第15話 覚醒(2)

 バチィッ!

 空気を切り裂く音とともに、右腕にアイの触手が叩きつけられた。


 強烈な衝撃――


 歯を食いしばり、右腕を外側に回す。

 触手が弾かれ、地面を激しく打った。


 腕の表面に、硬質で薄い殻のようなものが盛り上がっていた。

 それが何なのか、直感で分かる。体毛が伸びて変化したものだ。短く細いはずの人の体毛が太く長く伸びた上、腕を包む殻状に変化している。


「やっぱり細胞の同質化はかなり進んでいるわね」

 アイの右腕は元に戻っていた。


「ぼくに植え付けられた種子が体に馴染んできているってことか?」

「ええ。その体毛が変化したプロテクター。緑色でしょ」


 アイに言われて初めて気づく。確かに緑色だった。

「葉緑素って奴なのか?」

 それをマジマジと見つめ、ぼくは訊ねた。


「そうよ。それ自体は地球の植物と共通のもの。あなたはこれで水と太陽の光からエネルギーを生み出すことができるようになったってことね」

「マジで……?」


「うん。もちろん、ご飯を食べることもできるわ。植物でも肥料や土壌から栄養分を補うでしょ?」

「まあ、確かに」

 徐々にプロテクターが体毛へと戻っていくのを見つめながら、ぼくは頷いた。


「それに、その体毛を硬質化させ防御に使う能力は王族だけのものよ。他にもあるけど……」

「そうなのか」


「うん。じゃあの段階に行こうか?」

「次の段階?」


 ぼくが訊くと、

「うん」

 アイは笑って頷いた。


      *


 アイの家のある檜の巨木。その家の更に上にある大きな枝の上。ぼくはそこで座禅を組んでいた。


 強い風に枝が揺れ、髪の毛をなぶっていく。時折吹く強烈な風は、耳元を過ぎるときに大きな音を立てた。


 最初はここにいるだけで足がすくみ、平常心でいられなかった。慣れるまでは命綱を付けていたが、今はそれも無い。


 アイいわく、生命の危機を感じさせるようなシチュエーション下での瞑想こそが、究極の集中力を養うのだという。


 そういうわけで、落ちれば死んでしまう枝の上で、心を落ち着け瞑想し、精神の奥深くを内観ないかんすることが、ぼくに与えられた指示だった。


 時折、強く吹く風のせいで雑念を捨て、静かに落ち着くこと自体が大変だったが、いつしかぼくは、集中して深く呼吸を繰り返すことができるようになっていた。


 この瞑想を初めて四日目、とある変化があった。

 今、座っている檜の枝から、漠然と感情のようなものが伝わってきたのだ。


 風が奏でる枝葉のざわめきが――

 樹木の中の水や樹液が流れていく音が――

 耳を通じて、脳の奥深くに鳴り響く。

 それは、優しいリズムと温かさを持ってぼくに語りかけてくる。


 そうか、あなたはここで悠久の時を過ごしてきたのだな。

 ぼくを包み込む温かい気持ちにぼくは微笑んだ。


 伝わってくるのは、人のような個の自我じがに根ざした意志では無い。もっと大きな自然の発する意志とでも言えばいいのか――。ぼくは、この巨大な檜を中心とする大きな森に許され、包まれているのを実感していた。


 檜を中心に周りの森の木々の一本、一本にまで、自分の波動が繋がっているような感覚があった。それらの木々の中には、アイもいて、アイの波動と繋がっていることを感じる。


 ぼくの感覚は、ついには樹の幹にいる虫や、下生えの中を歩く狸や狐、ウサギやイタチの波動まで捕らえはじめた。こんなにたくさんの生命に囲まれていたなんて、想像もしていなかった。


 つい、このあいだまでは、墜落して死ぬことの恐怖に固まっていた自分の身体と心が、今は大きな安心感に包まれている。ゆったりと樹の声を聞き、自然の鼓動に包まれているうちに、ぼくはいつしか自分の深い、深い部分へとたどり着いていた。


 暗く光も音も届かない深海の奥のような空間。そこに小さな水の泡のような記憶がいくつか浮かんでいる。


 その中の一つ。そこにあった記憶は、緑に包まれた地球とは異なる大地。そして、優しい笑顔の女性だった。遠い記憶の中にある母とは異なる女性の記憶。


 ぼくは、隣り合うようにある別の記憶の泡を掴んだ。

 すると、自分の身体の奥深くに双葉の植物が芽吹き、体のありとあらゆる部分に根が伸び、早く木が伸びていくのを感じた。


 そうか。これは、ぼくに根付いた種子の記憶か――


 体のどこを変化させ、それをどう攻撃に使い、如何に守ることに使うのか。自分の持つ能力やその特性、使い方も唐突に、そして完全に理解していた。眠っていた知識と能力が目覚めていくような感覚の方が近いかもしれない。


 ぼくは、さらに深く瞑想を続けた。まだ、何か、体の奥深くに眠っているような気がしたのだ。


 すると、奥の奥。混沌とした精神の奥に浮かんでいた記憶の泡を見つけた。ぼくは迷うこと無くそれを掴んだ。


 パシン。

 音を立て、泡が弾けた。

 そして、一人の少年の人影が浮かび上がった。


 懐かしくて、大切な記憶。

 少年はぼくの親友だった。


 彼は、たちばなかい。隣の借家に住んでいた。


 小学四年生の二学期のはじめ、父親の仕事の関係で引っ越していってそれきりだった。両親を亡くし、祖父母に育てられたぼくにとって、一番の心の支えだった。


 休みの日には、魚釣りやカブト虫取りに行ったし、学校から帰るとゲームや公園で遊んだ。


「達也。遊ぼうぜ!」

「今日は元気が無いな?」


「勉強はかったるいよな………」

「明日も休みだったらいいのにな」

 たあいのない子どもの交わす言葉が、浮かんでは消える。


 思えば、あんなに楽しい日々はあの頃だけだったような気がする。


 そう言えば、大きなスーパーのトイレで中学生の不良にかつあげにあったことがあった。為す術も無く泣きべそをかくぼくの前に、海は立ちはだかった。


「おい。ガキ。お前が代わりに払うか?」

「そんなの出すわけ無いだろ」


「かっこつけんじゃねえぞ。もう、泣いてるじゃないか?」

「馬鹿。そんなわけあるか!」


 海は、恐ろしい不良相手に一歩も退かなかった。

 憤った不良は一発、頬を平手ではったが、海は不敵に笑った。それを見て不良はぶち切れ、ボコボコにし始めたが、海は隙を見て頭突きを不良の鼻に見舞ったのだ。


 不良の鼻は折れてしまったのか、恐ろしいくらいに鼻血が出た。そして、泣きながら逃げていったのだ。


「運がよかったぜ。もうちょっとで俺が泣くとこだったよ」

 海は笑って言った。

 ぼくは泣きながら、海の顔の傷から流れる血をハンカチで拭いたのだった。


 気の弱いぼくをいつも助けてくれた海。

 優しくて強かった海――


かい。何で、ここにいるんだ? ぼくにとって、君はそれだけ大切な存在だったってことなのか?」


 返事が返ってくるわけが無いと思いながら話しかける。

 すると、ただの記憶の残像だと思われた彼の口が開いた。


「達也。会いたい……」

 精神も体も、ビリ、ビリッと高圧電流に触れたような痺れる感覚があった。


 かいと一瞬繋がったのだ。それは比喩では無い。文字通り、確かに繋がった感覚だった。


 ぼくは目を開いた。

 いつの間にか横に来ていたアイを見上げ、その手を握った。


「アイ。ぼくの親友が……海が……あいつにも、種子が根付いている」

「えっ……」

 アイは絶句し、ぼくの手を握り返した。

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