三、暗(くらがり)を覗く者曰く
「兄上どうか、この化け物諸共殺してください」
掠れた声を絞り出し、れんは着物の
「活きが戻ったか。なかなか
袷に拒まれた男の手が、起伏をなぞって下へ向かう。
「すぐに
男の顔は
「
れんは身を捩った。勢い、男の手から刀が
「兄上、さあ! れんは、先にあの世で待っております……」
れんは叫ぶが、京之介は未だ迷いの中だ。見透かして男は、
「兄上は可愛い妹を斬るつもりにはなれんようだ」
簡単にれんを振り解き、その首に手を掛ける。
「刀など無くても、首を折れば容易い。兄の一太刀とどちらが早いかな?」
相手は人に非ざる者。力の程は計り知れぬ。喉笛に回り込む指、呻くれん。
「
京之介は声を張り上げた。れんを助けたい。しかし踏み込めば、生き餌を喰えなくなるとはいえ、男がれんを殺さぬ確証は無い。
「試してみるか?」
ちらつく舌が挑発する。浮世の理から外れた者は、利の有る無しに頓着するか。京之介の額に汗が浮かぶ。
「何処へ逃れても付いて回る、家に背いて重ねた不幸。化け物に辱められてまで生き永らえよう身の上では……」
言い募るれんの喉笛に男が指を食い込ませる。黙らせた女の口に伸びる、火のような舌。撫でられて濡れた唇艶めけば、煽られて燃え出した欲が京之介の覚悟を照らす。
一度は捨てた命、今更惜しむつもりは無いが、れんを
化け物を
京之介の
「俺を喰え」
「ほう」
態度を変えた京之介に、男の眼が
「急に萎れて、何を企む」
訝しみ、男は
京之介は両手を突いて頭を下げた。
「その代わり、れんを助けてくれ」
「面白い」
男の指がれんから離れる。若造を片付けるのは寸の間だ。女の足では逃げ切れまい。化け物の算段はれんにも
「なりません、兄上!」
首を振ってれんは泣く。
「お前を斬れぬ以上、こうするより他はない」
京之介は両の拳を握り締める。
「成る程、ならば望みどおり一呑みにしてくれよう!」
男の両眼が左右に離れ、裂けた口は
「巻き添えを食う前に水に潜れ。泳がなくても、力を抜けば浮く」
「れん一人で行けませぬ。ここで二人で──」
言いかけたれんの体が宙に浮く。大蛇の尾が、か細い体に巻き付いて締め上げた。
〈すまんなあ、この姿では、別れを待ってやるだけの押さえが利かぬ〉
大蛇と成った男の声は、直接脳裡に響く。
〈兄を呑んだら次はお前だ。逃すまいぞ〉
「あ、あに、う、え……」
れんが喘ぐ。京之介の額から汗が落ちる。
大蛇の両眼が光り、牛をも吸い込みそうな幅で顎が開いた。
刺すように鋭く迫る大蛇に向けて、京之介は拳を開いた。瞼のない眼に砂の
〈小癪な!〉
大蛇はのたうってれんを放した。
大蛇の牙を
〈おのれ!〉
大蛇はさらに激しく暴れる。踊り狂う大蛇の首が振り下がるところに、京之介の太刀が斬り上げる。
「れん!」
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