砂漠に咲く血の花


※残酷な場面があります

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 撃たれない自信があるとシャルワーヌには言ったが、それは一種の賭けだった。

 明るい太陽の光の中は、死への道筋なのかもしれなかった。それでも俺は、軽々と、最初の一歩を踏み出した。


 ……皇帝の恋人のように。

 愛する人を守る為なら、なんだってできる。いっそ晴れがましい気分だ。


「エドガルド! エドガルド!」

 背後からはまだ、胸を抉るようなシャルワーヌの声が聞こえる。俺の名を繰り返し繰り返し、呼んでいる。


 撃鉄を起こす音がかすかに聞こえた。射撃隊は、家の前に積み上げられた土嚢の上にうつ伏せになっていた。

 立ち去ったように見えた彼らは、通りの裏を回り、再びこの家の前に戻ってきたのだろう。家の中から見られないように、土嚢の向こう側からよじ登ったのだ。


「エドゥ……エドガルドッ!」

背後の家の中から聞こえる、悲し気な叫び声。

「ダメだ、エドガルド! 戻ってこい!」

「エドガルド?」

暗殺隊の一人が首を傾げたのが見えた。

「お前は、ウテナ人か?」

大声で呼びかけてきた。


 しめた。

 会話の糸口がつかめた。

 腹に力を籠め、大声で返す。


「そうだ! 俺は、アンゲル大使だったエドガルド・フェリシンだ!」


 結果として、俺は、賭けに勝った。

 途中までは。


「撃つな!」

 暗殺隊の一人が叫んだ。オマリーの声だった。俺を抱こうとして、シャルキュに突き飛ばされた兵士だ。


 構えられていた銃が火を噴くことはなかった。俺は彼らに近づいて行った。


 疑心暗鬼の暗殺隊の面々に、シャルワーヌ師団にさらわれ、ここに閉じ込められていたと、口から出まかせをしゃべった。嘘がバレても構わない。裏口からシャルワーヌとサリが逃げる、ほんのわずかな時間さえ稼げれば。


「中には、何人いるんだ?」

 暗殺隊の一人が尋ねた。

「2人」

俺の脈拍は平静だった。だって嘘ではない。

「武器は?」

「銃を、多分」

本当に詳しいことは知らない。


「お前は何で、一人で出てきた?」

「逃げてきたのだ、もちろん。君らの姿が見えたから」


 しなを作って見せた方が効果的だったろう。だが、自分が助かるつもりはない。品位を落とすのは願い下げだった。

 アガの親衛隊たちは話し合いを始めた。


「出て来ないな」

「中で倒れているんじゃないか?」

「踏み込むか?」

「いや、敵は銃を持っているぞ」

「なに、たった2人だ」


 話は、踏み込む方に傾きそうだった。


「その前に……」

 オマリーの銃が俺に向けられた。

「こいつを始末しよう」


 なるほど。

 自分でも驚くほど冷静に、俺は事態を受け止めた。

 俺のせいで、オマリーはシャルキュ太守から暴行を受けた。今彼らが無事なのは、アガの部下だからというに過ぎない。彼らの名誉は、とっくの昔に傷つけられていたのだ。

 俺が、彼らを誘惑したから。


 「そこへ立て」


 土嚢の下を指さす。道の端は溝になっていた。銃撃され、倒れれば、溝の中に落ちる。死体を埋める穴を掘る手間が省ける。

 逆らっても無駄だと思った。俺は、上ったばかりの土嚢を滑り下りた。溝のぎりぎりの淵に立つ。


 親衛隊は6人、全員が揃っていた。土嚢の上からでは狙いにくかったのか、彼らも下へ降りてきた。6丁の銃が、一斉に向けられる。

 俺が宮殿のバルウードの間から出てきたこと、つまり皇帝の気に入りだったことを知っているのだろう。だが、万が一を慮って、誰の弾が当たったかわからないようにしているのだ。あるいは、俺を殺した事実を洩らさないように、互いに牽制しあう為か。


 彼らの肩越しに、さっき出て来たばかりの家が見えた。

 シャルワーヌは、無事に逃げられただろうか……。


 鋭い金属音がした。続いて銃撃が始まる筈だ。発射された銃弾は、俺の胸はもちろん、腹、顔、頭を貫き……。


 何の前触れもなく、目の前の男の胸から赤いしぶきが噴き出した。訳が分からないという顔をして、男は崩れ落ちた。


 わけがわからないのは、俺も、周囲の男達も同じだ。

 次いで、その隣の男の首筋から血が噴き出した。それからまた……。


「お前ら……俺のエドゥに!」


 敢えて言葉にすればそのような怒声が、耳朶を打つ。まるで獣の咆哮のような雄叫びだった。

 暗殺隊の背後には、狂ったように散弾銃を撃ちまくるシャルワーヌの姿があった。


 生き残った3人が反撃しようとしたが、手遅れだった。振り返った途端、額に銃弾を受け、あるいは、腹に被弾し、あっという間に3人は倒れ伏した。


 かちっ、かちっ、と軽い音がする。シャルワーヌの銃の弾が切れたのだ。

 片膝を付き、彼は銃に弾を詰め始めた。薬莢を噛み切ろうとするのを、副官が制した。


 彼が副官を見上げた。我に返った人のような顔をしている。異様に大きく見える目で周囲を見回す。


 砂漠には、血の花が咲いていた。そこかしこに、まだ温かく柔らかい体が、倒れ、散らばっている。さっきまでは澄んでいた瞳が瞳孔を開き切って、自分達を殺した襲撃者シャルワーヌをぼんやりと映し出していた。


 膝から崩れ落ちるように、シャルワーヌは座り込んでしまった。


 副官サリが上官のそばに屈みこみ、宥めるようにその背を撫でる。だが、シャルワーヌは、一向に立ち上がろうとしない。

 助けを求める目線を、副官が俺に向けてきた。引き寄せられるように歩み寄る。目の端に、サリが気を利かせて退いて行くのが見えた。


「シャルワーヌ」

側にしゃがみ込み、囁いた。

「……」

 シャルワーヌは答えない。見ると、両手で目を覆ってしまっている。

「俺を助けてくれたんだよね。ありがとう、シャルワーヌ」


 囁きながら、目の上の手を外そうとした。そんなに強く抑えたら、眼球を傷めてしまう。何より、俺を見て欲しかった。

 だが、抑えられた手は、びくとも動かない。


 静かに反応を待った。

 長い時間が流れた。


「時折、自分でもびっくりするほど残虐になる」

 低い声が聞こえた。

「戦場で俺は、多くの人を殺してきた」

「君が無駄に敵を殺さないことは、よく知っている」


 戦闘で、シャルワーヌの脚を撃った敵を、味方の兵士らが血祭りに上げようとしたことがあった。しかしシャルワーヌは、それを許さなかった。大量に出血し気を失う寸前、彼が下した最後の命令は、自分を狙撃した敵兵の助命指示だった。

 ……「殺すな、捕虜として連れ帰れ」


 上ザイードにいた頃、シャルワーヌ師団のベリル将軍から聞かされた話だ。


 シャルワーヌが顔を上げた。憑かれたような目をしている。


「違う! 違うんだ! 君に銃が向けられているのを見て、俺は理性を失った。君が殺される……そう思った瞬間、自分ではない何かになった。そしてタルキア人を……俺と同じ人間を、殺しまくった」

「そうだ。君が撃ってくれなかったら、俺は殺されていた」


 銃撃は正しかったのだと言おうとした。でも、できなかった。

 アガの部下6人と、俺。シャルワーヌが彼らを銃殺しなければ、今頃俺は死んでいた。俺が生きていられるのは、彼らが死んだからだ。


 だがそこに、命の軽重はあるのだろうか。

 俺の命は、彼ら6人の命より重いとでも? そう信じるのは、とんでもなく傲慢だ。


 シャルワーヌが激しく首を横に振った。


「もともと俺には、そういうところがあるのだ。何かの弾みで理性が簡単に吹っ飛んでしまう。そうしたら、どんなに残虐なことだってできる。無残な殺戮を平気でやってのける。気の毒な敵兵にも家族や、愛してくれる人がいるだろう。そんな彼らを、いとも簡単に、まるで虫けらのように殺してしまえるんだ。しかも、一瞬でだ! 俺は、なんて恐ろしい男だろう」


 戦場を離れた兵士達が、戦地での行為を思い出し、精神的に追い詰められることがあるという。

 今のシャルワーヌは、まさにその状態だった。


 俺だって、前世では随分と人を殺した。同じユートパクス人を殺すことも多かった。砲兵出身だから、一度に殺した数はシャルワーヌを遥かに凌ぐだろう。けれど、そのことを後から悔いたことは一度もない。

 全ては王の為にやったことだ。そう思って、自分の感情に蓋をしてきた。

 残虐で冷たい人間は、俺の方なのかもしれない。


「君は恐ろしい男なんかじゃない」


「今、見ただろ?」

シャルワーヌは顔を隠したまま、砂漠に散らばる死体を手で示す。

「俺は理性を簡単に飛ばす男だ」

「それは俺の為にやったことだ」

「殺すことはなかった。皆殺しにする必要なんかなかったんだ!」


 彼の体は、おこりに罹ったように細かく震えていた。その体を、俺は抱きしめた。

 強く命じた


「俺の為に傷つくな! 俺は、自分の大切な人が自分の為に傷つくのを見たくない!」

 硬直した背中がのけ反った。浅黒く日に焼けた顔に、驚愕が浮かぶ。

「た、大切な、……ひと?」

 ひび割れた唇から、掠れた声が漏れた。

「そうだ。君は俺の大切な人だ。だからお願いだから、俺の為に傷つくのは止めてくれ」


 ゆっくりと、両手が顔から外された。現れた濃い色の瞳が俺の上に止まる。


「俺は、君の大切な人なのか?」

「何度も言わせるな、馬鹿。俺は前世からずっと、君を愛し続けてきた」


 その瞬間、ありとあらゆる感情が、彼の全身に戻った。夏の朝の百花繚乱を思わせるその賑やかさは、彼の生命力そのもののようだ。

 座り込んだまま、太陽を思わせる笑顔を浮かべ、彼は俺の背中に手を回した。初めはおずおずと、途中から、とんでもない馬鹿力で締め付けてくる。

 まるで熊のような、がむしゃらな抱擁だった。


「苦しい。おいシャルワーヌ、俺を殺す気か……」

 胸が彼の胸に押し付けられ、圧迫されて苦しい。密着され、身動きひとつできない。

「もう少し。もう少しだけ、こうしてて……」


 切ない声でそう言われ、抵抗を諦めた。

 シャルワーヌが鼻先を俺の髪に埋める。頭頂部の髪の束が彼の口に含まれたのを感じた。

 胸に抱かれ、彼の匂いが濃厚に迫って来る。それは、何とも言えない安らぎを与えてくれた。


 彼の背中に回した腕に力を込めた。

 もっともっと、くっつけるように。彼と一つになって、決して離れないように。


 ずっと、こうしたかった。彼を忘れようとあがいている間も、多分。

 あの日、東の国境近くの洞窟で、彼と別れてからずっと……。

 だって、体は知っていた。俺がシャルワーヌを愛していると。

 ジウと二人分の抱擁だと思った。


 「シャルワーヌ将軍!」


 差し迫ったサリの声が聞こえた。

 この場にそぐわない叫びに、咄嗟に反応できない。彼の腕に抱かれ、暖かく安全なその中で、じっとしているばかりだ


 シャルワーヌが息を呑んだ。その体が急に大きくなったように感じる。より深く懐に封じ込められた気がした。彼は身を捻り、二人の位置を入れ替えた。


 遠くで乾いた音が聞こえた。

 俺を閉じ込めていた重い体が、ずるずると崩れ落ちていく。


「シャルワーヌ?」

「大丈夫だ。愛してる、エドガルド」


 近くでぱんぱんと続けざまに銃声がした。サリの撃った弾丸が、シャルワーヌの背後にいたオマリーに命中した。

 違う。

 じりじりとオマリーが迫っていたのは、俺の背後だった。腹に被弾した彼は死んではいなかった。うつ伏せのまま、俺に照準を定めていた。

 それに気がついたシャルワーヌは、位置を入れかえ、俺を庇い……。


「シャルワーヌ!」


 ああ、どうしよう。

 彼の背中と、そして肩から、噴水のように血が噴き出している。

 ……。








________________


※次回からは、ユートパクスへ帰国してクーデターを起こしたオーディン・マークス視点となります。狙撃されたシャルワーヌがどうなったかは、オーディン編の終了後のアップロードになります。


 いつもお読み下さって、本当にありがとうございます。ようやくストーリーを畳み始めます。どうか最後までお付き合い頂けますように……。






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