在り方迷惑

小狸

短編

「だからさ。陰鬱なんだよ、君の書く話は」


 新庄しんじょうはそう言って、麦酒ビールを一口飲んだ。


 私も付き合い程度で飲みはするけれど、今日はそこそこにセーブしておいた。


 明日は仕事なのである。


「陰鬱がそんなに悪いことかな」


「悪かないだろうさ。でも、人気取りって考えた時には、それは諸刃の剣になり得ると僕は思うよ、実際」


 最初は、仕事で酷い上司に当たったという新庄の話を聞く――という名目で、今回集まったのだが、いつの間にか話の矛先は、私の投稿する小説へと向かっていた。


 新庄とは、大学の国文学部で、同じ「小説を書く」という趣味を持った者として、仲良くなった。そこから社会人になっても時折飲みに行く仲になった。『ノベルン』という名の小説投稿・閲覧サイトで、しばし小説を投稿するようになったのは、大学2年の頃である。


 誰でも小説を書き、発表することのできる、良い時代に産まれたと当時は思ったものだが、まあなかなかどうしてそこから先には行けない。


 要するに、書籍化である。


 作家として生計を立てるに、私たちはまだ至っていない。


 まあ新庄は大学4年の頃から、どちらかというと読む専門になっているから、一括りにするのも筋違いだろう。


 時折『ノベルン』の彼のアカウントを見に行くけれど、小説投稿の最終更新日は、2020年3月24日で止まって動かない。


「結局『ノベルン』だって『文豪語ブンゴウゴ』だって、そこでウケる形が、もう確立している訳だよ。なのに、それにも拘らず、それに反発してんだか何だか分からないが、陰鬱な私小説ばっか投稿してたんじゃ、誰も読みもしなくなる、読者は離れていくぜ」


 『文豪語』とは、『ノベルン』と同じく、無料小説投稿・閲覧サイトの名である。


「誰も読みもしなくなる、かな?」


 一応――定期的に私の小説を読んでくれる人はいる、と思っている。


 投稿者は、作品がどれだけ閲覧されたかを、PVプレビュー数として把握することができるのだ。


 その数は、少ないながらも一定数存在している。


 素直に嬉しいと思う。


「ああ、そう思うぜ。折角せっかく書き続けているんだから、もっと色んなものに手出してみれば良いだろ。最近の流行を調べたりとか――知らんだろ、最近の『ノベルン』の流行」


「うーん、面白いものは読んでいるけれど、それが流行なのかは分からないな」


「だろ。もっと研究して、面白く、世相が求める、最先端の作品を書けばいいんだよ。折角実力はあるんだから、僕は君にはできると思うんだけどなあ」


「ふうん」


 烏龍ウーロン茶を喉に流し込みながら、話半分に、新庄の言葉を聞く。


 どうして新庄は、そうまでして私に、小説を書かせようと躍起になっているのだろう。


 流行とか、最先端とか、そこまで研究しているのなら、お前が自分で書けよという話である。


 それに私は『ノベルン』の上でデビューできる、などとは毛ほども思っていない。


 自己肯定感の低さ、というより、作風が世間ずれしていることくらい、書き始めた頃から理解しているつもりである。流行りには確かに疎いが、どんな小説がどう読まれているか、くらいは分かる。そんな中で、自分の小説はある一定以上は読まれないことは、何となく理解している。


 これでも数年間、ちびちびと短編小説を投稿してきたのだから。


 まあ、言わないけどね。


 そんなことを言えば、彼の嫉妬心を刺激してしまう。


 そうなると、また面倒である。


 面倒事は、嫌である。


「そうかもね」


「だろー」


 そう言って、新庄は酒を勧めてきたが、拒否した。


 あまり飲む気分ではなかった。


「そうだ」


 と、良い事を思いついたかのように、新庄は手を打った。


「良かったらさ、今度君の小説、稿。僕にできることがあれば、何でもするから――、良い小説を作ろうぜ」


「…………」


 流石に私は、言葉を失った。


 こいつ、ここに話を持って来るために、わざと今までの話題を構築させたな。


 もし新庄の言うことが実現したら、恐らく名義も変わって来る。


 小説のおいしいところ、甘い蜜を、新庄が持っていくことになるのだ。


 添削――なんて大仰な言葉を使うけれど、新庄は別段編集業とか、そういう仕事に就いている訳ではない。


 一体どういう物を食ったら、そんな台詞が出てくる、どこからその自信が出てくるのだ。お互い一読者として謙虚であろうと誓ったあの頃とは、全く違うじゃないか。


「…………」


 そうか。


 変わって、しまったのか。


「ん、どした」


 変わったね、と言われるのは、必ずしも嬉しい事ばかりではない。


 ただ、それはそれとして。


 人は変わる。


 不変であり続けるものなど、この世にはない。


 そしてその変遷の流れは、遡ることはできない。


 自分の作品を投稿して、閲覧数や評価数を競っていた大学時代は、あの頃には、もう戻れないのだ。


「いや――悪い。その誘いには、流石に乗れないかな」


「なんでだよ、折角僕が、君の小説を、良いように魅せてやるって言うのに」


 その「みせる」は、まさか「魅せる」か?


 冗談じゃない。


「…………」


 私は、悩んだ。


 その自信の鼻をへし折ることは、簡単である。


 この友情の角を捻じ曲げることは、容易である。


 小説の話をここまでした知己を、唾棄して捨てることは、赤子の手をひねるよりもたやすいことだろう。


 ただ。


 私は。


「私は、陰鬱な私小説を書きたいから書いているんだ。君が何を言おうと、世間が何を言おうと、これまでもこれからもそうすると思う。デビューできたらそりゃ嬉しいけど、私は趣味で小説を書いているんだ。だから、君のそれは――」


 ――有難迷惑だよ。


 と。


 言った。


 言い終えて、その言葉が口から離れる瞬間が、妙に記憶に残った。


「――あ」


 それが私の声なのか、新庄の声なのか、分からなかった。


 そう言えば、自分の意見を表明したことなど、いつぶりだっただろうか。


 それこそ、大学時代に、新庄とそれぞれの小説の見解を交わした時、とか、そのレヴェルのである。


「――そ、そうか、そうだったか。そ、そりゃ、悪かった、な」


 明らかに、新庄は動揺していた。


 その後、何だかギスギスしたまま(私のせいである)、割り勘にして、新庄を駅まで送った。


 改札を抜けるまで、彼を見送った。


 その時、新庄は言った。


 私への嫉妬心、劣等感、羨望――今まで伏せていたであろう、多種多様の負の感情を乗せた声で。


 低く、言った。


「後悔しても知らんぞ」


 私は答えた。


 うっせえ。


 好きで書いてんだよ。

 

 後ろは、振り返らなかった。


 家に帰ったら小説を書こうと、私は思った。




《Unwelcome Favor》 is the END.

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