5-5
僕は訳知り顔でうんうんと頷いていたが、本心では胡桃さんのリアクションに驚いていた。
今まで転生が当たり前の思考だったので、胡桃さんの新興宗教を疑うような反応は新鮮だったからだ。
しかし考えてみれば、否考える必要もなくこの反応は至極当然で納得できるもので、僕たちの方がおかしいのだ。
「オイ、落ちていくとこ空中で抱き留めてやったダロ。そのときオマエウチの羽見たよナ?」
胡桃さんがふざけていると思ったのだろうか、メイさんがドスを利かせた声で彼女を睨みつける。
「ハッそうだボク、空飛んだんだ……忘れてた。……じゃあこれホントの話なんだ……すごい……すごいすごいすごい!」
まるで幼子のように目を輝かせ両手の拳をぶんぶんと振って興奮している胡桃さんを見る限り、異世界に興味なしという訳でもなさそうだ。
ということで、謎の宗教疑いはメイさんのおかげ? であっさり解消された。
「ウチに感謝しろよデカチチ」
またしても先んじて問題を解決に導けたので、ご機嫌なメイさん。
対して理子さんはずっとフラストレーションを溜めている感じだ。
なにもトラブルが起きなければいいけど。
「信じて頂けたたなら問題ありません。それで瀬戸さん、あなたはどんな転生を望みますか?」
理子さんは気を取り直し胡桃さんへの面談を再開する。
その口調から彼女は冷静になっているようで、一応は安心だ。
「う~ん……別にボクそういうのどうでもいいんすけど」
「瀬戸さんは新しい人生に関心はないんですか?」
「だって、また一から生き直すの、メンドイし……」
胡桃さんはフードの紐を指先で遊ばせながら、ぼそぼそ答える。
その言葉には意思というか心が乗っておらず、どこか他人事だ。
ここで僕は首を傾げた。
新しい人生を望まないものは
そう感じて転生を行う条件を改めて思い返してみる。
「……そうか、厳密には異世界へ行きたいと願うことと、転生して生まれ変わることはイコールじゃない」
理子さんが思わずそう言った僕を一瞥して胡桃さんに向き直る。
もしかして正解だったのかな。
「では、どんな世界にでも行けるとして、瀬戸さんはどんな世界へ行ってみたいですか?」
「!? それって架空の世界でも! ……ですか」
「……なんでもとは言い切れませんが、異世界は無限に存在するので;」
質問に対して急に食いついてきた胡桃さんに、理子さんは少しのけぞりながら答える。
「じゃあボク、百合の世界へ行きたいっ!」
……ん?
更に食い気味に体を乗り出してそう答えた胡桃さんに、理子さんは制止したまま数秒動きを止めた。
一見無表情だが眉と眉間に力が入ったのを僕は見逃さない。
「それって女の子同士のアレ?」
そして、そんな理子さんの頭に浮かんだクエスチョンマークを消すために無視されるのを覚悟で会話に割り込んだ。
「そう! 全員女の子でみんなラブラブで……ドロドロなのもそれはそれでアリで、あでも熱い友情も──はっ!」
一瞬でヒートアップした胡桃さんは我に返ると嫌そうにこっちを振り向く。
こらこら、つい男と話しちゃったって顔しない。
「なんだ、オマエも同士カ? それならそうともっと早く──」
「そうですか、わかりました。では仮にそんな世界があるとして、瀬戸さんはそこでどうしたいと願いますか?」
「オイデカチチまだ途中」
「めんどくさいので却下」
そんな胡桃さんにノリノリで肩を組もうとしたメイさんの腕を理子さんが跳ねのけて質問を続けた。
しかし普段に輪をかけて辛辣だな今日は。
「え? エモい百合をじっくり観察していたい」
「瀬戸さん自身については?」
理子さんの質問に胡桃さんはかわいく唸りながらしばらく天井を見上げていた。
そのまま数分が経って一同が痺れを切らし始めた頃に、胡桃さんは小さく呟く。
「ボクは見てるだけでいい。あ、たまにマンガも描きたい」
「傍観者を希望、ということですか?」
「うん、尊くてもう無理くるしい死ぬってなれればなんでも」
胡桃さんの回答に今度は理子さんの方が考え込んでしまった。
そこへメイさんが口を挟む。
「別に悩む必要無くネ? そのユリって場所探せばいいんだロ?」
メイさんの言うことも尤もだ。
僕たちは依頼人の願いを叶えればいいのだから。
しかし理子さんは首を振った。
「いいえ、大まかでも転生したいイメージを共有できなければ転生後の責任を負えないので、許可できません」
「コイツがいいって言ってんだからいいじゃん」
「ダメです。ポリシーですし、なにより……」
メイさんと押し問答していた理子さんはそこまで言うと、胡桃さんに向き直る。
「瀬戸さん、あなた心の中に本当の希望を押し込めていますね」
「え なにいってんのあるわけないじゃん!」
今の理子さんの言葉で図星を突かれたのだろうか、胡桃さんの語気が荒れた。
もしかして本当になにか隠しているのかな……だとしても。
「理子さん、人間秘密のひとつやふたつ普通にあるし、例えそれが転生に必要だとしてもそれを無理に聞き出していい権利はないと思いますよ」
「おっ、湊徒反抗期カ? いいぞバトれ」
メイさんはそう言って茶化すが、理子さんに譲歩の気配はなさそうだ。
「じゃあもういいよ。ボク帰る。訳わかんない」
胡桃さんは少し高い丸椅子からぴょんと飛び降りた。
やっぱりさっきの理子さんの言葉で機嫌を損ねたようだ。
「待つヨ、オマエはもうウチの物ネ」
「知らない。変な人たち、ばいばい」
そして慌てて制するメイさんの言葉にも耳を貸さずに店を出ようと歩き出した。
「はー……」
「理子さん?」
理子さんは胡桃さんを追いかけ、フロアの中ほどまで来たところで彼女の手首を捕まえる。
「まったく……めんどくさい!」
そして、その手を自らの身体に向かって引き寄せる。
「え? なに、やだなに!?」
恐怖を本能で察知したのか胡桃さんは理子さんの手を振りほどこうと暴れるが、運動不足の細腕では歯が立たない。
そうしている間にも彼女の手は、大胆に開けられたブラウスの切れ目へと近づいていく。
「まさか……ここで!?」
僕は立ち上がって、その様子をただ見守った。
ついでに残りのドーナツを食す。
「え? えちょま、ぁ、いああ……」
そしてついに胡桃さんの指先が谷間に到達する。
僕には一連の出来事がまるでスローモーションのように見えていた。
「ふぁ、あ、おォおおぉ……!?」
そして谷間はみるみる胡桃さんの手を飲み込んでいき、ついには手首から先がすっぽりと収まって──。
「フォォ──────────♪♪」
先程までのか細い声帯から想像もできないような大声がフロアに響き渡る。
「お客様ぁ~~!」
──
「……お店、つまみ出されちゃいましたね」
「ウチのドーナツ……」
それにしても店員さんの飛んでくるのが早かったこと。
おそらく度々注目されていたし、迷惑客候補でマークされていたんだろう。
そして僕は傍らで放心状態のままへたり込んでいる胡桃さんを見下ろす。
「うへ……うへ、おっぱ……やあらか……へへへ」
なんというか、ご愁傷さまでした。
「メイはその子、こふぃ~ちゃんまで運んでください」
「まァ、ソイツ元からウチがお持ち帰り予定だしやってやるカ。それよりどうダ、ウチに借りを作りまくった感想ハ」
ニヤニヤと挑発的に理子さんの顔を覗き込むメイさん。
しかし理子さんは目を合わせようとせず視線の鬼ごっこをしている。
「会社へ連れて行くんですね。ほぼ拉致だけど」
「うるさいですよ、言い出しっぺのくせになにもしてない人」
「辛辣だなあ。事実陳列罪ですよ」
結果的にただの送迎係になってしまった企画主任を自虐的に笑う。
我ながら情けない……。
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