星の叫びに木霊する赤

九十九

第1話

 赤い星が落ちてきた。胸に掛けたペンダントの中心に嵌ったそれと同じ色をした赤い星は、海の方へと落ちていった。

 線香花火が落ちるように、暗い地平線、水面へと消えていった赤色は、やがて水の中で膨れ上がっていく。溶岩が溢れるように膨れ上がっていく赤い光が水面を照らし、大きな波と波が出鱈目にぶつかるのが、遠目でも見えた。

 やがて留める事に限界が来た水面が弾けると、水飛沫を上げて小さな星があちらこちらに散った。逆さまの流れ星は、遠くに流れてやがて見えなくなる。

 弾けた火の火の粉が舞うように、逆さまの流れ星が飛んで行った後には、ちらちらと光の粉が舞っていた。

 それはいつかの門出の桜のようで、私はペンダントをぎゅうと握った。


 空を見上げれば、淡い桃色の花びらが高い青色の中に舞っていた。空気は澄んでいる。

 つい先日まで暖かい陽気が包み込んでいた校庭では、幾重にも桜が咲いている。

 肌寒い今日は、風が吹けば身体が震えた。

 『平成45年度』に続く『卒業する皆さんおめでとうございます』の文面。そう大きく記された垂れ幕が風に吹かれて、一反木綿のように揺らいでいる。

 胸元に付けた帯のついた花が、垂れ幕に呼応するように風に揺れた。布で作られた造花は、きっと今日と言う日を終えればこれから机の奥隅で眠る事になるだろう。

 三年間、背負い続けた学校指定の鞄は、計画的に持って帰らなかった物で重たくなっている。教科書やノートはとうに無いが、友達と楽しんでいた学校には要らないものが鞄の中には溢れているのだ。それももう今日で役目を終えた。

 数少ない友人達は、家族と食事に行くからと先に帰って行った者もいれば、今もまだ教室で別れを惜しんでいる者もいる。それでもお昼時だから、皆一時間もしない内に帰路に着くのだろう。

 子供を待っている保護者達は、校門のあたりで固まっていた。暗い色が多いのに、何故か華やかに感じる式典服を身に纏った大人達は、桜の木の下で朗らかに話をしている。

 目元を和らげた大人達は、何時まで経っても出てこない子供達の事を気長に待つつもりらしい。まだ来ないなんて言いながらも、ちっとも気にしていない様子だった。

 何人かの保護者の隙間を、何度も会釈しながら抜けていく。おめでとう、良かったね、大きくなったね、そんな声が行き交う。ぴんと来るお母さんも居れば、誰か分からないお父さんも居た。

 少し進めば、校門の脇、卒業式の立て看板の隣に母が立っていた。

「お母さん」

「あら、お帰りなさい。お友達とはちゃんと話せた?」

「うん、いっぱい話して来たよ。ごめんね、遅くなっちゃって」

「良いのよ、気にしないで」

 朗らかに笑う母が、胸元の花を見て更に目を細めた。

「大きくなったわねえ」

「いえい」

「ふふっ、今日はご馳走にしましょうね」

「やった。あ、イプニイは?」

「イプシロンさん?」

「うん」 

「さっきまで一緒に居たのだけど、外かしら」

 人々の中に紛れていても鮮烈な金色の星。金糸の髪を一括りにした姿を探しても、目当ての人物の姿は無い。人よりも頭一つも二つも大きいから、すぐ見つけられる筈なのだけど。

 卒業式に母と共に出席してくれたイプシロンは、昔から付き合いのあるお兄さんだ。彼は体育館で別れて、母と私が教室に向かう時に、待ってると言っていた。

「どこ行ったんだろう」

 待っていると言ったからには、イプシロンは必ず待っている人だ。約束を違える人間が嫌いな彼は約束は違えない。けれど、こちらが受け取った言葉通りじゃ無い時もある。謎かけの様に、例えば何処で、と彼は言わなかった。

 別れ際の背の高い金色を思い出す。

 待っている、そう言った時、サングラス越しの瞳は何処か違う所を見ていた。それは校門の方では無い。そう、あの方向は。

「お母さん、イプニイの所に行ってくるね」

「あ、じゃあお母さん先に帰ってる?」

「うん、ごめんね。行ってくる」

「いってらっしゃーい」

 にこにこと手を振る母に背を背けて駆け出す。重い鞄ががしょがしょと音を立てて上下に振れては、肩に食い込んだ。

 けれど、重さも痛さもあまり気にならない。彼の人の元に向かう足取りは何時だって軽やかだ。

 校門へと続く道を走り抜け、幾つもの近道を通り抜ける。海の音が響く中学校から、木々の音が響く小学校へと向かって走れり続ければ、分かれ道が見えた。

 弾む息を整えて、内側で燃え上がる頬に手を添える。冷たい頬が温かい手でじんわりとぬるまった。

 思い出したように肩が詰まったように痛んで、ぐるりと首を回せば、ぼきぼきと言う音が首の中で響いた。

 後少しだと、足に力を込める。岩場を跳ねる山羊の様に、軽やかに足が上がった。


 幼い頃よく遊んでいた家に一番近い山の中の公園。滑り台とブランコにレンガで囲まれた砂場、後は木以外何もない公園は、遊具の色が既に褪せている。

 その中で、星の様に煌めく金色があった。木々の隙間から零れ落ちた光が金色を照らしている。

「イプニイ!」

「来たか」

 こちらへと振り返ると、煙草を吸っていた手を止めて、持ち運び用の灰皿に煙草を押し付ける。煙が天使の輪を作るように長身の頭の上で回った。

 手を伸ばせば触れる位置まで近付いていけば、満足げな目と目がかち合った。

「よく出来ました」

「いえい。ちゃんとイプニイの事見てたからね」

「これからも目を離すなよ」

「うわ不遜。離っ、さないよ」

 目を細めて不遜に言われた言葉に、つい言葉が詰まってしまう。好意を示す前置きは何とか口をつかずに済んだ。

 こちらの気持ちなどきっとお見通しに違いないこの年上の男は、ちっともこちらに靡いてくれそうになかった。

 折角の卒業なのだから、告白の場くらい与えてくれても良いのに。そうしたら諦められるのに、と思っても、彼は言わせてはくれない。サングラスの奥の目が言うなと伝えて来る。 

「そうか、良い子だ」

 頭に乗った手が犬の頭を撫でるように乱暴に右へ左へ前へ後ろへと動く。いつまでも変わらない子供扱いが、こそばゆくって、ちょっと悔しくて、頭に乗った手にチョップをお返しする。

「生意気だな。お子様はちゃんと撫でられとけ」

「うわわっ、ごめん! ごめんって!」

 ヘッドロックを掛けられて降参の意を示す。べしべしと腕を何度も叩けば、ようやっと解放された。

「んでさ、ニイ、なんでここに呼び出したの?」

「んー、卒業と言う節目だからな。思い出の場所で確認しときたくてな」

「思い出、かぁ」

 確かにこの公園で一緒に駄弁ったり、寒い中焼き芋を食べたり、馬鹿みたいに泥遊びはしたけれど、それは日常生活のなんの事はない思い出だ。思い出の場所と言うと、もっとこう、初めて会った場所とかそう言うのを思い浮かべるのだが、違うのだろうか。

「お前さんが木に登ってスカート引っ掛けて降りれなくなった挙句、その後何を思ったのか飛び降りてスカートびりびりにしたのだって思い出だろ」

「いい思い出じゃないじゃん! あれは、上に飛び跳ねて飛び降りればスカートがいい感じに取れると思ったの!」

「上に飛び跳ねた結果、さらに地面から離れて、落ちた時に足をぐんにゃりやってたな」

「助けて下さり感謝してます!」

「おう、良きにはからえ」

 思い出したら、足首が痛いような気がして来た。こちらを助けようと木に登り掛けたイプシロンを無視して飛び降りたあの時、彼が咄嗟に飛び降りてクッションになってくれなかったら、骨折くらいはしていただろう。

 記憶の中、落ちた瞬間の大きな音を思い返していると、イプシロンが何かを探るようにポケットへと手を突っ込んでいた。

「ん」

「これ?」

 そうしてポケットから取り出されたものは、包装紙で包まれた、手のひらに収まるサイズの箱だ。

「これってもしかして」

「開けてみろ」

 期待に膨らむ胸を抑えて、丁寧に包装紙を破る。海外だとびりびりに破けば破く程、プレゼントが楽しみだと言う事になって良いとは聞くけれど、己個人としては包装紙を丁寧に破く方が慣れ親しんでいる。

「これ」

「卒業と入学祝いだ、約束だからな」

 箱の中に入った、目の前の星と同じ色をした金色の縁のペンダント。中にはどこかで見た花の色をした赤い水晶の様なものが嵌め込まれていた。

 何か身に付ける事の出来る贈り物が欲しいと強請ったのはこちらだ。肌身離さず持てるものが欲しかった。中学校を卒業したら考えておく、と言われて、絶対に約束だと強く小指を引っ張った事を覚えている。

「有り難うイプニイ! この赤色、綺麗だね」

「お前さんの色だ」

 言われて首を傾げる。赤は好きな色だけど、一番な訳ではない。服だってそんなに赤色の物は無いし、使っている物だってそうだ。目の色は翡翠色で真逆だし、髪は赤茶で赤いけど赤色というよりは茶色だ。

「なんで私の色?」

 尋ねれば、意味深に笑われて、誤魔化すように頭をがしがしと混ぜられた。

「それが希望の色になるか、絶望の色になるかはお前さん次第だ」

「希望の色」

「お前さんは希望になれ」

 イプシロンは、希望になれと言う。人の希望になれ、と。その言葉に込められた意味はいまいち分からなかったけれど、なんだか期待されているようで嬉しかったから誰かの希望になると言う約束を交わした。少しでも近付きたいから、認められたいから、約束を必ず守ると決めている。

「わかった。希望になるよ」

 言葉に込められた意味はやはり読み取れなかったけれど、私は元気にそう返した。考えなしだとは言われるけれど、難しく考えたって私に分かる事は少ない。

 希望と言う程の大層なものになれるのかは一向に分からないけれど、取り敢えず人助けは続けて行こうと、新たな門出に決意する。

「卒業おめでとう」

 大きく頷いたら、髪に絡まっていたのであろう桜の花びらが、一枚地面に落ちた。

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