オーディンの回想(エドガルドとの再会2)


※クーデターを起こして首席大臣になったオーディンの回想が続いています。

途中、………………。 に挟まれた部分は、回想の中のオーディンが、さらにその前の出来事(シャルワーヌとの出会い)を思い出しています

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 「久しぶりだな、エドガルド」

二人きりになると、オーディンは言った。

「ああ、本当に。君は、随分大きくなったな、オーディン」

 エドガルドが応じる。


 揶揄する風ではなかった。ただ単に、事実として延べ、その事実に感嘆しているようだった。オーディンが華奢な少年ではなくなったという事実に。

 いつまで自分を、14歳の少年だと思っているのだろう。オーディンは苦笑した。


「今ではお前と変わらない」


 あの時、同じだけの背丈があったのなら! この男の下に組み敷かれるなどという屈辱はなかったはずだ。ほんのわずかな身長差が、今のオーディンを作った。


「俺は、老けただろう?」

「老けた?」


鋼色の目が和らいだ。優しい光が宿る。


「君は立派になったよ、オーディン・マークス。今ではユートパクス軍の総司令官じゃないか」

「だが……ここ、ザイードに来て俺は変わった」


 過酷な砂漠。熱波と乾燥。

 足りない武器弾薬と、不足している水、食料。

 兵士たちの不満は日々、高まっていった。それを上から抑えつけ、戦闘に駆り出す。多くの死傷者が出た。特にこのエイクレ要塞戦では、疫病の蔓延で、軍はひどい状態にあった。


 それでもオーディンは今、アンゲルの提案してきた休戦をはねつけた。兵士だけでなく、将校らの不満は、恐らく最高位にまで達するだろう。

 その軍を引きずって、自分は勝利を掴まなければならない。果たしてそれは、人の力で成し得ることなのだろうか。


「君は、疲れているようだな、オーディン」


 労わるようなエドガルドの声がする。

 この男はいつもそうだった。いかなる時でも、オーディンを気遣い、世話を焼こうとする。


「エドガルド」


 名を呼び、彼はかつての同窓生に近寄った。エドガルドが立ち上がった。幽かに微笑みを浮かべている。

 パーソナル・スペースに踏みこみ、オーディンは、エドガルドの肩に両手を回した。

 自分の目と同じ高さにある色の薄い瞳を睨み据えた。

 この男に何がわかるというのか。


 エドガルドの右手が、オーディンの後頭部に回された。鋼色の瞳が閉じられた。長いまつげがふるふると震えている。

 瞳から発散されていた眩しさがなくなり、エドガルドとは逆に、オーディンは、かっと両目を見開いた。


 ゆっくりと、エドガルドの唇が近づいてきた。

 優しく包み込むようだったキスは、すぐに深く、情欲を誘うものになっていった。

 瞼に力を入れ、目を開いたまま、オーディンはそれを受け容れた。舌が侵入してくる。せわしなく、それでいて官能的に、口腔が犯されていく。


 どこか遠くで、学校の鐘の音が聞こえた気がした。


 14年間の不在がなかったかのように、二人は、舌を絡め、歯列の裏を嘗め合い、獣のように相手を蹂躙した。

 ただそれは、14年前よりずっと巧みだった。もう歯と歯が激突することはないし、息が上がってしまうこともない。


「今でも俺が抱けるか?」

 長いキスの後、やっと互いの唇が離れると、彼は尋ねた。


「すまない、オーディン」


 予想だにしない拒絶だった。士官学校時代、エドガルドがオーディンを拒絶したことがあったろうか。行為だけでなく、生活の全てで、オーディンは、エドガルドに見守られていると感じていた。彼に許され、受け容れられていると信じ、安心していた。


「お前が俺を拒むなんて」


 怨嗟の言葉が口を衝く。返ってきた言葉は、半ば予期したものだった。


「大切な人がいるんだ。そいつを裏切ることはできない」

「大切な人?」

 オーディンはエドガルドの誠実さをよく知っている。だからこれは、反射的に問い返したに過ぎない。


「彼は君の軍にいるよ。今回のザイード遠征にも参加している」

「何だって!」


 驚いてオーディンは身を引き剥がした。エドガルドの現在の男は、自分の麾下にいる?


「誰だ、そいつは」

「言えない」


 庇っているのだとすぐにわかった。その男に、自分が何かすると思っているのだろうか。

 怒りがオーディンの胸に火を灯した。もしかしたら、嫉妬だったのかもしれない。


「その男がなぜ、ザイードにいるとわかった?」


 アンゲル軍のスパイがあちこちにいたので、ザイード遠征への参加者名簿は公開されていないはずだ。


「新聞で読んだ」

「新聞……」


 遠征当初、数名の将校の活躍が、実名入りでユートパクス内外の新聞で報じられた。すぐに報道管制が敷かれ、その数は、非常に限られている。


「タルキア遠征には参加しているのか? ここ、エイクレ包囲戦には従軍しているのか?」

 咳き込むように、オーディンは質問を重ねた。答えは簡単だった。

「彼は、エイクレには来ていない」


 それで、わかった。

 わかってしまった。

 ……なんてことだ。


 品位ある侵略者。

 公正な配分者。

 砂漠の蛮族を相手に勇敢に戦い、虐げられていた上ザイードの住民に対して、理想的な統治を敷いた男。

 ユートパクスの敵国までが、その活躍を熱狂的に報じていた。

 また、遠く上ザイードの奥地でムメール族と戦っていたは、タルキア遠征に参加することができなかった。

 活躍を報道された者の中で、今回のタルキア遠征に加わっていないのは、だけだ。


 「渡さない」

掠れた声でオーディンは言った。

「は?」

怪訝そうな声が聞き返す。


「シャルワーヌ・ユベールだ」

「……」

 見破られ、さすがに、エドガルドは驚いたようだった。大きく目を見開いた。

「彼は、俺のものだ。お前には渡さない」



 ………………。


 2年前。東の国境で軍を率いていたシャルワーヌは、自分の方から、南にいたオーディン・マークスの元へやって来た。

 今の上官の下では、自分は栄光を勝ち取ることができない。だから、貴方の軍に入れて欲しい。

 彼はそう言った。


 ……「貴方には、先を見通す力がある。その貴方の下で、是非、偉大な事業に参画させてほしい」


 不器用な男だと思った。何一つ、修辞を弄さない。その分、真っ直ぐな心根が感じられた。

 そこには、素直で素朴な情熱だけがあった。古めかしい、昔気質の忠誠を、オーディンは感じた。


 その情熱は、常々、オーディンが欲していたものだった。自分の為に命をなげうってくれる部下を、オーディン・マークスは必要としていた。


 長く続いた戦争を終わらせたいのだと、シャルワーヌは語った。

 ……「約束したのです。戦争を終わらせると。自分には会いたい人がいます」


 今の状況では会えない人だという。その人は、王党派だから。

 ……「国を分断する今の状況を、一刻も早く終わらせたいのです」


 オーディンと同じく、シャルワーヌは貴族だった。王族に従い、家族・親族の半分が亡命している。そのうちの誰かに会いたいのだろうと、オーディンは思った。

 王党派の恋人という考えがと頭を過らないわけではなかった。構わない。から彼を奪い取る自信が、オーディンにはあった。


 軍隊。

 栄光。

 生死を掛けた戦い。

 なにひとつとっても、彼を自分に結び付けるものばかりだ。女性の割り込む隙はない。


 その日のうちに彼を寝室に誘った。

 驚いたように目を見開き、けれどシャルワーヌは素直にこの僥倖を受け容れた。


 ………………。



 「ちょっと待て」

 憑かれたように、シャルワーヌとの始まりを話し続けるオーディンを、エドガルドが遮った。

「昔気質の忠誠? 命を擲つ部下? 君にとって、彼は何だったのだ? 恋人ではなかったのか」

「シャルワーヌは俺の部下だ。それ以上でも以下でもない。ベッドでも、俺の命じるがままだ」


「……そうだな」

冷たい声が応じた。

「彼の想い人は、俺だから」


「許さん!」


 脊髄から出た反射だった。全く何も考えないうちに、オーディンは叫んでいた。

 エドガルドが嘲った。


「彼は君の部下に過ぎないのだろう? 君の為に死んでくれる、都合のよいしもべだ。その彼にも愛する者がいるという事実を、君は受け容れることができないのか」


ふん、と、オーディンは鼻で笑った。


「あれは、多情な男だ。お前が、その恋人だと言い切る自信があるのか?」

「『終わらせるよ。俺が終わらせる。再び君と会う為に』」

「は?」

「あいつが言った言葉だ。この俺に」

「……」


 シャルワーヌのこの言葉だけを心の糧に、エドガルドは生き抜いてきたのだと、瞬時にオーディンは悟った。

 そしてシャルワーヌ……、彼自身もまた、そんな風にして、長い年月、戦ってきたというのか。エドガルドへの思いだけを胸に。


 彼の戦意は、このオーディン・マークスへの忠誠ではなかったというのか。

 身を焼くほどの怒りが込み上げてきた。


「もしお前が、シャルワーヌに近づくようなことがあれば、彼は死ぬ」

「は?」

「俺が殺す」

「オーディン!」

 士官学校時代そのものの声で、エドガルドが叫ぶ。オーディンは足を踏ん張った。

「俺は彼の上官だ。麾下の兵士の生殺与奪の権利は、この手の内にある」


 それは事実だった。気に入らない部下がいれば、命を奪うことは簡単だ。

 例えば、戦闘の激しい戦地へ送り込むとか。

 政府からの派遣議員に在りもしない裏切りを伝えるとか。

 あるいはもっと単純に、刺客を送り込むだけでいい。

 軍務違反でも上官への反逆でも、口実は、後からいくらでもつけられる。

 それが、軍だ。


「馬鹿な!」

 エドガルドがわなわなと震えだした。

 反対に、オーディンは平静さを取り戻していた。

「軍を離れて、シャルワーヌが生きられると思うか? あの男は、戦いから逃れることができない。それが、戦争で敵を一人でも殺した兵士の宿命だ。お前だってそうだろう、エドガルド」

「……」


 エドガルドは答えなかった。真っ青になって、ただ、立ち竦んでいる。


「兵士というものは、軍から離れられないように運命づけられているのだ。その上、シャルワーヌが求めるものは、栄光だ。そしてその栄光には、この俺に従うことによってしか、到達することができないのだ」


 革命政府の弱体化は、当時から目を覆うばかりだった。そして、王党派が頼みとする王族は、状況を把握できていない。

 この混沌を制することができるのは、オーディン・マークスだけだ。軍を完全に掌握し、諸外国をねじ伏せるようにして打ち負かしてきたユートパクス軍総司令官の。


 「俺だって、シャルワーヌが愛しい」

打って変わってやさしい口調でオーディンは言った。

「あの男の愛撫が好きだ。しつこいほどの執着と、体中を嘗め回す濡れた舌、そして、中へと入り込んでくる熱……それらを愛している。重みを、激しい律動を、汗を、喘ぎを、そしてついに解き放たれる熱情を」


「止めろ!」


 エドガルドが叫んだ。血の気はすっかり失せ、まるで死人のような顔をしている。

 それで、オーディンは悟った。


「まさか……」

 爆笑した。

「そうか。シャルワーヌが相手では、さしものお前も、自分を差し出すしかなかったというわけか。女になるしかなかったというのだな、エドガルド・フェリシンともあろう者が」


 オーディンを貫いた男が。

 列強を打ち負かしてきた総司令官である、オーディン・マークスを、かつて組み敷いた男が!


 笑い過ぎて出てきた涙を、オーディンは拭った。


「あの男の傍若無人ぶりでは、無理もないことだ」

「シャルワーヌを貶めるな」


 怒りに満ちた声が威嚇した。けれど、勝負はもう、ついている。少なくともオーディンにとっては。


「おやまあ。を庇うとは。お前も焼きが回ったものだな、エドガルド。いいさ。俺だってシャルワーヌを死なせたくない。彼は今しばらく生かしておこう。あの男は俺の意のままだ。俺はまだまだ、からな。だが、」


 蒼白の顔から燃えるようにこちらを睨んでくる二つの鋼球に向けて、オーディンは言い放った。

「お前は彼を忘れるんだ。思い出すことさえ許さない。彼は俺のものだ」




 休戦協定は結ばれなかった。

 ユートパクス軍からのエイクレ要塞爆撃は熾烈を極めた。

 要塞陥落の直前、通眼鏡の向こうに、一瞬、エドガルドを見た気がした。次の瞬間、何千年もの間、敵を寄せ付けなかった古い要塞は、轟音と共に崩れ落ちて行った。


 しかしオーディンは、彼の死を確認できなかった。兵士達がエドガルドだと言って引きずってきた遺体は、全くの別人だった。


 あまつさえ、エイクレでは、外壁や半月堡に妨害され、オーディンの軍は多大な被害を出した。いずれも、エドガルドの造営した障壁だ。


 自分は未だに、エドガルドに翻弄されている気がしてならない。

 エドガルドに、シャルワーヌをも奪われてしまうのだろうか。自分の最初を奪った男に、生涯で得た、最愛の男を。


 それだけではすまないだろう。

 シャルワーヌとエドガルド、いずれも、自分を組み敷いた男達。二人は手を取り合って、自分に反撃してくるだろう。強大な敵となり、自分の行く手に立ち塞がるのだと、オーディンは予見した。








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※元カレが、今の恋のライバルに……。これを書いてて、改めて、そういうこともあるんだなあ、と。

 NLでは絶対、ありえません!

 BLって奥が深いですね! 


いつもお読みくださって、本当にありがとうございます。畳み始めたお話ですが、まだ続きます。どうぞどうぞ、最後までお付き合い頂けますように……。







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