第207話(第六章第1話) 環境の変化1

「……つなー? 刹那ー?」

「――えっ? あ、えっと、どうしたの?」


 八月に入って。

 一日ついたちの火曜日。

 私は現実にいました。


 場所は友だちの女の子の家です。

 彼女の部屋でカーペットに座り、低めの丸テーブルを彼女と囲んでいました。

 テーブルの上には私と彼女の、学校で使うタブレット。

 私たちは一緒に夏休みの宿題をしていたのです。



 すると突然、友だちである川崎那由多カワサキ・ナユタちゃんの声が聞こえてきました。

 わからない問題があったのでしょうか?

 そう思って尋ねてみると、こう返されました。


「どうしたの? じゃないよ。大丈夫ー? さっきからボーッとしてるけど……」

「え……っ」


 気がつきませんでした。

 私はボーッとしてしまっていたみたいです。


「ご、ごめんね、那由多ちゃん。ちょっと昨日いろいろあって……」


 那由多ちゃんにそう答えながら、私は昨日のことを思い返していました。





 昨日、七月の最終日の午前中。

 ゲームをしている私の元に現実にいるお母さんから「私にお客さん」という連絡が来て、ゲームをやめて玄関へ向かうとそこにはコエちゃんがいたのです。

 彼女はNPC――ノンプレイヤーキャラクター……。

 現実にいるなんてあり得ないことで……。

 私はしばらくの間呆けてしまっていました。


 コエちゃんによると私は四、五分ほどそのまま固まってしまっていたそうです。

 放心状態から回復した私がコエちゃんに、どうして現実にいるのか? と尋ねると、



――「私は現実にある機械を操作することができます。それで、機械をより人に近づける研究をしている研究所の機械を動かして私の身体をつくりました」



 という答えが……!

 私は言葉を失いました。

 あんな短時間で二度も放心状態になってしまうなんて思いも寄りませんでした。

 コエちゃん……私の理解を軽く超えちゃっています……。


 兎に角、現実での身体を手に入れたコエちゃんは研究所を抜け出して、近くを通りかかった車の運転手さんにお願いしてここまで連れてきてもらった、と言っていて。

(コエちゃんによると、その運転手さんも『ギフテッド・オンライン』ユーザーだったそうで、送ってもらう間にゲームの話題で結構盛り上がったのだとか)

(その方は親切な方だったようで服まで買ってくれた、とのこと……)

 私は疑問に思いました。



――どうして現実に、現実の私の元にやってきたのか?



 そのことが気になって仕方がなくなって。

 気づいたらその疑問は私の口をついて出ていました。

 コエちゃんは言ったのです。



――「セツさんたちともっと一緒にいたかったので」



 と。

 だから現実に来たのだ、と。


 彼女の思いは汲み取りたいとは思います。

 ですが、彼女の説明に出てきた怪しげな研究所のことが私は引っ掛かりました。

 安易に判断していいことではないでしょう……。

 ましてや私一人で決めていい問題でもありません。

 ですから私はお母さんに相談しに行ったのですが……。


「大丈夫よ!」


 コエちゃんが、自分は人ではない、ということを伝えると驚きはしましたが、あっさりとこの家に住むことを認めていました。

 え!? いいの!?

 怪しげな組織が怖かったりは……?

 ……していないようです。

 ということで、どう見ても人の姿をしているコエちゃんは私の妹という形で私の家で暮らすことになりました。

(ちなみに、コエちゃんはデジタルの情報なら操作することが可能とのことで、研究所の人間が追ってこれないようにできているみたいです)

(……すごすぎてもうよくわかりません)





 そんなことがあったため、私の身に起きた劇的な環境の変化に戸惑って、私は感情の整理が追いついていない状態だったのです。

 おかげで宿題があまり捗っていません。

 昨日、というか一昨日までにゲームの世界で時間があれば進めていたのである程度終わっているのが救いです。

 心配をしてくれている那由多ちゃんには申し訳ないのですが、このことについて相談するのははばかられます……。


「さては恋の悩みかー? ついに刹那にも――」

「え? 違うけど?」


 恋の悩み?

 今の私はそういうふうに見えるのでしょうか?

 したことがないのでわかりません。


 きょとんとしていると那由多ちゃんはつまらなさそうに口を尖らせました。


「……ほんと、あんたって子は色恋に興味がないんだから……。じゃあなんでそんなに悩んでるわけ? さっきっからペン止まってるよー? 進んでないんじゃない……ってめっちゃ進んでるじゃん! なんで!?」


 私のタブレットを覗き込んできて、その進捗状況に驚愕の表情を見せる那由多ちゃん。


「あっ、それはね――」


 私は説明しました。

 『DtoDダイブ・トゥ・ドリーム』というゲーム機で、一日が四倍の長さに感じるゲームの世界に行ってそこで宿題をやっていたことを。


「……へぇー、そんなのあるんだー。一日が四倍に感じられるっていうのは得だねっ。あたしもそのゲームで宿題やろっかなー? 優等生の刹那が一緒ならすぐ終わらせられそうだし! ……あー、でも、宿題そっちのけで冒険とかしちゃうかもだからやっぱパスかなー」

「那由多ちゃん……」


 私が話したことで、那由多ちゃんはゲームの世界に興味を示しました。

 ですが、冒険にかまけて学校生活が疎かになってしまうことを予見したため、断念します。

 那由多ちゃんとの冒険も楽しそうではありましたが、ちゃんと自己分析することができている彼女はすごいと思いました。



「でも意外だなー。刹那ってゲームするんだー」

「私から始めたわけじゃないよ? あゆみちゃんに、やれ、って言われたからで……。あっ、でも、今は自分の友だちと楽しくやってるんだ」

「……またあいつかよ。刹那、あんまあいつ調子に乗らせない方がいいよ?」


 私がゲームをやっていたことを、那由多ちゃんに驚かれます。

 その反応はわかります。

 私だって頼まれなかったらやっていなかったと思いますから。


 私がゲームを始めたきっかけを打ち明けると、渋い顔になる那由多ちゃん。

 那由多ちゃんとあゆみちゃんはあまり仲がよくありません。

 仲良くしてほしい、とは思いませんが……。

 あゆみちゃんの性格はちょっと、というかだいぶアレなので……。

 それでも、あれがあったから私はマーチちゃんやライザ、サクラさんたちと会うことができました。

 そのことは感謝してもいいかな、って思います。

 ……あれ?

 でも、これ、元を辿ればイチ姉がゲーム機を私に譲ってくれたおかげだから、イチ姉に感謝すべきなのでは……?



 とりあえず、友だちと話せて少しはいつもの調子を取り戻すことができました。

 私たちはそれから二時間ほど宿題をして、那由多ちゃんの今日のノルマが終わったところで解散となりました。


 帰り道、ふと思います。



――あゆみちゃんは宿題を進めているだろうか? と。



 私たちが通う中学校は長期の休暇になると、ちょっと引いてしまうくらい宿題を出されます。

 夏休みの最後の日に、その一日だけでは徹夜をしても終わらせることができないレベルで。

 私はやったことがありませんが、あゆみちゃんは去年それで失敗していました。

 あれを見た感じだと、恐らく答えを丸写しする形を取って三日は徹夜をしないと終わらせられないと思います。


 去年はあゆみちゃんの宿題を片付けるのを手伝わされてたんですよね、私……。

 ナオさんとイチ姉も狩り出されてて……。

 今年もそうなるんじゃないかな、って予感がします。

 ……はぁ、嫌だなぁ……。

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