第2話 洞窟の中で

 痛い。


 頭から狭い洞窟に飛び込んだせいで、身体中傷だらけだ。

 血もかなり出ている。

 変な菌が入って病気にかからなきゃいいけど。


 なんとか無事みたいだ。

 だが、手に持っていた学校の制服のズボンが片足だけ引きちぎられていた。

 どうやらズボンが囮になってくれたらしい。


 洞窟の入口に目を向けると、ワニが唸りながら口を開けたり締めたらを繰り返していた。

 その口の中には、千切れた制服のズボンがよだれまみれになっていた。


 一歩間違えたら自分の足がああなっていたと考えるとかなり恐ろしい。


 俺は火の玉を警戒していたが、どうやらもう撃てないらしい。

 切り札的な感じなのかな?


 そもそも、火の玉飛ばしくるようなワニは俺の知っている地球にはいない。

 あれ? ワニってアマゾンとかサバンナとかの汚くて大きい川とかに生息してるもんなんじゃないの?

 あんな綺麗な小川にはいないんじゃないの? 


 もしかして……。




「ここ、異世界か?」




 異世界と考えれば意味不明な点がすべて解決するんだよな。


 急に気絶して気づいたら森とか、火の玉撃つワニとか、やっぱりおかしい。

 よくよく考えてみれば、この森の植物はあまり見慣れないものばかりだったかもしれない。


 マジか。異世界なのか。


 家には帰れないが、いざ異世界に来たとなると興奮してきた。


 よし! とりあえず、服着よう。


 いや、まさかパンツ一丁でワニに追いかけて回されるなんて夢にも思わなかったわ。


 制服の上着は無事だが、ズボンは右足だけ半ズボンみたいになった。

 まあ、何も着ないよりマシだろ。


 いやぁ。

 どうやら俺、椹木さわらぎ勇司ゆうじは、かの有名な異世界転移ってやつに遭遇してしまったらしい。

 赤ちゃんからスタートではないから転移って形になるのか。


 よくあるスライムとか蜘蛛とかゴブリンとか人外で転生するやつでは無いらしい。


 そもそも異世界転移ってトラックに轢かれたり、ナイフで刺されたりしたら転移するんじゃないのかよ。

 それは転生か


 ふっふっふ。だが、この程度で俺が狼狽えると思ったか?

 こちとら書籍でもなろうでも転移・転生物読み漁っとるんじゃ!

 俺が今、若干興奮しているのは当然自分でも気づいている。ワクワクが止まらないね。

 異世界に来たんだ。あれをするしか無いだろ……。


 右手をバッと目の前に伸ばして、俺は叫ぶ。


「ステータスオープン!!」


 決まった! なんて完璧なステータスオープンコールだ! 


 フッ。決まったぜ。


 どれだけ妄想の中で叫んだことか……。


 俺の目の前にはチート能力で埋め尽くされたステータスが浮かんで……いない? 


 へぇ!? 


 あ、あれ、おかしいな。ステータス画面見えないんだが。


「ステータスオープン!!」


 俺はもう一度叫んだ。

 だが、無情にもポタポタと洞窟の天井から水滴の落ちる音が聞こえるだけだった。


 いやいや、おかしいだろ! なんでステータスオープン出来ないの!?


 まさか、日本語非対応とか? ああ、異世界転生もグローバル化進んじゃってる感じ?


「Status open!!」


 思い切り英語の発音で言ってやったわ!


 とうだ!



 えー。ステータスオープン出来ませんでした。


 恥ずかし過ぎんだろ! 何がステータスオープンだ。現代ラノベの知識役に立たないなオイ。


 ま、まあでもステータスがない世界なのかもしれない。


 異世界と言えば、やっぱり魔法だろ! そうだ! そうに決まってる!


 ここはステータスの事は忘れて、魔法を使ってみよう!


 まずはスタンダードなやつから行くか……。


「ファイヤーボール!」


 俺は右手を突き出し火の玉をイメージするが、何も起こらない。

 


 その後、水、風、土等々魔法のそれっぽい言葉とイメージを繰り出したのだが、なんの成果も得られませんでしたぁ!


 マジかよ。ステータス見られないし魔法も使えないのか。


 俺は少し危機感を憶え始めた。


 魔法使えないんじゃ、ただの一般人なんだけど。普通に命の危機じゃん。

 ワニ倒せるかと思ったけど、これじゃ無理だな。


 神様はどうやら俺に分かりづらいチート能力をくれたらしい。


 俺が知ってる異世界物の知識からすれば、状態異常や付与魔術とかかなぁ。


 今はよく分かんないけど、そのうちわかるだろ。


 流石に神様もチート能力無しで異世界の森にブチ込むなんて鬼畜の所業はしないだろうしね。


 逃げたはいいけど、こっからどうするかなぁ……。


 まだ入口にはワニいるし、正直なんでもいいから口に入れたいんだけどな。


 洞窟の中は暗いもんかと思ってたら、意外と明るい。


 光源は洞窟の奥の方だ。


 よし! 少し奥に行こう。

 もちろん警戒しながら。


 また魔法をぶち込んでくる肉食動物に会うのはごめんだ。

 ていうか、洞窟はゴブリンのイメージなんだけど、いるのか? 出来れば会いたくないけど。


 俺は洞窟の中をゆっくり進む事にした。


 入口は狭いが、中は意外と大きいな。

 さっきのワニも自由に動けそうなほど広い。


 少し進むと、さらに広い場所に出た。


 道はここまでか?


不思議なことに、ランプのようなものが1つだけ付いていた。


 ゴブリン?


 いや、俺の読んだラノベでランプなんて人工物を使うゴブリンは見た事ない。

 明かりとしては焚き火を使うのが普通じゃない?


 そして何より目を引くのは、この場所の奥にそびえる巨大な扉。


 どのくらい巨大かって?

 2階建ての家くらいデカい。


 明らかに人工物だよねこれ。


 人の住んでいる気配はないけど。


 近づいて見てみると、訳のわからない文字がずらりと並んでいた。


 おい、マジか。

 俺、異世界の言語も分からないのかよ。

 ハードモードすぎん?

 ステータスも見れないわ魔法も使えないわ言語も分からないわ、どうなってんだ?

 マジで神様に会ったら猛抗議してやる。


 だが、読むことのできない大量の文字の中に唯一俺にもわかるものがあった。


 人の手の型が文字に囲まれるようにして存在していた。


 手形? ここに手を当てろってことか? 右手と左手両方あるけど……。


 でも、俺の手血だらけだしなぁ。


 木を登る時にだけじゃなく、多分洞窟に頭から突っ込んだ時にも擦っちゃったみたい。


 血は止まりそうにない。


 まあ、いいか。


 巨大な扉に描かれた手の型か……。重ね合わせてみたいなぁ。


 え? いきなり手を合わせたいって何よ? 落ち着け。


 何だってんだ? 理由は分からない。ただ、急に強烈な誘惑に駆られる。



 手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。手を合わせろ。


 不気味だ。脳内に誰かが囁いているみたいだ。


 俺は、謎の欲求に従うまま、血まみれの手をそのまま型に合わせた。


 次の瞬間、血が猛烈な勢いで吸い込まれる。


 痛くは無い。だが、強烈な不快感を感じる。


 血は俺の目の前で壁に書かれていた文字を赤く染め上げる。

 そして、文字は淡く光り輝き始めた。


 同時に、巨大な扉が凄まじい音を立てながら開く。


 もう呆然とするしかない。


 さっきの手を合わせろっていう欲求は一体何なのか?

 血は吸われるわ、扉は開くわ、脳内の処理が追いつかない。


 扉の奥には、通路が広がっていた。

 もう洞窟では無い。明らかな人工物だ。

 通路の両脇には、怪しげに光る緑色のランプが奥までズラリと並び、通路を照らしていた。


 危険な生き物はいなさそうだ。


 少し奥を覗いてみるか。

 ヤバそうなら引き返そう。

 どのみち入口をワニに占拠されたままじゃ出れないしね。


 そんな事を考えて扉に一歩足を踏み入れた瞬間、急に扉が閉まった。


 ……あー。閉じこめられたパターン?


 もう少し警戒するべきだったなこりゃ。


 クソ。でも、もう進むしか無い。




 鉛のように重い足を、俺は前に進めた。







* * * * * *







 通路の奥に到着するのにそれほど時間は掛からなかった。


 俺の目の前に現れたのは一つの台座だ。

 手前には短い階段がある。


 階段を登り、台座の前に立つ。


 ブレスレットだ。


 1つの丸いブレスレットが台座の上に浮いていた。

 色は銀色。よくある金属の色だ。

 鉄? アルミ? ステンレス?


 よく分からないが、まあ金属であることは間違いなさそうだ。


 不思議な事に浮いているが、下から風が吹き出ているわけでも無いし、細い糸で吊るされている訳でもない。

 クルクル回ってるし、磁石で浮かしてんのか?


 ツンツンと人差し指でつついてみた。


 次の瞬間、円形のブレスレットが一瞬で棒状に変化した。


 え? 金属じゃないの?


 びっくりしていると、蛇のように俺の左手首の周りに巻き付いた。


 またしても形が変化した。


 今度はぶっとい数十本の針になった。

 先端はそりゃもう鋭い。で、その先端はどこに向いてるかって?

 


 俺の左手首だよ。


 まさか俺に刺さったりしないよね? 大丈夫だよね?


 なんかドリルみたいにグルグル回りだしたけど?

 そんな太い針俺に向けてどうするの?


 数十本の針は、回転しながら俺の手首に突き刺さった。


 いでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!


 クソクソクソクソクソクソクソ!!!!


 肉が! 骨が! 抉られる!


 畜生!


 涙が止まらない!


 もうやめろってぇ! 止まってくれ!


 ああ、もうダメだ……。


 あまりの激痛に意識を手放すほかなかった。






* * * * * *







 ここは? どこ?


 学校行って、授業受けて、帰り道でラノベ買って、それで……。


 怪しく緑色に光る天井が目に入る。


 そうだ。いきなり森にいて、ワニに追いかけまわされて……。


 左手の手首に目をやる。


 そこには銀色のブレスレットがはまっていた。


 あのクソッタレのブレスレットだ。


 でも、不思議な事にもう痛みはない。

 ブレスレットも固定されている訳ではない。


 少しずらして手首を見ても、傷ひとつない。

 肉も骨も抉られたはずなんだけどなぁ。


 まあ、無事ならいいか……なんて思う訳ねーだろ!

 散々俺のこと痛めつけやがって!死ぬかと思ったわ!


 今すぐ手首から外そう。まだブッ刺されたんじゃかなわない。


 見たところ外せるようなところが無いんだが……。

 引っ張ったり叩いたりしてもビクともしない。

 おいこれ外せないじゃん。


 ため息をついていると、銀色のブレスレットが震え出した。


「叩いたり引っ張ったりしてごめんって! もうやらないから! 痛いのはマジでやめてくれ!」


マジかマジか! また動き出したんだが!? クソッ!


 歯を食いしばって目をつむり痛みに備える。


 あれ? 痛み来ないけど……? って、うわ!?


 思わず腰を抜かしてしまった。


 いつの間にか、何かレーザーのようなものが俺の頭のてっぺんからアゴまで照射されていた。

 まるで何かをスキャンするかのように。


 ちょ、何コレ!? 別に痛みは無いけど……。


 またしばらくするとレーザーの照射は終わり、再びブレスレットは震え出した。


 マジで意味わからん。怖すぎんるんだけど……。


「言語データ解析完了。システム再構築……。完了。起動します」


 なんか声聞こえたけど、まさかね……。機械音声みたいにやけに高い声だけど。

 ブレスレットが喋った気がする。

 まったく。俺も幻聴が聞こえるほど疲れたのか。

 いろんなことが短時間で起こりすぎたし無理もないか。


「初めましてマスター」


 いやー。これからどうするか?


「初めまして。マスター」


 どうやらこの機会音声は幻聴ではないらしい。


「……俺に話しかけてんの?」


「はい。マスター」


「あー、じゃあ俺がマスターなのね」


「はい。マスター」


 そうかそうか。俺がマスターね……。


「じゃあなんでマスターに向かって極太の針ぶっさしたんだおい!」


「感情の高ぶりを検知。状態:怒り。あれは注意書きに記されていました。同意していただいたはずです」


「え、もしかしてあのデカい扉に書かれたわけわからない文字?」


「そうです。リンク状態にするために激痛を伴うと明記されています」


 マジかよ……。あの文字意味あったんか。



「マジです。脳内スキャンの結果、マスターには該当する言語データは存在していないので分からなくて当然です。マスター」


「あのさらっと俺の思考読むのやめてくれない? てかなんで読めるの?」


「はい。マスターの左手首から脳内と脊髄にナノマシンを送り込みました。それが中継器の役割を果たしマスターの感情や思考は逐一本体に送信されます」


「ナノマシン!? 怖いなおい! 今すぐその機能オフだ! プライバシーもへったくれもないじゃねーか!」


「了解しました。自動思考通信機能をオフに設定します……。設定完了です、マスター」


 ふぅ。まさかナノマシンなんて単語を世界に来てまで聞くことになるとは思わなかった。

 俺はいつの間にか脳と脊髄にナノマシンをぶち込まれたらしい。

 てか、なんかさっきから人と会話してるみたいだけどこいつブレスレットなんだよな……。

 下手すりゃ現代日本のテクノロジーを上回ってる?

 てことはこっちの世界の技術もしかして凄いのか?


 こりゃ、数学の知識で無双! なんてのは期待できそうにないな。


 いやいや、今そんなことはどうでもいいじゃん……。


「てかお前何なの? おしゃれアイテムにしては明らかにハイスペックすぎだし、しゃべるし、ぶっ刺されるし、正直まだ混乱してるんだけど」


「マスターのその疑問はもっともですが、今はその説明より優先しなければならないことがあります」


「優先しなければならないこと? なにそれ?」


「食料の確保です。マスターの体には激しく運動した痕跡がありますが、エネルギーの補給がなされていません。おそらく空腹という感覚がマヒし現在は何も感じていない状況だと判断します。現状、こうして会話しているうちにいつ気を失ってもおかしくありません。早急に適切な処置、具体的には食料を摂取することが必要です」



 衝撃の事実。俺、気絶寸前。



「そういわれても食料なんてこの洞窟じゃ見てないし、お前は知らないかもしれないけど、めっちゃデカいワニが出入り口塞いでてここから出られないんだよ」


「その肉食動物に関してはスキャン済みです。脅威レベルF相当と判断。特に問題ありません」


 問題ない? あの魔法ぶっ放すデカいワニが? なんか嫌な予感してきた……。

 こういう時の嫌な予感はたいてい当たるんだけど……。


 そんなことを考えていたら、このブレスレットは何の感情もないような声色で言葉を発した。



「マスター。狩りの時間です」


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