第5話 激戦・後編

「GYAAAAAAAA!」


 ワニの悲鳴が轟く。


 痛みで暴れ出すワニの背中から急いで離脱する。


 ワニはのたうち回っている。

 その巨体のせいで、木からは葉が大量に舞い、異常なほどの土煙がスモークのように視界を遮る。


「痛がってるけどこれ効いてる?」


「ナイフを伸ばしたのでかなりの効果はあるかと。しかし、致命傷にはなり得ません」


「みたいだな」


 来る!


 予測眼フォーカス・アイにヤツが猛烈な勢いで突っ込んでくる姿を捉える。

 鋭く巨大な牙を見せつけるかのように口を開き、下顎で地面を抉りながら近づいてくる。

 まるで重機だ。

 風圧で土埃と葉を吹き飛ばしながらヤツは加速する。


 左に飛んで回避!


 俺は左に飛ぶ。


 すぐに反撃。

 んでもって、もっかい殴っる!


 しかし、予測眼フォーカス・アイの映像はまだ終わっていなかった。


 すれ違いざまに、巨大な尻尾が襲いかかる。


 ヤベッ!

 避けきれない!


 体を守るように右腕を折りたたみ、衝撃に備え……。


 ドゴォオオ!


 視界がグルグルと天と地を交互に捉えながら回る。

 内臓がフワッと浮く。


 俺の体は木々を薙ぎ倒し、貫通するもまだ止まらない。


 一体の何十本の木を倒しただろうか?

 俺の体は巨大な木に食い込み、受け止められるようにして止まった。


 クソ! 油断した!


 でも流石シルバ。ハイスペックブレスレット。


 右腕に少し痛みはあるが、そこまでじゃ無いかな……。


 右腕を見る。


 モロに尻尾の薙ぎ払いを食らったら俺の右腕は、関節が曲がってはいけない方向に曲がっていた。

 オマケに関節が4つくらいに増えていた。


 嘘だろ!?

 右腕ペチャンコじゃん。


 ダランと垂れ下がって動かす事が出来ない。


「なあ、シルバ。あんまり痛く無いんだけど、見た目より軽症なのか?」


「いいえ。右腕はもう駄目かと」


「ダメってのは?」


「複雑な骨折が右腕の複数箇所で見られるため、機能を停止しているような状態です。

 痛みについては戦闘モード中は脳内物質を大量に分泌する事で痛みをほとんど感じないようになっています。その代償として出力全開フルバースト終了後に強烈な痛みに襲われます」


「マジかよ」


 痛みはないが、なんかぶらぶらしてて気持ち悪い。


 俺が右腕を気にしていると、シルバが警報のような甲高い音を上げる。


「警告。特異的な魔力の高まりを検知。敵が強力な魔法の準備を始めました。

 今すぐ接近を」


「了解!」


 あの巨大なワニが豆粒ほどの大きさに見えるくらい吹き飛ばされてしまった。


 早く接近しないと、間に合わない!

 ブラブラと揺れる右腕は気にしない!


 距離を詰める。


 俺は全力で走り出した。

 その瞬間、シルバがカウントダウンを始めた。


「10、9、8……」


 マズイ!

 まだ全然遠いぞ!

 クソ! 足回せぇ!


 強化された俺の体は返事をするかのように、凄まじい勢いで加速する。


「7、6、5……」


 見えた!


 ヤツは口の中を大きく開け、真っ赤な炎のようなエネルギーを貯めていた。


「あそこにぶち込むんだよな!?」


「はい。3、2、……」


 もうワニの口は目の前だ。


「火炎《ファイア》」


「1」


 早く飛んでけぇ!


 左手から火の玉が、赤く輝くワニの口に吸いこまれるように飛んでいく。


 ワニは火の玉が口内に到達した瞬間、口を閉じた。


 ……なにも起こらない。


「オイこれ……」


 次の瞬間、ワニの巨体が膨張を始めた。


 ただでさえデカいのに、まだ大きくなるのかよ。


「なあ、シルバ」


「はい、マスター」


「これ爆発するよね」


「はい」


 ワニの体の膨張はついに限界を迎える。

 ボンッ!


 巨体は爆散。


 俺はどうなったかって?

 衝撃は来なかった。


 ただ、俺は全身血まみれだ。ワニの内臓、四肢、血液がそこら中に飛散する。

 一面血の海だ。


 なんか臭い。

 ぺっぺッ。

 しかも口の中にも入ったし。


 ふと俺の横を見ると、巨大な眼球が1つ転がっていた。

 直径は俺の身長と同じ。


 でっか。


 眼球のサイズが、いかにこのワニが巨大だったかを示している。

 よくもまあこんなデカいワニを倒せたもんだ。

 もうシルバに足向けて寝れないね。

 まあブレスレットだからどうあがいても足は向かないんだけど。


「シルバ。出力全開フルバースト切れるまであとどのくらい?」


「残り20秒ほどかと」


「そうかぁ」


 なんか痛みが来るってわかってる方が、突然痛みに襲われるより怖いかも。


「体が動く間に川で体と服を洗うか」


 なんか変な病気もらいそうだし。


 ペチャンコになった右腕を左手で抱えながら、川を目指し歩こう。


 俺が一歩足を踏み出した瞬間、ナイフからブレスレットに戻ったシルバが再び震えだす。


「……冗談だろ」


「マスター。敵性反応です」


 この状態はじゃ戦えないだろ。

 マジでどうすん……。


 ドスン! ドスン! ドスン! ドスン!


 巨大な足音が森を揺らす。

 それに、これは……。


「前方より接近。先ほどと同種の個体が5体接近しています」


 マズイ!


 俺はシルバに確認もせずに、振り返って走り出した。


 たとえ追いつかれてしまうとしても、もう出力全開フルバーストが切れる。

 これが切れたら、マジで終わる。


「前方に敵性反応。先ほどと同種の個体が5体接近しています」


「なんだよそれ! おかしいだろ!」


 クソ! マジでどうなって……。


「左右共に同種の個体が複数接近。囲まれています」


 クソ! クソ!


「どうしたらいい! なあ! 教えてくれよ!」


「生存率計算中……。生存率0.01%」


 なんだよそれ!


 俺の足はもう止まってしまった。


 振り返ると、きっきと同じくらい巨大なワニが5体横並びになって表れた。


 クソ! 考えがまとまらない!


 俺の状況なんてワニすれば知ったこっちゃないことだろう。


 予測眼フォーカス・アイが敵の攻撃に反応する。


 2体同時だ。


 体は? まだ動く!


 一体は尻尾! もう一体は前足!


 ジャンプだ!


 俺は飛び回避、すぐに1体の側面に着地。


 まずは1発!


 強烈なパンチを叩き込まれた巨体が宙を舞う。


 次のヤツ! 


「オラァ!」


 別の個体に、蹴りをぶち込む。

 鈍い音を立てて、巨体が転がる。


 次のヤツは!


「あ……」


 見えない。

 予測眼フォーカス・アイが切れた。


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!


 体は鉛のように重くなり、右手にはこれまで経験したことのない強烈な痛みが走る。


 歯を食いしばる。


 何か無いのか! 打開策は……。


 背後から巨大な足音が凄まじい速度で近づいてくる。


 俺には考える時間すら与えられていないようだ。


 横に飛べ!


 重く、痛みに悲鳴を上げる体を何とか動かす。


 俺の真横を巨体が通り過ぎていく。


 すぐに体制を整えて……。


 あれ? なんで俺倒れてるんだ?


 右足が無い


「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 痛い痛い痛い!


 クソ! クソ!


 血が止まらない!


 食いちぎられた右足の付け根は、手で押さえても押さえても血が際限なく流れ出してくる!


「シルバ! 助けてくれ! お前ならどうにかできるだろ!」


「検証中……不可。検証中……不可。検証中……不可。検証中……不可。検証中……不可。検証中……不可」


 シルバはまるで壊れたラジオだ。


「そんな……」


 1体の巨大なワニがゆっくりと近づいてくる。


 大きく口を開けて。


 食われる……。


 だが、俺は食われなかった。


 ワニはその巨体に見合わないほど器用に、下顎をスコップのように使うと、俺を空高く放り投げた。


 やがて俺の体は降下を始める。


 地面に落ちる寸前、待ってましたとばかりに俺の腹部にワニの尻尾による強烈な一撃が加わる。


 まるで野球のノックをするかのように、俺は上に投げられ思い切り打たれた。


「オッグブウェ!」


 腹部に途轍もない衝撃。


 血と胃の内容物が全て外にぶちまけられた。


 俺の体は吹き飛ばされ、転がり、木の根元で止まる。


 最早、指先をかすかに動かすことすら出来ない。


 朦朧とする意識の中、目をワニの集団に向けた。


 とんでもない数だ。


 その中には巨大なワニに隠れるようにして、俺を恐る恐る観察する小さなワニ達がいた。

 小さいといっても、観光バス並みの大きさのワニと比べたからであって、俺と比べたら普通に大きいだろう。

 大きさ的には、俺を最初に追い掛け回した奴と同じぐらいだろうか?


 なんとなく俺が襲われた理由が分かった気がする。


 多分、俺が最初に殺して食べたワニは、子供だろうな。


 だからデカいワニは俺に襲い掛かってきたんだろう。


 そりゃ、子供ぶち殺された上に食われたら、親はキレるのは当たり前だな。


 空に目を向ける。


 日本にいる母さんは元気だろうか?


 小学生の頃に親父が失踪してから、女手一つで俺を育ててくれた。

 警察官で厳しい人だったが、多分それも優しさなんだろうなとふと思う。


 普段、考えたこともなかったけど、死にかけだし。

 これが有名な走馬灯ってやつなのかなぁ。


 母さんの飯が食えないのは、少し悲しい。

 俺のたった一人の友人とうまいうまい言いながら食ってたわ。


 左手首ではシルバのブレスレットが強烈な熱を発していた。


「検証中……不可。検証中……不可。検証中……不可。検証中……不可。検証中……不可。検証中……不可」


 まだこのブレスレットは、現在の状況をどうにか打開しようと、ひたむきに思考を続けていた。


 シルバにも悪いことしたなぁ。


 俺が死んだら、シルバも機能が完全に停止しちゃうみたいだし。


「……ごめん」


 俺の口から出た、残りカスみたいな最後の言葉は謝罪だった。



 謝罪は俺が殺したワニの親子に向けたものなのか、もう会うことのない母親に向けたものなのか、最後まで諦めていないブレスレットに向けたものなのか、それはわからない。


 視界が暗くなる。

 もう痛みは感じない。


「…………のォ」


 もう何も見えない、何も感じない中で聞いた最後の言葉は年寄りのしがわれた声だった。


 ふざけんな。


 せっかく異世界に来てから最後に聞くのが老人の声かよ。


 まったく。一回ぐらい可愛い女の子に会わせろってんだ。


 俺は意識を完全に手放した。







* * * * * *







「面白いものが見れたのォ」


 右足を失い、右手がぐちゃぐちゃに変形し、完全に意識を失っている高校生、椹木さわらぎ勇司ゆうじの前にはいつの間にか、一人の男の老人が立っていた。


 その男は、身長は勇司と同じぐらいだが、猫背であるため少し小さく見える。


 髪は真っ白だ。

 薄汚い灰色のローブを纏った男の老人の顔は、年寄りらしく無数の皺が刻まれている。


 老人はローブの中から、オレンジの液体がたっぷりと入った瓶を取り出し、おもむろに栓を外すと中身を勇司に振りかけた。


 シューと音を立て煙が出ると共に、勇司の体から出血が止まり、ぐちゃぐちゃになった右腕はあっという間に綺麗な状態に戻った。


「右足の欠損と内臓の破裂はこの等級じゃ無理じゃの。確か向こうに特級ポーションがあったはずじゃが」


 男の老人は顎に手を当てながら、一人そうつぶやいた。


 いきなり現れ、ぶつぶつと独り言を発し、勇司の傷を癒す老人を多くの巨大なワニの姿の魔獣、クロダロスの群れは見ているしかなかった。


 その群れの中の若いオスの一匹はなぜ周りの大人たちがこの人間を攻撃しないのか不思議に思っていた。


 その若いオスは、ワニの姿の魔物であるクロダロスの群れの中でも、勇敢で力が強く将来有望なオスであった。

 勇司に致命傷を負わせたのもこの若いオスだ。

 しかし、若いということは経験が足りないということだ。


 全く動かない周りの大人のクロダロスたちに痺れを切らした、若いオスのクロダロスは老人に向かって走り出した。

 老人の背後から飛び掛かるようにして襲う。


 グシャッ!


 瞬間、その若いオスは潰れた。

 老人は、背後から襲い掛かってきたクロダロスを振り返って見ることすらしなかった。

 まるで興味がないとでも言っているかのように。

 臓物、目玉、血が周りに飛び散る。

 上から何かに押しつぶされたかのように、潰れた。

 観光バス並みの巨体は、消えた。


「仕方ないのォ。ここでは治療できんし、ワシの家に連れて帰るとするかの」


 老人は意識を失い、ぐったりしている勇司を軽々と持ち上げ、右肩にぶら下げるようにして担いだ。


 若いオスが殺されたというのに、クロダロスの群れの大人は誰も動かなかった。

 否、動けなかったのだ。

 あまりの恐怖で。

 経験を積んだ大人たちは気づいていた。

 目の前の年老いた人間の異常さに。


 クロダロスの子供たちは心配そうに大人達に身を寄せる。


ゲート


 老人が左手を突き出すと、何かが渦巻いているかのような円形の空間が現れる。


「よっこらせっと」


 老人は肩に担いだ勇司をその渦に放り投げる。


 勇司は跡形もなく消えた。


 そして、老人はその渦に入ろうと踏み出した足をぴたりと止める。


「35、36、37? 意外と多いのォ」


 老人はブツブツと呟く。


「そうじゃ。帰る前に害虫駆除でもするかの。外来種じゃし、容赦なしじゃ」


 老人が思いついたかのようにそういうと、何かを察したのか、クロダロスの大人たちは一斉に老人に向かって飛び出しす。


 子供たちを守るために、震える体を前に突き動かしたのだ。


 しかし……。


 グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!グシャッ!


 凄惨な光景が広がる。

 クロダロスの群れの中には恐怖で逃げ出す個体もいた。

 しかし、逃げることは叶わなかった。


 まるで小学生が、包装用のプチプチとした空気緩衝材を潰すかのように、簡単に潰れた。


 老人は何をするわけでもなく、魔法の詠唱をするわけでもなく、ただただその場に立っていただけだった。


 にも関わらず、クロダロスの群れは子供を含めて一瞬にして全滅した。


「さて。蛆がわく前に帰るとするかの」


 老人は渦に吸い込まれるようにして消えた。


 残ったのは、森の中に突然できた血と臓物の大きな池だけだった。

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