デジャヴ


 「話はお済みですかな?」

誰かが部屋に入って来た。一人ではない。複数だ。


「やっと来たか」

アガが答える声がする。


「おやおや。大使殿はお加減が悪いのかな?」

知らない誰かが言う。


 体がふわりと浮いた。柔らかい布団の上に下ろされる。そういえばこの部屋には寝台があったと、ぼんやりした頭のどこかで考える。


 俺の周りで、知らない人たちが、がやがやと話している。


「丁度いい。一服盛る手間が省けたというもの」

「うん、これはウテナ人か。思いもかけぬ上物が手に入りましたな」

「見ろ。この白くきめ細かな肌を」

「髪もまるで絹糸のようだ」

「うう、耐えられない。誰から先に参りますかな?」

「貴殿も気が早い。まず、ならさねばなるまい。香油はあるか?」

「月花麗も持ってきましたぞ」

「なんとも気の利くことだ」


 瞼の裏が暗くなる。寝台を取り囲まれた気配がする。


「おや、アガ殿はよろしいので?」

おもねるような声。

「気を失っている者に手を出す趣味はない。その子はお前らにくれてやる。好きにするがよい」


 誰かが部屋を出て行く気配がする。


「死体は平気で犯す癖に」

「それなのに、このような美しい少年を……。本当に、あの方のことはよくわからない」

 しのびやかな笑い声が聞こえた。


 ウエストの締め付けがなくなったかと思ったら、急に下半身が外気に晒された。


 ……いやだ。


 ひときわ激しい頭痛が襲った。

 幾つもの含み笑いに囲まれたまま、再び意識を失っていく……。





 ……。

 「戦闘の中止を」

相手を説得しようと、俺は必死で説得していた。

「悲惨な戦争をこれ以上長引かせてはならない」


「できない。撤退は、敗北と同じだ」


 相手の男が拒否する。これは……タルキアの皇帝か? それとも、大宰相の息子のキャプテン・アガだろうか。


「君の軍の兵士達は疲れ切っている。過酷な気候下で戦えば、負荷も大きい。彼らを見殺しにする気か」

「自分たちの司令官の為に、兵卒どもは喜んで死んでいくさ」

「なんだと?」

「民草どもは、次々に生えてくる。心配は無用だ」

「そんな!」

「兵士達にとって、俺の為に死ぬことは光栄なことなのだよ」


 違う。タルキア皇帝ではない。キャプテン・アガでもない。


「お前は、オーディン・マークス!」


 そうだ。

 ここはユートパクス陣営だ。


 2年前のことだ。

 エイクレ要塞はユートパクス軍に包囲されていた。


 しかしユートパクス軍もまた、蔓延する疫病で苦しんでいた。海からの砲撃に晒され、補給もうまくできていない。

 頃合いを見計らって、ラルフは停戦を打診すべく、大使を派遣した。

 それが、俺だ。

 亡命貴族、エドガルド・フェリシンだ。



 辺りの様子ががらりと変わった。

 オーディンの側近達は退出し、俺は彼と二人きりになっていた。


 学生時代そのままに彼は身を投げ出し、俺は彼を受け止めた。


 「今でも俺が抱けるか?」

 長いキスの後、やっと互いの唇が離れると、彼は尋ねた。

「すまない、オーディン」


 彼の表に深い失望の色が浮かんだ。

「お前が俺を拒むなんて」


 年月を経て、彼はなお、魅力的だった。けれど、絆されるわけにはいかない。


「大切な人がいるんだ。そいつを裏切ることはできない」

「大切な人?」


 そう。

 愛する男を裏切ってはならない。

 ……。





 「エドガルド、アイシテル。ダイスキダヨ。アイシテル!」


 けたたましく鳴く声で、はっと目が覚めた。ばたばたと羽ばたく音がすぐ顔の上を通った。鮮やかな幻影が一瞬だけ、網膜に映る。


「キュレレキュレキュレ……」

抜け落ちた羽毛が落ちてくる。


 アイシテル。

 ダイスキダヨ。


 それは、オウムに託したラルフの思いだ。お気楽で飄々としたあいつの、切羽詰まった求愛。


 ……ごめん、ラルフ。今生でもやはり、君の愛は受け容れることができない。


 憂わし気なルグランの顔が、冷たく険悪なヴィレルの顔が、脳裏を過った。海賊時代から苦楽を共にしてきた部下、そして友人。彼らにどう思われようと、真実は曲げられない。


 キャプテン・アガのにべもない休戦の拒絶は、前世のオーディン・マークスの回答と酷似していた。

 あの時も俺は、ラルフの大使として、ユートパクス陣営を訪れた。無駄な戦闘を止め、休戦を提案しに行ったのだ。


 そう。エイクレ要塞で戦っていた時のことだ。俺が死ぬ少し前……。


 アガと同じく、オーディンは、全く聞く耳を持たなかった。


 オーディンとは、士官学校が同じだった。俺はオーディンを憎からず思っていた。向こうだって同じだ。体の関係だってあったのだから。


 疑う余地もなく、俺がオーディンの初めての男だ。


 休戦協定にはっきりとした拒絶を示すと、居並ぶ部下達にオーディンは退出を命じた。

 二人きりになった部屋で、オーディンは、体を求めてきた。

 学生時代に戻ったかのように。


 しかし俺は、彼の求めに応じなかった。

 だって……。


 ようやく思い出した。

 前世の俺が愛していたのは、シャルワーヌ・ユベールだ。ラルフ・リールではない。


 東の国境でのあの甘美な日々……。

 射殺命令の出た俺を、シャルワーヌは洞窟に匿った。そこで俺は、彼の苦悩を知った。

 王を奉じず、国に残った理由。

 王族の血を引く姉の存在。

 亡命した兄弟の失望、国に残った親族達の怒り。


 シャルワーヌは亡命貴族である俺に憧れ、賛美さえした。一方で彼は、革命軍の将校として国に残った。さもなければ、王の血を引く姉が処刑されてしまうから。姉を処刑台にかけさせない為、貴族である母を不衛生な牢獄に投獄させない為、彼は、革命軍の将校として戦っていた。常に軍の先頭を馬で駆け、自ら血を流しつつも決してひるまず、勇敢に雄々しく。


 一方で、亡命貴族を親族に持つ彼には、敵のスパイだと疑われる可能性がった。軍には、政府から派遣された議員が常に目を光らせている。


 敵対するウィスタリア軍の中には、亡命貴族軍も混じっている。いつ何時、兄弟、親族と鉢合せる羽目になるか、わかったものではない。そうなったら、幼い頃故郷の山で遊んだ叔父や従兄弟達、同じ家で共に育った兄弟と、血みどろになって、殺し合わねばならない。


 シャルワーヌは怯えていた。

 逃げることは許されない。彼が逃げれば、革命政府の監視下にある姉が殺される。


 そしてまた、自分を慕う革命軍の部下たちを裏切ることはできない。彼に命を預け、その指揮の元に戦場に出て行く名もない兵士らを。


 俺が亡命貴族だったからだろうか。

 シャルワーヌは己を隠さなかった。怯え、縮こまり、それでも必死に自分を鼓舞し、勇敢であろうとする、彼の本当の姿を。


 愛さずにはいられなかった。

 誰一人、境遇を理解してくれる者のいない中で、たったひとり戦っている。命を賭けて。誰よりも勇敢に。

 どうして愛さずにいられよう。


 強姦などではなかった。匿われた暗い洞窟で俺は彼を待ちわび、顔を見るとすぐにまぐわった。彼は俺にしがみつき、全身で孤独を訴えた。拒絶することなんてできなかった。俺は彼を愛していたのだから。


 たったひとりで戦う、孤独な勇者を。汚濁の世界に現れた、最後の騎士を。


 俺が求め、シャルワーヌが応じ……いや、逆だったか。そんなことはどうでもいい。互いが互いを求め、与えあった結果なのだ。


 そして……。

 ラルフへの愛は、幻想だった。

 死の直前、俺は彼に言わなかったか? 体だけの関係でいいのなら、彼と寝てもいいと。だって俺の心はシャルワーヌのものなのだかから。


 何と傲慢なものいいだろう。ラルフはあんなに俺を大事にしてくれたというのに。

 前世でも。

 ジウになり変わった、今生でも。


 ラルフにとっては、体だけの関係なんかじゃなかったのだ。その真実を、今、改めてつきつけられる。彼は真剣に俺を愛してくれた。ヴィレルが言っていた、俺が死んだ時のラルフの悲哀……あいつなりの弔いが胸を抉る。そして、ジウに転移してからの恥ずかしいくらいの溺愛。


 許してほしい。

 知らなかったのだ。俺は本当にラルフを恋人だと思っていた。俺なりにラルフを愛していた。だがそれは、前世から続くシャルワーヌへの愛には、到底及ばない。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る