デジャヴ
「話はお済みですかな?」
誰かが部屋に入って来た。一人ではない。複数だ。
「やっと来たか」
アガが答える声がする。
「おやおや。大使殿はお加減が悪いのかな?」
知らない誰かが言う。
体がふわりと浮いた。柔らかい布団の上に下ろされる。そういえばこの部屋には寝台があったと、ぼんやりした頭のどこかで考える。
俺の周りで、知らない人たちが、がやがやと話している。
「丁度いい。一服盛る手間が省けたというもの」
「うん、これはウテナ人か。思いもかけぬ上物が手に入りましたな」
「見ろ。この白くきめ細かな肌を」
「髪もまるで絹糸のようだ」
「うう、耐えられない。誰から先に参りますかな?」
「貴殿も気が早い。まず、ならさねばなるまい。香油はあるか?」
「月花麗も持ってきましたぞ」
「なんとも気の利くことだ」
瞼の裏が暗くなる。寝台を取り囲まれた気配がする。
「おや、アガ殿はよろしいので?」
おもねるような声。
「気を失っている者に手を出す趣味はない。その子はお前らにくれてやる。好きにするがよい」
誰かが部屋を出て行く気配がする。
「死体は平気で犯す癖に」
「それなのに、このような美しい少年を……。本当に、あの方のことはよくわからない」
しのびやかな笑い声が聞こえた。
ウエストの締め付けがなくなったかと思ったら、急に下半身が外気に晒された。
……いやだ。
ひときわ激しい頭痛が襲った。
幾つもの含み笑いに囲まれたまま、再び意識を失っていく……。
◇
……。
「戦闘の中止を」
相手を説得しようと、俺は必死で説得していた。
「悲惨な戦争をこれ以上長引かせてはならない」
「できない。撤退は、敗北と同じだ」
相手の男が拒否する。これは……タルキアの皇帝か? それとも、大宰相の息子のキャプテン・アガだろうか。
「君の軍の兵士達は疲れ切っている。過酷な気候下で戦えば、負荷も大きい。彼らを見殺しにする気か」
「自分たちの司令官の為に、兵卒どもは喜んで死んでいくさ」
「なんだと?」
「民草どもは、次々に生えてくる。心配は無用だ」
「そんな!」
「兵士達にとって、俺の為に死ぬことは光栄なことなのだよ」
違う。タルキア皇帝ではない。キャプテン・アガでもない。
「お前は、オーディン・マークス!」
そうだ。
ここはユートパクス陣営だ。
2年前のことだ。
エイクレ要塞はユートパクス軍に包囲されていた。
しかしユートパクス軍もまた、蔓延する疫病で苦しんでいた。海からの砲撃に晒され、補給もうまくできていない。
頃合いを見計らって、ラルフは停戦を打診すべく、大使を派遣した。
それが、俺だ。
亡命貴族、エドガルド・フェリシンだ。
辺りの様子ががらりと変わった。
オーディンの側近達は退出し、俺は彼と二人きりになっていた。
学生時代そのままに彼は身を投げ出し、俺は彼を受け止めた。
「今でも俺が抱けるか?」
長いキスの後、やっと互いの唇が離れると、彼は尋ねた。
「すまない、オーディン」
彼の表に深い失望の色が浮かんだ。
「お前が俺を拒むなんて」
年月を経て、彼はなお、魅力的だった。けれど、絆されるわけにはいかない。
「大切な人がいるんだ。そいつを裏切ることはできない」
「大切な人?」
そう。
愛する男を裏切ってはならない。
……。
◇
「エドガルド、アイシテル。ダイスキダヨ。アイシテル!」
けたたましく鳴く声で、はっと目が覚めた。ばたばたと羽ばたく音がすぐ顔の上を通った。鮮やかな幻影が一瞬だけ、網膜に映る。
「キュレレキュレキュレ……」
抜け落ちた羽毛が落ちてくる。
アイシテル。
ダイスキダヨ。
それは、オウムに託したラルフの思いだ。お気楽で飄々としたあいつの、切羽詰まった求愛。
……ごめん、ラルフ。今生でもやはり、君の愛は受け容れることができない。
憂わし気なルグランの顔が、冷たく険悪なヴィレルの顔が、脳裏を過った。海賊時代から苦楽を共にしてきた部下、そして友人。彼らにどう思われようと、真実は曲げられない。
キャプテン・アガのにべもない休戦の拒絶は、前世のオーディン・マークスの回答と酷似していた。
あの時も俺は、ラルフの大使として、ユートパクス陣営を訪れた。無駄な戦闘を止め、休戦を提案しに行ったのだ。
そう。エイクレ要塞で戦っていた時のことだ。俺が死ぬ少し前……。
アガと同じく、オーディンは、全く聞く耳を持たなかった。
オーディンとは、士官学校が同じだった。俺はオーディンを憎からず思っていた。向こうだって同じだ。体の関係だってあったのだから。
疑う余地もなく、俺がオーディンの初めての男だ。
休戦協定にはっきりとした拒絶を示すと、居並ぶ部下達にオーディンは退出を命じた。
二人きりになった部屋で、オーディンは、体を求めてきた。
学生時代に戻ったかのように。
しかし俺は、彼の求めに応じなかった。
だって……。
ようやく思い出した。
前世の俺が愛していたのは、シャルワーヌ・ユベールだ。ラルフ・リールではない。
東の国境でのあの甘美な日々……。
射殺命令の出た俺を、シャルワーヌは洞窟に匿った。そこで俺は、彼の苦悩を知った。
王を奉じず、国に残った理由。
王族の血を引く姉の存在。
亡命した兄弟の失望、国に残った親族達の怒り。
シャルワーヌは亡命貴族である俺に憧れ、賛美さえした。一方で彼は、革命軍の将校として国に残った。さもなければ、王の血を引く姉が処刑されてしまうから。姉を処刑台にかけさせない為、貴族である母を不衛生な牢獄に投獄させない為、彼は、革命軍の将校として戦っていた。常に軍の先頭を馬で駆け、自ら血を流しつつも決してひるまず、勇敢に雄々しく。
一方で、亡命貴族を親族に持つ彼には、敵のスパイだと疑われる可能性がった。軍には、政府から派遣された議員が常に目を光らせている。
敵対するウィスタリア軍の中には、亡命貴族軍も混じっている。いつ何時、兄弟、親族と鉢合せる羽目になるか、わかったものではない。そうなったら、幼い頃故郷の山で遊んだ叔父や従兄弟達、同じ家で共に育った兄弟と、血みどろになって、殺し合わねばならない。
シャルワーヌは怯えていた。
逃げることは許されない。彼が逃げれば、革命政府の監視下にある姉が殺される。
そしてまた、自分を慕う革命軍の部下たちを裏切ることはできない。彼に命を預け、その指揮の元に戦場に出て行く名もない兵士らを。
俺が亡命貴族だったからだろうか。
シャルワーヌは己を隠さなかった。怯え、縮こまり、それでも必死に自分を鼓舞し、勇敢であろうとする、彼の本当の姿を。
愛さずにはいられなかった。
誰一人、境遇を理解してくれる者のいない中で、たったひとり戦っている。命を賭けて。誰よりも勇敢に。
どうして愛さずにいられよう。
強姦などではなかった。匿われた暗い洞窟で俺は彼を待ちわび、顔を見るとすぐにまぐわった。彼は俺にしがみつき、全身で孤独を訴えた。拒絶することなんてできなかった。俺は彼を愛していたのだから。
たったひとりで戦う、孤独な勇者を。汚濁の世界に現れた、最後の騎士を。
俺が求め、シャルワーヌが応じ……いや、逆だったか。そんなことはどうでもいい。互いが互いを求め、与えあった結果なのだ。
そして……。
ラルフへの愛は、幻想だった。
死の直前、俺は彼に言わなかったか? 体だけの関係でいいのなら、彼と寝てもいいと。だって俺の心はシャルワーヌのものなのだかから。
何と傲慢なものいいだろう。ラルフはあんなに俺を大事にしてくれたというのに。
前世でも。
ジウになり変わった、今生でも。
ラルフにとっては、体だけの関係なんかじゃなかったのだ。その真実を、今、改めてつきつけられる。彼は真剣に俺を愛してくれた。ヴィレルが言っていた、俺が死んだ時のラルフの悲哀……あいつなりの弔いが胸を抉る。そして、ジウに転移してからの恥ずかしいくらいの溺愛。
許してほしい。
知らなかったのだ。俺は本当にラルフを恋人だと思っていた。俺なりにラルフを愛していた。だがそれは、前世から続くシャルワーヌへの愛には、到底及ばない。
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