エドゥ・ヒュバート


 背の高い女性が入ってきた。シャルワーヌとは全く違う金色の髪が、肩の辺りで、ふんわりとウェーブを巻いている。


 慌てて俺は、シャルワーヌの手を振り放した。家族の前で何をやっているんだ、この男は。

 痛みを堪え、全力で体を布団から離し、直立させる。


「無理するな」

「うるさい、黙れ」


 シャルワーヌが抑えつけようとするのを跳ねのけた。

 どこの世界に、愛する男の家族に紹介される時に、寝そべったままでいるやつがいるか。


「はじめまして。亡命貴族のエドガルド・フェリシンです」

 シャルワーヌの姉に頭を下げる。きちんと挨拶できただろうか?


「本当に、お楽にしていらして?」

優しく労られ、思わず苦笑した。


「シャルワーヌの姉の、コラールです。弟がいろいろご迷惑やらご心配やらおかけしているようで」

「いえ、逆です。彼には窮地を救われてばかりいます」

「まあ!」

「東の国境でも、イスケンデルでタルキア人に囲まれた時も」

「この子がお役に立ちまして?」

 姉は、弟の活躍が知りたいようだった。大きく俺は頷いた。

「彼は僕の命を救ってくれました。強くて優しい、頼りになる男です」


 鼻を啜る音が聞こえた。


「……エドガルド。君は俺のことをそんな風に思っていてくれたんだな。そんな風に……。だがそれは、君についても言えることだ。だって、今俺が生きているのは君のお陰だ。君はいつだって、俺を見守っていてくれた。俺はな、エドガルド。この世のどこかに君がいると思っていたからこそ、頑張ってこれたんだ。そのことを、わかってほしい」


 ベッドサイドで、涙と鼻水を垂らしている男は無視した。だって、シャルワーヌの家族と初めて会ったのだ。俺は今、すごく緊張している。正直、シャルワーヌどころではない。


「ところで、貴女のことを、何とお呼びしたらよろしいでしょうか。」


 「マダム」か「マドモアゼル」か。

 王党派の貴族にとって、女性への呼称はとても重要だ。


「コラールと呼んでください」

毅然として答えてから、彼女はにっこり笑った。

「弟は話しませんでしたか? 私の母は庶民であったにもかかわらず、前の国王、ブルコンデ15世の寵姫でした。私の父は、今上陛下ブルコンデ18世の父君、故ブルコンデ15世なのです」

「……あ」


 そうだ。

 東の国境で、シャルワーヌは言っていた。

 彼の姉は、彼の父の前妻の連れ子だ。その女性は、かつての王の愛人だった。そしてシャルワーヌの父と結婚した時、既に彼女は、妊娠していた……。


「ねえ、エドガルドさん。シャルワーヌは、欠点だらけのダメな子です。でもこの子が国に残ってくれなかったら、とうの昔に、私は革命政府によって処刑されていました」


 恐怖政治の元、王の血を引くことが疎まれ、コラール嬢は革命政府に逮捕・勾留されていた時期があったという。

 彼女の死刑が執行されなかったのは、ひとえに、シャルワーヌの活躍があったからだ。次々と敵を打ち負かす将軍の「姉」を、まさか政府も殺せなかった。


 シャルワーヌが顔を上げた。


「俺は悩んでいた。兄弟たちのように国王に従って亡命しなかった自分は、間違っていたのか、と。母を含め、国に残った親族たちは俺を責めた。兄や弟からは、自分たちと合流せよという手紙が、ことあるごとに届けられた。そんな中で、エドガルド、君は……君だけが言ってくれたんだ。『君は正しいことをした』って。……福音だった。俺が一番欲しかった自信を、君は与えてくれた」


 結果、彼は逃げ出した俺を捕まえ、監禁し、抱きつぶした……。

 くらくらしてきた。俺は眉間を抑えて俯いた。


「どうした、エドガルド。すまなかった。まだ本調子ではないのに、難しい話をしてしまって……」

「そうよ。貴方はいつもせっかちだわ」

コラールが咎める。シャルワーヌは口を尖らせた。

「早くエドガルドに会わせろと言い張ったのは、姉さんですよ」


 コラールは俺に向き直った。

「この子がザイード遠征に出かけてすぐ、私はまた、革命政府に捕まってしまって」

 重い内容なのに彼女の声は軽やかだ。

「覚悟はしていました。私には、半分は王の血が流れていますから。けれど、処刑の前日、王党派の方たちが、私を逃がしてくれたのです。エドガルドさん。貴方のお仲間ですわ」

「デギャン亡命貴族軍の騎士たちですね?」


 心当たりがあった。一緒に国境を越えた仲間たちだ。

 コラールは頷いた。


「西の海岸から、私は国を出、アンゲルへ渡りました。そこへ、アンゲルの海軍将校、ラルフ・リール代将が訪ねてみえたのです」

「なんですって? ラルフが?」


 思わず俺は声を上げてしまった。

 なぜここにラルフが……? ラルフ、君は、何を企んでいるんだ?


 シャルワーヌが姉を押しのける。鼻を鳴らし、不満気だ。


「その後、彼は、バーンで療養していた俺の元を訪れた。姉と引き合わせてくれたのは、彼だ。俺はあの男が好きではない。むしろ大嫌いだ。俺からエドガルド、君を奪おうとするからだ。だが、彼には感謝している。……もういいよ。入るがいい」


 いつの間にか、病室の入り口には二人の人影が佇んでいた。

 小柄な男性と、大柄な子ども……。


「フラン! ロロ! どうしてここに? ああ、ロロ、無事でよかった! フランも、体、大丈夫か?」


「いっぺんに聞くなよ」

フランが笑った。

「まず、ロロを助けてくれてありがとう。君は、無事とは言い難いけど、戻ってこれてよかった。それから、俺はすっかり健康を取り戻したよ。あと、この城は俺の家の別荘なのだ。四方を海に囲まれた島なので、防備がしやすい。だから、蜂起軍の療養所に提供している」


「ああ、フェリシン大佐! 僕の……僕なんかの為にそんな、ミイラみたいに包帯を巻かれてしまって!」

 兄の傍らで、ロロが涙ぐんでいる。


「そうだぞ、このいたずら坊主め。密航なんかしやがって。一発で、敵から目をつけられてんじゃないか。エドゥにもしものことがあったら、お前なんか、生かしておかないところだったんだ! ……いてっ!」


 年甲斐もなく子どもを脅しつける弟の足を、姉のコラールが思いきり踏みつけた。

 ロロはけろりとしている。シャルワーヌ渾身の脅しにも、全然堪えていない。


「違うよ、オジサン! エドゥなんて呼ぶなよ。この人は、エドガルド・フェリシン大佐だ。亡命貴族なんだ!」

「わかってる! 彼は俺のエドゥだ! それから、俺はオジサンではない!」


 子どもと同じレベルで、シャルワーヌがやり返した。


「転移とは、全く信じがたいことだが」

 フランが首を振っている。どうやら俺がエドガルドであることを、受け容れる気になったらしい。

「そういえば、君は蜂起軍では、エドゥ・ヒュバートと名乗っていたな」


「あら、そうでしたの?」

コラールが目を瞠る。どこか嬉しそうだ。


「はい。気に入った名前だと言ってました。……そうだろ、『エドゥ』」


 問いかけられ、俺はそっぽを向いた。

 くすりとフランが笑った。面白そうに俺とシャルワーヌを、じっくりと見比べる。


「そうか。なるほどね。エドゥ、それにヒュバートか」

「怪しからん。『エドゥ』は俺だけの呼び名だ」


 脊髄で反射し、シャルワーヌがむっとしている。


「いいじゃないか、名前なんてどうだって。年の離れた従兄姉たちも、そう呼んでたぞ」

 軽く彼をいなした。


「それにしても、エドゥ……ヒュバート?」

 解せぬといった顔で、シャルワーヌがつぶやく。

「エドゥを名乗ったのは、俺のことを思ってだよな?」

「……」

俺は答えなかった。

「わかってる。君は人前では冷淡なんだ。二人きりの時にそうではないかというと、微妙だが……。いいんだ。俺には君の気持ちがよくわかっているから。君は誰より愛情深く、優しい。俺は君のすべてを知っている。はずだ。だが、ヒュバート……」


 まるで不審者のようにつぶやき続けるシャルワーヌを見かねたようだ。姉が、背伸びをした。背の高い弟の耳に口を寄せ、囁いた。


ユベールHubertをアンゲル語で読むと、ヒュバートになるのよ」

「エドゥ!」


 ちかりと光った。シャルワーヌの目が。

 彼の中でスイッチが確実に入れ替わったのがわかった。


「来るな、シャルワーヌ。これ以上無体をしたら、本当に背中の傷が……」


 開く、まで言わせてもらえなかった。

 再び俺は、シャルワーヌに、がむしゃらに抱きしめられた。


「エドゥ……俺のエドゥ……」


 うわごとのように言いながら、べたべたと顔じゅうに口づけをしてくる。唇に触れ、すかさず舌が侵入してきた。

 肉厚の舌が絡んでくる濃厚なキスを味わう……余裕などなかった。

 背中と脇腹が死にそうに痛む。

 大きな口で唇が塞がれ、息ができない。


 弟の目を両手で隠したフランが、呆れたようにコラールと顔を見合わせている。二人そろってこちらに向けられた視線が痛い。


 だが……。

 正直に言おう。


 素朴で優しい香りに包まれ、力いっぱいその腕に抱かれ、余裕のないキスを繰り返されて……俺は幸せだった。自分が自分でなくなりそうなほどの安堵に憩った。







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