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「どうも、こんばんは。仕事がたてこんでまして」

 あたりさわりのない返答をしつつ考える、いったいだれだったのか? ぎらり、そんな私の迷いを見抜いたとでもいうのか、その男は目の奥を妖しく光らせて、口の奥で笑った。

「おいおい、忘れたのかい? もっと僕の出番を増やしてくれなくちゃ困るじゃないか」

 その言葉で頭の普段使ってないあたりが刺激されて急速に記憶がよみがえってきた。目の前に立っていたのは歴史書によくのっている肖像画そのままの光機王の姿だった。

 反射的に平伏しようと思いついたが、やめておいた。確かに彼は偉かったかもしれない。ある一定の枠組みの中では敬意を示さなければならない存在だったろう。けれども私はその枠組みとは違う枠組みに入る人間である。それなりの礼儀をつくせばそれで十分だ。

 それにしてもなんでこんな場所に光機王がいるのだろう。背景はどう見ても変わらず私の知っている通りのホテルの広間で通りすぎてゆく人の顔の中にもちらほら知ったものがまじる。舞台はまちがいなく現代であってそこに光機王の入り込んでくる余地はない。

 だいたいどうして彼は肖像画そのままの姿をしているのか。彼が死んだのはずっと後のことでその時には姿形もすっかり変わっていたはずだ。このような若々しくエネルギーに満ち溢れた状態を保っていられたはずがない。いやそもそもすでに死んでいるのだからそうした細かな条件を気にするべきではないのかもしれない。

「最初のところは藍鉄、輝成、見角の3人をメインに据える予定だったんだ。けれども書いているうちに藍鉄周辺の話が増えていって、最終的に輝成か見角かどちらか一方だけ取り上げておけばいいやという形になって、そこで輝成は落選してしまったんだよ」

 くだけた口調で私は内実を語った。初期に抱えていた構想、というほどたいしたものではないが、ぼんやりとした考えによれば、輝成=光機王にだってそれなりの出番があったはずだった。けれどもそれは話が進むうちにまったく綺麗に消失してしまっていた。

 光機王はわざとらしく肩をすくめてみせた。その仕草は彼の容貌に非常に不似合いだった。仕方のないことだ。だって私の中には彼のイメージが十分に形作られていないのだから。


   ◆


 書くことは一度覚えたら衰えない技術か?

 そうではないと思う。書いていなければ衰えていく一方だろう。

 他者とのコミュニケーションで代替することである程度減衰を緩やかにすることはできるかもしれない。がやはりこの書くという行為はどうしても不自然で特殊なものだ。

 そういうわけでこれを書いている。書いていればそのうち何か思いつくかもしれない。そんなに期待してはいないけれど。


   ◆


 世間における藍鉄のイメージの大半は歌劇『幽遠の隅』によるところが大きい。彼女の死後、約100年たって執筆されたもので超絶大ヒットを博し数々の模倣・派生が作られた。

 その構想すべてが製作者である通網によるわけではない。彼は当時すでに広がっていた藍鉄伝説を収集しそれにロマンスを付け加えることで見事に大衆歌劇として昇華させた。


   ◆


 メモをとる。

 それをもとに段落を書く。

 2万字を超える。

 適当に並び替える。

 できあがり。


   ◆


 少なくとも打庭国滅亡の時点において藍鉄の生存は確認されている。だれも魔女を殺すことはできなかった。

 その後について翔覧による記述を信頼すれば弟子に教えられるだけのことを教えてどこかに消えた。どこに消えていったかはそのとうの弟子すら知らされていなかった。

 翔覧はそれについて特に異常なことだとは思っていなかった。師匠のことをそういうことをする人間だと理解していたから。

 彼らは二度と再会しなかった。あるいは再会したのかもしれないが翔覧はそれを記録に残すことはしなかった。特筆すべき出会いではなかった可能性もあればあえて書き残すのを避けた可能性もある。

 翔覧の記述に虚偽は見当たらない。けれども書くことをやめた部分は存在するはずだ。別段、その書が師を啓蒙することが目的でなかったとしても。


   ◆


 打庭国先代魔女・薙ももちろん藍鉄の師候補の1人だ。

 その場合彼女が死に瀕した際、自分の跡を藍鉄に託すよう願ったのか、あるいは逆に藍鉄にだけは託さないよう願ったのか、どちらも考えられるところだ。

 ただし薙と藍鉄の師弟関係の根拠は近い時期に近い場所にいたからというだけのものではっきり弱い。


   ◆


 魔女とはいったい何だったのか?

 人類の歴史において記録に残っている期間の内、三分の一から四分の一程度に魔女は存在していた。その出現する前も消滅した後も人間はなんとかかんとか生き延びて日々を暮らしている。

 絶対に必要なものだったかというとそんなことはないと思う。それは文明の発展を遅らせた部分もあれば進めた部分もあって結局プラスなのかマイナスなのか判断できない。

 けど総体的に見て、彼女たちがいた方がよかった気がする。魔女の存在した今の歴史の方がいなかった場合の歴史より楽しいから。

 誰の判断?


   ◆


 見角の処刑によって打庭国は完全にこの世界から消滅した。その後は散発的な反乱すら起きることはなかった。どういうわけだか誰もその国の形を惜しむことはなかった。たいして嫌われてはいなかったと思うのだけれども。


   ◆


 藍鉄と白縫の戦闘については比較的信頼における詳細な記録が残っている。その記録を残したのは他でもない、戦闘の敗者である白縫本人である。

 甲陸国所属の魔女は次代に技術を伝えるため自らの戦闘記録をできる限り詳しく残しておく性質があった。現在残存している魔女自身による記述のほとんどは甲陸国所属の魔女によるものだ。

 その中でも特に白縫の手によるものが質・量ともに群を抜いている。そうした執念に近い研究が彼女の最強を支えていた、のかもしれない。

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