『センセイ』

茉莉花 しろ

愛する生徒たちへ

 塾の先生は、センセイと呼ばれる職業の中でも優先順位が一番低い。

 

一般的に先生と呼ばれる職業の人たちはお堅いイメージがあり、人々を助け、正しさへ導く人たちだ。私が生業としている塾講師とは、かなりかけ離れている。


 更に言えば、必ず必要とされる学校の先生や医者、政治家などの『先生』と呼ばれる人たちとは違い、目に見えないものを売り物にしている私たちにお金を払う必要がある。本当に成績が上がるかどうかも分からない状況で、慎重に慎重を重ねて選ぶのだ。


 医者や政治家はともかく、学校の先生は毎日でも会うが塾のセンセイはそうはいかない。お金を払って、学校よりも短い時間でしか関わらない。そんな職業で生きている私たちは、本当に先生と呼ばれるのに相応しいのだろうかと何度も考えたものだ。


 そんな私は、一つ塾の中で一人のセンセイとして働いている。


業務委託の形で契約をされていることもあり、他の従業員よりも多く授業を持つこともできる。多くの授業を任せてもらえることは大変ありがたく、自分が信頼されている証だと信じたい。


 さて、私はいかにも真面目な人間のように書いているが、実はそうでもない。その理由は、センセイを選んだ理由が『学校のセンセイが嫌いだから塾講師を選んだ』だからだ。

 

きっと日本のどこにでもセンセイ嫌いの子供や大人はいるだろう。子供の時に植え付けられた記憶が未だに頭の端っこにこびりついて離れないのではないのだろうか。私がその典型的な例だ。


小学生では特にそのようなことを思うことはなかった真面目な生徒だった。しかし、中学生に上がった時に全てが崩れ去った。自分が悪いと言われたら何も言えなくなってしまうが、『センセイは正しい』という思い込みがガラガラと音を立てて瓦礫の山になってしまったのだ。


 そんな私がセンセイとして数年が経っただろうか。あっという間のようで、まだ数年しか経っていないのか、と思うことの方が多い。それほどまでにセンセイとして生活している時間が長いのだろう。


 私が勤めている塾はどこにでもある個人指導の塾。詳しくは書くことはできないのだが、一人ひとりに合った指導方針で日々奮闘している。個人指導とは言っても、生徒によって進める速さも科目も異なってくる。


頭の中に生徒の情報を叩き込み、彼女らの趣味や人間関係、苦手科目、過去に話していた内容や癖なども頭の中に一通り入っている。そこまでしないといけないのかと言われたらそうでもない。なぜなら、冒頭で話した理由があるからだ。


 では、何故そのようなことを思ってしまったのか。それは、塾を簡単に休む生徒が多いからだ。私が担当している生徒がそのような子が多いと言うのもあるだろうが、何も言わずに『行きたくない』と言う理由だけで休めてしまう。これを優先順位が低いと言わずに何と表現した方が良いのか是非とも教えて欲しい。

 

この事実について悲しいかと聞かれたら、私は「寂しい」と答える。傷ついているかと聞かれたら、「そうでもない」と答えるだろう。この狭間にある小さな感情は、きっと塾講師にしか分からないものだと思う。


長年働いている方々にとっては当たり前のことであり、特に悩むことではないのかもしれない。しかし、私だって、センセイだって人間なのだ。寂しいと思う感情くらい、あるに決まっている。


しかし、それを生徒に言うかと聞かれたら「言えない」と答えるだろう。「言わない」ではなく、「言えない」のだ。お金と場所、そして知識を提供している商売なのだから、これくらいのことは自分の胸の奥に閉じ込めておくのが一番の平和的解決なのだろうと常々思うのだ。

 

だが、しかし。そんなセンセイでもできることはあると私は思っている。


数時間しか一緒にいられないけれど、学校の先生よりは距離が近い。親や友達に言えない相談が言えたりする。他にも、学校の先生と違って成績をつけることをしない。それゆえに友達感覚に近い会話ができるのだ。


 それに加え、学校の先生とは異なった考え方を見せることができる。『教える』という言葉を使わないのは、相手に強制をさせたくないからだ。不真面目な私でも基本的な教育方針はある。


それは、『自分で考えて、自分で選ぶこと』だ。


いわゆる、自主性と呼ばれるもの。しかしこの言葉は実に便利だ。『自主性を育む』と言って何もしないことができてしまうのだから。だが私は断じてそんなことをしていない。悩んでいる時に話は聞くし、アドバイスもする。


これは、勉強だけでなく全てのことに対して言えるのだが、一通り話を聞いてから「あなたはどう思ったの?」と聞いている。内気な子だとしばらく黙ってしまうのだが、そのうち話し出すのだ。自分が考えていることを思いつくままに話していくと、意外と自分の意見を持っていることに気が付く。


もし実現不可能なことでも、それに近いことを見つけると実現できる可能性は十分にあると気づく。「私の子は人見知りであまり話さないんです」と言って気にしている親もいるが、それはただ考えている時間が長いだけだと思う。


または、本当に分からないがそれを自分の口で言えないか。私の経験では五分五分ではないだろうかと考えている。


 ではなぜ私がこんな時間がかかるようなことをしているのか。それは、『自分が先生にされて一番印象に残っていたことだった』からだ。私は根っからの学校嫌い、先生嫌いで未だに嫌悪感を抱いている。


そんな私でも学生だったことはあり、何度も先生に助けられたことはあった。


しかし、私の中の先生というのは『自分を守るためなら何でもする』存在。大人なんてそんなもの、なんて生意気なことを思っていた。まぁ今も思っているのだが。


しかし、高校時代に出会った先生は違った。たった一人だけ、その一人の先生によって自分がセンセイを目指すきっかけになったのかもしれない。


 高校時代、捻くれ者の変わり者の私は学校でも部活でもいじめられていた。


主に陰口や無視など、目に見えるものではなかったのだが当時の私は相当なダメージを受けた。どうにかしたかったが、どうにもできなかった。最終的に親の前で号泣し、一週間ほど学校と部活の両方を休んだ。


所属していた部活はかなり厳しいことで有名だったのだが、学校にも行っていないことを聞いた先輩方はさすがに心配していたらしい。しかしそんなことを知るわけもない私は、一人で部活も学校も辞めることを決めた。


どうでも良かったのだ。


味方なんて誰もいない。


解決方法なんて存在しないと思っていた。


しかし、休んでいる間に担任の先生が私を学校に呼び出した。『少しだけでいいから話をしたい』とのことだった。その時の担任の先生はかなり厳しいことで有名。怒った時は誰よりも怖いと評判だった。


私は「どうせ怒られるんだろうな」と思いながら嫌々学校に行ったことを今でも覚えている。だが実際に会った時に言われたのは、とてもシンプルだった。


「本当に学校を辞めるのか」だった。


私は頷き、下を見ていた。


逆光だったこともあり、担任の顔が見えなかった。


これ以上話したくないと、早く帰りたいと思っていた。


だが、担任は続けた。


「まだ、諦めるには早いんじゃないか」と。


何を言っているか分からなかった。そしていじめの主犯格を聞いてきた。私はポツポツと話し、もう一度下を向いた。


本当に惨めで、どうせこの先生も何もできないだろうと思っていた。私が帰りたがっているのが分かったのか、最後にこれだけ言っていた。


「もう一度、学校に来ないか? 俺は、待っているからな」だった。


これが何を意味しているのかその当時は分からなかったのだが、紆余曲折あり私は一週間ぶりの学校に行った。すると、何事もなかったかのようにいじめはなくなり、無視されることも陰口を叩かれることも無くなっていたのだ。


 この事件から今年でちょうど十年が経つ。十年経った今でも私は覚えている。これほどまでに生徒に寄り添ってくれる人はいなかった。それに加え、最後の選択肢を私に差し出した人はいなかったと。中学の時でさえ、「必ず来なさい」と無理やり連れて行かれたのに。


本当に、不思議だった。


 今なら分かる。人を動かす時に無理やり動かしては人間は同じことをする。これは子供大人関係なしに共通していることだと思う。自分で選択することにより、責任を持つこともできる。


それ以上に、選択したことにより自信がつくのだ。


「私はできる」と。


本当にこのような意味があったのかは今でも分からない。そして、彼は私がいないところで動いてくれていたことは後ほど友人伝えで知ったのだ。


 この経験をした私は、自分で選ぶ重要性を知った。高校卒業してからも、自分で考え、自分で選択することにこだわった。変なこだわりを持っていると思われていたかもしれない。しかし、それが今の塾講師としての私に繋がっているのだ。


 それでも生徒は私の想いに気が付くことはない。


いや、一生気づかないのかもしれない。


何せ、私たち『センセイ』は優先順位が低いから。


それでも私は仕方がないと開き直っている。何かを求める時には、まず自分から与えなければならないと学んだから。そして、自分で選んだことに責任を持つことの重要さ。


人に選んでもらっていては、いつまでも他人のせいにして成長することなんて一生できないだろう。これを話して一体何人の生徒が理解してくれるだろうか。


 ちなみに、高校の担任が今どこで何をしているのか、全く知らない。


きっと調べたら出てくるかもしれないが、今の私の姿はまだ見せられない。まだまだ半人前のひよっこなのだ。一人前の姿になるのは当分先かもしれないが、学校と先生を嫌いながらも彼とは違う場所で生徒と関わりあっていることをいつかは伝えたいと心から願っている。


 最後に、私たち塾のセンセイは優先順位が低い。


それはきっと私の中では一生変わることはないだろう。


でも、そんな私たちでもできることはある。


陰で支えることの大変さ、そして彼ら彼女らの青春の一ページに入っていることの重要さ。


これから先、こんなことを誰かに言うことはないだろうが、あなた達の青春の一ページに入れてくれてくれることを、心から感謝している。

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