オーディンの回想(恋人たちの毒2)
マワジでの情事は、オーディンの危惧を一層、煽った。
オーディンは、組み敷かれることを嫌う。たとえ情事であっても、誰かに見下ろされるなど、あってはならないからだ。だから普段は後背位を好んだ。
しかしこの日は、もっと積極的に、優位に立つ必要があった。
いつものように後ろから抱こうとしたシャルワーヌの胸を、オーディンは押した。ベッドの上に押し付けるようにして横たわらせる。
シャルワーヌは不安そうだった。
オーディンはむっとした。これから、死ぬまで忘れられないほどの快楽を与えてやろうとしているというのに?
文字通りそれは、死に至る道筋での、最後の快楽だ。
腹立ちを紛らわせるかのように、シャルワーヌのズボンをむしり取った。上半身を着衣のまま、下半身を剥き出しにした男の姿は、滑稽だった。少しだけ、溜飲が下がる。
間抜けな男の上に跨った。けれど、下まで腰をおろし切る勇気は出ない。
「もっと動いて。貴方がいいように」
うわごとのような声が、甘くささやく。
腰に当てられた両手に力が込められた。あっと思う間もなく、前後に揺すぶられた。
間歇的に叫ぶ口元から、涎が垂れてくる。オーディンの目が虚ろになった。下から突き上げてくるシャルワーヌの動きに任せ、体が揺り動かされる。
まるで使い古されたボロ布になった気分だった。破れ、乱暴に扱われても、ただひたすら快楽を吸い取っていく。
組み敷いたはずの男に、完全に征服されたことを、オーディンは理解した。
◇
騎乗位で征服するつもりだった。それなのに、気がつくと立場は逆転し、オーディンはシャルワーヌの思うがままに翻弄されていた。
快楽のつぼを抑えられ、完全に征服されてしまった。
この後も何度か、オーディンは、シャルワーヌに跨った。けれど最後の最後まで、主導権を握ることができなかった。
◇
とうとう、シャルワーヌが上ザイードに帰ることになった。その前日に挨拶に来た。これが最後のチャンスだ。……彼にとっても、オーディン自身にとっても。
何かを予感したのだろうか。シャルワーヌは、死後の世界では、自分たちは一緒になれないと言い出した。気色ばむオーディンに対し、ヴァルハラ(戦死者が赴く館)に行く自分に対し、オーディンはもっと偉大なことを成し遂げるからだと説明した。
詭弁だと思った。
だって、あの男……エドガルドは間違いなくヴァルハラへ赴くだろう。そこでシャルワーヌと……。
そしてやっぱり、オーディンは彼を征服できなかった。最後のチャンスはあえなく潰えた。シャルワーヌは依然として、オーディンの脅威となって残ったのだ。
事後、いつもなら、眠ってしまうのはオーディンの方だ。眠るというより、快楽の果てに意識を手放してしまうと言った方が正しい。
だがこの時は、果ててからも、オーディンは眠ることができなかった。
隣で眠るシャルワーヌの顔を、いつまでも眺めていた。
自分に快楽を与え、それなのに決して愛を与えようとしない男の顔を。
確かに彼は、自分に忠誠を誓った。けれどその忠誠は、
兵士たちの人望を一身に集め、現地の民や、諸外国の
対して、エイクレ戦の失敗で、オーディンへの信頼は地に落ちていた。もはや、ザイードを去り、遠征軍をこの地に置き去りにするしかない。
自分の失態を知る遠征軍を、祖国に帰らせるわけにはいかない。
彼らの信頼厚い指揮官も、また。
自分を組み敷いた男であれば、なおさら。
エイクレから上ザイードに派遣したペリエルクは、まだマワジに帰って来ていなかった。だが、彼の投与した第一の毒は、既にシャルワーヌの体内を回っている筈だ。
しかしそれは、未だ、無害だ。第二の毒を、オーディンが投与しない限り。
その第二の毒は、ベッドサイドに用意してある。
二つの毒が体内で結合されて初めて、毒薬は効果を発揮する。
ゆえにこの毒は、「恋人たちの毒」という……。
ぽっかりと、シャルワーヌが目を開いた。濃い色の瞳が、僅かに薄い色になって、オーディンを映し出す。
「申し訳ない。眠ってしまって」
「いい」
言って、オーディンは、傍らからカップを取り上げた。中には、第二の毒を混入した水が満たされている。
「喉が渇いたろう? いつもお前がしてくれるようにしてやろう」
「そんな、あなたにそのような……」
「遠慮するな」
カップの水を口に含み、オーディンは腰を屈めた。顔を近づけ、シャルワーヌの口に唇を寄せる。
……最後の、キス。
出来得る限り最大の優しさで、心からの愛を籠めて……。
生ぬるい液体が、静かにシャルワーヌの口の中へ、そして喉へと流し込まれた。
◇
シャルワーヌが死ぬ。死んでしまう。あの忠実な男が。真っ直ぐで誠実な、古めかしい騎士のような男が。
その、濃い色の髪、澄んだ瞳、勇敢さの証である頬の傷。そして……鋼のように鍛えられた体。
逞しい、あの男が。愛しい彼が。オーディンに心酔し、決して逆らうことのない、彼だけの男が。
居ても立っても居られなかった。部下の報告を聞く時も上の空で、重要な情報を何度か聞き落とした。食欲もなく夜も眠れなかったので、体調は最悪だった。指令を出している途中で眩暈を起こし、倒れてしまったこともある。とてもではないが、執務の出来る状態ではなかった。
軍にとって、総司令官の病は、トップシークレットだ。万が一、敵に伝わったら即座に攻め込まれる危険を伴う。
病ではない。だが、心に大きな苦痛を受けていた。その苦痛たるや、肉体の病を遥かに凌駕することを、オーディンは思い知った。
弱い自分を、部下には見せられない。身の回りの付き人に厳重な緘口令を敷き、彼は私室に閉じこもった。
そこへ、エイクレ要塞から上ザイードへ向かったペリエルクが帰って来た。彼は、ベッドで伏せたままのオーディンに、計画の失敗を報告した。シャルワーヌは、第一の毒を摂取していない……。
瞳に狂気を宿し、やせ細った司令官に、ペリエルクはそれを伝えた。
何度も何度も保証した。
オーディンが命じたからだ。計画の失敗の詳細を繰り返せと。シャルワーヌの無事を確証せよ、と。
シャルワーヌに渡す筈だった毒の入ったワインを、ジウ王子が飲んでしまったのだと、ペリエルクは説明した。
ジウ王子……ザイード遠征の途上で占領した
今回のマワジ訪問で、シャルワーヌは、美しい色合いのカシミヤを買い込んだ。間違いなくジウへの土産だ。密偵につけた部下の報告を聞いて、オーディンにはわかった。
あの時は、ジウをシャルワーヌ師団に置きっぱなしにしたことを後悔したものだ。シャルワーヌが上ザイードにハーレムを囲っていることは知っている。あれは多情な男なのだ。
そのジウが、シャルワーヌに代って、毒を飲み干した。体の弱いジウは、意識不明に陥ったという。用心深いペリエルクは、シャルワーヌに再び毒を盛る計画を断念した。
シャルワーヌが、自分が与えた第二の毒しか摂取していないことを、オーディンは理解した。
この毒は、二つ揃わなければ、効果を発揮しない。現に、シャルワーヌに口移しで毒を飲ませたオーディンには、何の異常も表れていない。
シャルワーヌが摂取した毒は、第二の毒だけだ。ペリエルクの失敗で、第一の毒は飲んでいない。自分と同じで、彼は無事だ……。
ようやく、オーディンの心に平静が戻った。遅れていたザイード脱出に向けて動き出す。ペリエルクは自分もオーディンの側近として帰国するつもりだったようだが、彼を連れて帰ることは止めた。惑乱した自分の姿を見られたからだ。軍の司令官としてあるまじき失態だ。
シャルワーヌについては、一目、彼の元気な姿を見てから出立したかった。もっとも、帰国に同行するのは論外だったけど。あの真っ直ぐな男が、武力を用いてのクーデターに賛同するわけがない。
上ザイード離脱の際、第一の毒を飲んで人事不省に陥った筈のジウ王子に会った。あろうことか、オーディンを殺そうとしたのだ。
祖国ウテナを蹂躙されたことが、余程腹に据えかねたのだろう。
もっとも、あのようなか弱い攻撃で何ができるわけもない。
どちらかというと、彼が齎したのは朗報だった。シャルワーヌは変わりなく元気でいると、彼は断言した。
ウテナから連れてきた
……エドガルドに似ている?
オーディンはジウを一度だけ謁見している。ウテナで彼を捕虜にした最初の時だ。あの時は、そんな風には思わなかった。
エドガルドに似ている、などと。
しかし、そんなことはすぐに忘れた。
シャルワーヌは、生きている。
なんという安堵だったろう。
もはやオーディンは、シャルワーヌを手放そうとは考えなかった。逆だ。あの男が欲しい。彼の全てを完璧に。その汗の一滴、その髪の一本に至るまで。
それは、可能と思われた。あの忠実な男は、心からの忠誠を自分に誓ってくれている。
ならば、周囲を抑えればいいだけだ。
兵士どもには不服従を許さない。オーディン自身の権力を確立し、そうだ。シャルワーヌには公国を与えればよい。遠くの国の領主に封じれば、彼の軍への影響力は弱まるだろう。
そして自分は時折、馬を飛ばし、彼に会いに行くのだ。
オーディンは含み笑いを浮かべた。
ふと、その笑みが翳る。
問題は、エドガルドだ。
シャルワーヌが臆面もなく恋人と認め、……あまつさえ、のろけめいたことまで口にした「恋人」。
体を重ねたばかりのオーディン自身の前で。
彼を決して、シャルワーヌに近づけてはいけない。亡命貴族の入国を徹底的に管理し、見つけ次第、処刑することだ。
ペリエルクがシャルワーヌに全てを打ち明けたことを、オーディンは知らなかった。
まさか
オーディンに対してあれほどの忠誠を誓ったにも拘らず、ペリエルクは、オーディンが連れ出した親衛隊の中に含まれていなかった。信頼していた総司令官に置き去りにされ、オーディンに対して彼は、深い恨みを抱くようになった。
もう一人、オーディンを深く恨んでいる者がいた。オーディンから遠征の後始末を丸投げされたワイズ新司令官だ。
ワイズとペリエルクは結びつき、一刻も早い全軍帰国を実現させるべく、タルキアと講和条約を締結した。
青春の日の夢としてオーディンは、ザイードを握っていたかった。いにしえの英雄のように、ザイードからタルキア、そしてウアロジア大陸征服というのが、彼の野望だったのだ。
出発前、若々しい夢に、政府は懐疑的だった。昔から苦楽を共にしてきたオーディンの参謀でさえ、眉を顰めた。祖国に愛人がいるこの男を、ザイードまで連れてくるのには苦労した。
たった一人だけ、オーディンのロマンに心の底から賛同してくれた者がいた。
シャルワーヌ・ユベールだ。
東の国境からわざわざ会いに来た
シャルワーヌは目を輝かせた。二人は、古代の英雄やその偉業、壮麗な合戦についての話で盛り上がった。
シャルワーヌに、様々な戦闘について深い知識があることに、オーディンは舌を巻いた。
戦争について調べることが好きなのだと言って、シャルワーヌは嬉しそうに笑った。そして、手放しで、オーディンの計画を讃えた。
しまいには、その偉大な事業に自分もぜひ、参画させてほしいと言い出した。
ザイード遠征は、二人の夢だった。オーディンとシャルワーヌ、初めて出会った頃の二人の。
ザイードを去る際、オーディンは、この砂漠の国を保持し続けることを、新司令官ワイズに書き残した。
とこがワイズは、勝手にタルキア帝国と講和を結び、全軍帰国を決めてしまった。一向に迎えの艦隊を寄越さないオーディンに腹を立てた彼は、帰国の費用をタルキアにもたせることまで了承させた。
エ=アリュ講和条約締結は、だから、オーディンへの裏切りといえた。
さらにオーディンは、ユートパクス側の大使の一人が、他ならぬシャルワーヌだったと知り、ショックを受けた。
市民であるペリエルクの護衛を兼ねて、ワイズが選んだのが、将軍シャルワーヌだったのだ。
けれど撤退は、シャルワーヌ自身の考えではない。ワイズやペリエルクがいなかったら、彼は愚直に、オーディンが占領したザイードを守り続けただろう。自分が置き去りにされたことを、つゆほども恨もうとはせずに。
シャルワーヌは、そういう男だ。
彼は、オーディンの物だ。
ワイズの手から取り戻さなければならない。
クーデターが落ち着き、革命政府を完全に掌握すると、オーディンは、ザイードからシャルワーヌを召喚した。
彼は、あたうる限りの早さで、ユートパクスに帰って来るだろう。そして変わらぬ忠誠を誓い、自分を抱くだろう。
熱く力を込めて、情熱的に。
今までのあまたの晩と同じように。
それが愛でなかったとして、違いはなんだというのか。エドガルドさえ現れなければ、彼はオーディンだけのものだ。
________________
※前半は、Ⅱ章でシャルワーヌが回想している「抱け」の、数日前の情事です。
他サイトでは、もう少し具体的に? 描いています。
「回想:『抱け』」
https://kakuyomu.jp/my/works/16817330665612772654/episodes/16817330667079861271
※
章を跨いでお話が展開しているので、わかりづらいと思います。主な出来事を、時系列に配置してみますね。
・首都騒乱(鎮圧の為にオーディン・マークス、シャルワーヌを召喚するも、伝令が届かず、シャルワーヌ、首都に来ない。シャルワーヌ、オーディンの最初の疑惑を買う)
・エイクレ戦にて エドガルドとオーディンの会見(アンゲルからの講和の勧めを、オーディン、拒否)
・オーディンの元から、第一の毒を持って、ペリエルク、上ザイードへ向かう
・ペリエルク、上ザイード(総督はシャルワーヌ)着
・エイクレ要塞爆撃、エドガルドの死
(同日:花の月の2日)
・ジウ服毒(ペリエルクがシャルワーヌに飲ませようとした第一の毒を摂取)
・オーディン・ユートパクス軍、エイクレより撤退
・オーディンに召喚され、シャルワーヌ、ダミヤンに向かう
・ダミヤン戦(エイクレからマワジへの帰還の途中;オーディン軍勝利)
(遅れてシャルワーヌ、ダミヤンへ到着。戦いには間に合わず、オーディンにも会えず、オーディンの決定的な疑惑を買う)
・オーディン、マワジへ帰還
・ジウ(エドガルド)の覚醒
・シャルワーヌ、ダミヤンから上ザイードへ帰還、初めてジウに転移したエドガルドに会う
・オーディン、シャルワーヌをマワジへ召喚
(シャルワーヌ、オーディンにより第二の毒を口移しで飲まされる)
・ジウ王子(エドガルド)、ムメール族にさらわれる
(同時に)
・シャルワーヌ、オーディンの元から上ザイードに帰還、ジウの救助
・ラルフ・リール、上ザイード来訪
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