覗き目

北見崇史

覗き目

「やだ、今日も来てる」

 深夜の一時過ぎ、桜子は玄関にいた。

 ドアの外で足音がする。「コツコツ、タタタタ」と、あきらかな気配があった。

 日ノ出団地には、鉄筋コンクリート四階建ての古い集合住宅が六棟ある。桜子はB号棟の四階に住んでいた。階段の踊り場をはさんで向かい側は空き部屋となっている。もし人が来るならば、桜子目当てということになる。 

「もう、やめてよね」

 ここのところ、なにか得体の知れない気配が頻繁に訪れていた。しかも、物音がしてくるのは決まって真夜中だった。

「ねえ、誰かいるの。夜なのに、わたしに用事でもあるの」

 おもいきって訊いてみた。鋼鉄製である玄関ドアの向こうから明確な返事はないが、ガサゴソと不気味な物音が止むことがない。

「イタズラなら警察呼ぶから」

 ケイタイを用意するが床に落ちてしまった。すぐに拾おうとした時だった。

「な、なんなの」

 金属のドアをなにかが叩いていた。

 最初は「コンコン」と遠慮したような感じだったが、次の瞬間、いきなり、「ドドドド、ドーン」とタガが外れたように打ち鳴らされた。

「きゃっ」

 ビックリした桜子が姿勢を崩し、その拍子に携帯電話を踏みつけてしまった。画面が割れて壊れてしまう。

 脅えている桜子にかまわず、ドアのぶっ叩きは続いていた。何モノかの声もするが、ハッキリとはしない。

 郵便ポストの細長い扉が、パカパカと開け閉めしていた。風であおられているわけではない。玄関のドアは階段通路に面しているが、建物は一階から四階まで密閉されている。だいいち、ポストの扉にはバネが仕込まれていて、人為的な力で押さないと開かない仕組みだ。誰かが外側からイジっているとしか考えられない状況なのだ。

 桜子は女の一人暮らしである。何モノかに襲われても、誰も助けてくれない。

「ひいっ、目玉っ」

 さらに驚愕すべき事態となった。

 なんと、郵便ポストの隙間から血走った目玉が二つ現れたのだ。ギョロギョロと舐めまわすように内部を窺っている。

 スリッパが投げつけられた。金属ドアの内側に当たると、衝撃は微かだったのにもかかわらず、すぐさま郵便ポストの扉が閉じられた。外側がドタドタと忙しくなり、怪鳥の悲鳴みたいな甲高い声が響いた。正体不明の尋常ならざる存在がいると、桜子は確信した。

「なんなのよ。気味が悪くて、こんなところに住めないじゃないの」



 次の日の夜、桜子は顔見知りである管理人の部屋に行った。真夜中に起こった怪現象を説明して、別の棟に引越ししたいと申し出たが返答はかんばしくなかった。男は桜子から目線を逸らして、テレビの野球中継をみながら首を振っている。

「もう、いい。自分で警察に行ってくる」

 一階の出入り口付近で、団地の主婦たちがヒソヒソと立ち話をしていた。気になった桜子は、ドアのそばに身を隠して盗み聞きすることにした。

「あの殺人事件のあった部屋に、誰かが住み始めたみたいよ」

「それ、ほんとなの。だって部屋中血だらけで酷かったっんでしょう」

「無神経なんでしょ。管理人さんも知らんぷりしてるんだって。被害者さんも浮かばれないわ」

「どんな人だった」

「OLさんみたいよ」

 自分のことだと直感した。桜子の焦りが底無しの嫌悪と恐怖へと変わる。人殺しのあった部屋で寝起きをしていたのだ。怪奇現象が頻発しても、なにも不思議ではない。

「あそこから出ないと」大変なことになると、桜子は不安でたまらない。

 部屋に戻ると、すぐに荷物をまとめようとした。だけど、なにを持っていったらいいのか迷ってしまった。どれもこれも必要なものばかりだ。焦ってオタオタしていると、玄関の外に気配を感じた

 ハッとして見上げると、すでに真夜中である。急いでいるので時間の経過が早い。とにかく外に出ようとした時だった。

「ドンドンドンドン」と、いきなりドアをぶっ叩いてきた。

 団地の堅牢なドアが壊されることはないが、その打撃はかなり強くて容赦がなかった。切迫感で気が狂いそうになる。恐慌状態に陥って、ある種の名状しがたい衝動が突き上がってきた。  



「霊が出るって、この部屋かよ」

「間違いないって。ほら、番号がある」

「ねえ、やめようよ。ここってホントに殺人があったんでしょ」

 三人の大学生たちが日ノ出団地にやって来た。B号棟の四階の左側の住居の前にいる。時刻は夜中の午前一時過ぎだ。若者たちの遊びによくある、夜中の肝試しという行事である。

「こうすると、霊がびっくりして出てくるんだと」

「慎吾たちが、見えたって言ってたな。このドアの向こうに。すぐに逃げたらしいけど」

 男子学生二人が、錆だらけの金属ドアを何度も蹴飛ばした。

「ちょっとやめなって。幽霊が出るって」

「だからやってんじゃないかよ。どうせ人なんかいないしな。そろそろいいんじゃないか。ちょっと見てみるか」

 男子学生が郵便ポストの扉を押して玄関内部を覗いた。見開いた目玉を上下左右にギョロつかせている。

「そこでOLが殺されたんだ。顔見知りの男にストーカーされて、帰宅したところをナイフでメッタ切りだ。ちょうどこのドアの向こうでやられたらしい」

「玄関が血の海で、ドアの外側まで血だまりになっていたってさ」

「だから、帰ろうって」

 女子学生は下を見ながら足元をバタバタさせた。懐中電灯代わりのスマホライトで、血だまりがないことを確認している。

「十年以上も前のことだから、血の跡なんか残ってないって」

 ハハハと男子学生が笑うと、女子学生は不貞腐れた顔になった。

「その殺人事件が凄まじいのは、生きたまま両目をえぐって、引き抜いたってことよ」

「だから、血まみれの真っ赤な目玉が覗き返すって噂だけど、暗いなあ。ちょっと照らすか」

 スマホのライトをかざした。郵便ポストは細長く狭いので、入光する量は限られている。

「ガラケーが落ちてるよ。画面が割れてっけど、新品みたいな感じだ。とても十年以上前には見えな・・・」

 覗き見している男子学生の言葉が止まった。息をすることも忘れて、石にでもなったようにまったく身動きしない。その緊張は後ろの二人にも伝わった。

「ねえ、ちょっとやめてよ。ふざけないで」

「おい、どうした。エログッズでもあったのか」

 固まっていた男子が、郵便ポストから、そうっと顔を離した。ただし指は押したままなので、その横長な空間は開けっ放しのままだった。もう片方の手はスマホライトで照らし続けている。

「・・・」

「・・・」

「うう」

 目玉があった。

 真っ赤に充血した、いや、真っ赤な血潮でびっしょりと濡れた目玉が ギョロッ、ギョロッ、と向こうから見ていた。そして彼らをカッと視認すると、グググググッと数センチの隙間にめり込んできた。玄関から出ようとしているのだ。

「わっ」

「ぎゃっ」

 学生たちが逃げだした途端、金属ドアが勢いよく開け放たれた。悲鳴と金切り声をあげながら、三人は階段を駆け下りた。そして、外灯の一つもない真っ暗で冷え切った団地の敷地を走った。

「目玉がついてくるう」

「すげえ生臭い」

 真っ赤な目玉は、それ自体が赤く発光しているように闇の中でよく映えていた。学生たちのあとを、異様な臭気を発しながら、ぴったりとストーキングしている。

「なんで、団地の外に出ないんだ」

「ずっと続いてるぞ」

 朽ち果てた集合住宅群が暗闇のはるか先まで続いている。どこまで走っても尽きることはなかった。

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