第29話‐女神が見守る晴れの日に①
※前書き
今話からが『第四章・嵐の前の
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季節は春、一年一二ヶ月ある内、女神エオストレが見守る第四の月である。
時刻は朝の雲雀が鳴き止み始めた時頃……時間も時間ゆえか、この時期にはよく見られる早朝特有の少し気温の低い肌寒さは既に薄れ始め、春らしい穏やかな温さが周囲の空気を撫で始めていた。
段々と日が昇り始めた空には、雲一つ無い青が澄み渡り、また、その蒼穹の中で悠々と座す太陽が、心地よい日差しをラッセルに齎している。
「——『女神エオストレが見守る今日この日に、貴方は母なる大精霊の元へ還る。しかして恐れることは無い。貴方の旅路に連れそう女神は、貴方の牧者。貴方は乏しいことはない。女神は貴方を緑の牧場に伏させ、静かな水辺に導いてくれる。女神は貴方の
その温かな日差しが見守る空の下、一冊の分厚い書物を手に取るカルナが、普段の態度からは想像がつかない程に御淑やかな様相で、書物に書かれた聖句を紡いでいた。
場所はラッセルの南東区にある墓地、幾つもの墓石が建ち並ぶ場所である。その内の一角で、正教会の祭服に着替えたカルナは、数人の男達に埋められるマックス・ムスターマンの入った棺桶に向けて、その黄泉の旅路を祝福していた。
そこから少し離れて霊体化したシー、ジャン……そして、少し納得いかない表情で唇を引き結び、眉根を寄せて棺桶を睨むウィータが立っている。
何故わざわざあんな奴の為に埋葬式を……と、シーも正直思わないでもないが、仮にも正義と民衆の事象を司る女神ユースティアを信仰する者として、人の死に際を目の前にして、聖句を唱えない訳にはいかないのだろう。
場の成り行きで参列してしまったが、ウィータの暗い顔を見る限り、やはり出ない方が良かったかもしれないと、シーは少し後悔した。
「『非道なる人生、悪逆の路に生きた傭兵マックス・ムスターマン……その贖罪の旅路は長い事だろう。辛い事だろう。しかし、貴方の旅路に連れ添う女神は、貴方の旅の指針となるだろう。祈りをここに。その長き黄泉の旅路に、どうか祝福よあれかし』——」
マックスを埋め終わった頃、聖句を読み終わり、手を組んで祈りのポーズを取ったカルナが瞑目する。それに倣って周囲の人々が祈る中、少しだけ躊躇うように手を組もうしたウィータだったが、すぐ思い直したようにその手を止めた。
十数秒ほどの時間が過ぎ、「——では、これでマックス・ムスターマンの埋葬を終わります。彼の死後は女神エオストレに導かれ、贖罪の旅路の果てに安らかなる事が約束されるでしょう」という一言を残し、カルナが締め括る。
それが終わりの合図だったのだろう。もともとマックスの友人や傭兵仲間が集まった埋葬ではなく、他の犯罪者の合同葬儀に合わせて行われた埋葬式だ。人も少なく、その少ない人々も皆、一礼だけを残して他の埋葬者の埋葬準備を始める。
「……あんなヤツのために、なんでここまでするの」
そんな中、ウィータがポツリと呟いた。
「……アイツ、すっごい悪いヤツだったよ」
やはり、納得いかなかったのだろう。昨夜、自身が手に掛けた相手がどれだけの悪人だったのかは、ウィータが一番知っている筈だ。そんな人間がここまで手厚く葬られる事に、些かなりの
しかし、相手は故人。そして、義務的なものとはいえ、これは埋葬式だ。
「自分達は仮にも正義と民衆の女神ユースティア様に仕える修道騎士ですからね……幾ら相手が悪人でも、目の前で死んだ人に、死後の路を示さ無い訳にはいきません」
しかし、その言葉を聞いていた人物——カルナは、寧ろ優し気な声音で溜息交じりに微笑み、その疑問に答えた。
「……」
「神の慈悲は平等です。是非善悪、正道、邪道を問わず、須らく全ての生命に神々は祝福を齎してくれます……だから、自分たち修道騎士は、主の代行として死者が死後に迷わぬよう、道標を指し示さなくてはならないんです。……少なくとも、自分は兄上にそう教わりました」
「……、……何それ」
ひたすらムスッとした表情で黙っていたウィータだったが、そんな態度にも呆れずに、少し茶目っ気を出しながら言葉を続けたカルナ。まるで幼い子供を諭すように言葉を続けた彼女だったが、ウィータは納得いかなかったらしい。
表情を険しくしたウィータは、少し苛立った口調でカルナに言い返した。
「……お兄さんに言われたから、あんなヤツのためにここまでするの?」
「……そうではありません。どんな人にでも救いがあってもいいという事を、自分は伝えようとしただけで——」
「——神様はどんな人でもすくってくれるの? じゃあ、何ですくわれない人がいるの? アイツに殺されかけた時、神様はわたしのこと救ってくれなかったよ」
どんどんとヒートアップしていくウィータ。少しいじけたように頑なな態度を崩さない彼女を、カルナも少し困ったような表情を見る。
シーは『……おい、ウィータ。その辺にしとけって——』と、二人の間に割って入ろうとするが、聞く耳持たずのウィータはそのまま言葉を続けた。
「もういいっ!!」
「あっ、ウィータちゃん……!」
そのままどこかへ駆け出して行ってしまったウィータ。その後ろを追い掛けようとしたカルナだったが、ジャンが彼女の肩に手を置き、それを止める。
「お前はまだ他の埋葬者に聖句を読まねばなならないだろう。小娘は俺とシーが何とかする。お前はここで務めを果たせ」
「……、……分かりました」
そう言って「……行くぞ、シー」と、目配せして来るジャン。ウィータが走って行った方へ小走りで駆け出した彼の後ろへ、『……あぁ、分かった』と短く返事をしたシーも駆け出して行った。
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「……」
やってしまった。そういう自覚はちゃんとあった。
墓地の近くにあった河の畔で膝を抱えながら座っていたウィータは、内心に浮かんだ後悔と自己嫌悪に苛まれながら、口元を引き結んでいた。
『——ウィータ!』
「……!」
シーの声だった。自分を心配して追いかけて来たのだろう。バツが悪くてどこかへ隠れようかと思い辺りをキョロキョロとしたが、こんな開けた場所にそんな所は無い。すぐに諦めた彼女は、せめて視線を合わせまいと、声のした方に背を向けて座り直した。
『ウィータ……こんな所にいたのか。いきなり走ってったから心配したぞ……』
「……、……うん」
『あー、えーと……その、だな……』
「……」
何と言っていいか分からず、膝を抱える手の力が強くなる。何だか顔を見られたくて、ウィータは膝を抱えた手の中へ自身の頭を埋めた。そんな今の自分に遠慮してか、シーは何を言えばいいかと間誤付いていたが……その口から一体どんな言葉が出るのか——、一瞬そんな思考がウィータの頭を過り。
「——みんな、何であんなヤツにあそこまでしてあげられるの?」
そして気付けば、口を突いてそんな言葉が出て来ていた。
まるでシーの言葉を遮るように動いた口元。自覚なく動いたこの口に驚く間もなく、ウィータは、まるで拗ねた子供のように言葉を続ける。
「……アイツ、すっごく悪いヤツだったよ。わたしいっぱいなぐられたし、けられたし、まじゅうのエサにもされかけたし、わたしのしなんしょも取ったし、天狼族のみんなの事も、たくさんバカにして来たし、最後なんかお金で売られて、
『……』
吐き出した言葉の数々には、自分でも気づかなかった恨みが籠っていた。その口振りは頑なで、曲げてなどやるものかという強い意志がふんだんに込められている。
また、やってしまった——。後悔と自己嫌悪が更に強くなる。ただでさえ悪かった空気感が更に淀み、いよいよどんな言葉を言うべきか分からなくなったウィータだったが……今さら止まる事など出来ず、ウィータは言葉を続けた。
「先に一線こえてきたのはアイツ……っ、そんなヤツに容赦なんていらない……! ……あんなヤツ、死んでとうぜ——」
「——まぁ、待て小娘」
「んな……っ!?」
その時だった。ウィータの言葉を遮るように、粗野な手つきで彼女の頭を撫でる大きな手が現れた。ジャンである。驚きで素っ頓狂な声を上げたウィータは、ポンポンと自分の頭を軽く叩き、そして離れた大きな手を視線で追う。
「ようやく顔を上げたか」
「……」
顔を上げると、ジャンは何時もと変わらないその豪快な笑みを浮かべていた。
「……ジャンおじさん
「“も”とは何だ、“も”とは? 俺もシーも別に貴様に小言を言いに来たのではないぞ。ただ貴様が心配になって様子を見に来ただけだ」
「……、……ごめんなさい」
「謝罪は不要だ。最初から怒ってなどいない」
「……うん」
その凶悪な顔つきには似合わない優しげな声で言うジャン。その顔を見て落ち着きを取り戻したウィータは、ケモミミを垂れさせながらしゅんと小さくなると、土埃を払いながら立ち上がった。
そのままシーに向き直ると、「……シーちゃんもごめん。いきなり大きな声出して」と、裾を掴みながらそう言った。
『別に気にしてない。オレの方こそごめんな? 昨日も今日も聞いてやる事しかできなくて』
「……ううん。大丈夫。言いたいこと言ったらスッキリしたから。聞いてくれてありがと……。——わたし、カルナお姉さんにもあやまって来るね」
「おう、わかった」
先程の悪い空気感が少しだけ緩和する。しかし、やはり居心地が悪い。ウィータは逃げるようにして去る口実を作ると、そそくさとその場を後にする。
『……ぁ、と……』
背中にシーの心配そうな視線を感じたが、何かを言われる前に足取りを早くした。
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※後書き
次の更新は、4月10日20時30分頃です。
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