第26話 11月29日「いい文具の日」
幸せが詰まっていて重たくなったバッグを、薄い鎖骨を露わにしながら肩にかける柚愛の健闘ぶりを見ていたせいか、私は近くのベンチにふと腰掛ける。
ミルクと涎の匂いの漂う手で手帳を開いて、今日の予定を書いたツリーを確認した。
まだ予定が沢山書き込まれたままのツリーのうち、一つだけを選んでリンゴの絵に書き換える。
文具を一通り持ち歩いている私は、文具入れの中から色鉛筆セットを取り出し、赤と黄色と茶色の色えんぴつを手に取った。
近くの、母親に連れられた幼稚園児くらいの少女が、私の色鉛筆セットに目を見張っている。50色もの色鉛筆を束ねた仰々しい巻物みたいなものを取り出したのだ、少女もそうせざるを得ないだろう。
母親に引っ張られて商品棚へ消えゆく少女へ、餞別としての笑みを送った。
やはり女というものは、絵にも幾分かの色味が出せる方が良いのではないか、という仮説が私の中に存在する。そしてその仮説を立証する為に、私は絵の練習を行動に組み込んでみたりする。
私は絵を描く時に、最大限の愛を対象物に傾ける事を重点として取り組む。それはビジョンを描く事と同じだと思っているからである。
ビジョンというものは、とても素直な写し絵の様な物である。例えば、とても小さな目標を描こうとすると、その卑屈さが想像に見る元の輪郭よりも小さなものとして描かせてしまう。利己的なものであれば、歪んだその視野のせいで、醜い肖像画が誕生してしまい、人様に晒す事となってしまう訳である。
だから、ビジョンには愛が必要なのである。それは人様の笑みや幸せな様、そして豊かな様の時を映し出す鏡面となる池に、この身全てを浸らせる献身の覚悟の事である。
私は経営者という道の上に放り捨てられた、その真っ当な意気込み共を拾うのが好きなのだ。
そうこうしている内に、色鉛筆で描かれた、赤と黄色のグラデーションが映えるリンゴが完成した。
文具を持ち歩いているおかげて、些細な時に色めきを堪能する事が出来る。それは割と、人生を一割増しで楽しむ秘訣として成立していると私は思う。
ただ幾分、重さがある事は確かなので、良い姿勢を保ちたい方は持ち歩かない方が良い。
良い姿勢と良い文具は両立しない。女は元来、色味を取捨選択しなければならない生物であるのだから、それも仕方の無い事ではある。
母親に引っ張られた少女が、小さな色鉛筆セットを手に持ち、母親へせがんでいる。
母親と少女の顔が、共に笑顔となった事が、私の肩の痛みを労う。
これも愛、なのかもしれないと思う私は、聞こえる少女の笑い声に薫風のそれが聞こえた気がした。
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