまだ1時間しか経っていない事に軽い頭痛を覚えつつ、夏波は相方の到着を待つのだった。



*

 

「お前、たまに未来予知みたいな事するよな」


 湯気の立つマグカップを受け取り、夏波は同僚の言葉に首を傾げた。


「何の話?」

「さっきの逮捕の時、よく道を戻ったなと思ってさ」

「や、何となくだよ。いきなり姿が消えちゃったから、そうなんじゃないかなって思っただけで。野生の勘的な?」

「野生の勘って、自分で言うのかよ」


 からりと休憩室の椅子を引いて、彼は夏波の正面に腰を下ろした。湯気の立つマグを片手で持ち上げ、同僚は「おかげで助かったけど」と笑う。


「けど、結構あるよな。お前の勘が発動する事」

「うん、そうだね。なんでかは分からないけど、なんとなく人の考えてる事が分かる時がある……ような?」

「ふぅん?」


 マグを口元で傾けながら、同僚――三科祭みしなまつりは興味深げに目を細めた。


「超能力的な?」

「全然そんなんじゃないよ」


 否定を返し、夏波は苦く笑う。


「てか、超能力ってちょっと響きが古くない?」

「お前、このご時世にそういうこと言うなよな」

「どういうこと?」

「どういうことって、ミツキがいるだろ?」


  マグを置く三科に、夏波はきょとんと呆けた。


「ミツキ?」

「夏波、まさか知らないのか?」


 夏波の反応に、三科は少し仰け反りながら目を丸くする。大袈裟な驚き方だが、三科祭は常日頃からオーバーリアクション気味な人間だ。分かりやすくコロコロ変わる表情には愛嬌があり、人柄の良さを感じさせる部分でもある。

 三科はマグカップから手を離し、ポケットから携帯端末を引っ張り出した。それを少しはがり操作して、夏波へと画面を向ける。

 「見たことないか?」と瞼を瞬かせる三科に、夏波はどれと軽く腰を浮かした。

 端末に映っていたのは端正な顔をした男性の画像。見るなり「あぁ」と声が溢れたのは、見覚え自体はあったからだ。


「この人は見た事あるよ。ドラマとかによく出てる人」

「まぁ間違っちゃいないけど、なんかズレてんだよなぁ」

「ズレてる?」


 三科から端末を受け取って、夏波は指を画面に走らせる。同僚が開いていたのは『美月幸平』と銘打たれたWikipediaのページだ。主な作品、と題された欄には、かなりの有名所が並んでいる。映像作品に疎い夏波でも知っているものばかりだ。


「普通に俳優さんだよね?」

「ちゃんと読んでみろって」


 促された夏波は、今一度画面上の文字を目で追っていく。作品群を抜けた先にあるのは個人の略歴で、そこにある四文字の単語がやけに目についた。


「……超能力者?」


 どこか野暮ったい響きを伴った肩書だ。

 夏波は再び俳優の写真に目を向ける。人懐こい笑顔を浮かべる彼からは、とても『超能力者』という単語から連想される胡散臭さは感じられない。それでもよくよくWikipediaの項目を追ってみると、子役時代から築き上げてきたのだろう俳優業よりも、『超能力』という文言で彩られた略歴の方に、いささかの熱がこもっているようだった。


「マジシャンに移行した……とか?」

「違う違う、マジで超能力が使えんだって」

「いやいや……」


 ミルクティーを喉の奥に流し込み、夏波は笑った。

 超能力。昔の漫画や小説ではよく出てくるが、最近では“異能”とか“特殊能力”とか呼ばれているので、古臭く聞こえるのはそれが原因なのかもしれない。


「んじゃ、何ができる人なのさ?」


 そんな夏波の問いかけは、あくまでも話の種の一部分に過ぎなかった。スプーン曲げが金属疲労によるものだとか、飛び出す鳩は秘密のポケットから出しているだけだとか、そういうよくあるイリュージョンの類なのだろう。それはそれで見るのも面白い、程度の認識だ。

 しかし、三科は待ってましたとばかりに端末を奪い返すと、一本の動画を表示させて、再び画面を見せた。


『こんにちは、ミツキコウヘイです』


 再生された動画では、Wikipediaに載っていたままの男性が固い表情でこちらを見ていた。先程見た画像とは違う、どこか切羽詰まった顔だ。彼は自室と思わしき場所に一人立ち、両の手に白い手袋をはめている。


『つい先日、僕は超能力に目覚めました。今から見せるものには、本当に種も仕掛けもありません。マジックやイリュージョンじゃないんです』


 言いながら、ミツキは右手の手袋をゆっくりと外す。そしてその手袋をカメラの前に放り投げた。


「――え」


 投げられた手袋は、弧を描くことはなく、ふわり、と完全に重力を無視して浮き上がった。続けて、近くにあった文庫本を投げる。これもまた地面に落ちることはない。空中をゆらゆらと漂い続けるばかりだ。以降もミツキは手近にあるものを軽く放り投げていたが、そのどれもが無重力状態にあるかのように宙を漂い始めてしまっていた。

 思わず画面に食い入って凝視する。しかしすぐさま思い直し、夏波は一度大きく息を吸った。


「……合成?」

「に、見えるよねぇ」


 不意に背後からかけられた女性の声に、夏波は思わず肩を飛び上がらせた。とっさに振り返ると、白いマグカップと惣菜パンで両手を埋めた女性が、僅かに身をかがめて笑っている。


「びっ……くりしたぁ……」

「お疲れー。二人は密行終わりなの?」

「あ、いや、万引き犯を三課に引き渡しに戻ってきた所で……。てか村山さん、後ろから忍び寄るのやめてください。わざとですよね絶対」

「ニンニン」

「いやニンニンって」


 夏波のツッコミを意に介さず、彼女はにこやかな笑顔のまま、椅子を引いて腰を下ろす。

 密行というのは、端的に言えばパトロールだ。

 彼ら機動捜査隊は、覆面パトカーで24時間の警邏を行う。夏波はバディである三科と共に、午前中から密行に当たっていたが、車に乗ってわずか数十分後に万引き犯の逃走劇に巻き込まれてしまったのだ。

 引き渡しも終わった為、昼の休憩時間が終われば再び仙台の街に繰り出さなければならない。休憩室でこうして雑談できる時間も残り僅かである。


「ってか村山さん、今日明日は休みじゃねーんすか?」


 三科が不思議そうに首を傾げた。夏波の記憶の中でも、今日の出勤者に村山美樹むらやまみきという名は入っていない。当の本人は軽く肩を竦め、惣菜パンの袋を引き開ける。


「ホントは非番だったんだけどねー。この前定禅寺通で起きた事故の報告書、もう一部別個に提出しろって言われちゃってさ。休日出勤待ったなしだよ。つるぎ君も人がいいんだから……」

「あー、剣さんが押し付けられた仕事のとばっちりっすか」

「そ。本人は1人でやるつもりだったっぽいけど、流石に忍びないしねー」


 ツルギ、とは村山のバディの名だ。

 三科は得心がいったとばかりに頷いた後、ふと声を潜めて村山に問うた。

 

「定禅寺通のって、……あれすか、例の”神隠し”」

「そうそうそれ。ま、もう出し終わったから、これ食べたら速攻帰るけどね」


 村山は何でもないようにパンを齧った。


「“神隠し”?」


 夏波がこてんと首を傾げる。

 定禅寺通とは、仙台駅からほど近い場所にある、ケヤキ並木が有名な通りだ。冬になると光のページェントと呼ばれる大々的なイルミネーションが木々に施され、観光名所の一つとなる。

 そんな街中で、数日前に人身事故があった。死傷者も数名いるかなりの規模のものだ。通報を受けて現場に急行したのが村山のペアだった事は知っていたが、三科の“神隠し”発言には覚えがない。

 村山と三科は一瞬だけ顔を見合わせ、すぐに夏波へ視線を戻した。


「夏波は知らない感じ?」

「は、はい。轢き逃げってことですか?」

「ううん、そうじゃないよ。まあ確かに轢き逃げ……にも似てるけど……。“消えちゃった”のはマル害だけじゃないからね」

「“消えちゃった”……?」


 疑問符を頭の上に浮かべ、夏波はさらに首を傾ぐ。村山はマグを両手で包み込んでから、ちらりと夏波を見て続けた。

 

「私も聞いた情報でしかないんだけどね。現場にいた人が、皆口を揃えて言うんだよ。『突っ込んできた車が突然消えた』って」


 語っている村山自身も半信半疑なのだろう。苦笑交じりではあるが、しかし、そこに冗談じみた色はない。村山は一度マグカップの中身を口に含んだ。その隙を見て三科が続ける。


「マル害は行方知れず。亡くなった人間の中にも、いまだに身元が判明してない方がいるらしいんだけどな。問題は、その車が消えた現場の動画がSNSにアップされてたってとこだ」

「え……それって事故の瞬間の映像って事?」

「そ。その動画、本当に車が消えてたっぽくてさ。でもそもそもが事故の瞬間映像だし、何よりマル害のご遺体がガッツリ映り込んでるものだったから、当然即削除」


 痛ましい、と夏波は眉を顰める。死傷者が出る程の事故をわざわざ動画に収め、あまつさえ投稿するなど悪辣極まりない。


「そんなこんなで騒がれちゃった結果、あの事故は“神隠し”って呼ばれてるみたいだね。でも、まさか警察が鵜呑みにする訳にもいかないでしょ?マル害が消えちゃいました、なんて目撃証言そのまま公表するわけにもいかないし、交通部の方では普通に轢き逃げとして捜査してるみたい。目撃者については集団幻覚。動画は悪質な悪戯って事で話は進んでるっぽいよ」


 話している内容はかなりオカルトチックだ。しかし二人の表情は至って真面目で、夏波は困惑を隠しきれない。普段夏波をからかって遊ぶ三科でさえ、目が笑っていなかった。


「困ったなぁって思うよね」


 村山がぽつりと言葉をこぼした。言葉と反して困っている風には見えず、どこか嘯くような呟きだ。


「さっき超能力の動画見てたでしょ、ふたりとも」

「え?まあ、はい」


 唐突に話題を引き戻され、夏波は面を食らいつつも肯定した。


「村山さんも見たことあるんですか?」

「まあねー。話題だし?」


 世間ではそれなりに騒がれていたのだろう。自分の疎さを反省しつつも、夏波は村山の次の句を待った。


「ほんの数ヶ月前の私ならさー、車が消えたなんて言われても集団幻覚説を押してたんだけどね。オカルト話が特別好きな訳じゃないし。……でも、ミツキをみたり、超能力が本当にあるって雰囲気の中だと、事故を起こした車が消えたのは事実なんじゃないかとも思えてきちゃう」


 まさか、と三科が溢すと、村山は苦笑の色を濃くして、「馬鹿げてるよねぇ」とため息をつく。


「でも、マル目の話し方が、どうも嘘をついてるとか幻覚を見たとかそんな感じじゃなかったんだよ。だからつい、ね。……まぁ、万が一超能力者がいるとしたら、そもそも事故が起こらないようにしてくれても良いのにって感じなんだけどさ」

「……あの」


 それまで村山と三科を交互に見て話を追っていた夏波が、恐る恐る手を挙げた。二人の視線が向くと同時に、若干肩を縮こまらせ、夏波は口を開く。


「美月幸平って、ホントの超能力者、……なんですか?手品とか、合成とかじゃなくて……」

 

 夏波としては、至極真っ当な質問のはずだった。何せ同僚と先輩が二人揃って超能力ありきの話をしているのだ。先程見せられた動画が合成でない保証もないし、未だ半信半疑のままである。

 村山はそんな夏波を一瞬キョトンと見つめたが、すぐに合点がいった様子で頷いた。


「夏波、この前の配信見てないんだ」

「配信、ですか?」

「そう。政治家とか大学教授とか、信用失ったらヤバそうな人達呼んで、目の前でリアクション取らせるって企画の動画配信。視聴数めちゃヤバかったけど……夏波知らない?」

「えっと……、普段あんまりネットとか見なくて……テレビ見たり新聞読んだりはしますけど……」

「ご老人かな?」


 じろりと三科を睨んだが、大した効果は見られない。だが「誰がだ」と反論もできなかった。人よりも流行に疎い自覚はある。


「じゃ、じゃぁ本当なの?この映像」

「ガチ」

「多分?」


 三科と村山の声が揃う。慄きながらもう一度動画に目をやると、ミツキが最初に触った手袋を手にとってはめているところだった。それを合図とするかのように、それまで浮かび上がっていた文庫本がポトリと床に落ちる。ひとつ、またひとつと、ミツキが放り投げたものが床に転がった。影の形や物の大きさを比べてみても、確かに合成動画だとは思えない。それならばあまりにもうまく出来すぎている。

 三科ひとりにこの動画を見せられていたのなら、まさかそんなと笑い飛ばしていただろう。よくあるネタ動画の一つだと。それが尊敬する先輩の口添えまであるとなると、単に笑って済ますこともできない。


「これが本当に超能力だとすれば、これまでの価値観壊れちゃうよね」


 勿論、これが手品である可能性はまだあるけど。

 そう言って村山はパンを頬張る。

 夏波は動画が流れ終わり、停止している画面を見つめた。不安気な、やはりどこか切羽詰まったような印象を受ける表情が動画のサムネイルになっている。


 仮に。――あくまでも仮にだ。彼が本当の超能力者で、超能力の存在が世間的にも肯定されたのなら。村山の言う通り、多くの人間の認識がひっくり返るのだろう。

 不可思議な俳優が世間を騒がせる中、理解の及ばない光景を見たら、『超能力かもしれない』という考えが過ぎっても仕方ない。

 しかし、悪い事ばかりではないような気もしていた。なにせ、『超能力』だ。幼い頃に誰しも一度は憧れるものが、現実にあるとしたら。大人になるにつれて悟った現実の在り方が、少しだけ変わる兆しなのだとしたら。

 もしかしたら不可思議な力が自分にも芽生えて、漫画や小説の登場人物のように人を救うヒーローになれるかもしれない。いや、自分に芽生えずとも、現実にそんなヒーローが誕生するかもしれないのだ。


 無論夏波がこの場でそれを口にすることはない。村山の心中を鑑みれば、あまりにも不謹慎だ。


――でも、どうして


 画面をタップし、夏波はもう一度動画ミツキの動画を再生する。


『こんにちは。ミツキコウヘイです』


――どうして、こんなにも不安そうなんだろう?

 

 カップの中のミルクティーを飲み干しながら、夏波はじっと動画を眺め続けた。

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