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  • SMILE MIRRORへの応援コメント

    笑いたくなければ笑わなくてもいいんじゃやいかなって、私は思っております。

    実際、身内から酷いことを言われることもありますが、この人はそれで励ましてるつもりなのかな? とか、そんな風に思えるようになりました。

    感情に簡単に蓋をしたのでは、息ができないです。

    もしかして、旦那様はお外であまりうまくいかないことがあったのか、苛立っていただけなのかもしれませんし。

    他人ですのに、たくさん書いてごめんなさい。

    寒くなってきましたので、お体お大事になさってください。

    作者からの返信

    春川晴人様

    おはようございます。おいでくださり、ありがとうございます。<(_ _)>
    あたたかいコメントをありがとうございます。

    御作を拝読してから、このコメントのご返信を書くことになって、よかったと思います。
    春川様もお辛いご経験がおありだと、痛感いたしました。
    今まで、公立小学校の頃は、明らかな苛めに遭っても堪えてました。
    小学二年生のときに、睡眠前に母に死んでしまいたいと話したら、担任の先生に話が行っており、イジメは止めましょうだなんて、波風立てることがあったりして、私にも余波はありましたが、振り返れば、ここで長女が死なれてはとんでもなく、生後直ぐに生死を彷徨った娘を失うのを防がなくてはと母が奮起したのでしょう。
    ママとなった今、実感いたします。
    息子も苛めに遭い、特に中一の部活は酷いものでした。
    裁判沙汰になりました。
    私はこの通りの頭の悪い人ですから、病気でね、裁判をする人に、何を言っているのか分からないと言われ、大ショックを受けたものです。
    笑うと言うのを意識的に裏付けて始めたのは、こんな中で私が中学一年のときです。
    公立から、学校が崩壊しており、学区域の公立中学校では校内暴力でお隣の一学年上の方が失明しかけていたりと不安要素が高かったので、小学校六年生の暮れに受験を決めました。
    二校受験し、一校は滑り止めで両方とも合格しました。
    ここで一生忘れられないのが、父の受かりやがってと言いながら私の頭を踏んだ行為です。
    辛かったと言うか、状況を把握できていませんでした。
    ともかく、希望の中学に入れて、遠く片道二時間半を徒歩やバスに電車でコツコツと通いました。
    ふざけた人もいたり、揶揄われたりはありましたが、スカート捲りとか、陰口を聞こえる所で言う日向口(造語です)、全てがきらきらしていた訳ではありませんが、五十を過ぎてもメールを送れる方がいます。
    彼女は、私が結婚してからも折々に仲良くしてくださり、私の甘えがありましたが、まあ、お互い様な気もします。
    そこで、楽しいからでもないけれど、笑うの項目を、小さなノートに書き入れました。
    そのノートは生きる為のノートで、人より前を歩かないとか今後お付き合いをする上で、どうするか十二歳の私の知恵を絞って書き記しました。
    まさか、母に黙って見られているとは思わず、声を掛けられたので、どうしようかと思いました。
    二十歳で病気が重くなり、二十五歳から本格的に病院の人となってしまい、入院患者相手にも害のない態度でおりました。
    嫌なこともありましたが。
    へらへらしてたように見えたのでしょうか。
    分かる方に分かればいいと思います。
    廊下側のご年配の方など、お湯をカルキ抜きして持ってくると、対応してくれました。
    後は、自分のことに向き合うことに専心している風でしたね。
    春川さんのお話を否定しているのではないですよ。
    これまで、どうにもうまく行かない、詰まった心太みたいなとき、顔面だけでも笑顔で踏ん張って来たよの話です。
    秘策でもないし、根性論でもないですね。

    お身内から酷いことを仰られたことがあるとは、心底お辛さを共感いたします。
    私の身内は極近くにおり、分からないけれども、人生折り返し地点まで生きて来られただけでも運がよかったです。
    それに、憎んでも、人を呪わば穴二つ、我が身にも返って来るでしょう。
    その言葉は、夫から聞きました。

    この人はそれで励ましているとか、そんなの推し量れないときがあります。
    簡単な例えでは、がんばれと鬱の方にお声を掛けても逆効果ですよね。
    一本線がズレているのだと、もっとズレているのだと私も思うときがあります。
    特に実の父がおかしな人ですから、学校の環境などで、育ち方が変わったのかなとも思います。
    また、母も少し残念でしたが、母なりに悪気はなく、そういった個性だったと思うようにしています。
    今は、東京の隣の区にある介護施設付きの病院に入って、意識もなく、おしももお世話になっております。
    ああ、今度お見舞いに行くまで元気だといいなと思うものです。
    突然倒れ、そのまま一年以上が過ぎ去って行きました。

    感情に蓋ができなくなって、本作を書いたのですよね。
    内容はともあれ、タイトルを斬新にしてみました。
    なんじゃと思ってくれたらいいかと。
    これで、気持ちを表しているのですよ。
    ・。
    病院でもビッグバンの話をしました。
    先日も野菜を使うなとか、細かいことは省略しますが、無茶言ってましたね。
    この家では、大人は私だけですから、甘えられないのでしょう。

    お仕事でかお仕事の人間関係(主に社長の父)が不具合を引き起こして、帰ってくるなり、私の問いかけに、怒ってない! とか言いますよね。
    全くなにもしていない布団でごろごろしているとき、驚くようなこと、お前は俺に喧嘩をふっかけているのか! と言われるときは、頭から白いものが降りて来ます。
    誰しも完璧ではないので、いままでお世話になって来ているし、対決はなるべくしないですね。
    気まずさが残りますが。
    それに、子ども達にも悪いですよね。

    春川さんのお気遣い、誠にありがとうございます。
    他人などと仰らないでください。
    外から見たご意見は貴重です。
    お心がこもっておりますし。

    春川さんも本当に冷えて来ましたので、暖をとってくださいね。
    あたたかいお飲み物です コーヒー☕ 

    応援してくださり、誠にありがとうございます。
    ぺこり_(._.)_🌸