第44話‐天狼族の大英雄②
「確かこっちの方だったな、アイツらが吹き飛ばされた辺りは!?」
「えぇ、おそらくは!」
息せき切って走るジャン達は、すっかり変わり果てた都市の瓦礫跡を見回しながら、ウィータ達を探していた。
「……あぁ、もう! 千年前の大英雄が相手って、どうなっているんですか、今回の任務——」
その時だった。思わずカルナが愚痴を溢した瞬間、その言葉を遮るように何かが近くに吹き飛ばされて来たのは。舞い上がった砂埃に咳き込んだジャン達、その中から現れた二人——ボロボロのウィータとシーの姿を見て、三人は驚愕した。
「シー様、ウィータさん……! 生きてましたか……!」
剣に変身したシーを右手に持つウィータ……どうやら致命傷は無いようだが、左手がダラリと下がり、かなりの量の血が滴り落ちている。鋭く何かを睨みつける彼女の様子と、その尋常ではない様子を見てジャンとカルナは訝しんだが、ディルムッドだけは、ひとまず五体満足な二人の様子を見て喜んだ。
——そう。ここが戦地である事も忘れ、警戒心を解いてしまったのである。
「っ! あぶないっ、ぎちょーさん……!」
「……っ? ——がっぁぁはっ……!!?」
それに気付いたウィータが咄嗟に叫ぶが——遅かった。いつの間にか現れたベオウルフにより、まるで石ころでも蹴飛ばすように腹を蹴られたディルムッドは、近くの瓦礫に叩きつけられ、そのまま気絶した。
「ディルムッド様……!!」とカルナが叫ぶ。ジャンもディルムッドの安否が気になり視線を一瞬だけ向けるが、彼に駆け寄る隙も無く、二人は目の前の存在に釘付けになった。
「……」
こちらを気に掛ける様子はなかった。ジャンとカルナには一瞥も暮れず、ベオウルフはウィータとシーの姿を見るや否や、凄まじい速度で迫る。一瞬で彼我の距離を縮めると、上から叩きつけるように剣を振り下ろした。
「ぐぅぅぅぅぅっっ、ぁぁああああああああああ……っっ!!」
轟音。剣の腹で受け止めるも、苦し気に叫んだウィータは一瞬で膝を着かされる。
衝撃で足がメリ込み、ギリギリと圧し込まれ続ける小さな体躯から、骨の軋む音が鳴り響く。……避ける間もなく、往なす隙も無く、ただ受け続ける一手しか選択肢が無い——そんな切羽詰まった表情で、ウィータはひたすら耐え続けた。
「……がぁっ!?」
その硬直状態を煩わしく思ったのか、ベオウルフがウィータを蹴り上げる。
彼女は後方へと吹き飛ばされるも、歯を食い縛って体勢を整え地面へと着地——
すかさず放たれた横薙ぎの一撃。思い切り剣を振り、何とか弾き返す。
しかし、当然そこで攻撃が止む筈も無く——。
「——————~~~~~~~~ぅぅぅぁぁぁああぁぁぁぁっっっっ!!?」
次の瞬間、始まった凄まじい剣戟の嵐に、ウィータは半ばヤケクソに叫びながら、死に物狂いで弾き、往なし、受け止め、受け止め、受け止め——。
「くぅぅぅぅぅぅ、ぁぁ……っっ!!?」
すぐに限界が来た。
凄まじい速度、凄まじい力、凄まじい技。
全て、全て、全てがこれまで戦ったどんな存在よりも桁が違った。
ベオウルフの連撃にすぐに限界が来たウィータは、下から抉り込むようなベオウルフの斬撃を受け止めきれず、無事だったもう片方の腕を切り裂かれる。
「……」
「避けろっっ!! ウィータぁぁぁぁーーー!!?」
ダラリと下がった腕。剣に変身したシーを持っていられず、シーが地面に転がる。反射的に小さな狼の姿に戻ったシーが叫ぶが、既に遅い。絶望の表情でベオウルフを見上げたウィータを、ベオウルフは無造作に振るった裏拳で吹き飛ばした。
瓦礫へと突っ込んだウィータは、そのまま地面へとうつ伏せに転がる。しかし、砂埃の中から手を翳し、虚ろな瞳でベオウルフのいた方角を見た。吐血しながら「【泥鉄を、打つ……赤髭の、かま、ど……】」——と、魔法の詠唱を始める。
「——【赤熱す、る】……っ」
しかし、その言葉が続くことは無かった。
視界がぼやけているのだろう。いつの間にか自身を覆った影に気付いた彼女は詠唱を止め、
「やめろぉぉぉぉぉぉっっ——!!?」
シーの叫び声が響いた瞬間、上げられた足がウィータの身体へと降ろされた。
地面に減り込む程の力で踏みつけられた彼女は、叫び声を上げる余裕すらなく、「かっ、は——」と、そのまま動かなくなった。
「……」
「ウィー、タ……」
消え入るような声で相棒の名を呼んだシー。今度はお前だとばかりに、呆然とする彼をへとゆっくり視線を向けたベオウルフは、
「——俺を無視とは余裕だなっ、大英雄っ!!」
そのガラ空きの背中を見逃す程、ジャン・フローベルは馬鹿ではない。
巨大な大剣で、彼は嵐のように全身を回転させ、掛け値なしの全身全霊による縦の回転切りを放つ。
次の瞬間、空気を薙ぐ剣圧がベオウルフに襲い掛かった。
「……」
「……っ、今のは……本気で殺す気だったのだがなぁ……っ!?」
まるで、蚊でも潰すように。涼しい態度で。大英雄は立っていた。
——たった……
邪神の眷属ベオウルフは、ジャンの大剣を
「……っ!!?」
ベオウルフは摘まんだ大剣を地面へと振り払った。大剣の重みに引っ張られる形で前につんのめり体勢を崩したジャンは、フリーになったベオウルフの拳に顔面を殴られ、冗談のような飛距離を吹っ飛ばされた。
ディルムッドと同じように瓦礫に突っ込むと、そのまま気絶する。
「——【
吹っ飛ばされたジャンと入れ替わるように、カルナの声が響く。ベオウルフが声の聞こえた方へ目を遣ると、既に詠唱を終えた彼女の手にあった
「……っ!!?」
その暴風を——ベオウルフは叩き斬った。
より正確に言うのであれば、横薙ぎに振った剣。それによって起きた風圧だけで暴風を吹き飛ばしたのである。ただの風圧だけで魔法を掻き消すという信じられないような光景を前に、カルナは驚愕の表情を浮かべる——
周囲の瓦礫と一緒に空中へと投げ出された彼は、瓦礫の向こう側へと消えて行った。
「……」
皆、一撃。名立たる猛者である彼らを、大英雄は赤子の手を捻るよりも容易い態度で打倒して見せた。シーはその光景を呆然と見る事しか出来なかった。
あれだけ豪胆で、高潔であり、そして優しかった相棒の皮を被った何か。
それが、いま自分の目の前にある光景を作り出しているという事が信じられない。
『大英雄ベオウルフは、紛れも無く邪神の眷属となってしまった』——そんな事実が、否応なしにシーへと襲い掛かった。
「……げほっ、げほっ……っ!?」
「……っ! 大丈夫か、ウィータ!!?」
少し離れた位置で気絶していたウィータが血を吐きながら、立ち上がろうとする。良かった、まだ生きている、と。喜びに弾かれるようにシーは叫ぶ。しかし、力が入らないのか、再びパタリとその場に転び、また立ち上がろうとその身を屈める。
——もう限界だ。立つ事すら儘ならない。
既にウィータが戦える状態では無い事を悟った彼は、自分を見下ろすベオウルフのへと視線を遣る。何故か襲ってくる様子もなく、まるで『相棒との最後の別れを済ませろ』と言わんばかりに見下ろして来るそれを前に、シーは恐る恐る背を向けながらウィータの元へと走った。
「かはぁ……ひゅぅ、ひゅぅ……っ、っ……」
「……」
改めて確認したウィータは、生きているのが不思議な程の状態だった。
真面に呼吸すら出来ていない。両腕は赤く腫れ上がり、あちこちに青黒く腫れた打撲痕、さっきの転び方を見るに脚の骨も何か所か折れている。吐血もしていた……間違いなく、内臓にもダメージがあるだろう。
満身創痍。正にそんな言葉がピッタリの状態。
シーは震える瞳でウィータを見下ろし……ベオウルフとを交互に見ると、一瞬だけ沈黙する。そして、「……ウィータ。今からオレが言う事を良く聞け」と、覚悟を決めた様子で口を開いた。
「——今までの事は全部忘れて、ウィータはこのまま逃げるんだ」
「……え?」
「契約はここまでだ。後の事はテメラリアを頼るんだ……いいな?」
シーの言っている事が信じられないとばかりに、ウィータは驚いた表情をする。
「……なに、言って、るの……シー、ちゃん? そんなの、のんさーだよ……」
「……このまま戦えば確実にウィータが死ぬ。ウルの狙いはオレだ……だから、オレから離れればベオは襲って来ない。だから見捨てて逃げるんだ」
「のん、さー……」
「~っ……じゃあオレが離れるっ。ウィータはこのまま寝てろ!」
「だ、め……シー、ちゃん……」
ボロボロの状態で手を伸ばして来るウィータを無視し、シーはベオの元へと走った。零れそうな涙を堪えるあまり僅かに潤んだ瞳で、その存在を睨みつけ、四本の脚で仁王立ちする。
「……来いっ、ベオ! オレが相手だ!!」
そう叫んだシーの覚悟を受け取ったのか、ベオウルフはゆっくりと
「……」
ピクリと、その手が止まった。興が覚めたように、その剣を下ろす。
何故か? 理由は単純だ。
小さな天狼族の少女——ウィータが、両手を広げて立ちはだかったからである。
「……なん、で——」
「——やくそく、した、から……」
自身を守るように立つ少女を、信じられないものでも見るようにシーは見た。
「……『いっしょに、せかいを見に行こう』って……やくそく、したから……」
「……」
「まもって、もらうからね……言葉はいつか、運命に、なるんだから……」
覚えている。忘れるわけがない。
だって、あれが……あれこそが自分とウィータを繋ぐ一番強い絆なのだから。
「……ぁ、ぐぁ……っ」
「……っ! このやろ——がぁっ!?」
もういいだろうとばかりに、ベオウルフがウィータを軽く手で払う。その場に転んだ相棒の姿を見て、シーはギリリとかつての相棒を睨むが、振り抜かれた
切り口から
「かはっ——」と、シーから空気が吐き出され、その身体に刃を突き立てんと、両手で柄を握り、ゆっくりと上へ上げた。
「……」
足元に違和感。シーへの止めを阻止しようと、足にしがみ付く者がいた。
——ウィータだ。
「……シー、ちゃん……を、はなせ——っぁ……っ」
後ろに振った足でウィータを蹴飛ばすベオウルフ。鼻から血を垂れながしながら地面に突っ伏した彼女を確認し、再びシーへと意識を戻す。
「……」
しかし、コツン、と。背中に何かが当たる感触。ベオウルフが後ろを振り返ると、地面の小石を拾って投げて来るウィータが見つける。投げる力も残っていないのか、二投目の投石はベオウルフに届かず、コロコロと地面に転がった。
「……」と、無言でその姿を見たベオウルフは、不意に
「……っ! ……止めろ……ベ、オっ……! その子は、関係……ないっ!!」
右手に握った
「ぁ——」
次の瞬間、シーの眼に映ったのはウィータの心臓を串刺しにした
貫通した刃を抉るように引き抜き、まるでゴミでも捨てるようにウィータを投げ捨てたベオウルフ。今度こそ止めを刺さんと、彼はシーの方へと足を進め出した。
「……ウィー、タ……」
迫って来る死神に目も暮れず、シーは地面に転がったウィータを見ていた。
地面には夥しい量の血溜まりができ、その両の瞳からは既に光が完全に失せている。ピクリとも動かなくなった相棒の姿を見たシーは、何も言葉にする事が出来ず、ただ全身の力が抜けて行くような感覚を感じていた。
相棒を失った絶望感ゆえにか。それとも——。
折角、未来を見れたのに、もうここで終わりだというやるせなさ故にか。
(あぁ、クソ……
答えは、そのどちらでもない。
——文字通り
ベオウルフが死んだあの日と同じだ。契約者が死に、
(ちくしょお……こんなのって無いだろ……)
薄れゆく意識。暗くなって行く視界。
全ての感覚が緩やかに世界に溶けて行く現実を自覚しながら、彼は祈った。
(誰でもいい。せめて……せめてもの救いを、あの子に与えてやってくれ……)
彼はただ物言わぬ死体となったウィータへと手を伸ばしながら祈った。
あの時と同じように……誰かへ届くように——。
「……すまない、ウィータ——」
しかし。今回はその声を聞き届ける者はいなかった。
——自分へと振り上げられた刃。
振り下ろされる所を見たくなくて、シーはゆっくりと目を閉じた。
_____________________________________
※後書き
次の更新は、4月23日20時30分です。
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