進藤さん!聞いてください!
宮嶋 くれい
1-1
朝の八時頃。学校に到着した高柳壱彦は自分の受けたい講義まで時間がある為、それまであの部屋で過ごすことを決めていた。
「おはようございまーす……」
鍵を開け部屋に入る。こんな朝早くでは大体誰も居ないし、教授も居ない。それはいつもの事だ、しかし……。
「……え? ちょっ!」
高柳の視線の先の床。見知らぬ女性が倒れているではないか! 戸惑っている間に、再び扉が開く。
「……。(まずい!今見られたらまるで!)」
「おー……、まるで殺人現場だな」
誰かが部屋に入ってきて、高柳が思っていた言葉を呑気に放つ。
「——っ、進藤さん! 聞いてください! ひっ、人が! 人がっ、死んでるんですっ!」
これをやったのは自分ではないという否定を込めて、慌てて駆け寄ると進藤と呼ばれた男は高柳を手で制して口を開いた。
「高柳、落ち着けよ。まず脈拍、呼吸は確認したのか? それも確認してないで死体と決めつけたわけじゃないよな?」
進藤の言葉に高柳はハッとして、女性に近寄る。恐る恐る女性の手首に指を這わせると、規律の取れたリズムが高柳の指に伝わってくる。
「……ぁ、脈拍ちゃんと取れますっ! 呼吸も大丈夫そうです」
「よし……。じゃあ彼女は生きている! パッと見寝てるみたいだしな……。高柳くんコーヒーいれて」
「はい、今入れます……。って呑気に飲んでる場合ですか!?」
そう高柳がツッコめば、「あれ?」と言いながら首を傾げる進藤。高柳は呆れながら言葉を続けた。
「いいですか!? 俺が最初に入ってきて、もちろんこの部屋の鍵もかかってました! 誰も入れない部屋に女性が倒れていること自体おかしいんです!」
高柳自身の感じた違和感を早口で進藤に伝え、ゆっくり息を吐き出した後コーヒーメーカーへと向かう。
「ん~? 鍵さえあれば誰でも入れる部屋。そして中から内鍵で閉められるじゃねーか。おかしい所なんてあるかぁ?」
高柳からコーヒーを受け取り、当たり前のことを進藤が告げると。バツが悪いような顔をして彼は頭をかいた。
「そうでした。じゃあ、この女性は自分で入ってきて鍵を自ら閉めた。眠っているから……防犯対策って所かな」
「まぁ、理由が分からんが。寝かせといてやれ、多分教授のお客さんだろう」
進藤はソファに座り、持っていた漫画雑誌を読み始めた。高柳は携帯を触っていたが、思い出したように進藤を見る。
「……あ、でも。教授出掛けてて来週まで帰って来ないじゃないですか?」
「………まじか」
進藤の表情が強ばり、漫画雑誌のページをめくる指が止まる。高柳はドアの横の掲示板を指さした。
「壁の予定表見てます?」
首を横に振る進藤に、高柳は大きくため息を吐いた。そのまま何気なく壁の時計に目をやると長針は真下。
「あ、そろそろ行かないと」
「勉学ご苦労!」
高柳が立ち上がると、雑誌から目を離すことなく片手だけ上げた進藤。
「進藤さんだって講義あるでしょう? 行かなくていいんですか?」
「俺、午後からだから」
「……ここに何しに来てるんですか?」
「ダラダラしに」
なんの悪びれもなく発言した進藤に、高柳は思わず拳が上がりかけたが、なんとか抑える。
「……じゃあ、彼女が起きたら、ちゃんと! お茶出してくださいね!」
「わぁってるよ! 俺だってそれくらいの常識持ってんぞ」
その〝常識〟を普段の振る舞いで見たことがないからこそ、高柳は強く伝えているのだ。進藤とのやり取りで疲弊し始めた高柳はフラフラと部屋を出ていった。
「本当だ……。確かに山野教授出かけてんな」
進藤が壁の予定表を見ていると、背後から物音がして、進藤が振り返る。
「ん? ……あぁ、起きた?」
先程まで寝ていた女性が目を覚まし身体を起こしたが、今まで居なかった人間が居るショックで唇は開いたまま硬直し、眼を盛んにしばたたかせて、喜怒哀楽のどれにも属さない表情を見せていた。
「あー、一応自己紹介しましょうか? 俺は進藤敦也。ここの大学の三回生、この部屋の鍵は……。まぁ、誰からなんて、質問は野暮ですね」
そう進藤が笑って見せると、女性も安心したのか居住まいを正し、進藤に深々と頭を下げる。
「見ず知らずの方にお見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ございませんでした。それに急な押しかけも……重ね重ね失礼いたします。私の名前は、常磐芽唯子といいます」
「常磐さん……ですね。教授にどんな御用で?」
「……教授? ……もしかして山野さんですか!?」
進藤が頷くと常磐は長く息を吐き、重荷を下ろしたように清々しい顔つきになった。
「そうですか……。よかった、私ここまで来れたんだ」
彼女の話しぶりから、常盤はただ遊びに来た訳では無いのだと進藤は感じ取ったが、彼女が会いたがっている教授の留守を伝えなければならない。進藤は眉をしかめて険しい表情で彼女を見る。
「………常盤さん。落胆させる事を言うんですが、教授は出かけてまして。来週まで帰って来ないんです」
進藤の予想通りだった。安堵していた常磐の表情が一気に暗くなり、目線は下へと落ちていく。
「……どうしよう……早くしないと」
肩を落とし背中を丸め小さくなった彼女が、そう呟いたのを進藤は聞き逃さなかった。
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