第22話 出会い話


 しばらくの間、自分が記憶喪失である事や、食堂の裏手の家でお世話になっていることだとか、食堂の料理が美味しい事だとか、そんな事を話していた。


 一部嘘が混じってしまっている事には罪悪感を感じたが、もっと親交を深めていけば、いずれは打ち明けられるかもしれない。

 そんな事を同時に思っていた。


「さ、開店前の掃除がまだ終わってないよ。頼んだよキリーカ」


 エリスさんがそう言うと、キリーカはあっ、と小さく声を漏らして、掃除用具を片手にパタパタと店先へと走っていった。

 なんだか小動物のようで可愛らしい。


 キリーカの後ろ姿を見てほっこりとしていると、エリスさんがグラスを片手に話し始めた。


「あの子と出会ったのは八年前の雨の日でね。まだこの食堂がキリーカ食堂って名前になる前の話さ」


 俺はエリスさんに向き直り、上がっていた口角を戻す。


「いつものようにゴミ捨てに出たら、あの子が残飯を漁っててね。全身黒いボロ布を被っていて、最初は孤児かなにかだと思ったんだ。かなり警戒してたけど、説得して中に入れてやって、体を拭くのは嫌がってたっけね。仕方がないから、大きいタオルと、あたしの小さい頃着てた服が残ってたからそれを渡してやってね。しばらくして部屋から出てきたら、ブカブカだったのを覚えてるよ」


 きっと痩せ細っていたのだろう。容易に想像がつく。そう思うと、今はとても健康的に育ったのだと、店先のキリーカをちらりと見て感じた。


「店の手伝いをすることを条件に、衣食住の世話をすることになって……、ひと月くらい経った頃だったかね。教えていた賄い料理が上手に出来たから、つい頭を撫でたんだよ。そしたら……まぁ、後は分かるだろう?」


 当時の感情が呼び起こされているのだろうか、はるか遠くを見つめるような目で、キリーカの背中を見つめている。


「ひどく怯えられちゃってねぇ……。あたしも意地になって逃げられまいとぎゅっと抱きしめたんだよ。どれだけ時間が経ったかなんて分からないくらいずっとそうしてら、向こうから抱きしめ返してくれたんだよ。思わず柄にもなく泣いちまったよ。恥ずかしいねぇ」


 シシシと笑いながらグラスの水を飲む。照れ隠しなのか、少し頬が赤らんでいた。その様子を見て思わずこちらの口角も緩んでしまう。


「それから事情を聞いて、正式に一緒に暮らすことになって……、食堂の名前を変えて……。ま、今に至るって訳さ」


 調理場の流し台にグラスをコトリと置き、カウンター越しにニカッと笑顔を向けられる。


「あの子の味方が増えてくれて、本当に嬉しいよ」


「俺の方こそ、今は知り合いすらいないですし、知人……いえ、友人が増えるのはとても嬉しく思います」


「そうかいそうかい」


 より一層、笑顔が眩しくなった。


「さて……、話は変わるけど、今日は働きにくるのかい?」


「そうですね……。今からギルドに行けば間に合うと思いますので、今日もよろしくお願いします」


「そうかい。昨日の疲れが残ってるんじゃないのかい?」


「それが、思ってた以上に元気いっぱいでして。まだまだ若いってコトですかね」


「なんだい嫌味かい?」


「そ、そんなつもりじゃないですよ」


 つい、今は若い体であることを失念していた。心も若くなっていればよかったのだが……。


「ギルドには、継続契約も可ってことで申請してるから、そっちで契約してくれれば、働く前にわざわざギルドに寄らなくてもよくなるよ」


 エリスさんが言うには、食堂の仕事のような継続して働き手を雇用するような仕事の場合、初回を除いて継続契約というものが行えるらしい。

 この契約を結ぶと、ギルドでの請負いが不要となり、月初めに雇用側が行う定期報告のみで良くなるとのこと。

 正直家が近くでも毎回ギルドに行かなければならないのは手間であったので、とても助かる。


 継続契約の場合、雇用者は毎月ギルドに仲介料を支払い、それを差し引いた額を雇用者に支払う仕組みのようだ。

 日割りになるか、月ごとの給与になるかは雇用者次第らしいが、俺が少なくとも今月だけは日割りにしてほしいと頼むと、快く同意してくれた。


「それじゃあ継続契約申請だけしておいで」


「分かりました、ではまた後ほど」


「あぁ、待ってるよ」


 店先で掃除をしているキリーカにも声をかける。


「それじゃあちょっとギルドに行ってからまた戻ってくるね」

「は、はい……いってらっしゃい、です」


 たどたどしい笑顔だが、返事をしてくれる。

 思わずニヤけそうになるのを抑えて俺は、箒の掃く音を背に足早にギルドへと向かった。


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