黒薔薇の棺

七海美桜

第1話 黒薔薇の棺

「そっか、やっぱり結婚することにしたんだ」

 静かな、午後の喫茶店。向かい合って座る親友同士は、温かな紅茶とホットミルクを頼んでいた。しかし、何故か空気は少し重く感じる。この答えを、真紀まきは知っていたからだ。


「うん――色々あったけど、圭太けいたは、私が支えてあげないと思ったからさ。何より、私ママになるから」

 そう言ったのは、肩より少し下までの明るい色の髪を綺麗に巻いた、おっとりとした可愛らしい清楚な印象の女性だ。優しい手つきで、まだ目立たない腹を撫でた。その向かいに座るのは、そんな彼女の高校からの親友。ボブカットの髪は、就職するために黒く戻していた。おっとりとした親友とは正反対で、快活で自分の意思をはっきり言える自信にあふれた女性だった。

「圭太さんって、最初は普通に見えたのに……少し、玲子れいこに依存し過ぎてるよね。本当に、大丈夫? 子供の事考えて、妥協してない?」

 玲子、と呼ばれたおっとりとした女性は困ったようにも見える顔で頷く。

「そうだね……私が捨てるもの、全部拾って自分の部屋に隠していたのを知った時は、さすがにびっくりしたよね。それに……ううん、何でもない。結婚式は、圭太の仕事が落ち着いた時にする予定。真紀には、結婚式は絶対来てほしいな」

 真紀と呼ばれたボブカットの女性は、玲子の様子を少し不安に思ったがそれを顔に出さずに笑顔を浮かべた。

「勿論出席するよ! 私なんでも手伝うから、遠慮なく言ってね。仕事も早く覚えて、もっと時間作るからさ」

 真紀は結婚の祝福を口にしていなかったことを思い出して、そこでようやく「おめでとう」と付け加えた。しかし、真紀はこの結婚話を祝福することが出来ずにいた。


 小倉おぐら圭太と間瀬ませ玲子が知り合ったのは、大学生になって無理やり誘われた合コンだった。お酒が苦手な玲子は、オレンジジュースを飲んで楽しそうなみんなを眺めていた。そこに、圭太が遅れてやって来たのだ。少し甘い顔立ちで、優しそうな雰囲気だった。お酒が飲めず少し周りから浮いていた玲子に優しく話しかけてくれて、合コンが終わるころに二人は連絡先を交換していた。

 モテる人なんだろうな、と玲子は思って自分からは連絡しなかった。顔も良く清潔感があり、優しい。彼もきっと、数合わせで呼ばれたのだろう。そう思ったからだ。

 しかし、圭太は三日後に玲子に連絡してきた。

「映画でも見に行きませんか?」

 それが、二人が付き合うきっかけだ。


 だが、付き合ってすぐに玲子は圭太のおかしな行動に気が付いた。圭太は、玲子を溺愛している。それだけなら可愛らしいエピソードの一つになるのだが、玲子に同じゼミの男が声をかけるのすら嫌がるようになった。「頼むから」と土下座されて、男友達の連絡先を全て削除させられた。親戚や幼馴染、果ては父親の連絡先まで削除するように言われたときは、玲子も彼が異常なのではないかと心配した。しかし「親戚や家族の連絡先は削除できない。そこまでするなら、別れましょ?」と玲子が口にすると、圭太はしぶしぶ諦めた。


 そんな圭太を真紀が紹介されたのは、彼女たちが付き合って三か月程の頃。大学は別だったので、真紀は圭太と面識はなかった。

「彼女は、伊藤真紀さん。私の大親友なの」

 圭太が予約してくれたイタリアンレストランで、玲子は親友の真紀を。圭太は彼の幼馴染だという先崎さきざき賢人けんとを呼び、四人は初めて会った。真紀に彼氏がいない、と聞いた圭太が気を遣って賢人を呼んだのだろう。

「初めまして、真紀さん。僕の大事な玲子がいつもお世話になっています。本当にありがとうございます、これからも玲子の事よろしくお願いしますね」

 時々玲子から圭太の事で気になる話を聞いていた真紀だったが、愛想よく挨拶をする圭太に少しほっとしたのを覚えている。賢人もチャラそうな見た目だったが、話してみると真面目で誠実な性格だった。四人の食事は会話が弾み、楽しかった。しかしその席でも、圭太は玲子の様子をよく見ているのだ。ふと玲子の手がグラスに当たりそうな時も、そっとそのグラスを脇に寄せて当たらないように位置を変える。しかしそれをあえて言わず、微笑んで玲子を見ていた。


――圭太さんは、優しすぎるだけなんじゃないかしら? 男を近づけたくないなら、賢人さんを呼ぶはずがないし。きっと、玲子の勘違いだわ。


 真紀は、玲子が恋愛慣れしていないため勘違いをしているのではないか。と、圭太との初対面の印象はそう思った。しかし、食事が終わり玲子を送っていく圭太の二人を見送った賢人は「少し時間ありますか?」と、真紀に声をかけた。

 それは真紀をデートに誘う、というニュアンスではなかった。賢人は少し、緊張した顔をしている。


「実は俺、ゲイなんです」

 バーに入って、ジントニックとモヒートを注文して向かいに座る。すぐに出てきたそれを手にして乾杯すると、賢人は唐突にそう言った。

「あ、はぁ……そうなんですね」

 真紀はそう言うしかなかった。いきなりのカミングアウトが、何を意味するのかも分からなかった。

「突然すみません。圭太が、俺じゃないとこういう席に呼ばないので――その、俺に下心がないって、まず伝えておこうかと」

 さすがに突然過ぎたと思ったのか、賢人は申し訳なさそうに謝りながら左耳のピアスを無意識に触っている。

「こういう席って――自分の恋人を、誰かに紹介するとき?」

「そう言う事です。真紀さん、やっぱり玲子さんから圭太の事何か聞いてます?」

 モヒートを一口飲んで、賢人は真面目な面持ちで尋ねた。やはり、圭太の事で何か私に忠告してくれようとしているんだ、と真紀は緊張した顔で頷く。

「暴力とかはなくて、優しすぎるくらい――でも、束縛が激しいって……」

 しかし、まだ賢人が信用出来るか分からない。真紀は言葉を選んで、そう言った。

「圭太は、少し異常です――いや、少しってレベルなのかな?」

 ジントニックのグラスを持つ真紀の手に、ぐっと力が入ってしまう。


「昔から、好きな人に対する執着がすごいんです。小さな頃は、友人――つまり、俺。俺が別の子と遊んだだけで、ヒステリックに泣いて騒いで幼稚園の先生を困らせていました。思春期に入って、異性を意識するまで続いたかなぁ」

 バーの薄暗い照明が、どこか無表情にも見える賢人の整った顔を照らしている。

「顔がいいから、圭太はモテましたよ。けど、付き合っても――あの執着のせいで、すぐに振られるんです。でも、あのころはまだ可愛い程度でしたね。今、玲子さんと付き合って三か月でしょう? こんなに続いたのは、多分彼女が初めてです。少しは治ったのかって思いましたが……?」

 賢人に、真紀は玲子から聞いていた圭太の執着や嫉妬心の強さを話した。それを聞くと、賢人は深くため息をついて首を横に振った。

「やっぱりですか……役に立つかは分かりませんが、俺の連絡先をお知らせしておきます。何かあった時、ご連絡ください」

 二人は、そこで連絡先の交換をした。イタリアンレストランで連絡先を交換しなかったのは、圭太に警戒されないためだろう。

 真紀は不安な思いで、その夜は最寄り駅まで賢人に送ってもらって家に帰った。それからは、卒業後の就職内定をもらうために少し忙しくなり、メールでしか玲子とコンタクトが取れない。賢人に連絡することはなかったが、これは絶対に消せないと真紀は思っていた。

 それから一年後、玲子と圭太はは同棲を始めた。時折玲子から圭太に、「男性の訪問客には会わないように」と、言われたこと。「病院に行っても、女医にしか見て貰わないこと」など言われる、という少し気になる連絡が届きだした。

 しかし、ただの友人の真紀には何もできない。賢人に相談しても、同じだろう。「嫌なことは断って、ちゃんと玲子の意見も彼に伝えた方がいいよ」と返すのが精いっぱいだった。


 賢人に連絡することになったのは、それからすぐだった。就職が無事決まり卒業を待つだけの真紀は、久しぶりに玲子と食事の約束をしていた。玲子は、圭太と結婚する話になっている。「専業主婦になって欲しい」と圭太に言われて、就職活動はしなかった。もう、お互いの両親に挨拶も終えているとのことだった。玲子は結婚に少し浮かれて、圭太の不安要素を忘れている様子だ。

 待ち合わせの場所で玲子を待っていると、信号がある横断歩道の向こう側に彼女の姿を見つける。玲子も真紀を見つけたのか、笑顔で手を振った。


 信号が変わる。


 玲子が横断歩道に足を踏み入れると、そこに信号無視のバイクが突然突っ込んできた。

「玲子!」

 叫んだ真紀は、急いでい玲子の元に向かった。スマホで、救急車を呼ぶ。転がるバイクと運転手、玲子と他に数人が横断歩道で倒れていた。真紀の記憶は、そこから曖昧になる。

「圭太さん、玲子がバイクに轢かれました!」

 救急車で圭太に連絡をすると、続いて玲子の親にも連絡をした気がする。「大丈夫だから」と、玲子は圭太に連絡をした真紀に慌てて言うが、彼女の脇腹辺りの服は血で赤く染まっていた。大丈夫じゃないことくらいは、真紀でも分かる。


「真紀さん! 玲子! 玲子は!?」

 玲子は病院に到着すると、すぐに手術室に連れて行かれた。圭太は、思っていたよりも早く病院に着いた。呆然としている真紀を揺さぶり、悲壮な顔の圭太は叫んだ。

「お静かに――いま、手術中です。終わるまで、静かにお待ちください」

 答えられない真紀の様子を見かねた看護師がそう言うと、圭太は今度はその看護師に怒鳴るように叫ぶ。

「勿論、女医ですよね!? 僕以外の男が、彼女に触るなんて許さない! どこです、僕が見守らないと!」

 圭太は、暴れた。そこにようやく玲子の両親が到着して圭太を宥めようとしたが、「玲子に会わせろ!」と、一向に落ち着かなかった。むしろ、より激しく暴れだす。「警察に連絡を……」と看護師が言うと「娘の婚約者なんです、警察は待ってください」と、困った顔の母親が止める。そこで真紀は、慌てて賢人に連絡をして来てもらったのだ。


 賢人が慌てて病院に来てくれた。もう少し遅ければ、警察が呼ばれることになっていただろう。

「玲子さんの命の方が大事だろ! 男だろうと医者じゃなきゃ、玲子さんを治せない、危ないんだ!」

 賢人は圭太の頬を力いっぱい殴り、そう怒鳴った。かつて依存していた相手だったおかげなのか、玲子の事が心配になったのか、それでようやく圭太は大人しくなった。真紀は、ホッとして無事を願った。


 幸い、玲子は一か月ほど入院したが無事だった。この一か月は、圭太は面会時間の全て玲子の病室にいた。それと同時に父親の知り合いの弁護士を雇い、信号無視のバイクの運転手を民事裁判で徹底的に追い詰めた。圭太の実家は、父親が会社経営をしているだけあり裕福だった。免許を取りたての若者を追い詰めるのは、彼にとって簡単だった。運転手の青年の一家が多額の借金をして姿を消したことを知る人は、少なかったはずだ。

 しかし手術中の圭太の行動を不安に思った玲子の両親は、娘に「彼は、大丈夫なのか?」と、心配そうにそれとなく別れるように勧めた。圭太の異常性を、間近で見たから仕方がなかった。真紀も、「玲子!」と叫んで暴れる時の様子には、ぞっとして圭太を怖く思った。


 しかし、そこで玲子が妊娠しているかもしれないとの検査が出たのだ。


 玲子の家族と圭太の家族は結婚について何度も話し合い、圭太が「玲子の事が心配で混乱して、不安な思いをさせてしまいました」と深々と頭を下げた。少し憔悴した面持ちだったが、いつもの人が良い圭太の姿だ。

「私――産むわ。圭太と、ちゃんと家族になる」

 妊娠を知った玲子がそう言って、両家の話し合いは丸く収まった。彼女がそう選んだなら、両親は何も言えないからだ。


 玲子が退院した後、真紀も圭太も新社会人としての生活が始まる。圭太は玲子の体を心配して、午前中はハウスキーパーも雇って、玲子の体に負担がないように気を遣った。

 そして玲子は落ち着いた頃に、真紀に礼を言いたいと連絡を取り会うことになったのだ。

「圭太がね、真紀にもちゃんとお礼言いに行くって。バタバタしてたから、挨拶が遅くなること、気にしてたわ」

「いいの、大丈夫だから! その気持ちで十分だから、圭太さんにそう言ってもらえる?」


 実は、真紀と賢人は玲子が入院している時に、一度圭太に呼び出されていた。

「二人には心配かけたし、申し訳なかったと思っているよ。真紀さんはすぐに救急車呼んで、僕に一番に連絡をくれた。賢人は、警察に捕まらないように僕を止めてくれた。僕と玲子を幸せにしてくれるのは、君たち二人だけだ――これからも、僕たちと仲よくして欲しい」


――もし、玲子の両親に先に連絡をしていたら……恨まれていたのかもしれない?


 真紀は、圭太のその言葉に再び病院で感じた圭太の狂気を見たような気がして、ぞっとした。そうして「お礼」と言う豪華なブランドバックを真紀に、高級時計を賢人にプレゼントだと並べる。

 断ろうとした真紀に「断らない方がいいよ」と賢人が囁き、彼はその時計を素直に受け取った。真紀も、大人しく受け取るしかない。

「ありがとうございます。あの……玲子を、よろしくお願いします」

「ああ! もちろん僕が、絶対に彼女を世界で一番大切にするよ!」

 圭太の狂気じみた張り付いた笑顔が怖くて、真紀は賢人の背に隠れるしかなかった。


「あら、もうこんな時間――ごめんね、今日これから病院に行くの。圭太が、子供の性別知りたがってて、エコー検査するの」

「そうなんだ、圭太さん迎えに来るの?」

「うん、そうなんだ。真紀も久しぶりに会っていく?」

 真紀はあの笑顔を思い出して恐怖に顔が引きつりそうになるが、無理に明るい表情でカバンを手にした。

「邪魔しないわよ。今度、賢人さんも呼んで、また四人で会わない? その時、子供の事教えてね」

「ありがとう、真紀」

 真紀は伝票を手に、逃げるように喫茶店を出た。親友なのに――怖くて、彼女を助けられない。


 でも、助けることが正しいのだろうか? 他人から見れば恐怖かもしれないが、二人は幸せなのかもしれない。


 そう思う事しか、真紀には出来なかった。



 玲子の腹の子は、男の子だった。玲子も圭太も喜んで、二人でお祝いをしたという。真紀にも連絡があり、二人の幸せさが伝わってきた。子どもが生まれれば、きっと圭太の異常さも落ち着くかもしれない。真紀は、少しほっとした。


 だが、幸せは続かなかった。玲子のお腹の子は、流産となった。お腹を温める為に風呂場に向かった玲子は、掃除したときに落とし切れていなかったのか、床に残っていた洗剤を踏んで滑って転んでしまった。初期だったこともあって、玲子に怪我はなかったがお腹の子は耐えられなかった。圭太はハウスキーパーに激怒して、解雇するとその会社から多額の慰謝料を取った。

 泣き暮らす玲子に、圭太は寄り添った。旅行に連れていき、服やカバン、アクセサリーなど買ってきて玲子を慰めた。慰謝料の大半は、玲子を慰めるためだけに使った。

 子どもがいない真紀はどう接していいか分からず、スマホを出して文字を打とうとして――何も思い浮かばずに、結局そのまま画面を消していた。


 それから半年たち――玲子が、再び妊娠して流産した。男の子だったという。アルコール分が飛ばされていない料理や、ナチュラルチーズなどの生製品の食事を摂っていたことが原因らしい、と医者に告げられた。前回の事もあり違うハウスキーパーを雇っていたのだが、ハウスキーパーは「そんな料理は出していない」と主張して、かなり圭太と裁判で争っている。


「会いたい」

 そう玲子から連絡があったのは、一年経ったころだ。真紀と賢人は、玲子に指定された喫茶店に向かった。賢人と真紀は、その頃には仲の良い友人になっていた。


「私――また、子供が出来たの」

 久しぶりに見る玲子は、視線が泳いでいる。一点を見ることが出来ないようだ。体も、時折ひきつるかのようにピクリと痺れた動きをする。


 しかし、変わらず玲子は可愛らしかった。髪も以前のように綺麗に巻いて、お化粧も薄いが彼女によく似合っている。しかし、明らかに以前の玲子の姿ではなかった。


「怖いの――また、圭太に性別を調べよう、って言われるのが」

 玲子は、震えていた。真紀も賢人も、その言葉の意味を聞くのが怖いと感じていた。他の席から聞こえてくるにぎやかな声が、ひどく遠くに感じる。

「男の子だったら、僕妬いちゃうかも――確かに、圭太がそう言った事があるの。流産したのは、どちらも男の子だった……この子が男の子だったら、……ああ、もしかしたら!」

 頭を抱えて泣き出す玲子に、賢人はあまりの衝撃に言葉が出ないようだった。真紀は横に座る玲子の肩を抱いた。震える玲子の体は、真紀が知っている頃より小さく感じる。


「玲子、落ち着いて。女の子かもしれないじゃない。それに、今までのは事故じゃ……」

「前のハウスキーパーさんは、洗剤を洗い流すことを忘れるなんて一度もなかった! それに圭太は、私のお父さんの存在にすら嫉妬するのよ!? どうしよう、男の子だったら……圭太に……それに、もし女の子でも、本当に無事なのかしら? どうしよう、女の子でも……ああ、怖い……」

 賢人は玲子のために、バナナのジュースを頼んだ。カフェインは、妊婦に良くないことだけは知っていた。


「なら、逃げるのよ。玲子、赤ちゃんを守るために、ひとまず隠れましょう」

 真紀は玲子の手を握り、力強く言った。今は、圭太と離した方がいい。玲子の精神状態は、圭太の傍にいてはよくならない。

「にげ……る……?」

 言葉の意味が理解できないように、玲子は初めてしっかりと親友の瞳を見つめた。

「赤ちゃんが産まれれば、きっと大丈夫よ! 玲子の子供だもの、きっと愛してくれるわ! だから、生まれるまでは圭太さんと離れた方がいい」

「俺もそれに賛成だよ。玲子さん、ある意味これはDVだよ。圭太と一度離れて、これからの事を考えてみた方がいい」

 賢人が静かにそう言った。彼は今、弁護士事務所で弁護士アシスタントパラリーガルとして働いていた。


「――でも、私がいないと……圭太は、ダメになる……」

「玲子!?」

 玲子は、震えながら瞳を伏せた。彼女は自分でも、矛盾した感情を理解しているようだった。


「やあ、ここにいたのか」

 突然の言葉に、三人は驚きのあまり呼吸が一瞬止まった。顔を上げれば、そこには張り付いた笑顔の圭太がいた。

「ああ、朝僕が巻いてあげた髪が乱れているね。化粧も涙で――ごめんね、二人とも。玲子は妊娠で、少し精神不安定みたいなんだ」

 圭太はそう言うと、テーブルの伝票を手にして玲子を支えるようにして立たせた。

「玲子、お医者さんに会いに行こう。今までの女医はダメだから、新しい女医を探したんだ。性別を聞きに行こう」


 


 ぞっとする言葉に、三人は言葉がなかった。フラフラとした足取りで、玲子は圭太に支えられたままドアに向かっていく。

「二人とも、玲子の話を聞いてくれてありがとう。これからも、僕たちの良い友達でいてね」



「黒薔薇の棺だ……」

「え?」

 自分たち以外すべてを拒絶するように、玲子の肩をしっかり抱いた圭太が出ていったあと、賢人が吐き捨てるように言った。

「玲子さんの指輪――黒薔薇が彫られていた。黒薔薇の花ことばは、『永遠の愛』、『あなたはあくまで私のもの』――二人は、共依存だよ。俺たちでは、もうどうしようもない……墓に入るまで、二人は繰り返すんだよ」


――私に、出来ることがあったのだろうか。


 真紀の飲み残したアイスコーヒーのコップの氷が、カランと乾いた音を立てた。

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