満月はあの日の全てを見ていた

雨隠 日鳥

少年は怪異を狩る

 満月が輝く夜。

 とある高層ビルの屋上に一人の少年が、そんな月を眺めていた。少年は転落防止用のフェンスに腰を掛け、夜風に色素全てが抜け落ちたような純白の髪を揺らしていた。

 美しい白髪とは真逆の、漆黒の外套を身に包み、瞳は眺める月と同じ様に黄金色に輝いている。

 少年のどこか人間離れした容姿はすれ違う人々をつい振り返らせてしまう不思議な力があった。その名の通り、まるで使のようで、月をそのまま宿したかのような眼は、何もかもを見通すかのような不思議な威圧感があった。


 否。ような、ではない。


 実際に少年――御使みつかいわたるの眼は、何もかもを視ることができる力を持っているのだ。


「…………」


 渡は考える。世の中には、理解不能なことばかりだ。あらゆる理を嘲笑い飛ばすような化物が、間違いなく存在している。


 考える。あの日、あの時の出来事は、まさしくそういう類のモノだった。何も分からないままに進み、何も分からないままに終わった。


 人ならざるモノ。理外の者。――つまりは、怪異。


 そう。あの時の渡は、怪異の掌の上で転がされただけだった。


 二つの企みがあの時にあったはずだ。その一つに渡はもろに影響されて今に至っている。だが、もう一つの企みは、今になっても、その欠片も理解ができないままだった。


 何故、どうして、何の為に――。


「――来た」

 思考に沈みそうになった脳を切り替えて、渡は呪力を研ぎ澄ます。

 人の生命活動に直接関係する、観測不可能な力。それが呪力だ。観測不可能故に、固定の数値として現れず、故にやり方次第でどんな数値も引き出せる力。そんな力を操り、眼に宿る月の権能を高める。


 月は陰たる夜において唯一の光だ。太陽の輝きを反射し、陰なる者――この世ならざる者を炙り出す装置システムだ。

 怪異と相対する為には必須の力である見鬼の才は、月との接続強度によってその精度に大きな差が表れる。

 ところが渡は、月の権能そのものを眼に宿している。いかなる優れた見鬼の力も渡の前で眼を閉じているのと同じだ。

 怪異や呪力の流れを正しく視るだけではなく、何時何処にどんな怪異が表れるのかさえ、本来であれば必須の星詠みの手間を省いて、予測することができる。


『こちら特班とっぱん班長より、観測班班長へ。先刻指定したポイントαアルファβブラボーΘチャーリーにて、丙種怪異タイプ『きさらぎ』の出現の、を確認。このまま特班で対応に入ります』


 特殊遊撃班。通称特班。人類に害を成す怪異を秘密裏に処理する政府公認機関、スサノオ機関における最後の砦だ。

 他の各班が手に負えない案件や、手を出せない程の規模になってしまった最悪の状況になった際にようやく出動する、最終兵器。

 あらゆる場所に赴き、あらゆる状況に対応し、あらゆる怪異絡みの企みを必ず潰すと信頼されている切り札である。

 そんな特班の班長という齢十五の少年とは思えない肩書を、渡は持っている。


 とはいえ、最悪の事態などそうそう訪れない。特班としての正式に出動要請があるのは年に一度あるかどうか。その為、特班の普段の役目は、他班の補助である。


 今回もまたそんな補助の一つだ。


「特班メンバーへ。ポイントβ、Θ、最短最高効率での排除をお願いします。まさかとは思いますが、不意打ちで仕留め損ねるようなマヌケは、僕の班にはいませんよね?」


 そんな激励と挑発を兼ねた言葉と共に、渡は何の躊躇いなくビルから飛び降りた。

 真下には怪異がいた。否、そこに在るのは正確に言えば、出現する直前の大きなケガレの塊だ。


「『ね』」


 単純で無機質な呪禁と共に、体勢を整え、加速しての必殺の一撃。

 そんな渡の一撃によって、人型の怪異は、産声を上げるよりも前に縦に真っ二つになった。


 怪異が顕現した瞬間の、怪異でさえ絶対に認識不可能なタイミングでの致命的な一撃。誕生と同時に死を送り付ける初手殺しだ。


 結果として六メートル以上の体躯、腕の一払いでビルを簡単に破壊してしまえるだけの膂力と凶暴さを持つ怪異は、他の何よりも前に死を認識し、散ったのだった。


 遅れて、腐臭とケガレに満ちた肉片と呪いで構成されたドス黒い鮮血が周囲に飛び散る。

 真っ黒に染まった渡の髪は、しかし、軽く頭を振るだけで簡単に真っ白に戻った。


 怪異の血肉は触れるモノ全てを腐らせる猛毒であり、そこにあるだけで穢れを撒き散らす。通常であればそんなものを大量に浴びれば即座に死に至る。その為、事前に己に防御の呪術を施すのが常だが、しかし、渡は例外だ。渡に宿る月の権能は、肉体にまで影響を及ぼし、あらゆる呪いやケガレ、毒を無効化してしまう。


『観測班班長より、特班班長へ。丙種怪異タイプ『鬼』出現と消滅を確認。修祓班を派遣する。また本時刻をもって特班メンバーの任務は終了。特班班長を除く他メンバーは本部へ帰投し、ケガレの浄化を』

『了解。特班メンバーは規則に則って帰投するように。以上、解散』

『――ところで、渡くん。本当に観測班に来るつもりはないのかい?』

『……観測班班長お誘いありがとうございます。ですが遠慮しておきます。僕は、動く方が性に合うみたいなので。ひとまず、定期的に応援に行きますのでそれで手を打ってください』

『分かった。だが、気が変わったらいつでも言ってくれ。我々は君をいつでも歓迎する準備ができている』

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