第227話 辺境男爵、ランドール侯爵領に侵攻す

“ドゴンッ、ガラガラガラガラ”


何か大きな物体が落ちたのか倒れたのか、周囲に地響きが広がる。

崩れ去った渓谷の谷間。夜空を照らす月明かりが、そんな山肌のシルエットを浮かび上がらせ、目の前の光景が現実のものであることを思い知らせる。


“パララララ、ラッラ、パララララ、ラッラ♪”

 

ランドール侯爵領領都スターリンに向け進軍を続けるグロリア辺境伯家とそれに連なる軍勢は、この時代の軍事行動としては有り得ない程の侵攻速度を持って隣領セザール伯爵領を抜け、ランドール侯爵領最初の街バレリアに向かっていた。

だがそこに思わぬ障害が立ちはだかる。この行軍の最大の難所、ランドール侯爵領とセザール伯爵領都の領境に存在する渓谷。その切り立った崖は天然の要塞、攻めるに難く、守に易い。

崖の上方から落石でもされれば、王国の盾としてオーランド王国中にその名が知られるグロリア辺境伯家騎士団と言えどもただでは済まない。

その渓谷が完全に崩壊し瓦礫により街道が塞がれているのである。


グロリア辺境伯は決断を迫られていた。この侵攻を中止し一度グルセリアに引き返すか、それともセザール伯爵領領都ジェンガまで引き返し、ジョルジュ伯爵領を抜けスターリンを目指すか。


“だ、だ、大聖堂 大聖堂の庭は♪

つ、つ、月夜だ みんな出て来い来い来い♪

おいらの友だちゃ ポンポコポンのポン♪”


夜の谷間に響く歌声。


“ガラガラドガドガドガ”


崩れ落ちる岩の音。


「ラクーン氏が撤去すると言ってくれた以上それは確実になされるでしょう。

彼は虚勢や見栄とは無縁の人物ですから」


アルバート男爵は事もなげにそう言い、自身の騎兵団に野営の準備に入るように指示を出す。目の前ではレッサーラクーンの様な顔をした作業員が唖然とするグロリア辺境伯軍の者たちを余所に、次々と瓦礫の山を消し去って行く。


これは本当に現実なのだろうか。

何年、何十年と言う時間と多くの労働力、そして多くの資金を掛け復興しなければならないだろう崩壊した渓谷の瓦礫が、たった一人の人物により瞬く間に撤去されて行く。

しかしそれが本当に僅か一晩で・・・。

己の中の常識が、その可能性を強く否定する。出来る訳がない、有り得ない。

だが目の前の光景はその言葉が実現可能な“作業”である事を示すのにあまりあるもの。


“負~けるな、負けるな、司祭様に負けるな♪

来い、来い、来い、来い来い来い♪

みんな出て来い来い来い♪”


月夜に響く歌声、その明かりに照らされたツナギ姿の作業員の影が、崩壊した作業現場に踊る。


“だ、だ、大聖堂 大聖堂のコスモスは♪

つ、つ、月夜に 花ざかり♪

おいらの友だちゃ ポンポコポンのポン♪”


マケドニアル・フォン・グロリアをはじめとしたグロリア辺境伯軍の戦士たちは、その光景をただ茫然と眺める事しか出来ないのであった。


空が白み始め、次第に辺りに明るさが戻って来た。

山間の渓谷にも日の光が降り注ぎ、人々に朝の目覚めを齎す。

そして起き上がった者達は、自分がまだ夢の中にあるのではないかと言う錯覚にとらわれる。


目の前に伸びる山間の街道、きちんと整備された道。敷き詰められた岩は表面が平らに削られ、騎馬隊による行軍に何ら支障の無い様に整えられている。

これが昨日グロリア辺境伯軍の進行を留めた崩壊した渓谷だと言うのか!?

まるで何年も前からこう言う山道であったと言われた方が納得してしまう、そんな状況。


「アルバート男爵、これは・・・」

この侵攻の責任者、マケドニアル・フォン・グロリアは目の前の状況に信じられないと言った顔を向けながら側にいるであろうドレイク・アルバート男爵に問い掛ける。


「あぁ、ラクーン氏はいい加減な仕事はしない主義ですからね。ただ人が進むだけの山道であったのならここまではしなかったのでしょうが、ここは領と領とを結ぶ主要街道、これから多くの騎馬が進むとあって気合を入れたのでしょう。

彼の本業は街道の整備ですから」


“まったくやり過ぎですよ、どうするんですかこれ”

アルバート男爵の呟きはグロリア辺境伯の耳に届く事なく、差し込む朝の光の中に溶けて消えていくのでした。



「全騎、騎乗!!これよりランドール侯爵領への侵攻を開始する。これより先は敵地である、どの様な妨害があるのか見当もつかない、一切の私情を捨て、周囲の警戒を怠るな!!」


グロリア辺境伯家第一騎士団騎士団長の号令の下、戦士たちは再びの移動を開始する。谷間の街道は落石のおそれも見られず、グロリア辺境伯軍は何の支障も受ける事無く、渓谷を抜ける事が出来た。


渓谷を抜けた先には木々に囲まれた街道が続く。その手前には一台の幌馬車が停まり、グロリア辺境伯軍の訪れを待っているのだった。


「グガ~、グガ~、止めるポコ~、キャタピラーの踊り食いはイヤだポコ~」

「「「・・・・」」」


幌馬車の荷台に横になり寝言を言う英雄。そのあまりに間の抜けた様子に、“本当にこいつがあの奇跡を齎した英雄か?”と首を捻るグロリア辺境伯家の面々。


「ハハハハ、まぁラクーン氏は昨晩寝ずの作業を行っていましたから、このまま起こさないでおいてあげましょう。

ロシナンテ君、悪いんだけど私たちの後を追い掛けて来てもらえるかな?」

“ブルルル”

嘶きで返事をする引き馬のロシナンテに、満足気に笑みを返すアルバート男爵。


「オホンッ、では気を取り直して、出立!」

動き出したグロリア辺境伯家の軍勢、その脅威はランドール侯爵領最初の都市、バレリアに到達しようとしていた。


――――――――――――


“カンカンカン、カンカンカン、カンカンカン”


打ち鳴らされた警鐘の音、バレリアの街に緊張が走る。

ここバレリアでは、つい先日セザール伯爵領に続く渓谷の街道から発生したスタンピードにより大きな被害を受けたばかりであり、街の復興が始まった矢先でのこの知らせに、人々の心に恐怖の記憶が蘇る。


「クソ、冒険者たちを急ぎ招集しろ!渓谷側の街門はまだ復興しきってないんだ、魔物が街に入り込んでみろ、大惨事になるぞ!!」

冒険者ギルドバレリア支部ギルドマスターは、ギルド職員たちに大声で指示を飛ばす。


「渓谷は崩壊して塞がれていたはずだ、なんでまた魔物どもがやって来た!?」

混乱するギルド受付ホール、そこに新たな情報が飛び込んで来る。


「ギルドマスター、違います、魔物によるスタンピードではありません!」

「はぁ!?それじゃあの警鐘は一体何だって言うんだ!」

今も鳴り続ける警鐘に訝しみの視線を送るギルドマスター。


「騎兵です、騎兵の軍が渓谷の街道を抜けバレリアを目指して進軍して来ています!」

「はぁ~!?お前何言ってるのか分かってるのか!?渓谷が完全に崩壊している現場はお前だってその目で見てるだろうが、あんな場所を騎兵が、しかも軍勢が進んで来れる訳がないだろうが」

その言葉はここバレリア支部全員の思いであった。

スタンピード終息後、渓谷の街道に向かった者達は皆が皆そのあまりの崩壊振りに唖然とし、バレリアの街の衰退を予感した。それほどの状態の現場から騎馬隊が現れる、コイツは一体何を寝ぼけた事を言っているのだと。


「ですが事実です。すでに西門前にはバレリアに常駐する領兵ならびに冒険者が集まっています。敵がどう言った集団か分からない以上高度な判断が必要です。

ギルドマスター、急ぎ西門に向かってください!」

報告者の鬼気迫る訴えに、その言葉の真偽はともかく異常事態が起きている事は確かと判断したギルドマスターは、副ギルドマスターにこの場を任せ急ぎ西門へと向かうのであった。


“ザワザワザワザワ”

西門では多くの冒険者がそして領兵が戸惑いの声を上げていた。

渓谷がある森から続く街道、その道を真っ直ぐバレリアへと向かう騎兵の一団、その総数約五百。

そのそれぞれが立派な鎧を身に付けた正規の軍勢、後方の集団に至ってはどう見ても騎士団の隊列。


“パカラッ、パカラッ、パカラッ、パカラッ”

一騎の騎兵が西門前にやって来る。

そしてその者が大きな声で宣言する。


「我々はグロリア辺境伯家に仕える者達である。我々はランドール侯爵家に戦いを挑むべく領都スターリンを目指すものである。開門し、我々の進行を見守るべし。

さすれば我々はバレリアにおいて無用な争いを起こさぬ事を誓おう。

返答はいかに」

それは明らかな宣戦の布告。

敵対すると言っている勢力を素直に通す者がいると言うのだろうか?


「ふざけるな!ここバレリアはランドール侯爵領の盾、スタンピードだろうが貴族の侵攻だろうが防ぐのが役目。

グロリア辺境伯だかなんだか知らねえが寝言は寝て言いやがれ。

ここまでご苦労な事だがとっとと辺境の地に帰りな!!」

「「「そうだそうだ!!」」」


粋がった冒険者が叫ぶ。ここバレリアはランドール侯爵領の要所、先のスタンピードで領兵と冒険者は共に街を脅威から守った戦士たち。

共に困難を乗り越える事で、彼らの結び付きはより強くなっていたのである。


「だからおいらが言ったポコ。仮にも領外からの脅威の侵入を守る街の人々が素直に言う事を聞くはずがないポコ、一々説得なんてしていたら日が暮れるポコ」


その場違いな気の抜けたような声は、バレリアの街の者に開門を告げに来た者の背後から聞こえて来るのであった。


“スタンッ”

馬の背から飛び降りた何者か。

それはツナギ姿の小男。目の周りと鼻の頭が黒く染まり、両頬に三本ずつの髭を引いた、間抜けな顔の男。よく見ればその頭には三角の魔獣の耳の様なものが付いている。


「ブッハッハッハッハッ、何だお前のその顔は。あれか、レッサーラクーンか何かか?森の狸がこんな所で何をやってるんだ?

人に捕まったら狸鍋にされちゃうぞ?」

「「「アハハハハハ」」」

指を指しながら大笑いするバレリアの住民たち、そんな彼らの言葉にラクーンはウンウン頷きながら答える。


「そうポコね、おいらは一体何をやっているポコ。おいらの仕事は街道の整備ポコ。アルバート男爵様は鬼畜だポコ。

でもこれもお仕事だポコ、仕方がないポコ。

それでこの門は開かない、グロリア辺境伯様の軍勢は通さないと言う事でいいポコ?」

間抜けな小男の問いに、街門の者達は一斉に声を上げる。


「当り前だろうが、セザール伯爵だろうがグロリア辺境伯だろうが何だってんだ、一昨日来やがれ!!」

「「「そうだそうだ!!」」」


「了解ポコ。それじゃこの門は街道を塞ぐただの障害ポコ。

街道の障害を取り除くのがおいらの仕事ポコ」

そう言い間抜けな小男は何やら剣の柄の様なものを取り出した。


「魔剣グラトニュート、仕事ポコ。目標は街門全部ポコ」

“ブワッ、ドバン”


突如剣の柄より膨らむ濃厚な闇属性魔力、それが濁流の様にバレリアの西門を包み込む。そして・・・。


「ご馳走様でしたポコ。おいらの仕事はここまでポコ」

“タンッ”

颯爽と騎馬の背後に飛び上がる小男、騎兵はそのままグロリア辺境伯の軍勢に戻って行く。

残された人々は思う、これは一体何の悪夢だと。

消された街門、迫る軍勢、残された自分たちは守ってくれるはずの盾を失った状態であの騎馬隊と戦わないといけないのか!?


“バカバッ、バカバッ、バカバッ、ヒヒ~ン、ブルルル”

“ブオーーーーー”


現れた者、それは巨漢の偉丈夫。その全身から発せられる威圧、それだけで全身の震えが止まらない。


「この場の責任者はいるか」

その低く圧の籠った声音は、拒否権を許さず、最高責任者の登場を促す。


「私がこの場の責任者、バレリアの衛兵隊長だ」

「俺はここバレリアの冒険者ギルドギルドマスターだ」

二人の人物が名乗りを上げ前に出る。


「俺はグロリア辺境伯家が寄り子アルバート男爵家騎兵団ヘンリー。

バレリアは我らの通過を拒否した、そう言う事だな?」

ヘンリーから噴き出す威圧、だが衛兵隊長は気丈にヘンリーの問いに答える。


「我らはランドール侯爵領の盾、どの様な障害が訪れようとそれを弾き返す、その信念に変わりはない!!」


「そうか、その高潔な心、俺の魂に刻もう。

さらば気高き者たちよ、諸君らの誇りこの“笑うオーガ”ヘンリーの中で永遠に生き続けるだろう!!」

“ゴウンッ”吹き上がる強大な覇気、それはバレリアの西門周辺どころか街全体を覆い尽くす力の津波。

その覇気に当てられ気を失う者、ガタガタと震え身を縮こまらせる者、そして意識を保ちつつも告げられた二つ名に絶望に陥る者。


「わ、“笑うオーガ”、スタンピードを単身潰した鬼神、そんな大物がなぜ。

終わった、バレリアは終わった」


「退け」

その一言に人々は急ぎ道を開ける。


“カッポ、カッポ、カッポ、カッポ”

悠然とバレリアの大通りを抜けて行くオーガ。


「おぉおぉ、可哀想に。ヘンリーの覇気をもろに浴びて放心しておるわいて。

ほれ、しっかりせんか。“喝ーーー!!”」

突然の気合いにビクッと身体を震わせ動きを取り戻す衛兵隊長とギルドマスター。


「どれ、意識は戻ったかの?周りの者もどうじゃ?いつまでもボーっとせんとシャッキリせんか。お主等は現役の領兵と冒険者なんじゃろうが。

で、既に騎兵共は到着しておるがどうするかの?

やるのなら一番槍はこの“下町の剣聖”ボビーに任せて欲しいのじゃがの?」(ニチャ~)

“ブワッ”

再び膨らむ覇気の奔流、ギルドマスターと衛兵隊長は急ぎその場から退き道を開ける。


「なんじゃつまらんの~。折角ランドール侯爵が喧嘩を売って来てくれたんじゃ、全力で死合える良い機会じゃと思ったのにの~。

まぁよい、スターリン迄にはまだいくつかの街もあろう。楽しみは後にとって置く事としようかの」


去って行くグロリア辺境伯家の軍勢、“ドゴーン”遠く北門側から聞こえる轟音、おそらくは門が破壊された音であろう。


「ランドール侯爵家はとんでもないモノに喧嘩を売ってしまったようですな」

「あぁ、今我々が生きているのはグロリア辺境伯様の気まぐれやもしれん。ランドール侯爵領は今後どうなってしまうんだ」


動乱、それは力無き者を容赦なく巻き込み、混沌の渦を作り出して行く。

グロリア辺境伯家とランドール侯爵家の激突、その結末は誰にも予想出来ない方向にひた走って行くのであった。

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