第二章

1992年 11月18日 ニューヨーク州


 寒い朝だった。街の一角に、銃声らしき音が響いた。音と共に僕は立ち止まった。そうしたら、隣で無抵抗な鈍い音がした。それは、僕の友人である宮倉が倒れた音だった。ブレーキの甲高い音と共に、安物のセダンが際立って覗えた。ついさっきまで僕等が居たBarの主人が、表に出て来て、警察に通報してくれた。宮倉の意識は、まだ辛うじてあった。僕は上着を脱ぎ、右腹部の傷口に当て止血を試み、主人と共に彼に声を掛け続けた。宮倉を撃ったであろう連中の乗るセダンは、焦ったせいか、直ぐ近くで事故を起こしていた。暫くしてパトカーと救急車が、駆け付けた。宮倉の意識は薄くなっていた。彼は病院に搬送されたが、2時間後に様態が悪化し、息を引き取った。

宮倉薫…文学者であり僕の親友だった男だ。死の数時間前まで、互いが執筆している小説について語っていた。前の日は、ニューヨーク州立大学で文学についてのスピーチを行っていた。Kaoru Miyakura は、当時世界的な小説家だった。「道」という作品は、20世紀初頭の日本を舞台に、不器用な詩人を描いた長編である。彼によると不器用な詩人とは、僕のことらしい。大きなお世話だ。それはさておき、彼はスピーチの最後に、こう言ったんだ。それが何時までも印象に残っている。

「If you don't understand, then fine. Somehow we are made that way.

Also the recognized facts and essence are illusions that must be shared in order for humans to live.」

彼は夢を語ったのだと思う。


 僕はBBCの取材にそう応えた。あれから5年経ち、僕はニューヨークへ、彼の墓参りをしに来た。彼の妻である由美子さんとも、久々に会うことになった。彼女は宮倉と同棲していた部屋に、2人の子供と、今でも住んでいる。1993年1月27日、由美子さんは、突然僕を訪ねてきた。僕は宮倉が執筆に使っていた、ワードプロセッサーに入っていたフロッピーディスクを渡された。彼は文才というワープロを使っていたと思う。しかし、彼は自分の事をあまり話したがらない性格だった。そんな彼が、文才などという名の付いた機材を愛用しているというのは、なかなか面白いことだ。ディスクを渡すとき、由美子さんは、僕にこう言ったんだ。

「主人は。あなたにこの作品を読んで欲しかった。でも、完成しないまま死んでしまった。この小説の続きを、あなたに書いて欲しいの。主人と文学に関しての交わりを持つ、椎名さんあなたに…。」

この依頼は、僕を突き動かしたが、石のように硬く動こうとしない自分もあった。僕は生返事とも言える承諾をした。

あれから、小説には手を付けていない。

気付きや響きという皮を被った、自己嫌悪に勤しむ道具を発見することが、僕の日常になっていた。


 僕は先ず、安いレンタカーを借りた。フォード社製のセダンだ。あの頃のアメ車からは、90年代というものが、ひしひしと感じられた。午前9時頃、彼が埋葬されている墓地に着いた。新しいが、細やかさが汚れてきている墓石。僕は花をお供えした。宮倉の墓という現実味を帯びない事実が、茫漠と目の前にある。僕はふと彼の言葉を思い出した。宮倉の磁場を最も強く受けるこの場所で、ようやく自分の裡にありつづける言葉に気が付いたのだ。存在は知っていたそれに、彼の芸術論を見た。

If you don't understand, then fine. Somehow we are made that way.

僕は空想で彼の墓石に、その文章を彫った。ここに、役者がひとり。今、という舞台を縦横無尽に舞う、役者が。僕のことだ。君が言うとおり、僕は不器用な詩人だ。この芝生は、僕にとっての地中海さ。僕はそんな独り言を言って、墓地を後にした。彼に心から「またな」と言えたのは、此が初めてな気がした。僕自身が、言えたのは、確かに初めてかも知れなかった。僕は由美子さんの住む家へ向かった。レンタカーのラジオからは、Dream theaterのHollow yearsが流れていた。


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