第5話 引退


「……銅か。四千と言えどやはり、金と銀はそう簡単には出ないか」


 チラリとシキさんは俺の両手の甲を見る。もちろん俺にわざと悟らせるように、だ。


「ないない」


 俺はパーカーとジーンズをまくり上げ、両手足をアピールする。なんなら首元とお腹も。


「そうか。疑ってすまないな」


「いや、いいさ。あと、この銅の石板は寄贈するよ」


「き、き、寄贈っ!? せ、石板ですよっ!?」


 数億円から時に数十億円になる石板をポンとプレゼントしたことに新井さんはまたしても動揺。こんなんでここで働いていて大丈夫なのだろうかと心配になる。


「トーマ、何のつもりだ?」


「餞別ってヤツっすねー。次は俺からの要件です。探索者引退します」


「えぇぇええええええ!? なななななな薙坂さんっ、正気ですかっ!?」


 少なくとも新井さんよりは正気だろう。ちゃんとしている時は美人なのだが、テンションジェットコースターの時は残念極まりない。


「ふむ、まずは理由を聞こう」


「お金が貯まったので引退するってだけっすよー。ずーっと言ってましたよね? お金が貯まり次第引退するって。そのために協会には随分寄付してきたつもりですし」


 引退は常に考えていることも、その時期は自分で決めるということも、そのために協会には情報や報酬の一部を率先して提供することも。


「本当に金が理由だとしたら、お前の住んでるあのデカいタワマンを建てた時点で人生何周分かはあっただろ?」


 まぁ、確かにもっともだ。僅か一年でS級探索者になり、その時点で贅沢し尽くしても人生を何回か過ごせるだけの金は持っていた。マンションも一括で建てているから借金もない。


「ま、そう困った顔をするな。ちくちく問い詰め続ける気はない。確かにお前は常々、引退に関しては言ってたからな。この件は悪いようにしない、俺が預かろう」


「あざーす」


 新井さんは騒ぐかと思ったら、天を仰いで白目を剥いてブツブツ言ってる。怖すぎる。


「じゃあ、要件は以上ですかね、はい、これ」


 俺はテーブルの上にS級探索者のライセンスを置く。


「……協会で預かっておく。戻ってきたくなったらいつでも戻ってこい」


「ま、ないとは思うけどね。それじゃ、シキさんお世話になりました」


 話しは終わりだ。俺は立ち上がり、退室しようとする。


「あぁ、トーマ。センパイからの余計なお節介だ。つまらん人間にはなるな。そして困ったらいつでも相談しにこい。以上だ」


「……」


 俺はチラリと振り返り、片手をヒラリと上げるとそのまま無言で本部長室を立ち去った。



「はぁーーー、これで晴れて自由の身だ。さよならしがらみ、これからが本当のソロぼっち──いや、ロキがいるな」


 忘れなんてしたら、どんな攻撃が飛んでくるか分からない。俺はつい先ほどまで一緒にいた美しい金狼を思い浮かべ、小さく笑う。


「さて、ただいまっと」


 マンションに着いた。早速、ロキを召喚する。体高が2m以上あり、体長は5mほどだ。普通のマンションであればこのサイズは無理であろうが、俺が何のためにマンションを建てたかって、召喚獣を召喚できるようにとにかく天井を高く、部屋や扉の仕切りを少なく、広く、と特注して作ったのだ。


「召喚──ロキ」


 部屋の中に契約陣が浮かび上がり、ロキが実体化していく。


「ウォフ」


「あぁ、さっきぶりだな。ここが俺たちの家だ。ロキはこっちと向こうと好きな方にいてくれていいけど?」


「ウォフ」


 ロキはこちらをジッと見ている。どうやら向こうへ帰る気は今のところないらしい。


「そうか、じゃあまぁ好きに過ごしてくれ」


「ウォフ」


 そう言うや否や、ロキはのしのしと家の中を歩き始める。俺はなんとなく後ろをついていってみる。


「ウォフ」


「俺の風呂だな」


 人間サイズの風呂だ。人間サイズとしては大きいが、とてもじゃないがロキは入れない。犬はシャンプ―とかトリミングとかするけど、狼ってどうなんだろうか。というか、召喚獣だからそもそもご飯も食べなければ、排泄もしなければ、代謝とかもなさそうだ。


「ウォフ」


「俺の寝室だな」


 そこそこ高級なダブルベッドが壁際に置いてあるだけだ。別にシングルベッドでも良かったのだが、内装業者にこの部屋にシングル一つは頼むからやめてくれと懇願され、キングサイズになりそうなところをダブルに落ち着かせた。どうでもいい。


「ウォフ」


「キッチンだな」


 バカみたいにデカいカウンターキッチンだ。男の一人暮らしでこんな広いキッチンはいらないのだが、内装業者にうんぬんかんぬんだ。


「ウォフ」


「あぁ、ここは召喚獣用の部屋だな。つまり、ロキの部屋だ」


 召喚獣と契約することを前提に建てたマンションだからな。当然、召喚獣の部屋はある。少しでもストレスを軽減できるよう一番広い部屋だ。小さな披露宴会場くらいあるのではないかと思う。


「ウォフ」


「あぁ、そこは──」


 それからもロキは全ての部屋を見て回り、事細かにチェックしているようだった。まるで息子の一人暮らしの部屋に初めて来た母親のようだ。


「……どうだ、満足したか?」


「ウォフ」


 まぁまぁね、という表情だ。文句を付けられないでなにより。


「あ、そうだ。ツイッターどうするかなぁ」


 俺はそう言えばと思い出し、スマホを取り出す。

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