儚く、脆く、

御厨カイト

儚く、脆く、


「先輩は私に手を出してくれないんですか?」


「……君に手を出す資格なんてものは俺には無い」



 とあるアパートの一室にて。

 動くたびにカチャカチャと鳴る機械の腕を携えながら、俺の事を「先輩」と呼ぶ彼女は俺に背を向けるような形で座り、いつもの雑談のテンションでそう言った。

 実際に大学の先輩である俺は、何度繰り返したかも分からない言葉を返しながら、彼女が付けている両方の義手と義足を外すのを手伝う。

 彼女も俺がこう答えていることを知っていたかのように「はぁー」とため息をつきながら黙り込んだ。


 そんな彼女の行動に目を逸らしながら俺は彼女を抱えて風呂場へと向かう。

 極力彼女は自分で出来る事は自分でするようにしているのだが、服を脱ぐなどといった行動はまだ難しいようで俺も手伝うようにしていた。

 上から順に彼女の服を脱がしていく。徐々に露になってくる素肌。白く綺麗だからこそか、至る所にある傷跡がやけに目立つ。

 まだ二十歳になったばかりだという彼女が裸になった後も俺の男の部分は反応しない。いや、反応してはいけないのだ。


 冷静に、淡々と目の前の仕事をこなしていく俺を見て彼女はまた「はぁー」と軽くため息をついていた。



 それから、彼女が体を洗うのを手伝った後、濡れた体をしっかりと拭き、寝間着を着せ、ベッドへと運ぶ。

 外していた義手や義足は朝、付けやすいように彼女の近くに置いておいた。

 これで今日やる事が終わった俺はベッドで布団を被る彼女を見届けてからベッドの近くにあるソファに寝転がる。


「一緒に寝てくれないの?」なんて戯言ざれごとを言ってくる彼女に、俺は背を向けたまま無視をした。

 すると彼女は諦めたように、しかしそれでも少し悲しそうにしながら、もぞもぞと布団の中へと潜っていき、数分も経たずに眠りにつく。

 これが俺と彼女の一日の終わりだった。


 翌日、同じ時間帯に起きた俺達はいつも通りに会話しながら朝食を取り、今日は彼女がリハビリを受けに行く日だから俺も大学を休んで病院へ行く準備を始める。

 起きた時に付けた義手などを用いて、今度は1人で着替え始める彼女。

 やはり、まだ難しいのか若干ふらつきながら覚束ない手つきで寝間着を脱ぐのを見ると、俺は少し不安になった。



「もー、心配しすぎですよ」



 そんな俺の気持ちが伝わったのだろうか。

 俺に背を向ける形で着替えていた彼女は、俺の方を振り返り、呆れるような笑みを浮かべながらそう言った。

(流石にか)と思った俺は「ごめんごめん」と軽く、短く謝る。


 彼女の着替えが終わる頃、丁度良く俺の準備も終わり2人で家を出る。

 夏という事もあり、朝日が俺たちを照らしつけ生暖かい風が頬を撫でた。


 目的地である病院はこのアパートから車で30分ぐらいの距離にある。

 もっと近い距離にも病院はあるのだが、設備が整っている大学病院の方が良いだろうと考えたため、この選択肢を取った。

 まだバランスが不安定な彼女を横から支えながら、車へ乗り込んでいく。


 彼女は助手席、俺は運転席に座り、ハンドルを握った。

 その刹那"あの時"の光景が一瞬、俺の脳内にフラッシュバックしてくる。

 手が急激に冷え、背筋を冷たい汗が虫が這うように流れてきた。

 そんな嫌な思い出を共に吐き出すかのように俺は「ふぅー」と深く息を吐く。



「……大丈夫ですか?」



 ただならぬ様子の俺に気付いた彼女が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。

 俺はもう一度深呼吸してから「大丈夫」と小さく答える。



 彼女のこの体では公共交通機関で行くのも辛いだろうと思い、車で移動することにしたのだがやはり苦しい。

 ……だが、これも彼女に対する俺の罪なのかもしれない。贖罪とさせてもらおう。

 そんな事を考えながら俺は車のエンジンを入れた。




 俺が運転を始めてから約30分と少し、目的地である大学病院に到着した。

 車から降りようとしている彼女に手を貸しながら、俺達は受付へと向かう。

 平日と言えど流石大学病院。老若男女問わず、沢山の人が院内にはいた。


「これは予約を取っていて良かったな」と心の中で呟きつつ、俺は手持ちの予約票を受付の人に手渡して自分たちの番が来るのを待つ。

 それから、担当の看護師が来てくれるまで椅子に座って待っていると俺の服の裾を引っ張ってくる彼女。

 俺が近くにあった彼女の機械の手を優しく握ると彼女も応えるように握り返してきた。

 きっと不安なのだろう。リハビリ前にはいつもこれをしてくる。

 少し強めに握ってやると彼女は安心したような微笑みを浮かべ、俺の肩に身を擦り寄せてきた。

 ふと伝わってくる温かさに思わず嬉しさを感じてしまいそうだったが、「これは彼女の為」と心の中で言い聞かせる。



 少しして――



佐々木ささきさーん、佐々木ささき琴音ことねさーん」



 と、彼女の事を呼ぶ看護師さんの声が聞こえた。

 彼女と一緒に立ち上がり、看護師さんを追いながらリハビリ室の方へと向かう。

 最早、俺は彼女の付き添いの人と認識されているのか、顔をチラッと一瞬見られただけで何も言われなかった。


 リハビリ室へ着き、担当してくれる看護師さんと一緒に彼女が入る。

 俺は廊下を歩きながら窓越しからリハビリに励む彼女の様子を見ていた。

 様々な器具を使い、義手や義足を使えるようにするためのリハビリに歯を食いしばりながら全力で取り組む彼女の姿を見て、俺は色々な感情が湧き出てくる。

 思わず涙が出てしまいそうだったが、堪えた。俺は知っている。この涙は本来、俺が流すべきではないのだということを。

 深呼吸をして一旦気持ちを落ち着かせる。


 すると、その時――



「今日も付き添いですか、工藤くどうさん」



 と、後ろから声を掛けられた。

 慌てて声の方へ振り返ると、そこには琴音の担当医である川上かわかみ先生が立っていた。



「あっ、先生。どうも……」


「こんにちは。彼女の様子はどうですか?」


「えっと、最初の頃よりかは大分良くなってきましたけど、まだ義手や義足を使うのは難しいようで……」


「うーん……そのようですね」



 俺と同じ方向に視線を向けながら先生は顎に手を当てて難しそうな表情を浮かべる。

 何かを考えるように少し経ってから、先生は俺の方に向き直した。



「まぁ、ですが、まだリハビリを始めて2カ月も経っていません。逆にこれだけの日数でここまで動くことが出来るようになっているのは凄い事です。このままいけば普段の生活でも困らないレベルまで動けるようになると思います。ですから、サポートも大切ではありますが……あまり心配しすぎない事も大切ですよ」



 最後の部分は俺の肩に手を置きながら、川上先生はそう言い残すと「それでは、失礼します」とその場を立ち去ってしまった。

 俺はただぼーっと先生の後ろ姿を見ながら、ただただ立ち尽くす事しか出来なかった。



 それから2時間ほど経った頃、リハビリを終えた彼女がこちらへ戻ってきた。

 疲労困憊な様子の彼女に「お疲れ様、よく頑張ったね」と声を掛ける。



「いやー、ホント疲れちゃいましたよ。今日のリハビリのメニューは一段と難しかったー」


「確かに、外から見てたけど今日のはいつもよりも辛そうに見えたな」


「でしょ?私、ちゃんと頑張ったんですから。なので、今日はご褒美くれません?」



 まるで何かを期待するかのような目で俺を見つめる彼女。

 いや、何かを期待しているというよりは何かを俺に求めてきているようだった。



「ご褒美?」


「はい、ハンバーグ食べたいです!」



 何の事か分からず、聞き直すと彼女は満面の笑みでそう言った。

「子供か」と一瞬思ったが、思わず笑みが零れてしまう。

 しかし、彼女が俺に対して求めるものはいつも食べ物だった。

 この前はアイスを奢ってあげたっけか。どうやら彼女にとってのご褒美は食べ物であるらしい。

 今回のハンバーグだって彼女の大好物である。



「分かった。じゃあ、今日の夕飯はハンバーグにしよっか」



 俺がそう言うと彼女は「やったー!」と嬉しそうに顔を綻ばせた。

 そんないつも通りの会話をしながら、彼女の手を優しく握り、支えながら病院を後にする。

 駐車場に止めていた車に乗り込み、病院からアパートへと帰る道を進んでいった。




 ……そう言えば、家に挽き肉あったっけ。


 そんな事を思い出したのは、病院を出て2個目の交差点を真っすぐ進んだ時の事だった。

 家の冷凍庫を脳内に思い浮かべ、中に入っている物を右から左に思い出していく。

 ……うん、無いな。挽き肉。ハンバーグは家では作り慣れているから特にどうと言う事も無いが、そもそも材料が無かったらどうしようもない。

 こうして、近くにあるスーパーに行くことが確定した俺は一応横にいる彼女に「ごめん、家に挽き肉無いからちょっとスーパー寄るね」と声を掛けた。


 だが、それに対する反応が無い。

 一体どうしたのかと隣をチラッと横目で見てみると、そこにはスヤスヤと静かな寝息を立てている彼女の姿があった。

 相当疲れているのだろう。このまま寝かせておいてあげようと思い、俺はそのまま車を走らせる。





 そういえば確か"あの時"もこんな感じだった気が。

 琴音は助手席で寝てて、俺は運転席でハンドルを握ってて。

 彼女が二十歳になって数日経った頃、俺に「誕生日祝いで居酒屋奢って下さいよ、せんぱーい」と言ってきたあの日。


 大学で同じサークルに所属していた縁で仲良くなった仲。

 年下だし、少し生意気だがどこか憎めないような愛嬌を振り撒いてくる彼女の誘いに「いつも奢ってやってるだろ」と呆れる様に言いながらも、結局俺はこうして彼女を連れて居酒屋に行った。

 とは言え、俺は車で行っていたので酒は飲まず、彼女が酒の味を知ったばっかりだという事を知っていたから飲み過ぎないように見張りながらも話に花を咲かせていた。

 でも、何だかんだ話している間に酔いが回ったのか最終的に彼女は潰れてしまい、俺にもたれ掛かりながらも絡んでくる彼女をどうするかと悩んだものだ。


 終電もとっくのとうに無くなったような時間にようやく居酒屋を出て「せんぱ~い、2軒目いきましょ~よ~」なんてバカな事を言っている彼女に「送ってやるから、帰るぞ」と言い、肩に腕を回す形で支えながら車へと乗せる。

 その時、倒れないようにグイっと力を込めて肩を抱いたからか彼女は「先輩、だいた~ん!」なんてほざいてきたが無視し、俺は運転席に座りハンドルを握った。

 車が動き出してからも酔っている影響かずっと喋りっぱなしだった彼女だったが、少しして車内が静寂に包まれる。

 流石に心配になった俺がチラッと横を見ると、そこには静かに寝息を立てる彼女の姿があった。


 余りにも無防備なその表情にその恰好。俺の事を信頼しているからなのかは分からないが取り敢えず「相手が俺で良かったな」と独り言ちる。

 ……まぁ、と言っても俺も男だから下心ぐらいはあるし、こんなにも懐いてくれている子に好意を持たない訳が無い。

 それでも、『信頼』という釘に打たれている今、行動に移す勇気なんてものは俺には無く、この想いは心の奥深くに締まっておくことにしようと決めた。

 なんて事を信号が赤から青に変わる間に考えていた俺はまたアクセルを踏み、夜道を進んでいく。


 その瞬間、突然体全体をハンマーで殴られたかのような衝撃が俺達を襲った。

 何が起こったのか理解できないまま、エアバックが視界を覆った所で記憶が途切れる。





 次に目を覚ました時に俺の目に映ったのは潰された車体の中で全身血塗れになりながら意識を失っていた彼女の姿だった。







 ……ふぅ、嫌なものを思い出してしまった。

 ハンドルを握る手に冷や汗が滲む。赤信号による時間がとても長く感じる。



 後になって知ったのだが、あの時俺達は信号無視した車に横からぶつけられたらしい。



 あの時運転していたのは俺だ。

 もう少し早くあの対向車に気づいていたら。

 もう少し遅くあの信号に辿り着いていたら。



 琴音がこうなってしまったのは全部、俺の――



「先輩の所為じゃないよ」



 横から聞こえてきた声に、俺はビクッと体を跳ねさせる。

 慌てて横を見てみるとそこには静かに寝息を立てて寝ている彼女がいた。

「寝言……か」と胸を撫で下ろしたのも束の間、彼女の寝言が続いた。



「先輩は何にも悪くないよ。だから、どうかそんな顔しないで……」


「……」



 琴音の言葉に俺は思わず口を噤んでしまう。

 彼女のその一言が俺の胸に突き刺さってしまい、俺の心を動揺させた。



 ……彼女は俺を責めない

 何だったら、俺に生活のサポートを俺に頼んでくるぐらいだ。

 だが、それは責められるよりも辛いものがある。

 責めてくれれば、罵倒してくれたら……良い意味で責任逃れが出来るというのに。

 確かに俺には法による責任は無いのかもしれない。それでも、あの時隣で彼女の惨状を見ておいて責任が無いなんて嘘だろう。


 そうして責めてくれない彼女だからこそ、俺は今こうして罪の意識に苛まれているのだが。

 いつも俺の事を信頼しきっているかのように接してくる彼女の態度を見る度に、俺の中で罪悪感が募っていく。

 だから、俺は決めたのだ。絶対に彼女にこの気持ちを伝えはしないと。いくら彼女が俺を信じてくれたとしても、この気持ちは変わらない。



 大学生という最も煌びやかで充実している時間と体を奪ってしまった俺の責任は重いのだ。


 そう決意すると共に俺は隣で寝息を立てる彼女に気付かれない様、静かにアクセルを踏んだ。









 途中で寄ったスーパーで挽き肉やその他の食材を買った俺はアパートへ帰ってきた。

 まだ寝ぼけているのか「もう食べられないよー」とさっき俺の心を刺してきた奴の寝言とは思えないような言葉を吐く彼女の頬を軽く叩いて起こしてから、俺達の部屋に戻る。



 お昼は家にあるもので適当に済ませた後は、お互い大学の勉強を進めていく。

 いくら休学しているといえども、勉学を疎かにすることは出来ない。復学した時に痛い目に遭うのが容易に想像できるからだ。

 そんな感じで俺達は黙々と勉強を続けて行く。

 時折休憩を挟んでいる俺達だが、集中が切れる度に横を向くと欠伸をかみ殺している彼女の姿が見えた。

 連日のリハビリで疲労が溜まっているのだろう。ふと目が合うと彼女は恥ずかしそうに軽く微笑み、頬を少し赤く染めながら視線を逸らす。

 そんな彼女を微笑ましく思いながら、俺はまた目の前の教科書に意識を向けた。





 ……ふぅー、今日はこのぐらいで終わりにしておこうかな。

 一段落ついた俺は軽く伸びをしながら、壁に掛けてある時計に目を向ける。時刻はいつの間にか17時に差し掛かろうとしていた。

(もうこんな時間か)と驚くと同時に、勉強に集中していたのもありお腹が空いていることにようやく気づく。

 丁度キリが良い所だったので、そろそろハンバーグ作りに移ろうと俺は彼女に声を掛けた。


 勉強疲れか死にそうな顔をしていた彼女のテンションが一気に高くなり、まるで子犬のように目を輝かせる。

「じゃあ、作り始めるか」と張り切ってキッチンに向かう俺の後をちょこちょこと付いてくる彼女。

 そのまま2人で台所まで歩いて行き、2人並んでご飯の準備をしていく。


 やがて調理を終え、料理が完成すると俺達は自分のハンバーグが載ったお皿を持ってテーブルに運んだ。

 机を挟んで座った俺達はお互いに手を合わせ、そして声を揃えて言った。


『いただきます』


 俺が作ったハンバーグを一つ一つ吟味するように見た彼女は、ソースを掛けたハンバーグを箸で一口サイズに切り、口に運んだ。

 そして、幸せそうに顔を綻ばせた彼女を見て、俺もまた自分で作ったハンバーグを口へと運ぶ。うん、我ながら上出来だな。

 ふと彼女を見ると未だ幸せそうにハンバーグを口へと運んでいる。

 彼女は美味しい物を食べている時、いつも以上に幸せそうな表情をする。それは俺にとって彼女の表情の中でも特に好きな光景だった。


 うん、幸せだ。……いや、俺が幸せになって良いのか?好きな人をこんな姿にした俺が?

 その瞬間、さっきまで美味しく食べていたハンバーグの味が一気に分からなくなる。

 気づけば俺は箸を握っていた手を自然と降ろしていた。


 すると、それに気づいたのか彼女が不安そうな表情を浮かべながらこちらを見てくる。

 こちらを見てくる彼女の目には心配の他に『悲しみ』が深く刻み込まれていた。

 その表情に俺は一瞬動揺するが、直ぐに気を持ち直し「ごめんごめん、何でも無いよ」と彼女に声を掛け、ハンバーグを食べ進める。

 少し心配そうな表情が残ったままの彼女もまた再びハンバーグを食べ進め、2人でご飯を完食した。




 食べ終わった食器を下げ、俺はそれらを洗い、片付ける。

 その間、俺達の間に会話は無く、どこか重苦しい様な空気が漂っていた。


 15分程掛けて、使った皿たちを全て片付けた俺はこの雰囲気を打破するためにも「よし、じゃあ風呂入るか」と口を開く。

 彼女がその声に「うん」と頷いたのを見て、準備をするために彼女の方へ近づいた。

 義手や義足を外すために彼女の服に手を掛け、上から慎重に脱がしていく。

 そして、上半身は残すところ下着だけになった時、彼女が不意に言葉を零した。



「先輩って私にセクハラとかしてきませんよね」



 唐突なその言葉に俺は思わず手を止める。

 突然の事で彼女の意図が分からないが、取り敢えず答えた。



「当たり前だろ、何言ってんだよ」


「今みたいに一人じゃ何にも出来ない、このうら若き乙女の体を合法的に触れるというのに」


「……はぁ、それ以上言うのはやめろ。第一、お前の体は――」


「こんな機械の体じゃ魅力が無いですか」



 語気を強める訳でも無く、ただ淡々とそう言う彼女。

 いつものようにヘラッとした笑顔で言ってきたのであれば俺だって「なにバカなこと言ってんだよ」とふざけた感じで返せるのに今の彼女の目は真剣そのものだった。

 だったら、俺も真面目に返さないといけない。



「そんなことは無い、お前は凄く可愛いよ」


「だったら、どうして」



 彼女は問い詰めるように聞き返してくる。

 俺は一度深呼吸をして、彼女の目を見た。



「俺にはそんな資格無いだろ。お前をそんな体にした俺には」



 そんな俺の言葉に彼女はハッと息を呑み、一瞬で悲しそうな表情を浮かべる。

 ここまで真っすぐ言うつもりはなかったが、ここまで言わないと彼女も分かってくれないだろう。

「もう、この話はお終いだ」と言わんばかりに俺は視線を下に向け、作業を続けた。


 すると、いきなり彼女は俯く僕の頬を挟むように両手を置き、グイっと自分の方へと向かせる。



 そして――




「私の事をちゃんと見てよ!!!」




 叫ぶようにそう言った彼女はまた苦しそうな表情を浮かべた。

 彼女のそんな表情を見たのは初めての事で、俺は動揺する。彼女の言葉は続いた。



「事故って両手両足を失った私を重ねずに"私"だけを見てよ!」



 俺の事を真っすぐ見つめてくる彼女が涙を流している事に気付いた時には既に遅かった。

 止め処なく溢れてくる雫。悲しみと怒りを含んだその雫は頬を伝いながら一粒二粒と零れていく。



「琴音……」



 俺の頬に添えられた彼女の手を握ると、彼女は堰を切ったように泣き始めた。

 そして、思いっきり抱き着いてきた彼女が泣き止むまでの間、俺は何も言えず只々されるがままの状態で立ち尽くす。

 やっぱり、彼女には敵わないな。そう思った時に俺の胸に突っかかっていた何かが取れたような気がした。

 暫くして、ある程度落ち着いた彼女がぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。



「先輩は、責任を負いすぎです。本来負わなくても良い所まで負い、その所為で自分の本当の想いに蓋をしている。私がこんな体になったのは先輩の所為なんかじゃないのに」



 俺の事を抱きしめる力が一段と強くなる。

 まるで彼女の感情を表しているかのように。



「そんな苦しそうな先輩を私は見たくないんです。だから――」



 そこで彼女は一旦、俺を抱きしめる事をめ、正面から俺と向き合い、俺の手をソッと握りながら優しく説得するような声色でこう言った。



「そろそろ、先輩も自分の事を許してあげてくれませんか」



 優しい。余りにも優しすぎる。

 なんで彼女はここまで……一番苦しい思いをしたのは彼女のはずなのに。

 彼女の優しさが胸に染みて、また俺の中で彼女に対する想いが強くなる。



「……どうして、どうしてお前はそこまで俺のことを」



 いつの間にか、俺の口からそんな言葉が漏れ出ていた。

 彼女に対する疑問。どうして彼女がここまで俺の事を……想い、考えてくれるのか。

 すると、彼女はあの頃と変わらない花のような笑顔を見せながら、余りにも単純明快な答えを返してきた。




「どうしてって、先輩の事が大好きだからですよ!」




 さらに、さっきよりも一段と強い力で俺の事を抱きしめてくる。

 その瞬間、俺の視界が涙でボヤけた。彼女の言葉に様々な感情が溢れ出してきて止まらないし、纏まらない。

 彼女が、琴音が俺の事を大好きだと言ってくれた。こんな俺でも好きだと言ってくれた。

 嬉しい。只々、その言葉が嬉しくて仕方が無い。


 そんな俺は最後の確認と言わんばかりの質問を彼女に投げ掛ける。



「こんな俺がお前の事を愛してもいいのか」


「えぇ、勿論です」



 さも当然といった様子で頷く彼女

 俺の今までの葛藤が救われた瞬間だった。




 今の俺にはその嬉しさを全身で表現できる程の素直さも度胸もない。只々、俺は再び彼女の事を力一杯抱きしめ返しただけだ。

 絶対に離さないという意志を持って。












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

儚く、脆く、 御厨カイト @mikuriya777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ