第2話 推し活

行かなくてはならない。


白豚マックスは使命に燃えた。毎分、毎秒でもお仕えする気満々である。


朝早くから起きだしたマックスに女中は悲鳴を上げた。いつもなら昼前にならないと起きないのに。


「どうなさいました、坊ちゃま?」


マックスは台所に置いてあったパンを自分で切って、口に放り込み、残りをポケットに突っ込んだ。


「昼は要らない」


彼は肉をだぶらせながら、ジュース売りの店の前まで走って来た。


まだ店は開いていない。だが、彼は辛抱強く待つことにした。


白豚マックスは知っている。自分の姿があまり人好きするものではないことを。むしろ不気味がられる方だ。

だから彼は我慢した。物陰からじっとりねっとり見物に徹した。


見ていると、いろいろな人がやってくる。


天使はかわいい声で、応対している。誰にも公平に。親切に。


あんな男ににこりと笑って。きらきらとまぶしい。もったいない。


だんだん列が長くなっていく。


マックスはだんだん心配になってきた。


売り切れてしまったらどうしよう。


彼は適当なところで列に並ぶことにした。順番が来たとき、万感の思いを込めて天使を見つめた。


「ありがとうございまーす」


ニコリ。


マックスもニコリと笑った。肉に埋もれてよくわからなかったかもしれないけど。


毎日続けているうちにいろんなことに気が付き始めた。


マックスはこれまで、物事に気を付けたことなんかなかった。関心がなかったのだ。

どうでもよかった。


しかし、今、どうでもこうでも守り抜かねばならないこの世の宝石、彼の天使をみつけてしまったのだ。


不穏な輩もいる。言葉使いが荒い奴も並んでいるようだ。

一度なんか、恰好だけ騎士の失業騎士がせっせと名前を聞き出そうとしていた。


天使の名前を聞き出そうだなんて、おこがましい。


マックスはこれまで感じたことがない炎を、身内に感じた。正義の炎だ。天使が困っている。

俗人に名前を教えるなど、天使にあるまじき行いだ。聞きたいけど。


「名前なんかありませんわ」


よしっ。


「俺もだ」


え? 便乗? カッコつけ?


思わず一歩前に出た。不敬罪を適用してやる。


「ジュース、うまいな。また買いに来るから」


なんて嫌味な。なんでスルッと天使に誉め言葉や再会の約束を取り付けるんだ。

顔のいい男、許すまじ。危険だ。


騎士は去ったが、マックスはプルプル震えていた。あの騎士と喧嘩になっても彼は勝てない。

痩せ騎士がどんなにみすぼらしくても、騎士は騎士だ。マックスは剣の握り方さえ知らない。


だが、マックスにできることだってあるはずだ。


マックスは、毎日早朝から日没まで、ジュース売りの娘の店を守ることにした。私設警備員である。

細かく目を配っていると、順番を抜かしたり、大量買いをしたりして、秩序を乱す者もいるようだ。


よろしくない。


誰かが天使を守らねば。


あの騎士なんか、買いたいときにジュースを買いに来るだけだ。


それに比べて、マックスは常駐している。ジュースはだんだん人気になっていって、順番待ちの列はどんどん長くなっていく。


こうなると別な心配が出てきた。

買えなかった者が逆上して、彼の天使に文句を付けるかもしれない。


天使は、愛らしくて可愛いけれど、そんな輩に言い返せないだろう。


でも、自分も助太刀できない。


ううう……


彼は細かくあたりをうろうろし始めた。誰がいつここにジュースを買いに来るのか、もめそうな時はどんな時か。

これまで、人と話したことがあまりなかったので、最初は注意をすることなんかできなかったが、それでも、一世一代の勇気を振り絞って、声をかけた。


「じゅ、順番は守ってください」


相手は、まじまじと、ドボドボに太って黄色いシャツが汗で水浸しになっている、キモチ悪いとか言いようのないマックスを眺めた。なんだか臭い。


文句を言われて腹が立つより、マックスの異常さの方が勝ったらしい。


商人風の男は黙って引き下がった。


キモさ、最強。


この時だけは、自分の異常さに感謝した。


マックスは引きつった表情で、額からポタポタと大粒の汗をたらしながら、豚のような目で相手を見つめたまま、その場を離れた。


だが、やがて、声をかけるのにも慣れてきて、相手がどういう人種なのかもわかってきた。

マックスはバカではなかったので、相手によって対応方法を変えることを覚えた。


だが。


唯一、気に入らないのは失業貧乏痩せ騎士だった。


気のせいかもしれないけど、彼の天使が、そのみすぼらしい騎士を見るときだけは、ちらっと表情を変えるのだ。


ムカムカする。一度だけ、普段は穏やかなマックスがこの貧乏痩せ騎士に逆上して、無職をなじったことがある。

騎士の方は、みじめそうな顔をしたので、心の優しいマックスはしまったと思った。


それから思い出したのだが、よく考えたら自分も無職だった。

それどころか、働いたことがないので、失業すらできていなかった。

マズい。あの騎士より、格下である。


騎士を見つけるたびに謝ろうと思って近づこうとするのだが、騎士の方は絡まれるとでも思っているらしく、要領よく逃げられてばかりだった。


「俺がキモいからかな……」



一度、どこかの商家の男に話しかけられてびっくりしたことがある。


「毎日、ご苦労なこったな。ジュース売りがかわいいからって、つきまとっても、向こうはなんとも思ってないだろうよ」


周りが失笑した。


「キモがられても、感謝なんかされないぞ?」


小意地の悪そうなやせた男だった。


マックスは、毎日、来ているうちに、隣の商店主と顔見知りになっていた。

商店主も、マックスのことを変な奴だと思ってはいるらしかったが、この暴言は許せなかったらしい。

小意地悪な男が去ると、それまで声をかけてくれたことのない商店主だったが、マックスに向かって言った。


「キモイだなんて失礼だよ。ジュース売りの子、助かっていると思うよ」


ちょっと善意に泣きそうになった。


「リナちゃん、かわいいからね。まあ、あの子は食い扶持ぶち稼ぐのに必死なだけだけど」


リナちゃん……。


心の中でつぶやいた。


かわいい。


ああ、何を言われようと、そんなことどうでもいい。


これからも、リナたんのために尽くすだけだ。


最後尾と書いた看板を作って、ジュースがもう終わりそうか聞く口実を作った。


失礼になってはいけないので、会話は手短に。

それでも十分幸せだった。いつまでも、こんな日々が続いてほしい。頼まれてもいないのに、リナちゃんにお仕えする日々は、まるで黄金のようだった。


だが、ある日、彼は手書きの看板を見つけた。


『ベリー品切れのため、ジュース屋は終了しました。長らくのご愛顧、ありがとうございました』


マックスは茫然として、その看板を見つめていた。











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