第8話 愛は身勝手
マックスは迷って、招待状をギルド長のところに持ち込んだ。ギルド長は頭をかきながら、招待状はマラテスタ家のものだと保証した。
「まあ、侯爵夫人が来いと言うなら、行かないわけにはいかないだろうな。セバスだって? 何回か夫人の屋敷で会ったような気がする。フリージアの方の屋敷の管理人じゃないかね」
そんな訳でマックスは不安でいっぱいになりながら、フリージアの王都まで馬車に揺られてやってきた。
指定された宿では、知らない誰かが待ち構えていて、マックスを着飾らせた。
鏡を見て、マックスは自分でも、痩せてかなり上方修正されて、実にいい男に仕上がったと思った。これなら、もう、嫌われなくて済むのではないだろうか。それに、今や彼は金持ちだ。
「リナに会いたい……」
騎士が一人、無言のままやってきて、全然知らないフリージアの町へ連れ出された時、マックスはもう不安でいっぱいだった。これから何が待っているのだろう。この関門をクリアしないと、今後商売は難しくなるらしいのだが……
恐ろしく大きな建物が幾つも連なった広大な敷地に脇門から通されて、社交的とは言えないマックスでも、ここが普通の場所ではないことに気が付いた。
「もしや、ここは王宮ではございすまいか?」
馬車に乗せられてから、一ッ言も口を利かなかったマックスだったが、ついに小さな声で聞いた。
「そうだ」
案内の騎士は手短に答えた。
自分は何か大きな陰謀にでも巻き込まれたのだろうか。不安で不安で、マックスは我知らずプルプルと小さく震えだし、額には汗がにじんだ。
中に入ると騎士は、マックスを迎えに来た宮廷服の男に託した。
「ああ、セバスさん!」
それはセバスだった。
心細い思いをしていたマックスは、知った顔に会えてほっとして、思わず声をあげた。
セバスはシーッといった身振りをした。
「口を利いてはなりません。見つかると面倒なことになります。こちらへ」
マックスはせっかく着飾ったのに、セバスの服の方が上等なので、ちょっと引け目を感じながら黙ってついて歩いた。
王宮というところは、計り知れない。
やがて彼らが小暗い小さな部屋に着いた。
ここから出ないでください。待っていてくださいね。そう言うと、セバスは出て行ってしまった。
しばらくはおとなしくしていたマックスだったが、隣室との仕切りはカーテンだけだった。緞帳のように厚くて重いが、布一枚で仕切られているだけだ。やがて、人の気配がして、女の声がした。
「リナ、あなたにマックス商会からのお金は、全部譲りたいのよ。マラテスタ家ではなくて、ロビア家がマックス商会と取引すればいい。本来、あの発明品はすべてあなたのものなのだから」
「でも、そうすると、マグリナのギルドから離れることになります。ギルドから離れたらマックス商会は大丈夫かしら。ほかの商店から圧力を受けたりしなければいいのですけど」
マックスの心臓がドキンと鳴った。この声には聞き覚えがある。
「王家の御用商会にすればいいと思うわ。そうすればどこの商会も手を出せない」
年配の女性の声がした。
「あのマックス商会は、良心的な商売をしていると、ギルド長から報告があったわ」
「高値ではなく、貧乏人にも、地方の人々にも、手の届く値段で売ってもらったのです。私も貧乏していましたから」
軽い笑い声が豪華な部屋に響いた。マックスのドキドキは最高潮に達した。間違いない。彼女だ。
「町でジュース売りをしていた王太子妃なんてどこにもいないでしょうね」
マックスはたまらなくなって、緞帳のようなカーテンの間から、部屋の中をのぞき見した。
ほっそりした美しいドレス姿の女性が目に入った。
「あかぎれの薬や、腹痛の薬。つまらないものですけど、仕事を休めない女には必需品ですわ。切り傷だってきれいにしておかないと、化膿して命にかかわることもある。田舎には、なかなかいい薬がいきわたらない。町で売れば、お金持ちが高く買ってくれますが、わざわざ田舎に持っていっても、お金がない人たちばかりだから安くしか売れませんから」
天使は天使のままだ。
言ってる内容も天使だ。マックスは感動した。美しいだけではない。
「私の薬を使ってほしいのです。マックス商会は、必要な人のところへ薬を届けてくれる」
この人には、何か一本筋が通っている。顔立ちが美しいだけではなかった。カーテンの陰からマックスは、リナの顔を一心に見つめた。
本物だった。生きて動いている。その目、鼻、髪。今は静かな威厳が加わったようだ。後光が差している。
「リナ、だから、マックス商会を守れと言っているのよ」
舐めるようにリナを眺めていたマックスは、はっとして我に返った。天使の守護? ではなくて、天使が守護?
「マックス商会が儲ければ儲けるほど、リナのためになるわ」
そうなのか!
ならば!
儲けて儲けて、黄金の滝にして、リナ様に捧げたい。一方で国中の隅々まで薬を届け、国民に健康的な生活を送ってもらうのだ。それが天使様の願いなら。
「俺のすべてをささげたい」
感極まってつぶやくと、
「金だけでたくさんだから」
急に低い声がして、マックスは腕をぐぃーんと引っ張られ、強制的に部屋から出された。
セバスだった。
「ごく内密にお前の願いをかなえたのだ。今日見聞きしたことは、秘密だ」
しかし、セバスがビクッとした。
マックスがさめざめと泣いていた。
「リナ様。マイ天使。なんて気高くて、美しい」
イアンでなくても、これにはイラっとした。
「よいか。これは私の一存で、お前に慈悲をかけたのだ。この話は人にしてはならない。でないと私も首が飛ぶからな。物理で」
「私の天使の願いは全力でかなえるつもりです。天使の願いは私の願い。至上命題です……」
「わかった、わかった。こちらに来るがよい」
そこには真っ黄色な販促商品、商品名を書いたのぼりや旗、紙箱や紙袋などが用意されていて、全部に黒字で「マックスリ」と大書されていた。
「今後はこちらの商標を用いるように」
そして重々しく取り出したのは契約書だった。
「ここにリナ様のサインがある。横に自分の名前を書きたくならないか?」
「えっ? 書きたいです。ぜひお願いします!」
「しかも二枚あって、そのうちの一枚がもらえるぞ?」
「欲しい! 欲しいです! おいくらですか?」
「バカもの。契約書はタダだ。さらに特典として、もう一枚の方はリナ様が持っていてくださるのだ。どう思う?」
「夢のようです!」
あっという間にマックスは契約書に署名して、リナのサインを獲得した。
ブラボー! 生サイン、ゲット!
「では、家に帰ってからでいいので、ゆっくり契約書は読むようにな。それからここにある黄色の販促グッズは私からのプレゼントだ。必ず使うように。それがすんだら、帰ってよろしい」
セバスが一言付け加えた
「リナ様の国民への思いを無下にしてはならない」
「あのっ。私の天使は……」
「お前など手の届かぬ方だ。いつか知る時が来るだろう。今はまだその時ではない」
「ジュース売りの姿をしていましたが?」
「身をやつして民衆の間に混ざっておられたのだ。そんな恰好をしていても、優しい心と美しい姿は隠しきれなかっただろう?」
「ええ! ええ!」
マックスは黄色の販促グッズを抱きしめながら、心から同意した。
「その高貴な心に反応したお前は、神に選ばれし存在なのだ」
セバスは重々しく告げた。
「マイリナなどと不遜なことを口走ってはならない。勤めを全うするのだ。手広く商売してじゃんじゃん儲けるように。それがお前の使命だ」
それからセバスはさらに優しく付け加えた。
「リナ様は、お前自身の幸せと心の安寧を願っていらっしゃる。神が求めてらっしゃるように、いずれ幸せな家庭を営み、心豊かに暮らすように」
緞帳の向こう側では、マラテスタ侯爵夫人とリナ、それにイアンが聞き耳を立てていた。
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