魔法のスケッチ

翔吏

魔法のスケッチ

 魔法のスケッチという言葉を今でも覚えている。


     ○


 あれはまだ私が小学生の頃、シュンくんと一緒に近くの公園でスケッチをしたことがあった。シュンくんは私のいとこで、当時は高校生だった。


 八月のお盆の時期、私はお父さんとお母さんと三人で、田舎の方にあるお母さんの実家に帰省していた。ちょうど同じ頃にシュンくんの家族も帰ってきていた。


 シュンくんは笑顔が素敵でとても優しくて、お盆やお正月に会うたびによく一緒に遊んでくれた。家の中でトランプをしたり、広場でボール遊びをしたり、お正月には凧揚げをしたりもした。


 シュンくんはよく絵を描いていた。家の外観を鉛筆でデッサンしたり、田舎の風景を色鉛筆で鮮やかに描いたり、時には絵の具を使うこともあった。今思い返してみてもシュンくんの絵はとても上手で、目の前で浮かび上がる絵の感触に心躍ったものだ。


 ちょうどその年に、小学校の夏休みの宿題で絵を描くというものがあった。自分の好きなものを自由に描くという内容で、そのことをシュンくん話すと、一緒にどこかに出かけて絵を描こうか、と言ってくれた。


 雲のない晴天の日で、夏の日差しが眩しかった。


 私たちはお昼ご飯を食べ終わると、A5サイズのスケッチブックをリュックサックに入れて、近くの公園へと歩いて行った。


 周りの風景を見まわしながら、私はつぶやく。


 「何を描けばいいのかなぁ」


 好きなものを自由に、とは言われても、自由にテーマを決めるというのは案外難しいものだ。自分に何が描けるのかもわからないし、どうしようか困っていた。


 「そうだなぁ。アリサちゃんはこの近くでどこに行くのが楽しい?」


 シュンくんは遠くの空を見ながら聞いた。


 楽しいところと言えば、


 「えーと、公園! 公園でボール遊びしたり、お弁当食べるの大好き!」


 それは家から歩いて十分くらいのところにある公園で、大きな広場や遊具もあった。とても開放的な場所だった。


 「じゃあ、公園がいいね。公園に行こうか」


 そうして私たちは公園へと歩いて行った。


     ○


 公園には家族でピクニックをしている人や、散歩の途中に一休みしている人たちがいた。それはのどかな昼下がりだった。


 私たちは、夏の直射日光を避けるように、公園の端っこにある大きな木の陰に腰を下ろして、スケッチブックを取り出した。


 「うん。ここからなら公園が見渡せるし、構図もいいんじゃないかな」


 そう言いながら、シュンくんは手を前に伸ばして、カメラのように風景を切り取っていた。


 「おー! なんかかっこいい!」


 私も同じように真似をした。自分が画家になったような気分がした。


 「似合ってるよ」


 シュンくんは手で作ったカメラを私に向けてにこっと笑った。


 そうしてしばらく笑いあった後に、私は筆箱の中から鉛筆を取り出した。


 「ねー、シュンくん。絵ってどうすればうまく描けるの?」


 「まずはね、ラフを描くんだよ」


 「ラフ?」


 「形を簡単に描くことだね。たとえば、あの山は絵の左上にくるよね。あのブランコは右側にきて、滑り台はそれよりちょっと左。ほら、こんな風に」


 そう言って、シュンくんは自分のスケッチブックに鉛筆でさらさらと絵の中の形を描いていった。驚くほどの速さで紙の上に風景が浮かび上がってくる。


 「すごい! すごい!」


 同じようにして私も自分のスケッチブックに鉛筆を走らせた。


 「簡単でいいんだよ。あとで、消したりできるように薄くしておくといいよ」


 シュンくんのラフと見比べて、どうしても同じようにはならないなあと思いながらも、私は少しずつ絵の形を描き込んでいく。


 やがて、全体の構図のラフが完成した。


 「できた! みて!」


 「お! アリサちゃん、上手! 形を捉えるのが上手いね。じゃあ、ここからは鉛筆で清書をしようか。今描いた絵を、こんな風に、次は鉛筆で濃くしていくよ」


 シュンくんの手でスケッチブックの上の絵に命が吹き込まれていく。


 ブランコの椅子がまるで動いているかのように躍動し、遠くの山々には深い広がりが生まれ、公園の真ん中でボール遊びをしている子どもたちの様子がありありと映し出されていく。


 見よう見まねで、私も目の前の風景を捉えながらスケッチブックに描き込んでいく。それから、何度も描いては消してを繰り返し、シュンくんにアドバイスをもらいながら進めて、ようやく清書が完成した。


 「んー、難しかった。でも、面白いね!」


 「そっか、良かった! じゃあ、ここからは色をつけていこうか」


 シュンくんはリュックサックから色鉛筆を取り出して、スケッチブックの上に色を付けていく。その様子はまるで土の中から出てきた新しい芽のつぼみが花を開いていくようだった。


 私はしばらくその様子を眺めている。シュンくんは風景とスケッチブックを交互に見ながら色を足していく。


 そのとき、突然ふわっと風が吹いて、パタパタと紙のめくれる音がした。


 すると、おもむろにシュンくんはオレンジ色の色鉛筆を取り出して、絵の大部分に走らせていった。


 「オレンジ色?」


 その様子を不思議に思って、私はつぶやいた。


 私たちの目の前には山の緑、空の青、ブランコの黄色、遊具の赤、白、など様々な色が広がっているが、オレンジ色はあまり見当たらなかったからだ。ボール遊びをしている子どもたちの服にオレンジ色はあるものの、シュンくんは絵全体にオレンジ色の色鉛筆を走らせていて、それが不思議だったのだ。


 「ああ、これはね。風の色だよ」


 「風の色? 風に色ってあるの?」


 「そうだね。確かに、風の色は目に見えないよね。だけど、さっきの風はさ、すごく温かい感じがして、オレンジ色みたいだなって思ったんだ」


 そう言うと、シュンくんはオレンジ色の鉛筆を掲げて「ぴゅー」と、風のように動かした。それに導かれるようにして、またふわっと風が吹きぬける。


 シュンくんは目を細めて笑うと、言葉を続けた。


 「絵ってさ、目に見えるものだけを描かなくてもいいんだよ。風とか空気とか、描いてるときの気持ちとか、そういう目に見えないものを色に乗せて描くことだってできるんだ」


 「見えないものを描くのって、魔法みたい!」


 目に見えないものを絵の中に浮かびあがらせることは、まるで魔法みたいなものだと思った。


 「僕たちは魔法使いかもね。魔法のスケッチだ」


 魔法のスケッチ。その言葉は私の心にすっと溶けていくようだった。


 「何色でもいいの?」


 「もちろんだよ。魔法使いだからね。好きな色を使っていいんだ。アリサちゃんはさっきの風、何色だと思った?」


 私はさっき風が吹いたときのことを思い返してみる。シュンくんの絵の中で花が咲くように色が生まれて、そこに風が吹いて、紙がパタパタとめくれて、まるで花びらを散らすような感覚がして。


 「ピンク色、かな。きれいな花がひらひらって飛んでいくみたいだった!」


 「花が飛んでいく感じか! すごくいいね! じゃあ、アリサちゃんの絵はピンク色も使って描いてみようか」


 「うん! そうする!」


 それから私は、遠くの山々に深い緑色や眩しい黄色を、透き通るような夏の空に水色や深い青色を、遊具にキラキラとした赤色や青色を、そして絵の中を吹きぬける風に淡いピンク色を付けていった。


 やがて、絵が完成する頃には、西日がちらつく夕方になっていた。


 シュンくんと私は同じ場所から同じ風景を見て絵を描いたけれど、絵の色彩や形は違っていて、それは何だか自分だけの宝物を見つけたような気持ちだった。


     ○


 高校に進学した私も今年は受験生で、あの当時高校生だったシュンくんも今では立派な大人になっていた。受験や仕事、それぞれ毎日の確かな現実を生きている。


 雲のない晴天の日で、夏の日差しが眩しかった。


 近くの公園、大きな木の陰に腰を下ろして、スケッチブックと目の前の風景を交互に見ながら、絵を描いていく。


 そのとき、突然ふわっと風が吹いて、パタパタと紙のめくれる音がした。


 「オレンジ色!」「ピンク色!」


 私たちは魔法が使える。

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