第20話 ソロの暴走
翌日、コラス三姉弟はなかなか起きてこなかった。
旅で疲れているだろうという遠慮もあったし、朝は何かと忙しい。
だから声をかけなかった。
しかし、お昼近くになっても起きていないことに気づき、アリアとセレーナは顔を見合わせた。
「疲れてるだけ……にしては、ちょっと遅すぎると思うのです」
「そうですね。なにかあったのかもしれないですし、様子を見に行ってみましょう」
ソロの部屋に二人で行ってみると、彼女はお腹を出して大いびきをかいていた。
「ふあ……なんだい。もう朝かい」
結局、ただの寝坊。
それは二人の弟も同様だった。
寝起きから人騒がせな人たちなのです、とアリアは苦笑いを隠した。
けれど本当に騒がしくなったのは、その後からだ。
それは、三姉弟が遅すぎる朝食を摂っていた時から始まった。
出されたマルイモのミルク煮に「なんだい、今日もマルイモかい。あんたら、もしかしてマルイモだけで生きてるんじゃないだろうね」と文句を言っていたソロが、おもむろに水の入ったグラスを持ちながら、
「そういや、昨日も思ったんだけどねえ」
そう話をきり出してきた。
「あんたらカノン教は、質素が好きな変わり者連中だったはずだよね?」
「好きなわけではありません。修道生活は清貧であるべきだという教えがあるのです」
セレーナの答えに、ソロは興味なさげに言った。
「質素に暮らしてるってことに違いはないんだろ」
「はい。ただ、正確には質素ではなく清貧ですが」
「そんなのどっちだっていいんだよ。いま肝心なのは、なんでそういう場所にこんなモンがあるかってことだよ」
と、ソロが持ったグラスを揺らす。
セレーナは小首を傾げた。
「どういう意味でしょうか」
「ガラスは高価なもんだ。その高価なもんで作ったコップが高級品なのは道理だろ?」
そういうことでしたか、とセレーナが軽く髪を揺らした。
「そのグラスは、ご寄付いただいた品です。いただいたのに箱の中にしまっていては、くださった信者さんにも悪いと思いまして。こうして使わせてもらっているのです」
「なるほど、そういうことだったかい」
そう言って水を一気に飲み干したソロがグラスをテーブルに置く。そして、透明な表面に人差し指を這わせながら言葉を継いだ。
「だったら……コレ、アタイにおくれよ」
「……は?」
突然の催促に思わず聖女らしからぬ声がアリアの口から漏れる。
セレーナも声にこそ出さなかったものの、驚いているのは表情を見れば明らかだった。
「高級品はさ、カノン教には似合わないだろ」ソロが構わずに続ける。「こういうのはオーディラル教にこそ相応しいってもんだ。だからアタイにおくれよ」
最後に、ソロが魔法の言葉を付け加えた。
「これも親睦を深めると思って、さ」
そう言われると断れない。
アリアは奥歯を噛みしめ、セレーナもただ短く首肯するしかなかった。
べつにグラスが惜しかったわけではない。
相手の態度が許せなかっただけだ。
その後、ソロが町を見て回りたいと言い出した。
そこへ、ちょうど様子を見に訪ねてきたトーマスと共に、アリアとセレーナはコラス三姉弟を案内することになった。
町の入り口ではカルロスが待ち構えていた。
「みなさん、おはようございます」
各々が挨拶を返したあと、アリアは言った。
「カルロスさん、どうしてここにいるのです?」
「おや、珍しいこともあるもんですね」
「なにがなのです?」
「聖女アリアがオレを見て嫌そうな顔をしないことがですよ。寂しいなー」
客人の前で嗜虐のアリアが出そうになるのを必死に堪える。
「……カルロスさん、あなたという人は……まともな会話ができないのです?」
「それですよ、それ! いやー、朝から元気をもらえました」
それで満足したらしいカルロスがようやく質問の答えを返してくる。
「オレがここにいるのは、きっと来るんじゃないかって待ってたからですよ」
「お店のほうは大丈夫なのです?」
「クリスタに押し付けてきました。これから町を案内するんですよね? だったらオレもお供します。なんたってオレはここで商売してますからね。任せといてください!」
親友がいないと聞いてアリアはホッとした。
クリスタにはコラス三姉弟と関わってほしくない。近寄らなければ何かが起こる心配もないだろう。
町の案内はカルロスが率先してやってくれた。
任せてくれと言っただけあって彼の案内は地元民のアリアも素晴らしいと思えるものだった。
お店や施設の説明だけでなく、その場所にまつわる裏話や働いている人の事情も交えて面白おかしく語られる。それにはセレーナやトーマスまでも「まあ」だの「ほう」と感嘆の吐息をこぼすほどだった。
そんなカルロスの案内とコラス三姉弟の物珍しさが相俟って、いつしか見物人が遠巻きに集まっていた。
視線が増えてもカルロスの語りは変わらない。
むしろ勢いと熱が増すほどだった。
人前で話すことには行商で慣れているのだろう。
地元の住人ですら感心せずにはいられない語りは、当然のようにコラス三姉弟をも夢中にさせた。
とりわけ三人のなかでもソロが熱心で、ことあるごとに質問をぶつけた。
「アレはなんだい?」
「それってどういうことだい?」
疑問の一つ一つにカルロスは丁寧に答えた。
そんなやり取りが繰り返されるうちに、いつしか質問はわがままに変わっていった。
「お、うまそうだね。一袋もらおうか。お代はいいだろ? これも親睦を深めるためだよ」
「上等な器じゃないか。こいつももらっとくよ。なあに、これも親睦を深めるためさ」
という具合にソロが、お店の品物をドリオの背負袋に詰め込んでゆく。
ソロの暴挙をアリアは何度も窘めようとした。
「あのっ、さすがにこ、」
「正修士ソロは今までで一番、どこがお気に召しましたか?」
けれど、そのたびにセレーナが、カルロスが、トーマスが、さり気なくも意図的に声を割り込ませてきたのだった。
セレーナたちが、そこまでして耐えている理由がアリアにはわからなかった。
ソロがオーディラル教の正修士ではないという確信がアリアにはある。
オーディラル教がカノン教と真逆な性質の宗教とはいえ、交流のない、争いしか重ねてこなかった相手の領域で、ここまで横暴な行いをするだろうか。
聖女といえども人間だ。角を立てないように努力しても我慢の限度がある。極端な話だけれど、流血沙汰に発展しないとも言いきれない。仮に、それを理由に戦端を開きたいのだとしても過去がそうであったようにオーディラル教ならもっと理不尽で強引な方法を選ぶはずだ。
だからソロは間違いなく、オーディラル教の正修士などではない。
アリアですら確信を持っているのだ。セレーナが確信していないはずがない。
それだけにソロの行動をどうして許すのか、まったく理解できなかった。
理解はできなくてもアリアは耐えた。
セレーナだけでなくカルロスやトーマスまでもが注意しようとすらしなかったからだ。三人が我慢するのには意味があるのだろう。
しかし、その均衡もすぐに崩れた。
動物の姿に成形した砂糖菓子をソロがくわえながら歩いていたとき、
「いいかげんにしてほしいのです!」
「聖女アリア、よしなさい!」
とうとうアリアの我慢が限界を迎えたのだ。
制止するセレーナを押し退けて続ける。
「さっきからなんなのです! あれもこれも親睦を深めるため! うんざりなのですよ!」
「ああ? あんた、自分がなに言ってんのかわかってんのかい?」
と、ソロが睨んでくる。だけど、口にくわえた野兎の砂糖菓子が似合いすぎて迫力に欠けていた。子供が背伸びをして悪ぶっているようにしか見えない。
「あなたが正修士じゃないことぐらい、とっくにわかっているのです!」
「ああ? 勝手な言いがかりつけてんじゃないよ!」
ソロがくわえた砂糖菓子を勢いよく吐き出す。
それは一直線に宙を飛び、アリアの額に直撃した。ほとんど痛みはなかったけど、突然の出来事に驚いたアリアは短い悲鳴と共に尻餅をつく。
そんなアリアのすねをソロは蹴飛ばした。
「痛っ……!」
「はん! いいザマだね! アタイより身長があるからって見下してんじゃないよ!」
再び、ソロが後方に足を引く。
と、最初のころより増えた遠巻きの人垣から小さな影が飛び出した。
「やめろーーっ!」
「うおっ!」
その何者かはソロに体当たりをして、そのまま彼女を押し倒す。
「ヤンさん……!」
「ヤンちゃんダメ! 戻りなさい!」
意外な人物の登場に目を丸くしたアリアは、見物人の壁を割ってヤンの後を追いかけてくる茶髪の中年女性の姿を見た。
ヤンの保護者、サニー・ビークルだ。
今の今まで気づかなかったけれど、二人も町まで来ていたらしい。
馬乗りになったヤンが、ぽかぽかとソロに小さな拳を何度も振り下ろした。
「アリアさまをいじめるなーーっ!」
「このガキっ……!」
ソロが憎らしげに言葉を吐いた直後、
「ネーチャがら、はなれどーーーーっ!」
それまで大人しかったドリオの雄叫びが響き渡った。
ドスドスと重い足音で走るドリオが、ソロにまたがる障害を排除しようと太い腕を持ち上げる。
「やめな! ドリオ!」
ソロの制止も今のドリオには届かない。
丸太のような腕が空気を震わせる。
凶悪な腕が幼い体躯に直撃する寸前、
「ヤンちゃん!」
腕とヤンの隙間にサニーが滑り込む。
ドリオの薙ぎ払った腕が、ヤンを抱きしめたサニーごと吹き飛ばした。
アリアの目の前で、ヤンとサニーが宙を舞う。まるで時間が止まったかのように、それは長い、とても長い浮遊に感じられた。
ヤンを抱えたままでサニーが地面に叩きつけられる。しかし、勢いは死なない。ゴロゴロと数えきれないほど転がり、その先にあった建物にぶつかって、ようやく止まった。
凄まじい衝撃だったはずなのにサニーは最後までヤンを離さなかった。
予想もしなかった事態に誰もが言葉を失い、棒立ちになっていた。
サニーに守られ、ほとんど無傷のヤンが腕のなかで叫ぶ。
「おばさん! サニーおばさん!」
静まり返った空間に、その悲痛な声だけが響いていた。
サニーはぴくりともしない。
その現状が幼い心には受け入れがたかったのだろう。
ヤンは、きつく抱きしめられて解けない腕の内側で必死にサニーを揺らしている。
そこへ、いつの間にか駆けだしていたセレーナが小さな肩を力強く掴んだ。
「揺らしてはいけません! 大丈夫、おばさまはわたくしが助けてみせます!」
サニーの腕を無理やりに解いてヤンを退かせた後、すぐにセレーナは奇跡を行使した。
「慈愛と豊穣の女神カノンよ。どうか、この者の苦痛を、そのお力で和らげたまえ――」
倒れるサニーの体を優しい光が包んでゆく。
その光景を実際の距離よりも遥か遠くに感じながらアリアは呆然と眺めていた。
(わたし……なに、やってるのです……?)
聖女ならセレーナがそうしたように、脇目もふらずに駆けだしていなければならなかった。
それなのに体が少しも、今でも、尻餅をついた姿勢のまま動いてくれない。
大人の女性が軽々と宙を舞った事実に衝撃を受けたというのもある。だけど、それ以上に衝撃的なことがアリアのなかにはあった。
アリアは、ようやく気がついた。
セレーナやカルロス、そしてトーマスが、どうしてソロの横暴に目を瞑っていたのか。
その理由を今さらながらに悟ったのだ。
みなは国民に危害が及ぶのを恐れていたから何も言わずに、ソロの気分を良くしようとしていた。
人の命は物には替えられない。
物で満足するならと考えていたのだ。
(それを、わたしが……台無しにしてしまったのです……っ)
あそこで自分が我慢できていればヤンが飛び出してくることはなかった。
そうすればドリオが暴走することもなかったし、サニーも傷つかずにすんだ。
アタイは悪くないよ!」
立ち上がったソロが怯えにも似た表情で訴える。
「そ、そうさ! あのガキが殴りかかってきたのが悪いんじゃないか!」
「ネーチャ、おで……おで……」
今にも泣きそうな表情で自身の右手を見つめるドリオに、ソロは言い放つ。
「ドリオ、あんたは何も気にするんじゃないよ! あんたはアタイを守ったんだ! あんたはアタイの言いつけどおりにしただけだよ!」
「お、お姉ちゃん……で、でも、これは……」
明らかにうろたえているデュオを、うっさい、とソロが一喝する。
「やっちまったもんはどうしようもないんだよ! あんたも腹を括んな!」
そしてソロは両手を大きく広げ、この場の全員に語りかけるように声を張った。
「さあ! この国に住む者たちよ! 今のでこのドリオの力はわかっただろ! これ以上の犠牲者を出したくなかったら、さっさとありったけの金と食い物を持ってきな!」
一方的な要求に見物人がざわめく。
そんな中でアリアはゆらりと立ち上がった。
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