蒼穹の堕天使
杉野みくや
第1話 突然の幕引き
あれは、小雨が降りしきる夜の日のことだった。
私は、友達とケンカしたことをひどく後悔していた。きっかけはささいなすれ違いだったが、互いに譲ろうとしなかった結果、謝る機会を見失ってしまったのだ。
明日、学校でどういった顔をして会えば良いかわからず、ただただ怖かった。
まっ暗な部屋でひとり、枕を濡らしているときに、彼と出会った。
「おい。どうしたんだ」
そうぶっきらぼうに話しかけられたことが記憶に強く焼き付いている。その姿を見たときはとても驚いたものだ。
見た目は私と同い年くらいの小さい男の子だったが、明確に違う点が一個だけあった。彼の背中からは純白の翼が一対生えていた。初めて見たときは、子どもながらにとても驚いたものだ。とっさに手で口を塞がれてなければ、大声で叫んでいたと思う。
「しーっ。声を出すな。お前、俺が見えるのか?」
「え?う、うん」
「まさか本当に見えてるとはな。俺はリュノ。お前は?」
「……ユイ」
「ユイ、か。覚えておくよ。それで、どうして泣いてるんだ?」
「えっと、その、友達とケンカ、しちゃって」
最後の方は声にならないほど小さくなっていった。私がうつむいていると、またもぶっきらぼうな返事が返ってきた。
「なら、すぐに謝ればいい」
「え、でも」
思わず顔をばっと上げる。「今さらそんなことはできないよ」と口にするよりも前に、リュノは強引に言葉を続けた。
「大丈夫。すぐに仲直りできる」
そう告げると、天使は小雨の中に紛れるようにふっと姿を消していった。しとしと降り注ぐ雨粒の合間から差し込むおぼろ月が印象深く残っていた。
翌日の夜、ちょうど同じ時間にその天使は再び訪れてきた。
「リュノのおかげで仲直りできたよ!ありがとう!」
「俺はただ、背中を押しただけだ。その代わりといっちゃなんだが、この世界についていろいろと教えてくれないか?」
「いろいろ、って?」
「例えば、それ」
リュノが指さしたのは、水色のランドセルだった。それを持ち上げると、リュノのとこまで持って行ってあげた。
「これはランドセルっていうんだよ。学校に行くときに持って行くんだ。中にはいろいろ入っててね――」
興味津々のリュノに嬉々としながら教えてあげたのを覚えている。その日はあまり話せなかったが、それでも記憶に残るぐらいには楽しかった。
それからほぼ毎日、リュノは私の部屋にやってきた。彼が気になるものは積極的に教えてあげた。
さらに不思議なことに、リュノと一緒にいる間だけは他の人から私の姿が見えてないようだった。それをいいことに、よく外に出て星を見に行ったり、夜の公園で一緒に遊んだりもした。
私にとっては既に、友だち以上の特別な存在になっていた。
しかし、ある日を境にリュノはぱったり現れなくなった。彼の髪と同じ、澄み切った空のようにきれいな水色の髪留めを残して。
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「――さん。中村さん起きて」
「う、うーん?」
重いまぶたをうっすら持ち上げると、あきれ顔の先生と目が合った。クラスメイトの視線が私へと集中しているのが分かったところで、先生はチョークで黒板を軽く叩いた。
「中村さん、この問題分かる?」
「あ、えっと、うーんと、」
一瞬で焦りが募った私は勢いよく席を立ち、教科書と黒板を交互に見た。周りからクスクスと笑い声が漏れる。
「はあ。分からないのね。寝てないで、ちゃんと授業は聞いてなさい」
「……はい」
ややふてくされたように答えると、先生は教卓に視線を落とした。それにつられて、私も自分の机に目を向けた。
ノートに走るミミズみたいな文字をぼーっと見つめる。自分が書いたはずのその暗号はおよそ解読できるようなものではなかった。我ながらひどい文字を書いたもんだ、などとのんきに思っていると、周りが何やらざわざわし始めた。
「?」
「いつまで立ってるの?」
「あっ」
先生からの正論すぎる追い打ちが炸裂し、教室は笑い声で包まれた。一方、言われてからやっと更なる失態を認知した私は、顔が熱くなるのを感じながらすっと腰を下ろした。先生が場を諫めてる間、私はばつが悪そうにじっとうつむいていた。
「もー!なにあの先生!」
友人と下校する道すがら、私は思い返したように愚痴を吐き出していた。
「まあまあ。あれは寝てたユイちゃんが悪いよ」
「そうそう。のんきに寝てたせいだって」
「うっ、それはごもっともです」
痛いとこを突かれた私は、お茶を濁すかのように髪留めを付け直し、「はあ」とため息をついた。
「今日はなんかツイてないなー。先生には怒られるし、スマホの画面は割れるし」
「あはは。まあそういう日もあるよ」
友人に軽く慰められたところで、赤信号に引っかかる。いつもなら決して引っかからないのに、ほんと今日はとことんツイてない。苦い顔をする友人に自分のツイてなさを詫びていると、黒い何かが足下を横切るのが見えた。
「クロ!?何でこんなところに?」
「変だな。いつも公園から出てこないはずなのに」
「それに、なんかフラフラしてない?」
友人の言うとおり、そのネコはおぼつかない足取りで前に進んでいた。そのまま赤信号の横断歩道に侵入していくと、途中でぱたりと倒れ込んでしまった。
「クロっ!?」
気づけば、体が勝手に動いていた。クロの元へ駆け寄り、優しく抱きかかえる。
水に濡れてる訳でもないのに、体が異様に冷たい。それに、ところどころ傷だらけでボロボロだ。早く連れて行かないと、と気持ちばかりが焦る。
だから、自分の置かれている状況を冷静に俯瞰することができていなかった。
「危ない!」
「ユイちゃん!!」
「え?」
そうのんきな声を漏らした瞬間から、時の流れが格段に遅くなったように感じた。
友人の叫び声は甲高いクラクションにかき消され、強い衝撃と鈍痛が体にずっしりとかかっていく。視界が何度もぐるぐるしたあと、黒い道路に体を打ち付けられた。骨の髄まで走る痛みと薄れ行く意識に包まれる中、自分の名前を呼ぶような声が何度も聞こえる。
その声の中に、かつて行方をくらました天使の友達も混じっていたような気がした。懐かしいその声に不思議な安堵感を覚えながら、意識がだんだんと遠のいていった。
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