幕間‐夜の帳

 「……あぁ、ぁぁああ……っ!」


 傭兵たちが神器奪還の為に都市中を奔走している頃、エドモンド商会ロッジの敷地内にある白亜の塔では、不気味な呻き声が広く塔の内部を反響していた。祭壇の上で蹲った男——黄金の神・ミーダスが、全身を掻き抱くように丸まりながら、込み上げる苦痛に震えている。


 「エド、モンドぉ……っ! 金を……信仰を捧げろぉ~……っ」


 全身から立ち昇る青い霊子マナの光。


 燐光となって消えて行くそれらを必死に抑え込むようにも見えるその姿は、痛々しく、また凄烈せいれつである。およそ神と呼べるだけの威厳を持ち合わせぬ様相は、親鳥に間引かれ、巣を落とされた鳥の雛に似ていた。


 「エドモンドぉ~……エドモンドぉ~っ……!」


 ミーダスが自らの眷族たる男の名を何度も呼ぶと、塔から離れた本邸の方から、慌ただしく袋に金貨を詰める男の気配を感じる。


 霊体アニマを通じて伝わって来る眷族の焦燥感、恐怖心、そして自分への義憤の感情に腹立たしさを覚えながら、しかし現在のミーダスには、それを咎める余裕さえも残されてはいない。


 ただ神という肩書と、神という存在が持つ力を傲慢に振るい、惨めに人間という矮小な存在に縋りつく事しか出来ないのだ。


 「早く……はや、く……金を……信仰を……っ——」

 「——苦しそうだな、友よ」


 ミーダスが泡を吹いて更に小さく蹲った——正に、その時であった。


 「君の愛しい眷族でなくて済まないね?」


 ゾっとするような声が響き渡り、ミーダスは藻掻く事さえ忘れてハッとなる。


 緩慢な動きで背後へと視線を向けると、いつの間にかそこには襤褸切れを纏った黒い男が立っていた。


 修道の為に食事を絶つ僧官もいると聞くが、突如として現れたその男は正に、そのような姿をしている……罅割れた炭のように黒い肌と、骨と皮だけの痩せ細った肉体——見るもみすぼらしいその姿を見た時、初見の者は、彼があの最悪の邪神ウルなどとは信じ無いだろう。


 「……何の、用だ……ウル?」

 「ククク……棘のある言い方は止めてくれよ。私たちは友じゃないか? ……なに——君の苦しむ声が聞こえたのでね? 気を紛らわせればと思って、雑談をしに来ただけさ」

 「……冗談は、止めろ……。今の私に……お前の、与太話に……付き合う余裕があるように見えるのか……? ——用、が……あるなら、早く……言えっ」


 重い全身を起こし、何とか膝を抱えて座り込むミーダス。息を絶え絶えにしながら何とか言葉を紡ぐと、何が可笑しいのか、ニィ——と。


 不気味な笑みを浮かべたウルが「話が早くて助かるよ」と、言葉を続ける。


 「君とっても無関係なことでは無い。——変身の大精霊シー・・・・・・・・が永い眠りから・・・・・・・目醒めた・・・・、と言えば……分かって貰えるだろう?」

 「……っ!! シー、がっ……目覚めた、のか……っ?」


 ウルの口から出た言葉に、ミーダスは驚きを禁じえずにはいられなかった。


 変身の大精霊シー。


 邪神ウルを討伐する為にとある聖神の神器の一つを模して造られた神造の精霊であり、多くの神々が自らの霊体アニマを捧げて産み出した最強の大精霊である。


 その自らの霊体アニマを捧げて彼を産み出した多くの神々の内の一柱であるミーダスにとっては、我が子のようでもあり、自らの半身のようでもあり……そして——。


 今この瞬間、自分がこの悲惨な現状に陥っている遠因でもある憎き存在・・・・だ。


 「そう、か……だから、お前は、この都市に来たのか。シーを、殺す為に……」

 「いやいや、それは偶然さ? 一番の目的は消えかけている同胞を救いに来たんだよ。同胞が苦しんでいるというのに、私が見て見ぬフリをする訳がないだろう? 私が足繫あししげくここへ通う理由も分かって欲しいものだね」

 「……ハハ、どうだか。お前が、自分を殺す為に、自らの魂まで捧げた奴に……手を差し伸べる程のお人好しなら……お前は邪神などとは、呼ばれてはいなかったと、思うがな……?」

 「……」


 感情の色を見せぬ張り付けたような笑みを湛えるのウルへ、ミーダスは皮肉交じりに一言を返すも、然して気にした素振りも見せない邪神。どこか軽薄さを感じるその口調からは、真意が読み取れない。


 「——いや、すま、ない……ウル。今のは、軽薄だった……」

 「別に、気にしてはいないがね」


 だが、その内心に渦巻く感情の名前を知っていたミーダスは、自らの口から出た言葉に、僅かな自己嫌悪に陥りながら彼へと視線を向ける。


 不気味な笑みを湛えたままの邪神へ、ミーダスは溜息交じりに言葉を続けた。


 「……それで? 私、に……何をしろというのだ?」

 「君の眷族を駒として使わせて欲しい」

 「私の……眷族、だと……?」

 「あぁ……見ての通り、私の力は毛ほども戻っていなくてね? 神器を取り戻すまでは、面倒な搦手を使う必要があるんだ。——君には、その助力を願いたいんだよ」

 「……」


 意図の掴めないウルの言葉に、ミーダスは怪訝に眉を潜めた。


 「——ミーダス様……! お、遅くなりまして申し訳ございません! 少々、議会の方で例のガキの手配書に関してトラブルがありまして……。片が付きましたので、金を捧げに参りまし……えっ。え、と……?」


 その時だった。


 塔内の静寂を破るように開け放たれたドアの向こう側から、言い訳がましい言葉を羅列しながら、媚びるような声で、一人の男がズタ袋の中をジャラジャラと擦れさせながら現れた。


 「そ、そちらの方は……誰でしょうか?」と、ミーダスとウルを交互に見たその男——エドモンド・オズワールは、自らの主神の機嫌を損ねまいと、引き攣った愛想笑いを浮かべる。


 「やぁ? 初めまして、エドモンド」

 「ぅ……ぇ?」


 彼らの間に漂った一瞬の間を破り、突如として宙に浮いたウルは、ゆったりとエドモンドの元へと飛んで行く。得体の知れない存在を前にして、後退りしたエドモンドだったが、ウルが手の届く距離にまで移動した所で、尻もちを着いた。


 「私は君の主神であるミーダスの古い友人でね? ——君たち人間の間では、邪神ウルなんて呼ばれている」

 「え——ぁ、……そ、それは……何のご冗談で……?」

 「冗談ではないよ。私はかつて三大英雄に敗北した邪悪なる神——邪神ウルだ」


 その言葉が嘘ではない事を本能的に理解しているのだろう。


 油汗を流すエドモンドの顔が、どんどん恐怖心で青白くなって行く。二の句を告げずに黙っている彼へ向けて、ウルはニッコリと笑いかけた。


 「今日は君にお願いがあってね? 君の主神であるミーダスに許可を貰っていたんだよ。聞いて貰えるかい?」

 「……っ。……わ、分かりました……っ」


 有無を言わせぬ空気感に固まるエドモンドだったが、遅れて言葉の意味を理解したのだろう。思い出したように彼は、何度も首を小刻みに動かす。


 「ありがとう、エドモンド。なに……大したことではないんだ——」


 満足そうに言葉を続けたウルは、最後にこう言葉を囁いた。


 「——君の傭兵団と、君が地下に隠している・・・・・・・・あの魔獣・・・・を……私にくれないか?」






 『——オォォォオオオォォォォォォォォオオオォォオオ……』


 その囁きに釣られるように、地下で一匹の魔獣が呻き声を上げた——。

_____________________________________

※後書き

ようやく『Episode I:逆境の勇者』の折り返し地点まで来る事が出来ました……。

もし、面白いと思って下さった方がいらっしゃいましたら、ブックマーク、感想、レビュー、他にも評価していただけると、今後の創作活動の励みになります!

次回から『第四章:嵐の前の静寂しじま編』が始まりますので、今後とも読んで頂けると嬉しいです!


次の更新は、4月10日6時30分頃です。

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