Suffix
@Tarou_Osaka
本編
「その身長は見上げるほどで、三メートルはあるように感じられた……」
わたしはそこまで声に出したところで、首を傾げた。今はまだ、企画のさらに前段階。ちょっとした雑談を文章に起こした程度で、起案は後輩のランちゃん。締め切りが近づいてきたから掴みとオチをとりあえずチェックをしているけど、『縦に三メートルある生き物』というのは、想像しづらい。
「うーん、ランちゃんさあ。ちょっとデカすぎん?」
わたしが言うと、ランちゃんはピアスだらけの耳に触れていた手を離して、くすりと笑った。合図をもらったようにわたしが笑い出すと、対抗するようにその笑いは大きくなって、やがて二人で大笑いした。
「こういうの、今は流行らないんですか?」
「わたしがハマり出した中学生のときでも、デジタル加工全盛だったからねえ。もうちょいリアリティが要るかな」
夜十時、一杯飲んで帰るとすれば、今が退社のリミットだ。わたしはデスクから首を伸ばして、周りの雰囲気をさらりと見渡した。編集長は徹夜する気だから、今は椅子を並べてその上で眠っている。ランちゃんが苦手な谷口さんは家の用事があるから早々に帰った。
事件物を扱う雑誌というのは、絶滅危惧種だ。オカルトが混ざっているとなると、元々が不真面目で取るに足りないという扱いを受けやすいから、尚更その立場は弱い。それに、ありとあらゆる『怖さ』を絞り尽くした結果、オカルト業界は全体的にネタ切れ気味だ。だから自由に企画を出す段階なのに、二十歳の若々しい女子社員の口から『身長三メートルの化け物』という概念が出てくる。一応上司のわたしは二十五歳で、決められているわけではないけど、超自然現象や都市伝説が専門。記事を書くときはペンネームにする人が多いけど、わたしはいつも実名で『古島明日夏』と署名を入れている。
「キューっていくかあ」
肘を曲げながら言うと、ランちゃんは愛嬌のために生やしているような八重歯を覗かせて笑った。
「是非」
居酒屋でも結局仕事の続き。わたしとランちゃんはノートパソコンを持って社屋から出ると、大通りを一本挟んだ先に並ぶ飲み屋街に足を踏み入れた。立ち飲みでも座って向かい合わせでも、焼き鳥でもタイ料理でも、何でもあり。デスクで色々と考えているよりも、色んな人間の会話を耳に挟める外界の方が刺激的で、はるかに効率がいい。
ランちゃんはお酒が進むとどんどん静かになって、真面目で神経質な地が出てくる。わたしは足が遅くなるだけで、性格自体は変化しない。何度も利用しているイギリス風のパブレストランで二杯目のギネスを飲み干した後、ランちゃんは言った。
「上に何かがいるのって、昔から苦手で。街路樹の下とか歩くの、今でも怖いんですよ」
「木は特に、生きてるからね。あー、だからランちゃんが考える怖い話ってのは、三メートルの化け物になるのか。分かってきたわ」
わたしが言ったとき、カールスバーグ二本よりも先にひと口サイズのミートパイが二つ運ばれてきて、ランちゃんは自分に近い方へウスターソースをかけながら笑った。
「ガチで怖がってる可能性ありますよね」
まるで他人事だ。ソースの甘酸っぱい香りで少し目が覚めたところで、ランちゃんがこちらの答えを聞き出そうとしていることに気づいた。何もかけずにミートパイをひと口食べると、わたしは言った。
「わたしが一番怖いのは、一メートルと……、五十七センチぐらい」
「それって、なんですか?」
ランちゃんが顔をしかめ、わたしは自分を指差した。
「人間だよ。まあそれは半分冗談だけど」
その表情からすると、ランちゃんは半分は冗談じゃないんだなって思っている。わたしはほとんど空いたグラスを見つめながら続けた。
「わたしが怖いのは、自分で捨てたはずの場所かな。もう二度と立ち寄らないって決めたのにさ。気づいたらど真ん中にいたりするやつ」
カールスバーグが運ばれてきて、わたしは中身をグラスに注いだ。ランちゃんは瓶のままひと口飲むと、言った。
「フロイトだったと思うんですけど。不気味なものって、親しみのあるものと同義っていうか、なんか似た言葉らしいですね」
「博学だな。わたしが怖がってるのは、まさにそれだね。フロイトじゃん、わたし」
「私の分析もお願いしまっす」
ランちゃんの神経質な表情が少し和らいで、わたしの肩の荷も半分近く下りた。そこからさらに数杯飲んで駅で別れ、わたしはコンビニで自分の記事が載る雑誌を買うと、終電に滑り込んだ。記事の内容はしょうもないけど、『古島明日夏』という名前は堂々としているし、大事なのはそっちの方だ。そこにわたしの名前が書かれているということに、意味がある。
結局ここにいますよ、という表明になるから。
昔から、説明のつかないような不思議な出来事や怖いものが好きだった。ピークは中二の冬から高二の夏、どっぷり浸かるきっかけになったのは月島冬美で、高一のときに照島秋奈が加わって三人組になった。苗字の二文字目が島だから、『島トリオ』と勝手に呼び合っていたっけ。高一のときに三人が揃っていたころは、今思い返せば本当に楽しかった。三人とも下の名前に季節が入っていることに秋奈が気づいたときも大騒ぎしたし、運命的なものを感じた。そんな感じで、中学校のころは夏と冬。明日夏と冬美のコンビ。高校に入って秋奈が仲間入りし、夏と秋と冬になった。そして今は、夏と秋。
親しみのあるもの。いや、昔は当たり前だった場所。記憶の中では角が取れて少しずつ美しくなっていくけど、現実はその逆で、どんどん埃が溜まって朽ちていく。そのギャップが空いた状態で、いざ現実の方を突きつけられたら。ときどき、懐かしいという感情を押しのけて違う何かがやってくるのかもしれない。その瞬間がどんなものなのか想像していると、メッセージが届いた。画面を横断するバナーには『帰ってきたアキナ』と表示されている。高校を出てから連絡を取り合っていなかったけど、三年前から再びメッセージのやり取りをするようになった。出張族で海外にいることが多いらしく、基本的に短文のやり取り。でも、明るくて物事を素直に楽しむ秋奈らしさは、文章でも十分に伝わってくる。
『月が綺麗ですねっと。さすがに家にいるよね?』
わたしは苦笑い浮かべながら返信した。
『終電だよ。ネタ出しも限界あるけどね、ぼちぼち題材だけでも固めないとヤバいかな』
『わー、ブラック』
茶化すような返信を送ってくるアキナは少なくとも、わたしがこんな感じだということを知っている。でも、冬美がどうしているかは分からない。学級崩壊した中学校、わたしは放課後よく図書室にいた。喋っても委員に注意されることなんかないのに、小声でわたしに話しかけてきたおかっぱ頭に銀縁眼鏡の同級生。それが冬美だった。
『都市伝説とか、私も好きなんだよね』
クラスに居場所がなかったわたしは、隣のクラスの冬美と瞬時に仲良くなった。駅前に看板を掲げる月島不動産の長女で、とにかく行動力の塊。感化されたわたしは、二人で図書室に霊を呼ぼうとしたり、肝試しで近所の廃ビルに忍び込んだり、好き勝手やっていた。そして三年生に上がったとき、冬美は『うちらの地元には都市伝説が足りない』と、五分前に気づいたみたいに言い出した。
『私たちで作るしかねーか』
本当は七不思議ぐらい作りたかったけど、基本ビビりなわたしが付き合ったのは一回だけで、それが上手くいったからこそ二度と手を出さなかった。標的となったのは、郊外にぽつんと建つ『内田ロイヤルホテル』という名前の廃墟。ベニヤ板で目張りされていて、不法投棄パトロールの看板が入口に建ててあった。決行の日は冬休みの初日で、リュックサックを背負った冬美は我が物顔でバリケードを跨ぐと、わたしを手招きした。普段の冬美は、自分の姿格好が一ミリでも狂うとすぐに修正するような几帳面な性格だったけど、あのときは着地したときに銀縁眼鏡が少しずれて、いつも揃えられていた前髪にも分け目ができていた。
二人で息を潜めながら入り込んだ建物の中は、淡いオレンジ色の西日が窓から斜めに差し込んでいて不思議と怖さはなかった。とにかくフルカラーで、鮮明に記憶している。一階の中央部分から伸びる豪奢な階段を見上げながら、冬美が言ったことも。
『ここは、迷路みたいになってて。上がるときはこの階段を使えばいいんだけど、客室から一番近いのは反対側の階段でさ。それをそのまま辿って下りると、一階を通り越して地下に着いちゃうんだわ』
冬美は何でも計画するタイプで、前の週に下見済みだった。わたしと一緒に驚いたりしたいのではなく、あくまで『楽しい』ことが保証されてから誘ってくれる性格。実際最上階まで上がって、目の前にある階段を下りていくと、一階を通り越して真っ暗な地下に着いてしまった。冬美はリュックサックから懐中電灯を取り出すと、雨漏りでぐしゃぐしゃになった宴会場を照らした。
『よっし、この壁にしよ』
わたしに懐中電灯を手渡した冬美は赤のスプレー缶を取り出すと、止める間もなく大きな字を書き始めた。誰も見ていないし懐中電灯のスイッチが切れたら真っ暗になるのに、わたしは自分の手が一番悪いことをしているみたいに、ドキドキしていた。でも、出来上がった落書きを見たときに思わず口角が上がったのは、わたしが冬美と同じ感性の持ち主だったからに違いない。今思い返しても、冬美は人を怖がらせる天才だった。
『おまえはまちがえた』
あれをさらさらと書いてのけた冬美が編集部にいたら、何本も面白い原稿を書いただろう。最寄り駅に着いたわたしは、アキナに返信した。
『今、駅に着いたよ。ブラック企業とは言わせねーよ』
『家に上がってひと息つくまでは、真っ黒やわさ』
就職して世界中を飛び回る秋奈は、どうしてもアキナとカタカナで呼んでしまう。高校時代のトリオではなく、もう大人の女性だから。一度メッセージにカタカナで名前を書いてからは、向こうもわたしのことを『アスカ』とカタカナで呼ぶようになった。どっかでお茶したいねとよく話題に上がるものの、残念ながら今のところ顔を合わせるどころか、国際電話になるから通話自体も叶っていない。それでもこのやりとりは生命線というか、昔と今を結ぶ大事な糸だ。
高校時代のわたしは、秋奈との付き合いは高校を出るのと同時に切れるだろうと、なんとなく思っていた。何故なら彼女は心霊にはあまり興味がなくて、それにハマっているわたしや冬美と話すのが好きみたいだったから。秋奈は当時から明るくて友達も多かったし、誰に対しても気さくだった。わたしと冬美は常に自分の世界に入り込んでいて、共通の話題にどっぷり浸かっていたから、その関係だけは変わらないと思っていたんだけど。蓋を開けてみると、途切れたのは冬美との付き合いだった。
わたしはアパートの部屋に滑り込んで、アキナにメッセージを送った。
『いやー、長い一日だったわ。ちょっと怖い話のアンケートなんだけどさ。三メートルの化け物がいるって言われたら、信じる?』
『誰がどんな感じで言うかによるねー。アスカが言うならマジかーってなるかも』
『わたしの言うことは信じるんだ?』
『うん。その代わり、言うときにちゃんと三メートルになっててよ』
『それは話を作るまでもないな。わたしが都市伝説じゃん』
テンポのいいやり取りが続くし、それに対して嫌な顔をする『同居人』がいないのも、今は割と晴れ晴れした気分だ。去年までは一緒に住んでいる彼氏がいたけど、少なくとも今時点では別れて正解だった。これから後悔するかは、自分でも分からない。
初めて彼氏ができたのは、高一の二学期だった。もちろん、先日別れたばかりの彼氏とは別人だし、その交際期間はかなり短かった。でも、椎野という名前はよく覚えている。親しくなったきっかけは、文化祭での共同作業。わたしは当時、本当に化粧気もなくて、髪型も天然パーマをあちこちピンで押さえただけの有様だった。他のみんなが創意工夫して可愛くしていた制服も、わたしはカタログの見本みたいにそのまま着ていて、目立たない外見を維持していた。でもそれを『なんか自然な感じで、でもめっちゃきちんとしてるよな』と言って、交際直前だった椎野くんは褒めてくれた。とにかく恋愛感情を持つと、すっぴんと天パすら最強の属性に変換されるらしい。外見に自信がない代わりに歩く都市伝説辞典だったわたしとしては、そっちの知識を褒めてほしかったけど、問題がひとつあった。椎野くんは、怖い話がとことん苦手だったのだ。
『こんな時間まで残ってたら、色々連れて帰っちゃうな』
交際がスタートして文化祭の準備で遅くまでかかったとき、確かこんなことを言ったと思う。そこから会話の火花が飛んで『心霊おもしれーよなー』というリアクションが返ってきて、二人で大盛り上がりする。勝手にそう期待していたけど、椎野くんは真っ青になっただけだった。
そして、夏秋冬の『島トリオ』にヒビが入ったのは、まさにそれが原因だった。
多分、わたしは恥ずかしくなったのだと思う。大人になるために破らないといけない殻は確かにあって、その殻を構成するのは昔から慣れ親しんできた『地下に存在する巨大なエイリアンの施設』や、田舎の山道に出現する『絶対に乗せてはならない白い服の女』だった。今になって分かることだけど、ここから一度抜け出さない限りは椎野くんと対等な関係になれないと、頭が勝手に切り替わってしまったのかもしれない。
酔いはそんなに回っていないし、空腹でもない。でもランちゃんとの会話で出てきた『不気味なもの』が頭の中を自由自在に巡っていて、関係のありそうな記憶を見つけては手をつなごうとしている。アキナから返信が来ていて、自分が話題を振っていたことを思い出したわたしは、クッションに腰を下ろした。
『怖さの正体って多分、それが本当にいるかもって感情だよ。思いこんじゃったら、終わり。ロイヤルも、未だに尾ひれついてるじゃん』
アキナからロイヤルという単語が出るなんて。それはまさに、冬美が『おまえはまちがえた』と書いた内田ロイヤルホテルのことだ。言うまでもなく、島トリオになってから秋奈も連れていったし、予備知識なしであの落書きを見せた。リアクションは百点満点で、わたしが懐中電灯を振った先に書かれたメッセージを見た秋奈は腰が抜けたようになった。もちろん友達だから種明かしはした。何年か前にわたし達が書いたんだよと言うと、秋奈は怖さの反動で怒ったみたいな呆れ顔になっていた。
『二人とも、就活要らないじゃん。冬美が都市伝説を作って、それを明日夏が追えばいいんだよ。心霊マッチポンプできちゃうじゃん』
帰り道、秋奈は自分だけが乗り切れなかったみたいな、どこか寂しそうな表情で言っていた。冬美は人を怖がらせることに成功した後はいつもテンションが高くて、銀縁眼鏡をかくかく揺らせながら笑っていた。
『明日夏はライターになるとして、私はどこからお金貰うのよ。都市伝説メーカーなんて仕事ないんだが』
冬美は茶化していたけど、本当に一円も生まなかったかと言うと、そんなことも無かったと思う。なぜなら、『内田ロイヤルホテル』の都市伝説は現在進行形で生きているから。わたし達が冬休みに書いた落書きがネットの口コミに載ったのは、次の年の夏休みだった。そのころ、ロイヤルは道路の反対側にある厨房の窓から入れるようになっていて、それを目ざとく発見した廃墟マニアが侵入して、メッセージを見つけた。それからは一気に心霊スポットの噂が広がって、『入ったら最後、出られない廃ホテル』という評判が立った。怖いのは理解できる。帰ろうとしても何故か一階には降りられず、真っ暗な地下に案内されるのだから。そして懐中電灯で照らすと、幼い子供のような筆跡で『おまえはまちがえた』と書かれている。冬美の悪筆も手伝って、余計に恐怖感を煽っていたらしい。
ちなみに、窓から人が入れるようにバリケードを外したのは冬美だった。手に絆創膏を何枚も貼ってプールを休んだ日があって、前日にひとりでロイヤルに行き、目張りのベニヤをハンマーで外していたことが後で分かった。冬美は、真面目そうな風貌からは想像もつかないぐらい、中身は無鉄砲だった。そして冬美の目論見通り、人が入れるようになってからは尾ひれどころか新しい魚まで誕生するぐらいに、噂は広まっていった。例えばオーナーはレストランで人肉を提供していて、それが警察にバレそうになって自殺したとか。直近五年以内のフレッシュな話題だと、下見で立ち入っただけの解体業者が帰り道に事故に遭ったという噂や、四階の部屋の窓から見下ろす真っ赤なワンピース姿を着た女の話。別に普通のワンピースでもいいのだろうけど、心霊や都市伝説を考える人間はどうしても、派手にしたがる。
自分でも不思議なのは、種明かしを全て理解している二十五歳の大人なのに、今になってそういうことを考えるのが、中学生のころのように楽しくなっているということ。何より仕事内容がど真ん中だし、山道を車で走っていると『乗せてはいけない人間』が歩いていないか、発見したくない一心で側道に目を凝らせてしまう。
『ロイヤルの最後の噂って、赤ワンピだっけ?』
アキナにメッセージを送ってパジャマに着替えると、わたしは鏡の前に立った。まあなんて特徴のない、普通の二十五歳。困り顔とか小動物系とよく言われるけど、真顔がこんな感じだと困っていなくても誰かが助けてくれるから楽だ。アキナからの返信はすぐ届いていたけど、そのまま開く気にはなれなかった。結局、化粧を落として加湿器の水を入れ替えるまで放置した後、ようやく目を通した。
『うん。開かずの間かな? でも、うちらが行ったときは普通に開いてたよね?』
アキナは記憶力が抜群で、島トリオの中でも一番勉強ができた。だから、ランちゃんが言っていた『不気味なもの』を辿りたかったら、このやり取りを続けるのが一番早い。自家製のネタを使うのはルール違反な気もするけど、このままだと本当に三メートルの化け物の話で正面突破する羽目になりそうだから、背に腹は代えられない。
それに、どこかで生活する冬美が記事を読んでくれたらと、期待する気持ちもどこかにある。今、頭の中で秋奈のことをカタカナで呼んでいるように、フユミと呼べるようにもなりたいから。
どうして木曜日の夜に飲みに行ったのか、それを後悔するのは決まって金曜日の朝。ランちゃんは表情を無理やり作っているけど、昨日のアルコールでだいぶダメージを受けている様子だ。それでも家に帰ってからスマートフォンにメモを取っていたらしく、今はそれを仕事用のパソコンに転送して、使えるかどうか吟味している。午後から『取材』の予定を登録したわたしは、ランちゃんの肩をぽんと叩いた。
「わたしの地元ネタだけど、有名なホテルの廃墟があるよ」
「廃ホテルっすか、二三七号室に双子出てきます?」
「双子はいないよ。てか、映画だと双子は廊下に立ってるんじゃなかった?」
わたしが言うと、ランちゃんはメモを閉じながら笑った。もう外出する準備を整えていて、わたしはこの素直さが好きだ。虫よけスプレーを煙草みたいに指の間に挟んだランちゃんは、言った。
「キャップあったほうがいいですか?」
「この暑さだからね」
窓の外を見ながらわたしが言うと、スケジュールに『取材同行』と登録したランちゃんは、指をぽきぽきと鳴らした。わたしは時計を見上げた。午前十一時。今から出て、昼ご飯を食べたらちょうど午後一時になっているぐらい。
「外出しまーす」
編集長の席に向かって言うと、返事の代わりにデスクへ乗せられた足の指が微かに動いた。わたしはランちゃんの手を引いて、谷口さんの冷ややかな視線を避けながら事務所から出ると、すぐエレベーターに乗り込んだ。ランちゃんがひと息ついたのを見て、わたしは肘で体を軽くつついた。
「谷やんはね、ランちゃんのことが羨ましいんだよ」
「どこにそんな要素が……。ボンボンの末っ子で、大学中退ですよ」
ランちゃんの自己分析はいつも辛辣だ。でも、自分をはっきり受け入れているから、その立ち姿は堂々としているし、それが谷口さんを苛つかせるんだろう。向こうは有名大卒で就職浪人をした末にここへ入っているから、現状を何も受け入れられていない。
「まあ、羨む立場より全然いいって」
電車に乗ってわたしの地元まで移動する間、ランちゃんを怖がらせるために、内田ロイヤルホテルについて色々と話した。話している内にわたし自身の昔話にもなり、自然と月島冬美や照島秋奈の名前も登場した。
「すげー、三人とも苗字に島入ってて、下の名前が夏秋冬だ。運命感じちゃいますね」
心霊系全般に耐性のあるランちゃんは全く怖がることなく、子供のように足をばたつかせながら目を輝かせただけだった。
「つーか、全員出しちゃいません? 名前は変えるけど、学生時代のトリオが十年ぶりに怪奇現象に遭うみたいな感じで」
ランちゃんは話しながらずっとスマートフォンにメモを取り続けていて、手元で動き続ける指先だけが別の生き物みたいだった。お昼は地元で有名な定食屋さんに案内して、通学ルートや『島トリオ』のたむろスポットを紹介した。
「さて、ランちゃんよ」
郊外の一本道から逸れるつづら折りの道を上がりながら、わたしは汗だくになった額を一度拭った。
「なんか、邪悪な空気を感じないかい?」
白のキャップを被ったランちゃんは首を傾げながらもうなずいた。
「ビンッビンきますね」
「嘘くせー」
わたしは笑いながら、最後の曲がり角を回り込んで、巨大な廃ホテルを指差した。
「あれだよ」
内田ロイヤルホテルは、わたしと冬美が都市伝説を作り上げた時点で、すでに廃業から二十年が過ぎていた。訪れるのは秋奈を案内したとき以来だから、八年ぶり。ほぼ記憶の通りだけど、警告の立て看板が増えているし、ロゴも最後の文字が落ちている。
「わー、雰囲気ありますねー。お昼でもちょっと怖いな」
ランちゃんがスマートフォンで写真を撮りながら言った。わたしは冬美が外したバリケードが今でもそのままなのか気になって、裏手に回るための小道を覗き込んだ。不法投棄の山が阻んでいる上に、新しいトラ柵が立てられている。でも、それほど重いタイプのやつじゃないし、土嚢が結ばれているわけでもない。わたしはトラ柵に手をかけて引っ張った。
「ちょっと、ちょっと。ちょーちょーちょー」
ランちゃんに背中のリュックサックを掴まれて、わたしは振り返った。ランちゃんは呆れたような顔で器用に笑った。
「立禁とかバリケある廃墟はヤバくないすか? あと、私は喘息あるんでそもそも無理っす」
「なんか今、昔に戻っちゃってたかも」
そう言ったとき、場違いなぐらいに冷たい空気が服の隙間を縫って、全身が粟立つのを感じた。明らかにやったらいけないことなのに、気づいたら手が動いていた。
「止めてくれてありがと。オーナー調べようか」
わたしが言うと、ランちゃんは半袖の腕をなぞりながら、腕まくりの振りをした。
「その辺、私が全部チャーってやるんで。先輩はエモい掴みを是非」
「わたしはオチを作る方が得意なんだけど」
顔の前から羽虫を追い払ってわたしが言うと、ランちゃんはスマートフォンを目にも留まらない速さで操作しながら目を向けた。
「じゃあ、私がチャーと掴みで。先輩はオチみたいな感じで行きますか?」
「そうだね。それでお願い」
実際大人になってから見てみると、全く怖くない。むしろ好奇心だけが勝っていて、中に残っているはずの懐かしさを全身で浴びたいという気持ちが強かった。帰りの電車では、そわそわしているわたしと仕事モードに切り替わったランちゃんのどっちが先輩かも、分からない感じになっていた。
また月曜ねと言って駅で別れたけど、ランちゃんは土日もずっと調べ続けるだろう。頭の中から高校時代の出来事を追い出せないのは、わたしも同じだ。
『ロイヤルの記事出すかも』
アキナにメッセージを送ると、ベッドに横になったわたしは素面の頭で記憶を辿り始めた。椎野くんとのお別れが決定的になったのは、高二の春のスポーツ大会で準備を一緒にしていたときだった。わたしは関係を崩すまいとバカバカしいぐらいに必死で、怖い話を一切することなく、椎野くんが好きな野球関連の知識を頭に次々仕入れていた。同時に島トリオの中では、風がないのに揺れ続けるブランコの話で持ちきりだった。そんな感じで『椎野くんの彼女』と『島トリオのメンバー』の二重生活は、危ういバランスにせよ続いていたんだけど。いよいよ大会本番が近づいてきて、垂れ幕を講堂に広げながら最終チェックをした日。気づくと夜の七時になっていて、外は真っ暗だった。講堂から教室に戻るルートは二つあって、ひとつはメインの校舎を辿る正規のルートで、もうひとつは使われていない旧校舎を通る『島トリオルート』。正規ルートを辿るためのドアが施錠されていることに気づいた椎野くんは、慌てていた。わたしは遠回りだなと思ったぐらいで、確か『先生が閉めちゃったかな』と言ったと思う。でも、怖がりな椎野くんにとっては死活問題だった。これも二十五歳のわたしが頭の中でお人形遊びをする限りでは、取るに足らないことだ。椎野くんは単に、わたしの前で怖がっている姿を見せたくなかったんだと思う。わたしとしては、椎野くんが怖い話を苦手としているのは知っていたし、当時だってそんなことで幻滅なんかしなかったはずなんだけど。とにかく、旧校舎を無言で抜けて教室に戻ったとき、椎野くんの雰囲気は明らかに変わってしまっていた。
『明日夏は、本当に怖い場所が好きなんだね』
初めて会う従兄弟みたいな距離感に驚いたのを、今でも覚えている。真っ暗な旧校舎を久々に歩くのは楽しかったし、椎野くんという新たな存在がさらに刺激をプラスしていて、わたしの足取りは軽すぎたのかもしれない。
いつもなら、島トリオの時間と椎野くんの時間が半々だったけど、その日を境に、島トリオの時間がどんどん増えていって、スポーツ大会本番の日に椎野くんから『このまま続けても合わないと思う』と言われて、わたし達の関係は解消された。何かを誰かにぶつけないと気が済まなくて、まず最初に抗議をした相手は大会実行委員会の細川先生だった。
『わたしと椎野くんが残ってたのに、鍵を閉めるなんてひどいですよ』
『鍵とか閉めたことないけど? もしあるとしても、なんで表だけ閉めるんだよ』
理詰めの数学教師にバッサリ言われると、何も言い返せなかった。
平穏を取り戻した『島トリオ』で話している内に、ふと疑念が湧いた。冬美は行動力の塊だ。何を実現したかったのかは分からないけど、冬美の大好物は人が怖がっている姿。その考えだけがずっと頭の中で育っていって、同時に『あるはずのないこと』にどんどんのめり込んでいく冬美のことが怖くなってもいた。だから、話し合いの日は夏休みの前日にした。わたしも後のことがどうなるか分かっていなかったから。
『春にスポーツ大会の準備してたときなんだけど。帰ろうとしたら講堂の鍵が閉まってたんだ。しかも表側だけ』
わたしが切り出すと、秋奈はオレンジジュースの紙パックを持ったまま視線を上げたけど、冬美は関心がないようにスマートフォンを見たままだった。
『あれって、冬美だよね』
自分の話だと分かって、冬美はスマートフォンに吸い込まれそうになっていた首を持ち上げた。
『何の話? 全く知らないんだが』
いつもの飄々とした口調も、普段は物真似をするぐらいお気に入りだったのに、そのときは無性に腹が立った。
『椎野くんと別れたの、あれが原因なんだよ』
『裏から出たんだ? 旧校舎は怖がり死んじゃうよね』
冬美がスマートフォンに視線を戻したとき、わたしはその画面を掴んだ。
『ここから出さないで』
『どういう意味?』
冬美は訊き返したけど、意味は分かっていたと思う。
『ないんだって、現実には。そんなこと、十七なんだから知ってるはずじゃん。画面の中だけにしといてよ』
わたしが言うと、冬美は失望したように小さく息をついた。
『そっかー、いるって信じられなくなったら終わりかもしれんね。じゃ』
終業式は終わっていたし、教室に残る意味もなかったから冬美は先に帰っていった。 秋奈はおそらく三人で寄りたいところがあったんだと思うけど、島トリオ決裂の瞬間を見てしまったショックで顔色を失っていた。
『別れたのって、それがきっかけなの?』
『うん。雰囲気が変わっちゃった』
わたしが言うと、秋奈は長いため息をついた。
『うまくいかないもんだなあ』
二学期からは、秋奈とわたしがご飯を食べる机に冬美は来なくなった。学年が変わってクラスが全員バラバラになってからはさらに接点がなくなり、受験勉強でそれどころでもなくなった。わたしは、切ると呪われる木や首無しライダーの霊とはついに無縁になり、全部振り落としたまま志望校に進学した。
スマートフォンが光り、わたしはアキナからの返信を開いた。
『今って、入れるの?』
その懐かしい言い回しに、思わず笑った。それは、わたし達が心霊スポットの噂を聞くたびに、最初に気にしていたことだったから。わたしは笑顔のまま、返信を送った。
『取材だからオーナーを探してもらってるとこ』
土曜は何もなく過ぎて、日曜の夜七時。ランちゃんからメッセージが届いて、開くと居酒屋で気の良さそうな壮年の夫婦とお酒を飲んでいる自撮りが添付されていた。ランちゃんは即席のイメチェンをしていて、髪は真っ黒だし耳のピアスも全部外されている。
『例のホテルのオーナー分かりましたよ』
さすが、ランちゃんはコミュニケーション能力が高い。取材の申し込みどころか、オーナーと一緒に居酒屋に行くぐらい仲良くなっているなんて。でもこの夫婦は、どこか見覚えがある気がする。わたしが返信を送ろうとすると、ランちゃんからのメッセージが追加で届いた。
『これって、お友達と同じ名前っすよね? 月島不動産ってとこなんですけど』
わたしはスマートフォンを持ったまま、その場から動けなくなった。洗濯機はマイペースに回っているけど、今は止められない。
内田ロイヤルホテルの持ち主が、冬美の親? 新しい事実が頭の中を駆け巡って情報を整理していくにつれて、合点がいった。冬美が我が物顔でバリケードを破ったり落書きしていたのは、親の会社の所有物だからだ。
『そうだね。今、飲んでるの?』
わたしがメッセージを送ると、三人でお酒を飲んでいるとは思えない速さで返信が届いた。
『はい! 先輩のこと、言っちゃっていいすか?』
『待って』
わたしはそれだけ返して、轟音を立てる洗濯機と目を合わせた。冬美とは苦いまま関係が終わってしまっている。古島明日夏という名前が月島家の中でどんな風に伝わっているか、知るのが怖い。
『冬美が元気だった昔を思い出すって。島トリオ?』
なんで過去形なの? わたしは手から滑り落ちかけたスマートフォンを両手で掴みなおした。同時にランちゃんから着信が入って、画面に触った手で通話ボタンを押してしまった。
「言っちゃいましたー。ずっとスマホポチポチも感じ悪いんで―。来てくださーい」
酔ったランちゃんの声。ちゃんと楽しそうで、営業用の酔い方だ。突然頼もしくなって、わたしは深呼吸をすると言った。
「お二人は、わたしにキレてない?」
「ぜーんぜん。もっと早く言ってよって、私が怒られてまあす」
「行く。場所送って」
わたしはスマートフォンを耳に挟んだまま布切れみたいなカーディガンをひっかけて、天パが明後日の方向に振り向けている前髪をヘアピンで抑え込んだ。休日なのにどこか張りつめていて化粧も落としていなかったけど、結果的に正解だった。
居酒屋の中は賑わっていて、ボックス席に座るランちゃんが首を伸ばして手を振った。向かい合わせに座る冬美の両親は、わたしの顔を見るなり口角を上げた。
「明日夏ちゃん。大人になったなあ」
中学校のときに家に招いてもらったことがあるけど、その日以来かもしれない。わたしが二人に名刺を手渡すと、冬美のお母さんが目を細めて言った。
「立派ねえ。桐ケ谷さんの上司なのね」
ランちゃんは本名が桐ケ谷蘭子で仰々しいから、名前で呼ばれるといつも恥ずかしそうにする。今回も例外ではなくて、叱られた子供のように肩をすくめた。お父さんが名刺をケースに仕舞いこんだところで、わたしは言った。
「突然、すみません。ご迷惑でなかったですか」
「全然。むしろ最初に明日夏ちゃんの名前を出してくれれば、ねえ?」
お母さんが笑いながら言い、微かに黒染めの匂いが残るランちゃんがビールを注文した。
しばらくの間、高校卒業から今までを結ぶわたしの話が続いた。そしてわたしが二杯目のビールに取り掛かったとき、ようやく内田ロイヤルホテルの話になって、お父さんが言った。
「冬美は、友達を連れていきたいってしきりに言っててね。それはよかったんだけど、誰かが裏の目張りを取っちゃったんだよ。それから色んな人が出入りするようになってねえ」
そのバリケを破ったのが都市伝説メーカーの冬美だなんて、言えないな。わたしがビールの泡を見下ろしていると、お母さんが言った。
「明日夏ちゃん、冬美と仲良くしてくれてたでしょ。あの子は中々友達ができなくてね、心配してたのよ」
わたしはランちゃんの方をちらりと見た。喉まで出かかっている質問を、タコの酢の物と一緒に何度も飲み込んでいる。わたしも同じだし、今聞きたいのはホテルじゃなくて冬美のことだ。お父さんは、わたし達の沈黙を『本題に入って』というサインだと思ったみたいで、咳ばらいをしながら言った。
「取材っていう仰々しいものじゃなくても、自由に見てもらったらいいよ。場所だけは書かないでもらえるかな」
「ありがとうございます。場所を非公開とする旨も、承知しました」
わたしが頭を下げると、お父さんは堅苦しい場が苦手なようで、ワイシャツの首元を引っ張って緩めた。
「鍵は明日取りにおいで」
そこで沈黙が流れかけたとき、わたしは今しかないと覚悟を決めて、お父さんの目を見据えた。
「冬美さんは、わたしも連絡を取れていないんです。今はどうしてるんですか?」
月島家には娘が三人いて、冬美は長女。だからか、二人のリアクションは『長女は今イチだったな』ぐらいの、軽いものだった。
「冬美は……。元々怖い話が好きだったり、暗い性格でね。県外の大学に進学はしたんだけど、二年ぐらいで辞めちゃって。本屋でアルバイトをしていることは知ってるし、連絡は時折来るけど。今の様子は正直分からない」
お父さんは言い終えると、ビールをひと口飲んだ。何度も人に言い聞かせたことがあるみたいに、慣れた口調だった。
「昔からだけど、変に触れると何も言わなくなっちゃう子だったから」
お母さんの手慣れた追い打ちがとどめを刺し、少なくともランちゃんの持ち弾はこれで尽きた。でもわたしには、ほとんど言い訳のような持ち弾がひとつだけ残っていた。
「わたし、二年生のときにちょっと喧嘩してしまって……。後味悪いまま終わってしまったのを、今でも後悔してるんです」
「そうなの? 何か言ってたかしら?」
お母さんは、お父さんの方を向いた。返事は言葉に出なかったけど、その表情が『お母さんが知らないことを、おれが知るわけない』と言っていた。お母さんはしばらく記憶を辿っていたけど、目を丸く開いた。
「夏休みに入る前かな? 怒って帰ってきたことはあったかも」
やっぱり、そうだったんだ。ランちゃんには悪いけど、これで取材拒否になっても、わたしとしては構わない。覚悟を決めると、お母さんはわたしの表情に気づいて、笑いながら首を横に振った。
「でも、明日夏ちゃんじゃないわよ。冬美が怒ってたのは、もうひとりの子だわ」
ランちゃんがタコを丸飲みして喉に詰めそうになり、ハイボールで無理やり流し込んだ。わたしが消去法で秋奈のことを思い浮かべたとき、お母さんは言った。
「言ってたのよ。絶対、秋奈がやったんだって」
「何をですか?」
おそらく、お母さんは答えを知らない。でもわたしは今、はっきりと理解した。
講堂の鍵を閉めたのは、秋奈だ。
「わたし……、最悪だ」
そう言ったとき、瞬きと一緒に涙がテーブルの上へ落ちた。しまったと思って真顔に戻ろうとしても顔が言うことを聞かず、どうやって顔を上げようかと思ったとき、ランちゃんがわたしの背中をばしんと叩いて言った。
「先輩、バッド入っちゃったなあ?」
お母さんがランちゃんの言い回しに吹き出して、お父さんもつられて笑った。
「そんなこともあったな」
「まあ、明日夏ちゃんのことは悪く思ってないわよ。年頃なんだから喧嘩もあるって」
お母さんがそう言って、ランちゃんはテーブルの陰でわたしの左手に右手を重ねると、小声で言った。
「自分、もうちょっと聞きたいことがあるんですけど。いいすか?」
わたしはうなずいた。感情をどうにか引っ込めて顔を上げると、ランちゃんが場を仕切り直すように両手をパッと開いて、言った。
「内田ロイヤルホテルの話なんですけど、もう少し伺いたいことがありまして」
二人が救われたような表情を浮かべていることから考えると、冬美の件はそれなりに地雷なんだろう。わたしはランちゃんのペースに任せて、ビールをひと口飲んだ。ランちゃんは営業用の口調で言った。
「元々が不真面目な雑誌で恐縮なんですけど、なんでも面白おかしく書くのはNGだと思ってまして、事実とフィクションを分けたいんです。特に現実味がある噂だと解体業者の方が事故に遭ったというのがありますが、これは事実なんでしょうか?」
お父さんが不動産屋の顔に戻って、神妙な顔でうなずいた。
「冬美の成人式の年だったから、五年前かな。ちょうど補助金が出るタイミングだったから下見をお願いしてね。でも、その帰り道で車のタイヤがパンクしたんだ」
お母さんが補足するように言った。
「かわいそうに、四人とも亡くなったわ。車が電柱に巻き付いたみたいになって。それからは、他の業者も怖がっちゃってねえ」
わたしはランちゃんと顔を見合わせた。『事故に遭ったらしい』なんて生易しいものじゃない。四人が死んでいる。ランちゃんはノートにペンを走らせながら、神妙な表情で呟いた。
「それは、記事から省きます。他にもあれば、教えていただけますか?」
再び凍りかけた空気を溶かして、ランちゃんは一時間近く情報を聞き出した。結局、死人が出るほどの大事故は解体業者の一件だけで、月島夫妻と解散して駅に着いてから、ランちゃんはわたしの肘をつついた。
「先輩、私どーでした?」
「もう満点。パーフェクトだよ」
「やった。あの、聞いてもいいなら……」
わたしはランちゃんがそれ以上言う前に、自分から話し出した。夏冬コンビから島トリオになって、今のいびつな夏秋コンビになるまでの話を全て。ランちゃんは駅で電車を待ちながら、首を傾げた。
「秋奈さんは、なんでそんなことしたんでしょう」
当時の空気を知らないランちゃんから質問されたことで、記憶の中に新しい風が吹いた。あのとき秋奈は、『うまくいかないもんだなあ』と言っていた。ずっと、わたしと椎野くんの関係のことだと思っていたけど、あれは自分のやった小細工のことを言っていたのかもしれない。
「いいように解釈すると、秋奈はわたしと彼氏の関係が続いてほしかったのかも。そのためには島トリオから抜けたほうがいいって、思ったのかもね」
冬美がわたしを怖がらせるために『内田ロイヤルホテル』のオーナーが自分の親だと言わなかったみたいに、秋奈はわたしを彼氏との関係に専念させるために、冬美を悪者にしようとしたのかも。だとしたら、わたしが彼氏と別れて島トリオも解散となったんだから、秋奈からすれば完全に失敗だったことになる。
「ランちゃんって、見守るだけじゃ気が済まないタイプ?」
「私ですか? ごっちゃごちゃに手え出すタイプですねー」
「この会話の流れでそれが言えるのは、強いよ」
わたしはそう言って、ランちゃんと顔を見合わせて笑った。月曜日に鍵を受け取ったら本番だ。八年ぶりに、内田ロイヤルホテルの中に入る。ランちゃんが最寄り駅で降りてひとりになってから、アキナにメッセージを送った。本当なら冬美の件で文句を言いたいけど、今は仕事が先だ。
『ロイヤルの件、進んできた。記事になったら是非読んで』
『ひょー、もちろん読む、アスカの名前出るよね?』
アキナのテンションはいつも通り。でも冬美の両親から聞いた話が頭にちらついて、集中できない。わたしは少しだけ回り道したくなって、頭に浮かんでいた返信を考え直した。
『今回、ランちゃんになるかも。前にも話したかな、わたしの後輩なんだけど万能包丁みたいなタイプでさ』
『代わりができるって、優秀なんだな。てか、アスカが誰かを信じて全部任せるって、レアかも』
アキナがそんな風に思っていたなんて、意外だった。わたしは割と他力本願な性格で、試験前にノートをよく見せてもらっていた。当時の記憶を手繰り寄せながら返信を待っていると、一気に長文が送られてきた。
『ランちゃんは、それから連絡が取れなくなった先輩のことがずっと気にかかっていました。最後の足取りは、取材に向かった廃ホテル。足を踏み入れた彼女は、真っ暗な地下の大宴会場に残されたカメラに気づきます』
わたしは思わず笑った。何も解決していないどころか、この書き方だと続編がある。
『うまいね。オチってか、続編あり? しかもわたしが行方不明になってんじゃん』
『確かに。勝手に運命決めちゃった』
制服を着崩したアキナの表情が浮かんだ。いつも、わたしと冬美がマジな顔で怖がっているのを横でニコニコ笑いながら見ていたっけ。
『でも、あり得るかもね。ランちゃんは喘息持ちで入れないから、現地の写真はわたし単独になりそうだし』
現地の写真を撮るのがわたしで、喘息で入れないランちゃんが文章担当。実際に記事が完成すれば『文章 ラン/写真 古島明日夏』みたいな署名になるだろう。
『おっ、入れるんだ? よかったね、オーナー分かったの?』
分かったんだよな、それが。冬美の親だった。さっき仕入れたばかりの情報だけど、言わないのも変だし、アキナからしても驚きの新情報のはずだ。わたしは返信を送った。
『それが灯台元暗しで、月島不動産だったの。冬美の両親がやってる会社だった。あの子が我が物顔でガンガン入ってた理由が分かったよ』
テンポの良かったやり取りがそこで途切れ、数分空けて短い返信が届いた。
『冬美はヤバいよ』
アキナにも言いたいことがあるのだろう。わたしを引き離すために小細工をしたぐらいなんだから。国際電話でも構わないから、文句を言ってやりたい。でもそれと全く同じぐらいの感情を込めて、どんなことを考えていたのかアキナの本音を聞き出したいのも事実。発信するか悩んでいると、追加でメッセージが届いた。
『アスカは来なかったけど。私、成人式で会ってるんだ』
わたしは微かな後悔と共に、耳の上へ被さる髪に触れた。あの時期は斜に構えすぎて、ほとんどに真横になっているぐらいだった。『普通にバイトでいけねーわ』が世界で一番かっこいいフレーズだったのだ。
『ヤバかったんだ?』
わたしは電車から降りながら返信を送り、コンビニで酔い覚ましの栄養ドリンクを買った。改札を出たところで返信が来た。
『冬美は式だけ出て帰ったんだけど。細川先生っていたじゃん。式の後で囲む会みたいになって。なんかめっちゃ懐かしくなって、ロイヤルをひとりで見に行ったんだ』
『夜? あぶねー』
『夕方だったよ。なんか入口にバンが停まっててさ。あ、これは解体されるのかなって思ったんだ』
解体業者のバン。わたしはついさっき聞いたばかりの話を思い出した。
『よく見たらバンの真横に冬美が屈みこんでた。なんかその感じが、すごく怖くて。あの子、何か考えてるときって周りが全く見えなくなるじゃない』
帰り道にタイヤがパンクして電柱に激突し、四人とも亡くなった。冬美のお父さんは、成人した年だと言っていた。わたしはいつの間にか歩くのを忘れていたことに気づいて、再び足を動かした。
『冬美とは話した?』
『そこでは声かけてないよ。でも式の前で再会したときは盛り上がった。普通のときはいい子なんだよね』
わたしは、冷房の風に思わず首をすくめた。何かがおかしい。
冬美は秋奈に対して、相当怒っているはずだ。なのに、成人式の日に普通に話せるとは思えない。これ以上家の外で続ける気にはなれず、わたしは早足で家まで帰ると玄関の鍵を閉めてから返信を送った。
『解体業者の車が事故に遭ったって噂、見たことあるよね? あれ本当で、四人が亡くなってるんだ。ちょうど成人式の年だよ』
駅を出てからずっと怖さで体が麻痺したみたいになっているのに、手は勝手にカメラバッグを引き寄せて、バッテリーを充電器へ差し込んでいる。職業病。いや、仕事のせいにはできない。これは変えられない性質で、わたし自身の問題だ。だから冬美と気が合ったんだけど。どうしても相容れない違いがある。わたしは画面を通して見ているだけで満足するけど、冬美は違う。あの子はなんだって、自分で作ろうとする。おそらく、それが人の死に繋がるとしても。
『縁切れになって、正解だったのかも』
わたしはアキナに追加でメッセージを送って、ランちゃんが送ってきた書き出しの部分に目を通し始めた。
月曜日の朝。黒髪のまま出勤したランちゃんは、昨日チェックした書き出しの部分を眺めながら続きを考えている。昨日送ってきた部分に数行が足されていて、掴みの部分はほぼ終わりかけていた。
『仲良し三人組が見つけた廃ホテル。そこは、入ったら出られないという、曰く付きの物件でした』
一緒に画面を眺めていたわたしは、時計をちらりと見てからランちゃんの背中をぽんと叩いて、立ち上がった。
「じゃ、行ってくる」
「はい、ご安全に」
そう言うと、ランちゃんは口角を上げて小さくうなずいた。わたしはカメラバッグと三脚が要るから車移動で、社用車のスパシオを取りに来るだけの目的で会社に顔を出した。まずは月島不動産へ出向いて、内田ロイヤルホテルの鍵を借りる。そしてそのまま現地の写真を撮って、夕方には戦利品と共に戻ってくる予定だ。ランちゃんも本気モードだから、終電までかかるかもしれないけど、ほとんど完成品に近いものができるはず。わたしはスパシオの鍵をフックから外すと、言った。
「編集長、スパシさん夕方まで使います」
「あーい」
編集長が手を挙げて応じ、わたしは駐車場に下りた。スパシオにカメラバッグと三脚を荷室に詰め込んで、まずは月島不動産へ。約束の時間は朝の十一時なのに、十五分早く着いてしまった。普段なら時間ぴったりを狙うのに、やはり今日は少し違う。はやる気持ちを抑えながら駐車場で待っている間、四人が亡くなった事故に冬美が関わっている可能性があるという事実を、頭から消さないように努力した。アキナからは夜中に『結果的に正解だったね』と返信が来ていて、会話の熱は冷めたままだ。今から再開しようという気にもならないし、仕事に頭が切り替わっている。解体業者の噂が本当なら、赤いワンピースの女やその他諸々の噂だって、完全にでたらめとは言えない。調べれば調べるほど、何かが出てくる。少なくとも今は、そんな予感がしている。
十一時になる五分前に車から飛び出し、わたしは月島不動産の中へ入った。スーツを着込んだ冬美のお父さんが笑顔で会釈し、お母さんが手招きした。わたしは物品借用書を取り出して、社員通用口の鍵を受け取った。深々と頭を下げて立ち去ろうとしたとき、お母さんが慌てた様子で空きテーブルの上を指差した。角が丸まった小さな段ボール箱が置かれている。
「明日夏ちゃん。記事の足しになるかもしれないから、よかったら持っていって」
中身が分からずわたしが固まっていると、お母さんは笑った。
「ホテルが経営してた当時の写真とか、そういうのよ。冬美の写真も入ってるから、参考にして」
「ありがとうございます、お借りします」
段ボール箱を受け取り、わたしはスパシオに戻った。この段ボール箱を持ったまま現地に向かってしまうと、ランちゃんは中身を全く参考にできない。腕時計で時間を確認したわたしは、編集部に向かってスパシオを走らせた。ちょうど休憩時間で谷口さんがお弁当を食べている以外は誰もおらず、わたしはランちゃんの机の上に段ボール箱を置いた。
『冬美のお母さんから、色々と借りてきたよ』
付箋に書置きを残して、逃げるようにスパシオへ戻った。解体業者の死亡事故に冬美が関わっているかもしれない件は、結局ランちゃんには言っていない。もしそんなことを言ってしまったら、ランちゃんは記事を書くのをやめて警察に通報するだろうから。わたしとアキナは何もしていないけれど、この件は『島トリオ』全員が共犯関係にある気がして、どうしても第三者の目線で見ることができない。
わたしはアキナに『ぼちぼち行くぜよ』と送り、スパシオを現地へ向けて走らせた。午後一時を回ったところでランちゃんから『あざす、資料めっちゃ助かります』とメッセージが届いた以外は、静かだった。郊外の一本道からつづら折りに折れて、入口の前でスパシオをUターンさせたわたしは、一度深呼吸をしてエンジンを止めた。運転席から降りると、カメラバッグを背負って三脚を地面に置き、フラッシュライトのスイッチを押した。最後に虫よけスプレーを全身に振りかけて手袋をはめ、借りた鍵を社員通用口に挿しこんだ。いつも冬美が破ったバリケードの隙間や窓から入っていたから、不思議な感じだ。真っ白な太陽光が差しこむ一階は相変わらずで、中央の階段はコンクリートが浮き上がってボロボロになっているけど、形は当時のままだった。ワイヤーが片方だけ切れて傾いたシャンデリアを見上げながら、わたしはカメラのスリングを首から吊って、写真を撮り始めた。最上階まで階段を上がり、ひと通り写真に収めていく間に気づいたのは、もう何年も前のことなのに記憶が鮮明だということ。島トリオのときは三人で回っていたけど、今はひとり。仕事だから寂しさを感じる余地はない。でも、自分の足音しか響かないというのは、どこか緊張感がある。四階で足を止めたわたしは、廊下に踏み出した。ロイヤルの噂のひとつで曰くつきの部屋、四〇五号室。ダブルベッドが二組ある一番大きな部屋で、赤ワンピ女が目撃されたのもここだ。噂の通りなら、道路を挟んだ向かいの住宅地で花火をしていたグループが気づいた。わたしはドアが開きっぱなしになった『開かずの間』に入って、窓から住宅街を見下ろした。ここに何かがいたとしたら、結構目立つ。部屋を見回して、わたしは今までは見向きもしなかったクローゼットを開けた。当然、ハンガーには一枚もかかっていない。勘に任せて、わたしは下の衣装棚を開いた。ひとつ目は外れだったけど、二つ目を開けたとき、わたしは思わず口角を上げた。
赤色のワンピースがくしゃくしゃに折られて詰め込まれている。首元に金色のステッチが入った綺麗なデザインで、冬物らしく生地はかなり厚手だ。これをハンガーに吊るして窓から見える位置に置いておけば、道路の反対側からなら人に見えるはずだ。そこまで想像したとき寒気がふっと通り抜けて、わたしは思わず肩をすくめた。
やはり、この噂も冬美の仕業なのだろうか。解体業者の事故よりも後に出た噂だったはずだけど。解体業者の車に細工して事故を誘発したのなら、その結果は知っているだろうし、勢いで大学を中退するのも分かる気がする。でも、その後もこのホテルに出入りしていたとしたら、それはもう頭のネジが外れているとしか言えない。
『冬美はヤバいよ』
アキナのメッセージでも示された、底なしの行動力。この建物全体が冬美の意思を引き継いでいるようにも感じる。わたしはワンピースをハンガーにかけると、全体の写真を撮った。さっきからスマートフォンが何度か震えていて、おそらくランちゃんからのメッセージだろうけど、今は見ている余裕がない。わたしは、例の地下に着いてしまう階段を下り始めた。三脚を持ってきたのは地下の宴会場を撮るためだし、『おまえはまちがえた』という冬美の署名を写真に収めないと、来た意味がない。
妙に間延びした階段を下りている最中、一階を通り過ぎたことが分かった。ここから先は真っ暗。わたしはフラッシュライトを取り出して、常時点灯モードに切り替えた。
成人式の日は、秋奈と普通に話していた冬美。性格からすると、秋奈が犯人だと疑っている時点で、一切話さなくなりそうだけど。頭の中は、過去と今目の前にある真っ暗な景色を行ったり来たりしていて、三脚を立てる気にもなれない。わたしは、一切光が入らない地下の宴会場に辿り着いて、フラッシュライトを振った。冬美がスプレー缶をからからと鳴らしながら振って壁に下手くそな字を書いていた、当時の記憶。それは頭の中で最前線まで出てきていて、目の前の景色と照合されるのを待っている。わたしはフラッシュライトで壁を照らしながら、目を凝らせた。確か、手前の壁だったはずだ。でも、真っ白な光で照らされる壁は、塗り直されたような明るい灰色だ。うっすら字の跡が見えるような気もするけど、おそらく写真には映らないだろう。誰かが消したのか。
「オチつかないじゃん……」
わたしは思わず呟いた。ここに『おまえはまちがえた』と書いていないと、話が終わらないんだが。無意識に冬美の口調を真似てしまったことに気づいて、わたしは首をすくめた。さっきから寒気が止まらないのに、どうしても自分で自分を怖がらせてしまう。
しかしこれは、ランちゃんが残念がるだろうな。加工して後から字を入れるわけにもいかないし、オチ自体を変える必要がある。わたしはスマートフォンを取り出した。ランちゃんからメッセージと写真が一件ずつ来ていて、それを開こうと指を動かしかけたところで、ふと手を止めた。
もしかして、この落書きを消したのも冬美? だとしたら、何のために?
宴会場は広くて、光は端まで届かない。わたしはそれを承知の上で、フラッシュライトを振った。雨漏りで黒ずんだ柱や、ひっくり返ったままの椅子。一番奥のカラオケができるステージは床が腐って抜けたままになっている。
今、わたしにとって一番怖い存在は、間違いなく冬美だ。真相は分からないにしても、事故を誘発して四人を殺している可能性があるのだから。でも、その印象は一方通行じゃない。もし冬美が、わたしの署名が入った記事をどこかで読んでいるとしたら。冬美はわたしのことをどう思っているんだろう。好意とか悪意じゃなく、このホテルを心霊系のライターとして再訪したわたしは、冬美が考える『怖い話』の中だと、どこに位置するのか。掴みの部分? それとも……。
手元でスマートフォンのバックライトが消えて、わたしは電源ボタンを押しながらロックを解除すると、アキナにメッセージを送った。
『落書き、なくなってた』
送ったばかりの文章にすぐに既読のマークが付き、わたしは返信を待って無意識に息を止めた。すぐに、待ちかねていたような短い一行が画面に現れた。
『だろうね』
思わず、フラッシュライトから手を離してしまった。かろうじてスマートフォンは落とさなかったけど、フラッシュライトはテーブルの上に落ちて跳ね返り、ひっくり返った棚との間に挟まった。宴会場が薄暗く照らされて、わたしはスマートフォンに意識を戻した。アキナの言っている意味が全く分からない。落書きがないって、知ってたってこと?
何か、理解するための手がかりになるものが欲しい。わたしはスマートフォンの画面を見つめながら思い出した。ランちゃんからのメッセージをまだ読んでいない。画面を切り替えると、仕事モードで暴走気味の文章が表示された。
『段ボールの中身、全部見ました。めっちゃめちゃいいっす。てか、赤ワンピの元ネタって、この子じゃないです?』
わたしは添付された写真を開いた。真っ先に目についたのは笑顔の細川先生。その隣に、赤いワンピースを着た女が立っている。
「秋奈」
わたしは思わず口に出した。コートで隠れかけているけど、首元が微かに光っているのは金色のステッチが入っているから。このワンピースは、ここの四階にあったのと同じものだ。
今から五年前、『島トリオ』のひとりが、ここで消えたのだ。
仲良し三人組。出られないことで有名な廃墟。ランちゃんが書いた掴み。わたしは、アキナが送ってきた『続編』を思い出した。成人して心霊系ライターになったひとりは、この廃墟に入ったきり行方不明になり、宴会場にはカメラだけが残されていた。
だとしたら、わたしは生きて帰れない。何故なら、前編のオチだから。
画面に表示されている『アキナ』のアイコン。わたしは三年もの間、一体誰とやり取りをしてきたんだろう。答えを求めてメッセージを打とうとする手が動かず、わたしは代わりに呟いた。
「冬美」
影がふっと後ろから伸びて、わたしの体をすっぽりと覆った。振り返ろうとしたときには、信じられないぐらいに懐かしい声が、もう耳元にいた。
「おかえり」
Suffix @Tarou_Osaka
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