不変、寄る辺、可否
第18話
旅に出たその日か、その次の日か、ともあれ割りとすぐ、大洋は少女に改めてよろしくと話しかけた。大洋の人生においておそらく今までもっとも、そしてこれから後ももう二度と会わないだろうと思えるほど美しい少女に自分から話しかけるという行為は、つい心臓が止まってしまいそうなくらいに勇気を必要とすることだった。
「君のことは、なんて呼べばいいかな」
その勇気を振り絞った大洋の問いに、なんとでも、とだけ少女は答えた。
「ご自由にお呼び下さい」
「え? いや、ご自由にって……、名前を教えてほしいんだけど」
「名前は持ちません」
「えっ?」
「この天の世の守り人は名を持ちません。ただ聖女とだけ呼ばれています」
戸惑う大洋に少女は言葉を重ねてくれたが、それでもなお理解の範疇外であった。
その時は、会話はそこで終わった。もしや自分はすごく少女に嫌われているのではないかとの可能性に思い至ってしまい、それ以上なにも言えなかったのもある。口をつぐんでしまった大洋に、少女も話は終わったと言わんばかりの態度だったし。
今思えば嫌いもなにもなかったのだろうと分かる。少女は必要なこと以外喋らない。あの時はあれ以上、彼女にとってなにも必要ではなかったのだろう。それが分かるくらいには、今は少女と打ち解けられている気がする。
大洋のこめかみに未だ消えない傷跡を残したあの一件から、旅は至極順調だった。
北へ、北へとひたすら進み、当初遥か彼方で霞んでいた山は、今はどっしりと視界にその姿を広げている。標高も上がったのだろう、時に息苦しいと感じることもあるし、昼は問題ないが夜は毛皮なしには眠れない。今日は天気が良いおかげで、昼過ぎの青い空に雄大な姿が実に映える。
「すごいね……」
大洋の独り言に少女からのいらえはない。もとより独り言である。しかし隣からの視線には、拒絶の気配もまたない。今ではうなずいてくれさえする。会話としては十分だった。
「確かに、これほどすっかり晴れるのは珍しい」
ありがたいですね、と先頭を行くアルドが空を仰ぎながら言う。ここ最近は雨が降ったり強風が吹きつけたり、天候に恵まれない日が続いていた。身体の方が旅仕様になって大洋もそうそう遅れを取ることは少なくなったが、それでも天気が良い方が歩きやすいことは変わらない。
旅の終わりが近づいているともなれば、尚更だった。
「街までには、まだかなりあります。今日の内に距離を稼げるといいのですが」
北へ、山が近づけば近づくほど、周囲の景色は侘しいものになっていった。
森や木々も獣も貧相になりその数自体が減って、代わりに魔獣と遭遇することが増えた。群れというほどではないが、一度に複数で襲ってくるとあっては流石のアルドも苦戦を強いられる。時にパウラも、そして大洋自身も武器を持った。それが如何ほどの助けになったかは誰もあえて口にしないが。
初めて武器を手にする恐怖に震えながら、大洋は己の不甲斐なさについて努めて考えないようにしていた。考えて悩んだところでなにも解決しない。戦う術が今すぐ身につくわけでもない。とにかくこの旅を無事に終えるまで、皆の足を引っ張らないよう、そのことだけに専念した。今のところ、それは成功していると言っていいだろう。考える余裕もない、というのもある。
街から街へ、かかる日数が徐々に、しかし確実に延びている。街道自体も心許ない。大きく道を逸れてしまい数日かけて戻る羽目になったこともあるし、荒れた野での野営が数日続くことも珍しくなく、地味な疲労が着実に溜まっていくのが分かる。
三日前に発った街は街とも言えない小さな集落で、数世帯が肩を寄せ合ってなんとか暮らしている様相だった。宿など当然あるはずもなく、井戸の浄化と引き換えに辛うじて寝床と幾ばくかの食料を融通してもらったが、少女が深い溜息をつく様は、その選択が正しかったのかどうか、大洋を悩ませた。
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