些細な嘘をひとつずつ

計家七海

相談編 後輩の嘘

「わたし、これから人を騙すんです」

 カウンターの向こうから、はらが宣言した。



 あられんは大学四年生であり、大学の総合図書館でアルバイトをしている。その日はカウンターで受付業務をしていた。たまに困っている人がいれば書棚や検索端末、セルフ貸出機の案内なんかをする。それ以外は持ち込んだ本を読んでいても怒られない、気楽な業務である。そこに彼女がやってきた。

「新木先輩じゃないですか。ごきげんよう」

 入口で少し辺りを見渡し、連人の姿を見つけると一直線にカウンターへ。四月の一年生にしては堂々としている。

「日野原後輩じゃないか。図書館に用か?」

 彼女は文芸サークルの後輩だ。新人歓迎会で少し話しただけだが、飛び入学生だと言っていたのを覚えている。ひっそり秘密を打ち明けるようにささやいたのが印象的だった。

「ええ、本を探すことになってるんです」

 でも、と彼女は小首を傾げる。

「新木先輩なら、素直にお願いした方がいいですかね」

「オレなら?」

「わたし、これから人を騙すんです。見ていてくれませんか?」

 どういうことだ。連人は首を傾げる。

「詐欺の幇助はちょっと」

「詐欺でも犯罪でもありません。わたしはひとつ嘘をつくだけです。」

「オレ仕事中なんで……」

「館内の平穏を保つことは仕事に入らないんですか?」

「うーん……」

 不審者の場合は奥にいる司書に知らせることになっているが、今のところこの後輩は少し変なことを言っているだけの在学生だ。しかしあからさまに妙なことを宣言されてしまった以上、無視もできない。

「とりあえず、もうちょっと詳しく話してくれ」

 では、と前置きして小夜は語り出す。

「これから私とある人が本を探します」

「誰とどんな本を?」

「友人のお父さんと、六年前の課題図書を」

 事情を想像しにくい取り合わせだ。

「嘘をつくのは友人父に対して? それともオレに?」

「お父さんに大してです。先輩に対しては……」

 後輩は意味ありげに微笑む。

「嘘はつかないつもり、と言っておきますが、信用していただくしかないですね」

「まぁ、なぁ。続けてくれ」

 鵜呑みにするつもりはないが、疑ってもキリがない。連人は続きを促したが、後輩は視線を大きく逸らす。

「あ、来ました」

 視線を追うと、入口から男性が入ってくるのが見えた。連人も知っている顔だ。えんどうという工学部の教授。言われてみれば親世代くらいか。

彼は不慣れな様子で周囲を見回してから、カウンターに向かって歩み寄ってきた。そして、少し離れたところで足を止める。あれは、先客が終わるのを待っている動きだ。少なくとも、小夜と待ち合わせて来たようには見えない。

(約束してきたわけじゃないのか)

 小夜は彼と一緒に本を探すと言っていたが、どういう手はずなのだろう。疑問を込めて視線を送ると、彼女は心得たように頷いた。

「六、七年前に出版された本なんです」

 今から聞いたらこの話をずっとしていたと思うだろう、そういう自然なトーンで彼女は言う。

「曖昧すぎないか? 書名とか著者名とか出版社名とか……」

「わかっていたら検索できますね」

 情報が揃っていれば検索できる端末はすぐそこにある。

「せめてジャンル」

「日本文学です。その年の課題図書は全部そうでした」

「課題図書? 読書感想文か何かか?」

 流れで適当に受け答えしながら円堂の様子をちらりと窺うと、彼もこちらに注目しているようだったが、単純に先客がいつ終わるのか注意しているだけかもしれない。

「そうです。夢見の中一のときの課題で」

 夢見学院と言えば、確か彼女の出身高校だ。

「感想文を書いたんなら、タイトルくらい覚えてないか?」

「そう思いますよね。わたしは違う本を読んだんですよ。数冊から選ぶ形式だったので」

「目当ての本は読んでないけど、全部日本文学だったのは覚えてるってことか。その年のってことは、毎年変わるのか?」

「刊行一年以内のものから先生が数冊課題図書を用意して、そこから選ぶんです。現代的な感性を養うとかなんとか」

「毎年同じでも先生も飽きるしな」

 とにかく毎年違う課題図書ということか。

「つまり、自治体推薦とかじゃなくて、学校で独自に決めたやつ? 外部から探しにくいやつじゃん。まず友達に訊けよ」

「だから訊かれたんですよ」

「ん?」

 少々引っかかる。

「じゃあ探してるのは日野原っていうより友達?」

「正確には友達のお父さんですけど」

「あー、すみません」

 円堂がついに声を掛けてきた。連人はひとまず挨拶する。

「お久しぶりです、円堂センセー」

「先輩、お知り合いなんですか?」

「去年ゼミでお世話になった、工学部の教授」

「顔が広いんですね。確か理学部でしたよね?」

「偶然だよ。よく覚えてたな」

 新人歓迎会でこちらも所属くらいは言ったかもしれないが、歓迎する側と歓迎される側では数が違う。

 逆に円堂は明確に覚えていなかったらしく、ようやく思い出したのか何度か頷いた。

「あぁ、そうだ、理学部の……アンテナの雑音温度について質問してた……」

「新木です。覚えなくていいですけど」

 円堂は専門に関しては有能だが、人の名前を覚えるのが苦手だった。去年思い知ったから、今更そこには期待しない。

「初めまして円堂先生、一年の日野原小夜です」

「学部一年ってことは、うちの娘と同じ学年じゃないか? 夢見出身なら知らないかい? 円堂かえで」

「ええ、円堂さん……かえでさんにはお世話になってます」

(うーん、これは嘘では、ないかな)

 飛び入学の分、高校の同期ではないだろうが、大学では同じ学年だ。

「それで、君たちの話を中断して悪かったんだが、君がかえでの友達なら、僕の件も関係あるんじゃないかと思ってね。なんとかちゃんにも訊いてみる、と言っていたんだが」

 連人は話を整理する。

「えーと、じゃあ円堂センセーが本を探してて、それは夢見の六、七年前の課題図書で、娘さんに訊いたけどわからなくて、娘さんが日野原に頼んだ?」

「多分そう、かな?」

 円堂が曖昧に頷き。

「多分そう、ですね」

 小夜も曖昧に頷いたが。

(これが嘘?)

 なんとなく、そんな気がした。しかし根拠がない。理由もわからない。ひとまず詳しい話を聞くしかなさそうだ。



 円堂は端的に、しかしわかりやすく説明してくれた。その本は娘の読書感想文の課題図書の一つで、当時巡り合わせが悪く書店等で見つけられず、方々探した末にこの総合図書館で見つけた円堂が借りて、娘に又貸ししたらしい。彼は昨日突然、ある本のタイトルが気になった。昨日娘に聞いたが彼女も覚えておらず、友達に相談してみるとは言ったが。

「なんとかちゃんにも聞いてみるけど期待するなと……」

「まぁ、六年も前なら無理ないですかねぇ。どうして突然気になったんですか?」

「昨日少しもやがかかって朧月が出ていただろう?」

(そうだっけ?)

「そうですね」

 連人は覚えていなかったが、小夜は相槌を打った。覚えがあるのか話を進めるために合わせているのかは不明だが、どうでもいいことだ。嘘にはカウントしなくていいだろう。

「その本の挿絵にも朧月があってね、光の屈折や光学設計の話を、当時かえでにしたんだ」

 本の内容と光学的観点は無関係だろうが、連想は理解した。

「なんとかちゃんからの返事を待とうとは思わなかったんですか?」

「今日はちょうどオフィスアワーで空いてたからつい」

「日野原は? 友達と一緒に来ようとは思わなかったのか?」

「このマスはちょうど必修の実験があるみたいで」

「あぁ、機工は火曜が実験だな」

 連人は他学部一年の時間割など知らないが、円堂も言うなら事実なのだろう。しかし必修だから断られたというよりは。

 ――これから人を騙すんです。

 あの宣言からすれば、円堂かえでを同席させないためにこの時間を選んだ、という方がありそうだ。

(指摘したもんかなぁ)

 彼女の嘘や欺瞞を暴くだけならおそらく簡単だ。しかし暴くのが良いとは限らない。事実と異なっているから無条件に悪いと言えるほど、連人も無邪気ではない。

(うーん)

 理由や詳細に踏み込んだ方が良いのか、確信が持てない。

「とりあえず日本文学はあの辺の棚ですけど……あー、その前に発行年がわかってるなら検索で多少は絞れるかも」

「君は手伝ってくれないのかい?」

「オレは情報持ってませんし、カウンターからあんまり離れない方がいいですし」

 表面上はついていく理由がない。円堂は挿絵の情報を持っていて、小夜も当該書籍を見たら思い出す可能性はあるが、連人にできるのは書棚の案内くらいだ。

「先輩」

 約束したじゃないですか、とでも言いたそうな目で後輩がこちらを見る。もちろん彼女は何も言っていないし、そもそも約束もしていない。そう感じるのはこちらに引け目があるからだ。約束したような気持になっているからだ。頼まれたのなら、関わって何か良くすることができるかもしれないという自分への期待があるからだ。

 ――見ていてくれませんか?

 見ていろというのは踏み外したときに止めて欲しいということであり、もっと言うなら踏み外していないと保証して欲しいということなのだろうけど。

(オレが判断していいのかよ)

 新木先輩なら。そう言われて頼られたところで、連人の人生経験だって彼女より二、三年多いだけなのに。

 躊躇いを呑み込んで、連人は頷いた。まぁ、少しだけなら。

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