透明人間を消すための方法

三柿にしん

第1話 帰郷と失望

 電車から降りた僕を迎えたのは熱気を帯びた空気。太陽に照らされた年月の経過を感じさせるホームには『鞍玉くらたま駅』の駅名標がぶら下がる。息の詰まりそうだった車内からの開放。深く息を吸うと覚えのある磯の香りが鼻をくすぐる。久しぶりの街の匂いは昔と変わっていなかった。

「ただいま」

 誰にも聞こえないように小さく呟く、懐かしの故郷ふるさとへ向けて。

 目線の先、地面より少し高さを持って作られたホームからは建造物の隙間を縫って海が見える。まだ幼稚園にも通っていないぐらいの幼い頃、肩車してもらって見ていた海は自分の高さだけで十分に見通せてしまっていて、僕自身の成長を感じる。だが、それと共に不安がよぎってしまう。

 あの頃と違う自分のように、この街も変わってしまっているのではないかと。ただそれだけ。変化は当たり前のこと。それでも、自分がそれを受け止められるのか。いや、そうじゃない。この地は再び自分を受け入れてくれるのか、それが少しだけ怖かった。


 H県南部に位置する、人口3万人足らずの静かな港町。かつて、そこの一員だった僕が幼少期を過ごした思い出の地、鞍玉町。引っ越してから一度も戻ることはなく、実に十数年ぶりの帰郷となった。今は大学の夏休み。この帰郷も自分のルーツを見つめなおす自分探しの旅のようなもので、たいそれた目的はない。でも、たまには郷愁に背を押されてみてもいいんじゃないか、そう思って。


 気づけば乗ってきた電車は彼方で、ホームには自分だけが残されていた。そこでようやく我に返り、改札へ向かう階段を目指しホーム上を進む。片道3時間の長旅の区切りをつけ、街に帰るべく。

 ずっと改装されていないであろう階段。摩耗したそれから一歩降りる度に感じる反発力は存外心地よくて、気分が高揚していく。降りきる頃にはさっきまでの不安感はどこかへ行ってしまったようだ。きっと大丈夫、杞憂だったと。そう思うことにして、見えてきた改札を抜ける。学割でいくらか安くなった切符は問題なく飲み込まれ、引き換えに外へ出る許可を得る。そしてこの街と過去の自分に向き合うために一歩踏み出した。


――― 十分後

 駅北口の先、そこはバス停が等間隔に並ぶロータリー。中央には時計、それにパイプと鐘がくっついた奇妙なオブジェが位置している。パイプの先端から飛び散る水沫が涼しげだ。たしか一時間ごとに鐘が鳴り、噴水ショーもどきをやっていたっけ。まぁ、時計は二時過ぎを指していて、しばらくはそれを拝むことはないのだろうが。

 それよりも、だ。目を奪われたのはその後方。垂れ幕を吊り下げる巨大な柱状の物体。名前は知らない。だが、そこには、

『ようこそ!透明人間の街 鞍玉へ!』

などとデカデカと主張する垂れ幕が掲げられていた。

 思わず足を止めてしまうが、僕は目を背ける。自分の故郷が得体の知れないものを祭り上げていることを認めたくないという、その一心で。しかし、そんな僕とは対照的に、街ゆく人は『透明人間』という単語に気を留めるでもなく、当たり前であるかのように過ごしていた。それすらも目に入れたくなくて。僕は視線を足元に落とすことしかできなかった。

 右手側、日当たりが良いためか空いているベンチへうつむき加減で向かう。そして明らかに背負っている荷物以上の重さを感じ、そこにへたり込む。崩れ落ちる身体、手には握りしめたビニール袋。先ほど買ったそれには大きく『鞍玉銘菓くらたまめいか 透明人間まんじゅう』の文字がプリントされていた。

「なんであんなものが……」


 この街は僕の知っている故郷ではなくなったらしい。本来なら悲しむべきところなのだろうが、『透明人間』という言葉がそれを許してくれなかった。あまりに馬鹿馬鹿しくて、理解ができなくて。求めていたはずのノスタルジーは消え去っていた。

 逃避するように、袋から取り出した『透明人間まんじゅう』を頬張る。甘い。昼食も取っておらず、疲れた身体に染みわたっていくようだ。なにが透明人間だと思っていたが、「おいしい」というのが正直な感想だった。

 ヨモツヘグリ。咀嚼し飲み込んだ拍子に、そんな言葉が脳裏をよぎる。これを飲み込んだ時点でここにを受け入れられてしまったような。何となくだが、そんな感覚に襲われる。僕はまだ受け入れていないはずなのに。

 それを拭い去るように、もう一つに手を伸ばす。手にした半透明の皮のまんじゅう。その見た目も味も、自分が知る限りではそれが水まんじゅうであるであるはずのものだった。

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