第11話

 神原愛瑠の転落から間を置かずに起きた峯岸翼の転落事故は、五年A組の保護者の間に波紋を呼んでいた。


 翌週の放課後には立て続けに起こっている転落事故を楽観視していた学校側に、安全配慮が欠如しているのではないかと問う〝一部の〟保護者の訴えで、緊急保護者会が開催されて今に至る。


「こんなことになるから、私立の学校に通わせるべきだったのよ」


 保護者会の主導権は教師側になく、たった一人の保護者の手に握られている。年齢には些か若すぎる流行りのワンピースを着ていた神原菜奈かんばらななは、出されたお茶には一切口をつけずに語気を荒らげた。


「言わせてもらいますが、うちの愛瑠ちゃんは未だに目を覚ましません。本当はずっと側にいてあげたい親心を押し殺してまで今日の保護者会に参加してるのですから、納得する返事を貰うまで帰るつもりはありませんよ」


〝体調不良〟が続いている校長の代わりに、学校側の責任者として参加していた教頭はしきりに髪が後退した額をハンカチで拭っていた。


 神原愛瑠の母親でPTA会長も担っている奈々ななから浴びせられる怒気は、それほどに容赦なく相手を精神的に疲弊させるものであることを、事故直後に彼女と話す機会があった雨宮も身に沁みて理解している。


 普段は教育者の風上にも置けない言動が目立つ教頭ではあるが、このときばかりは同情してやらなくもない。


 とにかく自分の意見が少しでも受け入れられないと、すぐに癇癪ヒステリーを起こして喚き散らす厄介な人物として、緑ヶ丘小学校では近藤家を凌ぐモンスターペアレントの一人として認識されている。


 スクールカウンセラーの立場としては、教師と保護者と信頼をもとに手を組んで問題解決に取り掛かりたいのだが、現状保護者と学校側の間には見えない隔たりが存在して、信頼関係を結ぶまでには程遠い距離に両者が睨み合って立っている状態だった。


「えーその件につきましては、我が校と致しましても反省すべき点は反省し、えーですから今後は引き続き薬師寺先生の指導のもと、えー二度と同じような事故が起きないよう最善の注意を」


 しどろもどろな口調で答える教頭に業を煮やした奈々は、感情任せに机を叩いて立ち上がる。


「で、す、か、ら、具体的にどう注意して、不幸な事故を未然に防ぐかを聞いてるんです!」


 あまりの衝撃に、教室内にいた全員が背筋を真っすぐ伸ばした。


「それはですね……えっと、薬師寺くん。君からもなにか言いなさい」

「わ、わたしからですか?」


 雨宮の隣で今にも倒れそうなほど顔を白くさせていた薬師寺は、逃げ腰の教頭から矢面に立たされると奈々の視線に耐えきれず、ひたすら謝罪を繰り返した。


「薬師寺先生。あなた、ご結婚はまだなのかしら」

「結婚ですか? は、はい。独身です」

「子供は?」

「い、いません……」

「それじゃあ子を持つ親の気持ちがわからなくても無理はないわね。自分の分身に等しい我が子が昏睡状態になってみなさい。魂が引き裂かれるほどの苦痛を感じるの」


 神原奈々に対する周囲の評価はさておき、参加している保護者の多くは彼女の発言を頷いて聞いているか、そうでなくても反発する様子は見られない。


 どうにも女性というのは、とくに学校という閉鎖的な空間になると〝子供を生んだことがない同性〟に対する風当たりが強い傾向が強い。学校内では若い女性教師が経験不足を揶揄されるケースは多いが、男性に関しては未婚であろうが若かろうが関係ない。


 かくいう雨宮も、神原奈々と初対面の時に当然のように年齢を尋ねられた。戸惑いはしつつ正直に実年齢を答えると〝子供はいるのか〟聞かれてので、〝いません〟と答えた直後に鼻で笑われた記憶が蘇る。


「最初から不安視していたんですよ。あなたみたいな若い人に私の娘の担任など務まるのかって」

「あの、それがなにか問題でも?」


 会議がただの個人的見解の発表の場に成り下がり、苛立ちを抑えられなかった雨宮は手を挙げ話を遮る。見開かれた教頭の視線は、余計な波風を立てるんじゃないと訴えていた。


「えっと、たしかスクールカウンセラーの雨宮先生でしたよね。いま、なにか仰りましたか?」

「先程から年齢や育児の経験を随分と気にしておられるようですけど、仮に子育ての経験がない未婚女性が教師としての資質に問題を抱えているとでもおっしゃるのであれば、その因果関係を証明する証拠でも持ってきてくだいませんか?」

「な、なんですって……? この私になんて口を利くんですか!」


 普段から感情を表に出すことは極力抑えていた雨宮は、近藤一虎の口から〝ワラシベサマ〟という単語が飛び出して以来、些細なことで気分の浮き沈みが生じていた。


 吐いた唾は飲み込めず、反論されるなど微塵も思っていなかった神原の顔はみるみる紅潮していく。声も出なくなるほど身体を戦慄かせながら、鬼の形相で雨宮を睨めつけると鞄を抱え、「用事があるので」と捨て台詞を残して一人教室を足早に去っていった。


 結局保護者会の場で教師の立場から明確な返答があるわけでもなく、勝手に焚き付けた張本人が姿を消してしまった手前、なんとなく不完全燃焼な空気が漂う中で閉会となった。 

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