第11話
「心臓……?」
思わず聞き返すエゼキエルに、カスティは一つ頷いてからシェハを見やる。彼は腕を組みこちらを一瞥すると、僅かに顎を引いた。
「ええ。……ロガモールとはそもそも、魔力によって守られた、心臓だけのミイラを媒介に造られる種族です。なので、人より長寿ですが、寿命があります。特殊な生物……と言えるかは分かりませんが、命ある存在だったわたしに、雇い主はその命を差し出せと言ったのです」
彼女には頷く以外の選択肢はなかった。自分の命で育て子が救えるのならと、喜んで承諾した。
雇い主曰く、弱ったシェハの心臓を、カスティの心臓に蓄えられた魔力によって支え、自己回復できるまで維持するのだという。完全に回復するまで時間を要するが、確実に救える方法だと説明された。
「ただ、…………その方法を実行に移す際、一つ、条件を突きつけられました」
ロガモールである以上、見返りに出来ることは限られる。傭兵のような活動を求められるかと思いきや、雇い主から聞かされたのは、思いもよらない条件であった。
「……“君に殺してほしい国がある。無抵抗の平和におもねり、
知らず声量が、落ちる。
エゼキエルが呼吸を止める気配が伝わってきた。
あの時の仄暗い、薄気味悪いほど穏やかな雇い主の顔は、今でも鮮明に思い出せる。
雇い主はカスティを天秤に掛けるかの如く、耳の奥に絡みつくような声で、言ったのだ。
「我が子の命の代わりに、エゼキエル王子。……あなたの故郷を滅ぼせ、と」
静寂が室内を包み込む。
俯けば砂状の髪が、顔に影をつくった。眼前に座るエゼキエルは微動だにせず、目を見開いたままカスティを見つめている。
言葉にすればもっと、後悔に苛まれるかと思った。
言葉にすればもっと、悲しさに蝕まれるかと思った。
カスティは床を見つめたまま、無意識に己の胸に片手を当て、聞こえるはずもない心音を指先で探す。
知らない他社の命と、愛する我が子。どちらを取るかなど考えずとも明白だ。他者を選べばシェハは、治療も満足に出来ず息絶える。選択すらできなかった。
カスティは殺したのだ。あどけない少女を、道行く人々を、快く出迎えてくれた憲兵を、美しい王妃を、偉大な王を。
悲鳴が耳をつんざき、水を失い皮膚は乾き、次々と降りかかる砂のうねりにのまれ、逃げることもできず、縋ることもできず、一方的な暴力によって彼は、彼女は、あの国は。
罪悪感が浮かんでも、すぐに霧散する。
言葉にしても、何の感傷も浮かばない。
ここにあったはずのココロも、今は。
薄く唇を開けたまま、それ以上、声を発しなくなったカスティの耳に、エゼキエルの長く息を吐き出す音が届いた。彼は背中を丸めて前屈みになると、両手で口を覆い目蓋を閉じる。目尻から一筋、光るものが見えた。
暫し張り詰めた空気の中にいると、エゼキエルが立ち上がる。
カスティが顔を上げれば、涙を浮かべて僅かに充血した瞳と目が合った。
彼は表情を歪め、駆け寄るようにカスティに近寄ると、床に膝をついて彼女の片手を両手で包み込む。
何かを言いたげな唇が、動いては直ぐに引き結ばれた。
美しい瞳の奥に浮かぶ感情は、仇に対するどんな感情だろう。ココロを失ってしまった彼女には、それすらも感じ取れなかった。
「…………つらかっただろう」
包まれた手の甲を、エゼキエルの温かな指先が優しく撫でた。
カスティの願い通り、同情の言葉を口にした彼は、一つ首を横に振り、シェハに視線を向ける。
「貴方は、良き母を持ちましたね」
優しい声だった。
それまで堪えるように口を引き結んでいたシェハの表情が、くしゃりと歪む。
涙はなく、嗚咽もないが、奥歯を噛み締めて衝動に耐え、この同情から意識を逸らすまいと、エゼキエルを睨みつけていた。
エゼキエルはその視線をしっかりと受け止めた後、軽く己の両頬を叩いて立ち上がる。
「そしてカスティは、心臓を移したんだな」
確かめる彼の言葉に、カスティは頷く。
自身と文字通り命を共にしたシェハが、徐々に回復していく様子に安堵して暫く、カスティは新たな問題に直面した。
エゼキエルが隣国に出ていた事である。
「……雇い主は、あなたをとても憎んでいるようでした。そこでシェハを残し、あなたの行方を追うよう、わたしに指示を出したのです」
少しずつ回復しているシェハを、一人残してはいけない。
彼女は抵抗したが、雇い主に不意を突かれ、命令に逆らえないよう仕掛けを施されてしまったのだ。
カスティは砂で出来た髪を避け、自身の右目蓋を指先で押さえつける。
「あなたが生きていると知った直後、わたしの右目には、種子が埋め込まれました」
「種……?」
不審げに聞き返すエゼキエルに頷くと、彼は断りを入れてから、彼女の瞳を眼前に晒した。
おそらくもう傷は塞がっているため、特別変化の無い、普通の瞳になっている事だろう。
「その種は、顔面に水がかからなければ発芽しない。そう雇い主は言いました」
真実かどうか見定める方法はない。発芽して、自分がどうなるかも分からない。万が一、このまま雇い主の命令を聞かずにいて、自分が豹変し、シェハの安全が危ぶまれる事態になれば、本末転倒もいいところだ。
そうして否応もなく、カスティはシェハを残し、エゼキエルの後を追いかけてきたのだ。
「っそれでは、いま、貴女は無事なのか?」
金砂の髪を下ろし、慌ててカスティの肩を掴んだ彼に、彼女は目を丸くした後、小さく吹き出し笑う。
「無事でないと言えば、今、この場で死んでくれますか?」
穏やかに問いを返したカスティに、彼は言葉に詰まると眉根を寄せて押し黙る。そして数秒の後、再び口を開いた。
「それを聞いてしまったら、尚更、今、死ぬわけにはいかない」
「どうして?」
「貴女と、貴女の愛する子息の安全を、保障しなくては。私は貴女方の同情を買ったのだから」
本来なら彼にとって、自分は同情にも値しない存在で、こんなにも非常で矮小な、ココロ無い化け物だ。エゼキエルの故郷を沈めた、化け物だというのに。
それでも笑みを浮かべようとするエゼキエルに、カスティは返答も出来ず唇を震わせた。
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