第4話 マックス就職する

二週間ほどしてから、父が、本邸へマックスを呼び付けた時、マックスは忙しいからと断ってきた。


「何がいそがしいんだか、全く」


父は怒って、仕事帰りにマックスの別邸の近くまで来たので、呼び鈴を鳴らしたが、出てきたのはハンナだった。


「マックスは?」


「あ、あの、若旦那様は……」


「もう、午後なのにまだ寝ているのか?」


「いえ、あの……」


伝えていいことなのかハンナにはわからなかったので、ハンナはちょっと言いよどんだ。

マックスは学生時代の恩師を頼って、ワトソン商会とは取扱商品が全く異なる薬の商会で働き始めたのだった。


父親は目を丸くした。


さらに不機嫌になった。


「それくらいなら、自分の家を手伝ったらいいだろうに」


玄関のドアが開く音がして、ちょうど、運良くか悪くか、マックスが帰宅したらしい。


「マックス!」


父は大声で呼びかけた。


「何をしているんだ。自分の家をなおざりにするとは、どういうつもりだ?」


だが、部屋に入ってきたマックスを見て、父は言葉を詰まらせた。


これまでの白豚マックスではなかった。似てはいるけれど別物である。


以前は、なんとも茫洋とした雰囲気があり、頭ごなしに𠮟りつけても黙っていた。

だが、今日はマックスは、しっかりと父親に焦点を合わせてきた。


「しばらくパーカー先生のところでお世話になっています」


「パーカー? 薬屋のパーカーか?」


マックスはうなずいた。


「そんなところなんか辞めてしまえ。ウチの商売とは縁もゆかりもないじゃないか」


父の怒りなど、どこ吹く風といった様子でマックスは説明した。


「害虫除けの薬や、生育促進剤も世の中にはあります」


商売など、お前ごときに教えてもらう気はさらさらないわとあらん限りの大声で怒鳴りつけるつもりだったが、父親は、マックスの冷たい、つるんとした表情を見返した。


「弟子入りが許されましたので、そういった商品の取り扱いをしようかと思いまして」


「なんだと?」


父は吠えた。


「うちの商売をお前の一存で変える気か! それに、パーカー博士が許すとは思えない! 企業秘密を教えてくれるはずがない」


それは話の持っていき方がまずいのですよと、マックスは喉元まで出かかったが、黙った。


「そんなことより、店番からでも始めて、商売のイロハを勉強するんだ!」


マグリナの魔術ギルドに属するパーカー博士のところには、いろいろ伝手をたどって何回か話を持って行ったことがあるが、いずれも断られてきた。


一体、マックスはどうやってパーカー博士に取り入ったのだろう。


「商売のイロハを学ぶのなら、他の商会にお世話になった方がいいでしょう。自分の家の商会では甘えがでますから、皆、知り合いのよその商会に息子を預けていますよ」


「何をもっともらしいことを!」


父親は怒鳴ったが、マックスは衝撃的な一言を投げかけた。


「しかし、父上。私は自分の商会を立ち上げたので、この件はワトソン商会とは何の関係もありませんよ」





「そんな与太話、信じてきたのですか?」


だが、副会長の婿に報告すると、いかにもあきれ返ったと言わんばかりの調子で返事があった。


「これまで、ずっと閉じこもりだったのですよね? 新しく商売を始めるだなんて、そんなマネ、出来るわけないじゃないですか」


そう言われると、そんな気がしてきた。


「それより、そんな伝手があるなら、どうして私に報告しなかったんでしょうね。もっと上手く立ち回れるのに」


「いや、何があったのか、わからないけど、結構一人前になったようじゃないか」


義兄は深いため息をついた。こういうのを親バカと言うのだろう。


「商売を始めたなんて、どうせ口だけでしょう。私がヘイゼルと結婚してから、彼は一度でも商会の役に立つことなんかしたことがなかったじゃありませんか」


それはそうだった。マックスは太るばかりで何一つ役には立たなかった。


「まあ、パーカー博士との関係を壊滅的に悪くしないでくれると助かるんですが。そこだけは心配ですね」


義兄は眉間にしわを寄せて、もっともらしく言った。



だが、気になった母親が別邸を訪問した時には、もう、マックスは家にはいなかった。


ハンナだけが取り残されていて、若旦那様はパーカー様のところで泊まり込みで働いていらっしゃいますと答えた。

母親が手紙を出すと、元気で楽しくやっている、研究職は向いているようだと返事があった。


仔細にそれを読んだ義兄は、いかにももっともらしく最終判定を下した。


「なるほどね。義弟は凝り性でしたからね。研究職なら話は分かります。きっとビーカーを磨いたり、試験管を洗ったり、薬草集めでもしているんでしょう」


「もう少しマシなことをしているんじゃないかしら?」


ワトソン商会の夫人が弱々しく言った。


「だって、引きこもりをしていたような男ですよ? 人と話すのが嫌で、こもっていたではありませんか。薬草集めにはピッタリでしょう。草は話をしませんからね」


「そうねえ。そうかもしれないわ。マックスは本当にしゃべるのが苦手な子だったわ」


姉のヘイゼルが言うと、夫の義兄はフンと鼻を鳴らして締めくくった。


「まあ、いい厄介払いですよ。いつまでも、商会のお荷物でいてもらっては困りますからね」



しかし、案に相違して、マックスは大いにしゃべり、活躍していた。


だって、彼には必要があったから。


ワトソン商会なんか頼りたくない。ワトソン商会は天使を守ってくれない。


わずか三ヶ月しか経っていないのに、彼は、小さな自分の店をもって商売を始めていた。


パーカー先生は変人と呼ばれていて、とても気難しかったが、その人嫌いの気持ちはマックスにはよくわかった。


先生がお人よしすぎるのですよ。それから、契約書はよく読まなくちゃね。


彼の天使がどんぐりを持って戻って来た時、彼はさらに痩せて、仕事が忙しすぎて毎日並ぶことなんかもうできなかった。

代わりにマックスは、隣の商店主を買収した。


黄色シャツの男が彼だったという事実を飲み込ませるのには、少々時間がかかった。


「え? 嘘」


「嘘じゃない。リナ嬢を見張っていてほしい」


「え? なんで?」


「変なやからが近付いてきたら困るだろ?」


「変な輩……」


変人はお前だろう……挙動不審の元黄色いシャツの男に、変な輩の退治を頼まれた商店主は、どの口が言うかと一席ぶちたくなったが、我慢した。


黄色いシャツの男がマックスだと理解させるのには、時間がかかったのに、彼の目的を悟るには、秒で足りた。


商店主の妻が登場したからである。


「あら、まあ。そうなんですか。マックス商会のご子息とのお話だなんて。良縁ね。ホホホホ」


マックスは真っ赤になった。


「ジュース売りの娘には大した出世よ。リナは本当にいい子。頑張り屋さんで、人に頼る気なんか全然ない。けなげでおばちゃん、涙が出ちゃうくらいよ」


マックスは、彼の天使を誉められて胸が熱くなった。うんうん、その通りだ。


「だから、いくらワトソン商会の息子でも、ちっとも靡かないかもしれないわよ?」


マックスはスーッと顔色青ざめた。そうかもしれない。


「自分の力で切り開こうと思っているのよ。玉の輿なんか考えてないと思うわ」


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