5.5 サブセット=ラビリンス

 シンタロウは一日中感情が不安定だった。終始無力感だったり、突然気分が沈んだりした。そうかと思えばサクラに対して怒りを感じたり、サクラが以前のようにずっと自分だけといてくれないかと願ったりした。


 ジーネ・ブリンズ・セラトが余計なことを言うからこんなわけのわからない気分になってしまったのだ。シンタロウはジーネにも怒りを感じていた。なんであんなことを俺に言ったのだろうか。それでもシンタロウは気分を復調させるために、プロセッサを介してホルモン調整をすることをしなかった。本当は知っていた。こんな気分にさせていてるのは、サクラを人間にしてあげたいと思った自分が原因だったからだ。


 それから、3日後の朝食時にサクラがシンタロウの隣に座った。相変わらずサクラはゲイミーの話ばかりするのでシンタロウは我慢できなくなり、サクラに悪態をついてしまった。一瞬、驚いた顔をしたサクラはすぐに笑顔を作り、シンタロウに何か気分を害することをしてしまったか聞く。サクラのその笑顔がゲイミーに見せている笑顔と重なり、シンタロウは怒りの感情がこみ上げて来てサクラに不満をぶつけた。サクラもなぜそんなも怒られないといけないのか分からず、シンタロウに反発した。二人は大声を出し合うほどの激しい口論に発展して、食堂にいた周囲の生徒たちを騒然とさせた。


 ネイティブとヴィノは元来、決して分かり合うことができないほど深い溝がある。その溝を埋めるために、お互いが譲歩しあって共存できる最も心地の良い距離を測っているのが現状だ。そんな中、ひとたびネイティブとヴィノが衝突を起こせば、大きな問題に発展する可能性を常に秘めていた。実際、このリージョンではネイティブとヴィノの衝突で命を落とすことや多大な金額の賠償問題に発展することがあり、情報チャネルに度々上がる話題となっている。周囲の生徒は自分に火の粉が降りかかるのを恐れて二人の口論に割って入ることができずにいた。


 騒ぎになっているのを見つけたソフィアが駆けつけて二人の仲裁に入ったことで騒ぎは治まった。シンタロウはカミラになだめられて教育棟に連れて行かれ、そして、サクラにはジーネが付き添った。


 クラスルームに戻り、まだ不機嫌そうにしているシンタロウの話を聞いたカミラはすぐに口論の原因を理解した。シンタロウはサクラのことが好きでゲイミーに嫉妬していた、ただそれだけのことだった。そして自分が恋をしていることを理解していないシンタロウにあきれた。普段おとなしくて何を考えているのか分からないシンタロウのことをカミラは大人びているのだと思っていた。しかし、自分が恋していることすら理解していないシンタロウを知り、急に純朴な子供のように見えた。カミラはそれをかわいいと感じて、思ったより子供だったんだねとつぶやいて笑った。


 ネイティブがヴィノに恋をするのは珍しくない。それはヴィノが美しいからだ。しかし、恋愛に発展することはまずありえなかった。その関係を親権者が許さないだろうし、だからといって恋したネイティブが、そのヴィノの親権者になれる可能性もなかった。普段目にするヴィノにはすでに親権者がいるし、親権を譲渡することも通常あり得ない。カミラはそういった一般的なことをシンタロウに伝えてから最後にこう言った。


「サクラさんに謝りなさいよ。それからサクラさんに対する気持ちを本人に伝えるべきかどうか、ちゃんと考えて結論出しなさいよ?」


 シンタロウはずっと以前から、自分がサクラのことを好きだったのだと理解した。サクラのことを自分自身だと感じていたのはこれが恋だと認識できなかったからであり、サクラに対して感じていた最近の感情は、全てサクラに恋しているからだった。こんなにもサクラのことばかり考えているのに、サクラに一緒に居ることができて楽しいということや、うれしいということを言葉にしてサクラに伝えたことは、そういえば一度もなかった。そういったニュアンスを含めた言葉をかけたことすらなかった。一人のフィジカルを共有していたのだから当然と言えばそれまでだが、それをサクラに伝えるべきだったのではないだろうか。そして蓄積データを共有していたサクラは俺の気持ちは知っているのだろうか?


 ヴィノのクラスルームでジーネがサクラの隣に座って話しかけていた。


「これではっきりしたわ。シンタロウくんはあなたのことが好きだったのよ。私そうだと思っていたの。だからこの前、シンタロウくんを少し挑発してみたの。ごめんね、サクラ。でもゲイミーが勘違いしちゃっているから、そろそろ教えてあげないと止められなくなっちゃいそうで。」


 サクラはそれまでどうしてシンタロウがあんなにも意地悪な態度をとったのか分からなかったが、ジーネの話を聞いて納得した。シンタロウは私を独占しておきたかったのだ。そういえばシンタロウは私にずっと好意的だ。それは私がシンタロウの一部でシンタロウ自身だからだと思っていたが、ライフログをシークしてすぐにわかった。外部思考プロセッサを使って初めて対面した時から好意のニュアンスがはっきりと変わっていた。シンタロウは私のことが好きなんだ。そう思うとなんだか笑ってしまった。インジケータが心地よさを示すのが無神経に感じられて煩わしかった。この感覚はインジケータが数値化して推し量れるような簡単な気持ちではない。これは私だけが感じることが出来る大切な感覚だ。


 そしてその感覚に浸りながら、シンタロウは何年も前からずっと私のことが好きだったのだと思い返した。そしてあの時からそれは恋に変わった。それを考えると私はまた笑ってしまう。こちらのヴィノは性能がいい。心地よいと主観ビューにフックせずともASICで処理される。また笑ってしまうのを隠すように両手で顔を覆う。シンタロウは私のことが好きなんだ。そう思い返すと何度でも笑ってしまった。私はそれがとてもうれしかった。


 私に始めて出来たヴィノの友達はゲイミーだった。そしてこの前、ワールドセットで私の武器を見たいという彼の指先が私の指先が触れた時、私は初めて異性を意識した。センシングデバイスから菌糸を伝って電気信号がプロセッサに届く。それはただの指先の感覚でしかないが、信号を主観ビューがフックして別の情報を付加する。それはゲイミーが男性であることや私に好意を持っていること付け加える情報だった。私を構成する一つのサブAIといくつかのプロセッサコアがゲイミーの好意を引き留めるような振る舞いをすることにプライオリティを置く。セントラルプロセッサ上の私はそれらを小さなコンテキストの一つとして認識した。


 指先が触れたことを感じて私を意識し、ハッとして私を見るゲイミー。私はゲイミーの目を少しだけ見た。そうすることにどんな効果があるのか私は知っていた。私はゲイミーの好意が心地よく、惹きつけておく必要があると判断していたのだ。今までもそうだった。事あるごとにサブAIが下す小さなコンテキストがゲイミーやロドルに好意を持たせようと小さな振る舞いをするように私を促す。あまりにも小さいコンテキストだが確実にそれは発生していたし、私はそれをリジェクトしなかった。


 たった今、その意味を理解した。そして、シンタロウに対して発生していた大きなコンテキストをリジェクトするのはもうやめようと思った。笑っている私をその赤い瞳でみつめているジーネはずっと黙ったままだった。


「ごめんね、私ちゃんと理解できたわ。ありがとうジーネ。」


 私の思考のストリームデータを他人には拾わせないようにジーネの頭に接触させて接触通信で送る。ジーネも私の気持ちが理解出来たようで笑って私を抱きしめてくれた。


 次の日にシンタロウはサクラに会うと小さな声で「昨日はごめん」と言っただけだった。サクラはASIC経由でうれしさとむずがゆさと少しの恥じらいの信号を受けインジゲータがそれを示すのをみて、その信号をローカルスタックに取り出しゆっくりとその意味を認識していたのであまりうまく反応できずに小さく「うん、いいよ」というだけだった。それを見たジーネは、最初は笑うのを我慢して口元を抑えていたが、耐えられなくなって笑いだしてしまった。ジーネが笑うのをみて見て、カミラもその意味を理解して嬉しくなり笑いだした。クレト、ゲイミー、ロドルは二人の反応の意味が解らずに困っていた。 


 珍しく混合席に座っていたソフィアはそれを横目に「ほんと、ただの子供じゃん」とつぶやき、ネフィと別の話を始めた。グエンは二皿目のサンドイッチを誰に持ってきてもらったらいやな顔をされないか、周りを見渡して見極めようとしていた。


 サクラたちは一般公開されている2週間のトライアルの間に地下30階の中ボス「デュラハン」の討伐に成功した。そして、先着100チーム限定のクリア報酬を手に入れた。クリア報酬は告知の通り任意のオブジェクトの実体化権をもらうことができる。セラト家のヴィノたちはサクラに権利を譲ってくれた。しかしサクラが要求した人間のフィジカルはエミュレータ運営によりリジェクトされた。そして、結局報酬はゲイミーが独自に考えていた固有魔法に変換された。


 ジーネからそのいきさつを聞いたシンタロウは、まだサクラが人間になりたいと願っているのだと知り安心した。そして同時にシンタロウがその願いを叶えるという目標がなくならなかったことにも安堵していた。シンタロウはサクラが人間になった時に気持ちを伝えようと決意した。


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