2
気づくと、夢の中にいた。
しかし、それが自分の見ている夢じゃないのが、なぜかはっきりとわかった。
ここは夕暮れのキャンプ場だろうか……。
ごそごそという気配に振り返ると、そこに黄色のテントが建っていた。チャックが内側から開き、元気だった頃の母が顔を出した。
「ふうちゃん、久しぶりね」
変わりないその口調に、私は戸惑った。
「……お、お母さん……何してるの?」
声が震えているのが、自分でもわかった。
「さとしの夢の中でキャンプしているの」
さとしは父の名前だ。……けど、そんなことはどうでもいい。
「今更だけど、ふうちゃんのことが気になってね」
私は堪らなくなって、母に抱きついた。そのままテントの中へなだれ込む。
「もう、お母さん、お母さん……」
涙を流したいけど、うまく泣けなかった。
また会えた。その気持ちだけがどんどん膨らんでいく。寂しかった夜や、ずっと我慢してきたことや、それらを母にぶつけたいのに、言葉が詰まって出てこない。
涙が溢れてきて、心が空回りして、息がうまく吸えない。苦しい。過呼吸? いったい私はどうしてしまったのか?
あまりの辛さに母から身体を離し、テントの床にうずくまり、喉に手を当てる。ひいひいと、どうにもならない。
「大丈夫? ……ふうちゃん」
私は母に抱きかかえられた。
「口を開けて」
身悶えながらも言われた通りすると、母は口の中へ指を差し入れた。この異変を予め知っていたかのように、その表情に焦りはなかった。
「……まかせて」
昔、こんなことあったような気がする。そう思いつつ目を閉じる。
母の細い指が私の喉のつかえを挟み込み、にじにじと引っ張り上げていった。やわらかく、濡れている。結構大きい塊のようで、私は目を見開いた。
くっと、それが抜けきった瞬間に、一気に苦しさが消えた。
息を整えつつ身体を起こすと、私から取り出されたものを母は見せてくれた。アルミのクッカーいっぱいに受けられたそれは、ぱっと見は灰色のパン生地のようだが、もっと湿っていて重い、色の悪いお餅に近い。
「これは?」
喉を擦りながら、母に訊いてみた。
「ふうちゃんの心だよ」
「……え?」
心って。目の前に出てしまっているし。しかも、それはとても綺麗とは言えなかった。
「……外へ出ようか」
母は私の手を取って、そばを流れている小川へと導いた。
「そこで待ってて」
流れの中に足を浸けて、母はクッカーから取り出した私の心を洗い始めた。
空っぽの私は岸辺の石に腰を下ろして、その様子を見つめた。じゃぶじゃぶと、私の心は少しずつ綺麗になっていく。川の水が濁り、汚れが流されていく。
どうして私の心はあんなにも汚いのだろうと、考えてみる。
母が死んでからというもの、自分を保っていることだけで精一杯だった。
少しでも気を抜くと、悲しさや寂しさに包まれて動けなくなる。だから、他人のことまで気が回らなかった。だからだと思う、気づいたときにはクラスメイトとの関係がうまくいかなくなっていた。小さい嘘をつかれたり、不意に無視されたり、約束をすっぽかされたり。そんなことをされれば正直辛い、もうどうすればいいのか、わからなくなっていた。
だから心も、ああなるんだろう。
母は黙ったままで手を動かしていた。何も言わないけれど、私のデリケートな何かを感じとってくれているような気がした。
「もういいかな」
私の心を洗い終えると母は、キャンプ場の
「これでふっくらとするから」
立ち上る蒸気を眺めながら、私はやっと、伝えられなかった言葉の数々を母に語って聞かせていった。
「そう、寂しかったね、ふうちゃん」
母は私に寄り添い、滲んだ涙を指先で拭ってくれた。
いつの間にか日が落ちて、満月が林の上に顔を出していた。
そういえば、母が死んだ夜も満月だった。小五の秋、病院の上を眺めた、あの黄色の丸い月を思い出していた。
「そろそろいいかな」
蒸し上がった私の心は白さを取り戻していた。
母はそれを細かく千切り、丸め、きな粉をまぶしていった。見る間に、私の心がテーブルの上に並んでいく。
「……食べてみて」
小さく丸められた私の心を口に運ぶと、それは温かく、やわらかく、甘かった。お腹が減っていたのに気づく。空っぽだった自分は、それらを欲しているようだった。すぐに二つ目を口に入れる。
「ふうちゃんの、もらうね」
母は満月も眺めながら、私の心を一つだけ食べた。
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